第3話 2045/10/12(2)

 肥沃な三日月地帯メソポタミア地区最大の人工湖から西へ進んだ場所に、天体衝突により生じた広大な窪地クレーターが存在する。同所は、周囲を緩やかな山脈リムによって囲まれた自然要塞であり、かつての亡国は、3本の滑走路を敷設し航空基地として運用していた。


 その後、戦後復興期には、米軍が同基地を接収し、その地理的特性を生かして運用していた事は周知の事実である。

 しかしながら、後に同所に誘致された研究機関によって先端軍事技術に関する研究開発が行われていた事は、一部の関係者しか知り得ぬことであった。


 その基地の外れ。そこには山脈リムに横穴を開けて建造された一際大きい埋設型の格納庫ハンガーがある。

 航空基地の本来の運用を考慮すれば、緊急発進に備えて航空機用格納庫は滑走路の直近に配置すべきであろうが、滑走路から離れた箇所に同格納庫が設けられたのは、空爆や砲撃を警戒したものだけではなく、偵察衛星世界の監視から逃れるためでもあったのだろう。


 事実、基地は今現在も大気圏外から覗かれているというのに、監視者はこの格納庫を含んだ地下に存在する蟲の巣ネストの全容を把握し切れていないのだ。

 その格納庫内。今ではネストのいくつかある軍事拠点のひとつとなっている場所では、多くの研究員、整備士が慌ただしく走り回る靴音が壁面や天井にぶつかってこだましていた。そして、その音に混ざった笑い声——


ッ——」

我儘に付き合わせた、とはなんとも笑わせてくれるものだと、オツォは思わず破顔した。


 オツォ個人としては、基本的に何事にも動じないスフィルが困り顔をしているのならば、直接拝みに行きたいところではあったが、あのネガティブ思考の煽動者の顔が曇っていれば周りも不安になるものだと、ちょっかいかけたい気持ちに制動ブレーキをかけて、喉元に密着された声帯マイクのプレストークボタンを押下した。


「いいかよく聞けよ」

通話を短く切った。返答はない。了承したのだろうとあたりをつけ、一方的に通話を再開する。


「ここにいる連中はよ……国を、家族を失い、彷徨ってきた奴だったり、あるいはお前の妄言に感化されて新天地を夢見て勝手に集まってきた奴らな訳だ。俺も含めてな」

オツォは思い出した。荒れ果てた戦地の中を彷徨う亡命者達の群れ、乾いた褐色の大地をひたすら進む者たちへの光となった、あの宣言を。


 あれから5年。国という枠組みにとらわれずとも、生きていけるのだと、飯を食らい、しょうもない話に笑い、屋根のある場所で寝て、何の変哲もない平和な明日を迎えられるという小さな幸せを、俺たちは享受することが出来たのだと。だからこそ——


「——それを、お前の我儘に付き合わせただ? 笑わせるなよ。俺たちは俺たちの意思でここまで来たんだ。お前の為でもねぇし、お前の言いなりになったつもりも無い。嫌な奴はとっくの昔にここから出て行ってるさ」


「それとも何か? 俺たちはお前の都合の良い駒だとでも言うのかよ?」

「いや、そんなつもりは——」

「だろ? なら、お前が口にするべきは謝罪の言葉なんかじゃねぇ。欺けよ、俺たちを、世界をよ……最後まで夢、見させてくれや」

さも、笑い話かの様にオツォは冗談めいた口調で一方的に伝えた。例え、近い将来……或いは今日、我が家ネストが世界から切除されたとしても、歩んできた道が誤りではなかったのだと誇れる様に。


「……ふふ、そうだな」

クスリと、スフィルが沈黙を破った。


「ま、当然ながら連中に無償ただでこの地を譲る気はねぇからな。俺は予定通り迎撃準備に入るぜ」

「あぁ、宜しく頼む」

どうやら調子を取り戻したらしいスフィルが抑揚の無い声で返答する。オツォの脳裏に慣れ親しんだ鉄仮面ポーカーフェイスが浮かんだ。


「——オツォ、準備はいいか?」

無線のやり取りを伺っていたのか、そのタイミングで整備兵がオツォに声を掛ける。その声に混じる不安の色。


「オウ、今行く」

声色を感じたオツォが、少し明るめに返答して、声のした方へ手を挙げた。


「ん……」

と、膝上から漏れるか細い童女の声。


「と——悪りぃな、起こしちまったか」

己の膝上で寝息を立てていた愛らしい童女が、目をこすりながら重たそうに起き上がり、オツォを寝ぼけまなこで捉えていた。


「さて、眠れる森のお姫様。お目覚めのところ申し訳ありませんが、私めはこれより戦場に行かなければなりません」

仰々しく、物語の登場人物の様な台詞回しでオツォが優しく童女に声を掛けた。


「オツォ、また行くの?」

「——なぁに、直ぐに戻ってくる。この辺は少し煩くなるかもしれんが……寝て起きたら、またいつもの朝が来る」

言って、おもむろに右手を伸ばし、掌に感じた童女の頭部をわしゃわしゃと撫で回す。


「ほれ、整備兵の兄ちゃんに連れてってもらえ」

「でも——」

「この子、頼んだぜ」

童女の言葉を遮って、オツォは先程の整備兵に声を掛けると立ち上がり、誘導路の上を足裏で捉えて一歩一歩、確かめる様に歩み出す。その後姿を心配そうに見送る童女は、薄汚れた下履ズボンの裾を握り締め、何も出来ない力無き自分を、或いはこの世界の運命を恨む様に思った。


(オツォは、もう十分に戦ったのに……神様はあの人からこれ以上何を奪うというのだろう。オツォは、もう……「両眼ひかり」を失ってるのに——)

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UNSUNG HERO's メルグルス @kinoe

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