030 【第1部 最終話】オークションを続けよう
火曜日の夕方になると、例の挿画本の出品が決まった。
俺は課長から千円札を3枚受け取って、1枚返し、市柳さんをランチに連れていくことになった。
翌日の水曜日は、オークションの下見会会場の設営日だ。
昼休みになると、市柳さんと高見さん、それから黒浜を連れて四人でランチに向かった。
市柳さんと二人きりで行くのではなく、他の新入社員二人にも声をかけたのである。
今回のお店選びは市柳さんに頼んでみた。
彼女は本当はお祝いされる立場なのだけど、こころよく役目を引き受けてくれた。
市柳さんの案内で、俺たちは会社近くの商店街を歩いた。
俺は彼女に言った。
「市柳さん、ようやくいっしょにランチに行けましたね。製薬会社での商談があった日に、いっしょにランチに行こうと約束したのに、なかなか実現できなくてすみません」
「お、大沼さん、覚えていてくださったんですね。こ、こちらこそ、約束していたのにお誘いできなくて本当にすみませんでした」
市柳さんは商店街から
ドアベルをカランコロンと鳴らして店に入った。
高見さんが店内を見渡してつぶやく。
「んっ……ここは、喫茶店なのかな?」
たぶん、スナックだったのを喫茶店に改装した店だ。神田のサンドイッチ屋で、市柳さんと二人きりで食事をしたときに存在を教えてもらった例の店だと思う。
店内には昔のゲームセンターにあるようなテーブル型のゲーム機が何台か置いてあって、食事用のテーブルとしても使用することができるみたいだ。
市柳さんが俺に言った。
「お、大沼さん。ここでいっしょにランチを食べるって約束をしたことがありましたよね?」
「はい、覚えています。神田のサンドイッチ屋で教えてくれた店って、ここなんですね」
あの日に俺と交わした会話を、彼女はずっと覚えてくれていたのだろう。
俺と市柳さんはお互い顔を見合わせると、どちらからともなくにっこり笑った。
市柳さんのおすすめのメニューである
レトロなシューティングゲームのデモ画面を見つめながら、高見さんが口を開く。
「いやー、市柳さんって本当にユニークだよね。面白いお店とか他にも知っていたら教えてもらってもいい?」
「はい。また今度、いっしょにランチに行きましょう。たくさんおすすめのお店がありますよ」
市柳さんと高見さんが、なんだか仲良くなっている気がした。いつの間にか異文化コミュニケーションが進んでいたような、そんな雰囲気だった。
スパゲティーを食べ終えると、ランチタイムサービスのアイスコーヒーを飲みながら、俺は新入社員たちに言った。
「本配属の希望ですが、市柳さんは『営業1課』希望。黒浜は『カタログ班』希望。高見さんは、このまま『営業2課』に残る。本当にこれでいいですね? 最終確認ですよ?」
特に変更はないようで、三人は静かにうなずいた。
高見さんが俺に尋ねる。
「でも、大沼さん。そんなことが本当に可能なんですか? アタシたちの希望通りになるの?」
「大丈夫ですよ。事前にうちの課長が
さらに高見さんが質問してくる。
「あの……営業1課の課長さんって、いったい何者なんですか?」
「尊敬できる素晴らしい上司ですよ」
昼飯を終えて会社に戻ると、俺はすぐに課長に会いにいった。
『新入社員たちの配属希望』の最終確認がとれたことを報告したのである。
「そうか、でかしたぞ、大沼! 市柳さん、本当に営業1課に来る気になったんだな!」
課長は笑顔を浮かべると、「よし、あとは任せろ!」と俺に言って、両目をギラギラさせはじめる。
彼はそれから、「大沼! 先にちょっと、トイレに行ってくるからな! 昼飯を食べすぎたんだ。まずはトイレで身軽になって、本格的に動くのはそのあとだ!」と宣言して、俺の前から去っていった。
興奮さめやらぬといった感じだった。
トイレに行くのにも気合がみなぎっている。
下見会の設営には、ほぼすべての社員が参加していた。
そのため課長も、あちらこちらで人と会って話を進めるには好都合だったようだ。
本気を出したときの課長のスピードに、俺は興奮した。
本当に『尊敬できる素晴らしい上司』であると再認識させられた。
昼休みの後から夕方にかけて、パズルの必要なピースが次々とはめ込まれていくみたいに、面白いように話がまとまっていった。
課長はもともと、このときのために暗躍していたのだから
何が行われたのか、ざっくり説明すると――。
まず、カタログ制作班の責任者と営業1課の課長との間で、取引が行われた。
カタログ制作班の責任者は女性で、イケメン好きであった。
本配属で黒浜が自分のチームに来るようなミラクルが起きないかなあと、実は心の中でちょっと願っていたらしい。
だから、黒浜本人がカタログ班を希望していることを知って、彼女は大喜びした。黒浜の希望を叶えてあげたいと、協力してくれることになったのだ。
そして、黒浜がカタログ班に来るのなら、市柳さんが営業1課になることには反対しないということで話がまとまった。
市柳さんはカタログ制作の仕事の覚えがよかったので、責任者の女性は残念がっていた。だけど、本人が営業1課を希望しているのなら送り出してあげたいとのことだった。
市柳さんと黒浜のそれぞれの希望が叶うのなら特に反対する理由はない。それがカタログ班の責任者が出した結論だった。
課長とカタログ班の責任者とは仲が良かったので、
そもそもうちの課長は、市柳さんを
問題は営業3課の課長だった。黒浜が抜けるとなると、営業3課は戦力ダウンである。
黒浜を簡単には手放してくれないと思われた。
しかし、『黒浜自身がカタログ班に入ることを希望している』という強みがあった。
それと営業3課の課長は、カタログ班の責任者に過去にいろいろと助けてもらっており、大きな借りをいくつも作っていた。
今回それが
昔から営業3課の課長は、スケジュールにルーズなところがあった。
オークションカタログ用の原稿提出をたびたび
だから営業3課の課長は、カタログ班の責任者には頭が上がらなかったのである。
また、営業1課の課長も、黒浜が抜けたあとの営業3課のバックアップをすることを約束したみたいだ。
営業3課の集荷や納品などで、営業1課が力を貸す機会が今後は増えることだろう。
責任者三人の間で話がついた。
カタログ班の責任者は市柳さん本人に、営業3課の課長は黒浜本人に最終確認をとりにいった。
営業部長や人事関係の担当者との交渉なんかは、うちの課長がうまく乗り切ったみたいだった。
関係者全員が、会場の設営に参加していた。
そのため、その日のうちにあちらこちらで話がまとまっていった。
会場設営が進んでいる裏で、新入社員たちの電撃的な人事が同時進行で済まされていったわけである。
そもそもうちはそれほど大きな会社でもないので、面倒な手続きなんかも少なく、みんなフットワークが軽かった。
やがて、夕方になるころには――。
『市柳さんは営業1課。高見さんは営業2課。黒浜はカタログ制作班』
このかたちで新入社員たちの本配属がまとまった。
反対する者など、社内に誰一人いない状況となったのである。
うちの課長は本当に、『尊敬できる素晴らしい上司』であった。
* * *
二日間の下見会が終わり、土曜日がやってきた。
オークション本番である。
出番になると俺は
「LOTナンバー151は、10万円からスタート! 10万円っ! 10万円っ!」
次の金曜日の夜には、また四人で集まって飲み会でもしましょうか。
新入社員たちとの間で、そんな話が持ち上がっていた。
本配属でみんなの希望が通ったので、そのお祝いである。
俺の知っている7年前の世界では、こんなことはもちろんなかった。
過去が完全に変わったのだと思う。
これなら、新入社員たち三人も会社を辞めないのではないか――。
ぜひ、そうあってほしい。
俺は心から願った。
やがて、会場のビッド札がたったひとつを残してすべて下げられた。
俺はいつもの宣言をする。
「落札します」
ハンマーを打ち鳴らす。
カンっ――と乾いた音が会場に響いた。
「916番のお客様、18万円で落札っ!」
前回までは、ここで過去に戻された。
しかし今回は――。
竸り台の脇に設置されているモニターに『LOTナンバー152』の作品が映し出される。
時間は戻らず、前に進んだのだ。
さあ、大好きなオークションを続けようじゃないかっ!
(第1部 おしまい)
やり直すオークショニア 岩沢まめのき @iwasawamamenoki
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