エピローグ
エピローグ
バインダー片手に、セルジオはイースト二番署の廊下を歩いていた。
時刻はちょうど昼の二時。とりあえず仕事は片付いたので、彼はこれから少し遅めの昼食を取る予定である。
だが、廊下の曲がり角に差し掛かった時、セルジオは後ろからとんとんと肩を叩かれた。
当然、振り向く。
「…………」
が、振り向くと同時に、セルジオの頬には細い指が突き刺さった。
視線の先に映るのは、してやったり、って感じの笑みを浮かべたカリーナ。
また刑事課にでも用があったのか、彼女は大きめの茶封筒を小脇に抱えていた。
セルジオは彼女の手を振りほどくようにして、
「何のつもりだ」
「相変わらず顔が固いわよ。生活安全課なんだからもっとフレンドリーにしないと、市民に嫌われるって」
ローブのような衣装とワインレッドのオーバーコートをひらつかせ、カリーナは言う。
彼女の言うとおり、セルジオは今月から生活安全課へ《転属》させられていた。
彼がもといた特殊生物対策課は、先月いっぱいで事実上の閉鎖となったのだ。魔法使いの出現がなくなったので、当然である。ちなみに討伐屋も組織としてはすで消滅している。
「……早いものだ」
セルジオは少し遠い目で、過去を振り返る。
あの事件から、すでに二月が経とうとしている。
あの後、セルジオとカリーナは旧研究所に密かに保管されていたこの街のホロ・ファクトに関する資料や記録を持ち出し、匿名で報道関係者にそれを公開した。市政府に握りつぶされる可能性はあったが、そこはカリーナが持ち前の人脈を発揮してうまくやってくれたらしい。
結果、魔法使いの正体が明るみになり、市政府も魔法使いの製造を止めざるを得なくなった。
もっとも、公開されたのは一部であるため、市政府の悪事が余すところなく晒されたわけではないのではあるが。
一部としたのは、市民の敵対感情や過激な反政府組織の行動をある程度抑えるためだ。魔法使い製造の件を含めて一部始終を公開してしまうと、市政府やひいては公安の地位が完全に失墜し、街全体の治安の悪化につながりかねない。しかも下手をすれば、内部の混乱に乗じた第三者の介入によってヴェストシティそのものが潰れることも懸念される。
そのため二人は、情報の公開を最低限とし、市政府の存続を優先させることにしたのだった。
とはいえ、彼らが首の皮一枚繋がっている状態であるのは変わらないので、この状況で魔法使いの研究は再開しないだろう。
それに、今市政府の役人が躍起になっているのは残りの情報の秘匿と、責任の所在の押し付け合いである。カリーナの話では、今回の件に関与した人間の調査なども、市政府の中ではもはやうやむやになっているのだとか。
最近では区画外をヴェストシティに組み込むべきという世論も出ていて、正直身内で争っている場合ではないと思うのだが、こればかりはいち公安官でしかないセルジオが憂いたところで、どうなるものでもない。
ちなみに、セルジオの提出した辞表は最終的に受理されなかった。あの一件以降、多方面で公安の仕事が倍増したため、二番署署長は辞表の提出自体をなかったこととして扱ったのである。それはそれで問題なのだが、セルジオとしては職を失わずに済んだので、別段追求するつもりもなかった。
なお、ロイに関しては行方不明者として処理されている。彼の詳細は、ノインから聞いた。ただその結末も、致し方ないものだ。ノインに非はない。
しかしまだ彼は書類上、自分の部下として扱われている状態だった。あと数年すれば、死亡と断定されて登録書類なども全て廃棄されるのだろうが、それまではこのままらしい。
そしてレーツェルという男に関してだが、彼の情報は公にはなっていない。これもある程度ノインから話を聞いたものの、詳細までは不明なままだった。そして当然というか、市政府が彼の情報公開を行うような様子は今のところなかった。
「そういえば、彼らはどうしている?」
ふと思い出して、セルジオはカリーナに尋ねる。
カリーナは相変わらず何でも屋を続けているが、あの二人は、何をしているのだろうか。あれ以降、彼らと話をする機会もなかったので、少し気になるところだ。
するとカリーナはやれやれと肩をすくめ――しかしどこか楽しそうに言った。
「さぁ? 今も走り回ってるんじゃない?」
○ ○ ○
「くっそ……降りて来いって……!」
真っ昼間のイースト三番街、そのとある裏路地で、男は肩で息をしながら顔を引きつらせた。
直後、彼の目の前にあった空き樽の山が崩れ、盛大に音を立てる。
相手は軽く飛び乗っただけだったのだろうが、その力は不安定に積まれた空き樽を崩すには十分であったらしい。いくつかの樽が男を襲い、その隙に彼の視線の先にいた生き物は、日の光も人の手も届きにくい暗がりに逃げ込み、姿をくらましてしまう。
「……今日は帰るか」
男は即座に判断を下すと、身を翻す。
――が。
「だめ」
いつの間にか背後にいた存在に、彼は着ていたコートを引っ張られる。それは、動きやすいパンツスタイルに赤いハンチング帽子を合わせ、ノインと同じ灰色のコートを羽織った少女だった。
「リリ、やっぱ俺には無理だ。そもそも動物に好かれてない」
「そうやってノインはすぐ私に押し付けるでしょ。そんなんじゃカリーナみたいになれない」
「別になりたいわけじゃねーし、そもそもあいつはペット探しなんて――」
「口答えしない。早く追っかける」
「…………」
――まだ昼飯も食ってないのに。
出かけた不満をノインは懸命に飲み込み、走り出す。
そして背後からはリリが付き従う。
あの事件以降、ノインらはカリーナと同じく『何でも屋』を開業していた。事務所はボスウィットが道具屋(……といっても半分武器屋だが)として営業開始したスキューア。
間借りする形なので今はかなり狭いが、ボスウィットはスキューアの店舗スペースの拡張を考えているようなので、それが済めば、少しは改善するだろう。当然、その改装資金はこちらも出す形になるので、今はそのためにも仕事をこなしていかなければならないのだった。
しかし、開業したての何でも屋に大した依頼が回ってくるはずもなく、ノインの仕事は今のところペット探しやら浮気調査やら、屋根掃除やら荷運びやら……とにかくとてつもなく地味なものばかりなのであった。
そして今回ノインの仕事は、逃げ出したペットの猫探し、というわけである。
仕事は助手であるリリと分担する形になるので討伐屋時代とトントンぐらいには稼げているが、それでもやはり生活は厳しい。
ちなみにリリだが、最近彼女はなんというか小うるさく――いや、活発になった。
以前は大人しいイメージだったが、最近は何かと能動的だ。生活に必要な知識もきちんと吸収しているし、残っている魔法使いとしての力も自己判断でしっかり制御している。
あの後、リリに撃ち込まれたナハトレイドは、彼女に注ぎ込まれたロイのホロ・ブラッドのみを完全に破壊した。そしてその後、彼女は予想通り目を覚ました。
レーツェルの話では、リリ自身を構成するホロ・ブラッドは、ホロ・ブラッドであってそうでない何かになっているということだったので、彼女自身はナハトレイドそのものの影響を一切受けなかったのだ。そして彼女は魔法使いなどよりも強力に、銃創を回復してしまった。
最初に会った時も、そしていつだったか路地裏で襲われた時も、彼女の傷はいつの間にか消えているのだ。つまり彼女の再生は(彼女が意識すれば、だろうが)極端に早い――単純に、しぶといのである。それこそ、脳幹を撃たれても瞬時に回復できるほどに。
ただソフィアの面影だけは、予想通り完全に消えていた。正直、理屈はよくわからないのだが、もうリリに『彼女』を見ることはなくなった。
けれど今思えば、そんなものは最初からなかったのかもしれないとも思えた。
過去に囚われていた自分たちが、彼女をそう見ていただけだったのかもしれない。
リリの瞳の色も、今は金色一色で、そこに赤い瞳の名残はない。
するとノインは、少女から視線を外し、ふと空を見上げた。
(なんか、変な感じだな)
討伐屋であったら、こんな空の下で仕事はできなかっただろう。
そういえば、いつかソフィアが言っていた。
――お日様の下で、仕事したいな。
それは叶わなかった。
叶えてやれなかった。
それは悲しい記憶。消えない記憶。
しかしリリを撃ったあの時、どこからか聞こえた気がしたのだ。
――ありがと。
あの日、彼女は夜から解放された。
少なくともノインはそう思っている。
なら、いま彼女がいるのはきっと――。
するとそこで、ノインは首から下げていた欠けたペンダントを掲げて見せた。
太陽にかざし、それを煌めかせる。
「……何してるの?」
「いや、なんでも」
言ってノインは隣の少女に笑いかける。
──決めたのだ。
夜の中で失ったものも。
夜の中で見つけたものも。
すべてを受け入れて、夜明けを行くと。
その強さは、人が持つ魔法の力であるのだから。
空白のホロ・ファクト 九郎明成 @ruby-123
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