お見舞い

 ミンシカの手に迷宮の魔力が戻った––––––。

 目を閉じて絶たれていた魔力が暴走しないよう、大いなる流れに意識をのせる。


 バールはなんとか体を返して地べたに座り込むと、目を閉じて立つ少女の無事な姿を眺めた。


 やがて目を開けた少女は笑顔になって、こっちに駆けてくる。

 バールも笑った。


 背後でコツッというかすかな音がした。


「–––––––––––– レオンッ」


 通り過ぎていく小さな背を目が追いかけて、首だけ後ろに向ける。


 少女がまっすぐに抱きついたのは、紺色の長衣ローブに円形に脱毛した白が混じる黒髪をゆるくまとめた人物。

「遅いっ」

 バールのよく知るその人は、すねるように腹に顔を押しつけてくるミンシカの、ふわふわとした髪に手を置いた。

「ミンシカ。……すまない、一人でよく耐えてくれた」

「バールもいたから」

 つと、レオン・マクシミリアンの視線がバールに向けられた。

「役に立ったかい?」

 少女へとたずねる。

「すこしね」

(少しっ!?)

 立ち入れない空気に何か言ってやろうと思うが、マクシミリアンの視線はすでに、不気味に浮かぶ「虫」を閉じ込めた歪みに走っていた。

「あれは……時空間魔法の一種かな」

 頭を撫でられてミンシカの不機嫌はすっかり氷解していた。

「相当な魔法を使ったね」

「レオンが結界を張ってくれたから、遠慮はいらないと思って」

「……時を超越する存在もいるかもしれない」

 マクシミリアンの指摘にミンシカは口をへの字に曲げむくれた顔をしたが、それに構わず静かな声が響いた。


「おいで、《エクシーデ》。先にカタをつけよう」


 空気の質が変わるような不穏な気配とともに、マクシミリアンの足もとから声がした。

『お嬢、お嬢、無事か!?』

「うるさい。この役立たず、もっと早くレオンに知らせなさいよ!!」

 紺色の長衣ローブにつかまったままミンシカはマクシミリアンの影をげしげしと踏みつけた。

「ミンシカ、後にして。エクシーデ、〈禁断の書〉は探せたかな」

『ここにある。オレが出てくとまたそいつがぶっ倒れるぞ』

 バールは自分のことかとどきりとする。

「魔法を知ってる体になったようだし、少し耐性がついたように思うけど。仕方ない、腕だけ貸してくれたらあとは僕がやる」

『おおせのままに』

 笑うようにまたあの声が言う。


 立体化した揺らめく影の腕が赤い背表紙の本を持ち、封じられた魔物の前に進み出たマクシミリアンのかたわらに掲げた。

「バール」

 呼ばれてこちらにわずかに向けられた師の顔を見つめる。

「後ろを向いてなさい、と言いたいところだけど、これだけ秘密を知られたら今更ね。今から行うのは禁忌の魔法よ、見ても、見なかったことにした方が、あなたのためよ」

「わ、わかりました」

 なぜか緊張するバールの顔をじっと見て、マクシミリアンはつけ加えるように言った。

「……ミンシカを守ってくれてありがとう」

 

 時が停止したはずの牢獄の中で魔物の赤い目が大きく見開かれた瞬間、赤い装丁のぶ厚い本の表紙にある一つ目が開眼し、開かれた本の中へと透明な檻ごと吸い込まれていくのをバールはまた、吐きそうな気分に耐えながら今度は最後まで見送った。


 マクシミリアンの作業が終わるとミンシカは再び長衣ローブにまとわりついた。そのまま背に隠れるのを好きにさせている姿は、子守をしてるようだとバールは思った。

「レオンがあたしを目覚めさせたのよ」

「ミンシカ」

 わずかに眉を上げたマクシミリアンがいさめるように名を呼ぶ。

 バールは驚いた。

「じゃあ、迷宮を暴いた6人の……?」

 意外な気がした。

「そこまで話したの?」

 マクシミリアンは姿の見えないミンシカに視線と声を投げかけた。

「バールはレオンと同じことを言ったのよ。『いつかここから出られる方法を見つける』『約束する』って」

 あきれた顔で師匠は弟子を見つめ、やれやれと息を吐き出した。

 ミンシカの気持ちを思えば、師匠はバールを叱ることができない。

 同時にミンシカがあれだけ意地を張って戦わなかった理由を、バールはわかってしまった。

「うれしかったの」

 紺色の長衣ローブの向こうに銀に似た水色の髪が揺れた。

 巻き毛に包まれた小さな顔がこっそりバールを見ている。

「だからね……ありがとう」

 はにかんだ赤い瞳に、バールは笑い返した。

 魔族、魔女、正体がなんであろうと、ようやくミンシカという女の子を見つけたような気がした。



  □

 □



 その日、バールは実験塔にほど近い、療養施設を訪れていた。


 窓際、個室の特等席からは、閑静な森が眺められた。

 学生たちの声は届かない。

 療養に向いた変化に乏しい穏やかな環境を彼はあてがわれている。


 発見されてから1カ月が経ち、容態が落ち着いて訪れる者も定期的になってきた頃、彼は見知らぬ顔を迎えていた。


「おかげんはどうですか、ネリーさん」

 発見された時、しわくちゃにやせ細り白髪になっていたネリー・オーズは、少し肉がついて肌にハリが出てきて、髪の根元に黒い色が見えるようになっていた。

 口や目元に残るシワの跡はまだ年齢より疲れを感じさせる。


「バーレイ・アレクシアです。今期からマリテュスに入学して、今は〝深遠の魔術士〟に弟子入りしています。ネリーさんが見つかった時、おれもそこにいました」

「レオン博士の……そうですか、見苦しい姿をさらしましたね。その節は、」

 礼を言おうとするネリーをバールはやんわりと止めた。

「今日は余計な話をしにきました。きっと誰も立場上口にしません。話す必要のないことだから」


「……私はあの時の記憶がないのです」

 ネリーは目を伏せポツリと呟く。

 そういう反応が返ってくることは予想していた。

「事故だったのはわかってます」

 それでもバールは切り出した。余計なことだと手を引っ込めるより、余計なことをして後悔した方がいい。

 ずっとそれは自己満足だと思っていたけれど、思惑の向こうに胸を張っていい目的があることに、最近気がついた。

(おれは間違ってるかもしれない……)

 そうも思いながら、話し続ける。


「半年くらい前にその本が図書塔の蔵書に加わった時、塔の魔術士たちは問題ないと思っていました。少し古めかしいその本は5千年近く前に書かれたもので、ずっと魔力を吸って生き続けてました。本には目的があったんです」

「……」

 やや落ちくぼんだ小さな目の奥を、ネリーは硬く光らせていた。

「当時の魔法使いたちは完璧な人とか神さまを造ろうとしたのかもしれません、命を脅かさない程度に魔力を通じて魂のかけらをもらって、一つの完全な存在を再現しようとしたんです。後世になってそれは兵器のことだと思われて、いろんな人が本を所有したそうです。インキュベーターというのはそもそも〝孵卵器〟という意味でしたが、〈吸魂の書〉という名前がついたのもその頃でした。魂はなかなか復元できずに、呼吸し続けた魔力からいろんなものが溜まっていきました。あらゆる存在を取り込むには、膨大な時間がかかったんです」

「まるで、完成したみたいな言い方ですね……」

 ようやく椅子を勧められてバールは腰かけた。

〈吸魂の書〉には集めるべき存在の名前が、魂の目録リストとして記されていたとバールはきいている。


 そのどれが欠番かがわからず、本が未完成であること、図書塔では基本的に魔法が使えないことから、安全だと判断され蔵書に加えることになった。

 もっともマクシミリアンは、少なくとも神と悪魔と冥府の力が欠けていることを確認したうえで、やはり所蔵を認めている。何か起きた際、図書塔でなら対処できるという考えも含まれていた。


「永年欠けていた部位パーツがそろったんです。ずっと欠けていたものが、図書塔に収められてからたった半年で……図書塔では魔法が禁じられてるのに、おれは使っちゃったんです」

 身に覚えがあるのは成功させた〈空間転位〉で、移動させた物体がどこかあり得ない世界を通った可能性だった。

 それにマクシミリアンが助けてくれた時、死霊を退けるために使ったのが、冥界の召喚魔法だったのではないかとバールは疑っている。

 ミンシカが死霊術の棚を見回っていたのも、なんとなく腑に落ちる。


 あの二人は知り合いだ。


「ふたりとも、知り合いなら最初からそう言ってくれればいいのにっ!」

 図書塔の下層区で、抗議したバールにミンシカは素っ気なく言ったものだ。

「だって、秘密だもん」

 バールに回復魔法をかけながら、マクシミリアンもしれっと答えた。

「マリテュスの秘密を知って、消されないだけマシだと思いなさい」

 悪びれない空気は恐ろしいほど一致している。

「バールが知りたいなら、色々教えてあげるけど?」

「いいよ、もう! 魔法だけでいいよ!」

「そういえば、バールに魔法教えてるの、ミンシカ?」

「レオンが弟子をとったっていうから、どんなのか見たくて」

「……そう、ほどほどにね」

「師匠、今の間は? 今なに考えてました?」

「「うるさい」」

 その時、まるで師匠が二人に増えたような、気の遠くなる感覚をバールは味わった。



 針のように痛いほどの視線を、寝台の上の青年はバールに向けていた。

「……私は」

「魔晶石の明かりが消えたのは、インキュベーターが活発化したからだと思います。だから、あなたが何もしなくても、あの本はその前から胎動をはじめていたんです」

「しかし」

「……もし気にしていたらと思って。責任を感じていたら、それは誰のせいでもないと言うつもりで来ました。インキュベーターだってそう造られた本だった、与えられた命題を自分の意志だと思ってただけです」

 バールはネリーの表情を見守った。

「バーレイくん、君はまだ1年目だそうだね」

「はい、えと、バールでいいです」

「私は……禁忌の呪文を使いました」


 返す言葉の見つからないバールに、ネリーは告白を続けた。


「その処罰を受けて、退院したら故郷に戻るつもりです。マリテュスは懐が深い、良い意味でも悪い意味でも。まさか〈禁断の書〉を開ける生徒がいるとは思わなかったのでしょう」

「そんなものを放置していた大学のために、責任を負うんですか?」

「黙っていれば不問に付してくれるそうです。口外すれば魔術士として、いえ神官としてもこの国で仕事にはつけなくなります。圧力ではなくて、バールくん、魔術士といえど越えてはならない一線があるんです」

「それが不可抗力でも?」

 弱ったようにネリーは力なく笑った。

「戒めです。他人ごとなら私も許したいと思ったかもしれない。君もあの力に触れればわかります、世に出してはいけない禁断の果実があると」

 聖職者らしい言葉だと思ったが、一瞬、ネリーの目に暗い穴が開いたように見え、バールは凍りつきそうになった。


「人として、力を持つ者として、許してはいけないことがあると納得できた。だからここを去ります。このあとは誘惑と戦う人生になるとしても、記憶がないと自分に嘘をつかせ続けるよりずっとマシだ」

「ネリーさん……これ」

 バールは観葉植物に詳しい友達から渡された、どうかと思ってずっと隠していた小さな鉢植えを、これもどうかと思う契機タイミングで差し出した。

「故郷のヘリテージにある村はシロツメクサの葉が村名だとかで、花もたくさん見られるそうですね」

(と友人に聞いて、ってどんな偏執狂マニアックな情報だよ!?)

「シャムロックですね、……ありがとう、……ありがとう」


 素焼きの鉢にゆれる小さな群生を、骨ばった両手で包み込んで、背を丸めたネリーは静かに泣いた。

 故郷に置いてきた妹とは、義父が亡くなるまでずい分と怖い目にあわされたことを、バールはきかされた。

 その頃から、暗闇がだめになったという。飲まず食わずで死の淵をさまよった記憶が蘇り、恐慌状態におちいってしまう。そうなれば、魔法を使うこともままならなくなり、明るくなるまで、ただただ身を縮めて恐怖するしかない。


 恐怖症のことはずっと隠したまま、過ごせていた。


 油断していたのかもしれない……。

 あの日、ふと魔晶石の明かりが1箇所消えていた。悪いことに護符アミュレットを失くしていた。わだかまる暗闇を無視して取りに来た本の場所を確認し、1冊だけ暗闇が目に入る場所にあった。その本から回収すればあとは気が楽だ。ふとその本に指をかけた時、別の手が同時に本に触れた。

 見るとそれは非業の死を遂げた義父だった。


 死霊の見せる幻覚だと考える余裕は消え失せ、半狂乱で逃げた。にげた。にげた。たりない、追いつかれる。

 いやだ。

 追いつかれたらおしまいだ。

 誰でもいい、

 なんだってする、

 なんだってやるから私を逃がしてくれ。


「魂をくれてやるから、逃がしてくれ、確かに私はそう叫んでいました」

 両手に抱いたシロツメクサを見つめてネリーは静かに話す。

「とても普通にそれは話しかけてきたんです」


『本当かえ、なら願いを叶えてやろう』


『かんたんさ、名前を呼ぶんだ、もうわかってるはずだよ––––––さぁ、こっちへ』


「それが取引でした。母の体内にいるようなあたたかな、いや……もっと甘美な感触に包まれて、多分、錯覚だったのでしょうね。それきり記憶はありません。この病室で目覚めるまで」

「〈禁断の書〉は1冊につき一体、下級悪魔が化けてるそうですね」

 師匠の影のエクシーデが言っていた。

「そうです。表紙ばかりが立派で、中身は大抵つまらない本なんです。人の強い感情や欲に反応して誘惑してきますが、返事をせずに燃やしてしまえばいいんです。でも契約したら、本当の効力を発揮します」

 ネリーを解放した〈禁断の書〉は、〈吸魂の書〉を飲み込んだあとに燃やされている。


「もう、原因になった〈吸魂の書〉もあなたが開いてしまった〈禁断の書〉も、この世にはありません、ネリーさん」

 それでも魔術士をやめてこの人は出て行くのかと、バールは思う。


「もう一度やり直すため、故郷に帰って家族の顔を見たいんです。帰ったらこのシロツメクサを植えます」


 言葉を切って、ネリーは森ばかりが見える窓の外に目を向けた。

 その視線を追ってバールも、窓からは見えないネリーの故郷の景色を思い浮かべた。


「おれは待ってます。一度の失敗ですべて投げ出さないといけないなんてこと、ないと思うから」


 待ってます、とくり返す後輩の言葉を、まぶしそうにネリーは耳にしていた。


「君はどんなに踏まれてもめげない、雑草みたいな魔術士になって」

「はい!」


 召喚術士ですけどね!


 そう思うバールをよそに、ゆるやかな風が病室に青々とした空気を運んで、二人の若い魔術士の髪を撫でていった。










 

 Ⅰ期 召喚術士と図書館の魔女    完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

召喚術士と図書館の魔女 (『走れ!エランダーズ Adobe Adolescence Ⅰ<召喚術士と図書館の魔女>』) 日竜生千 @hirui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ