UNSUNG HERO's

メルグルス

第1話 2055/10/12

 ジグ……ジグ……ジグ——


 何かが、この鼓膜を叩いている。

 時計の針がチクタク、チクタクと規則正しく時を刻むかのように、一定のリズムで響き続けていた。


 姿は見えず。声も無い。

 けれど確かに、鼓膜を通じて身体を震わせるほどの大きな振動が、何処からか響いている。何かを伝えようとしているのか?


(ならば、何を——)


 明滅——右の視界端。

 閃光だ……二時の方向。

 反射的に右腕を伸ばす、が——


〝——まだだ〟


 誰かが叫ぶ。

 まだ早いと、音なき声が脳髄を叩いた。


(あぁ……そうか)

 

 提案を受け入れる。右腕を戻し右足に荷重。方向は閃光に垂直……五時方向。と同時、左足を思い切り踏み込んだ。

 その左足裏を押し返す固い感触……いつも機嫌が悪いCFRP製のフットペダルの返答。


 瞬きにも満たぬ僅かな思慮……無機物への苛立ちの狭間に視界が後方にぶっ飛び、加速度緩衝装置GADUの制御領域に収まらなかった加速度Gを受けて、身を収める背もたれに身体が叩きつけられる。

 背中から腹を突き抜けるように走った衝撃は、この身体における最大の呼吸筋である横隔膜を麻痺させるには充分過ぎるものだった。

 それだけで、息を吸うという単純な反復動作の方法すら忘れてしまったかのように、どれだけ口を開けども肺に酸素を送り込ず、ひゅっと、掠れた空気が喉元を通り過ぎた。


 刹那——ぅあん、と何かが背後を追い過ぎる。小虫が這いずり回るかのような寒気が背を走り両腕に抜けると、波打つように産毛が逆立ち……〝死〟という曖昧な——そう、知らぬ間に押し付けられた宗教観とも言える未知の世界への恐怖が脳裏をよぎる。


 死んだところで、ただ肉の塊と成り果て、己を己たらしめているこのちっぽけな意思など、電子端末のデータをタップ一つで消去するかのように失せてしまうというのに……。

 けれど、幾度となく経験した本能を揺さぶるこの感覚。其れこそが、己がという何よりもの証左だった。


〝——止まるな〟


 再度、声が囁く。

 踏み込んだ左足を引き戻し、左爪先で正面の逆噴射装置を蹴り上げる。と同時に、左手指に触れる幾つかのスイッチを感覚だけを頼りに押下した。


 途端、今度は前。

 座席から離れ正面に浮いた身体を逃がさまいとハーネスが胸と腹に食い込み、再度身体を座席に押し付ける。


 胸が熱い。

 胃液が食道をせり上がってくる。

 けれど、その不快な感覚だけが、消え失せそうな意識をその場に繋ぎ止めているのだ。

 無意識に右足が動いた。優しく、かつ速やかに五時から反時計回りに荷重して——八時へ。


 操者の荷重を感知した姿勢制御RCSシステムが、その命令を忠実に実行する。

 特殊鋼と強化セラミック製の複合装甲の内側を巡る、軌道エレベーターにも流用される炭素繊維製の人工筋肉に対して、電圧変化による収縮・肥大命令を発出したのだ。

 背部推進機メインスラスターと逆噴射装置、これら前後双方からぶつかる勢いが脚部の姿勢制御により機体を中心に左後方へ流れると、身体が外に振り回された。加速度により身体の血が右半身に持っていかれ、視界が狭まる。


 やけに遅い……そう、ゆっくりだ。

 ゆっくりと景色が流れる。

 構わない——機体からだを回せ。

 右腕を伸ばすんだ。

 閃光が瞬いた——あの先へ。


 左に走る視界

 HUDに映り込む鈍い機影

 重なる目標と照準


 

〝——撃て〟



 声が、身体の内側で叫ぶ。

 目標との相対距離は近いはず……いや、既に近接戦闘の範囲だ。コリオリ効果を考慮した弾道計算はもとより、射撃統制装置によるロックオンすらも要しない。余計な事は考えるな。いつものように内なる声に従い、躊躇なく人差し指を引けばいい。


 右掌で握る無線式操縦機ワイヤレスコントローラーが見えぬ電子信号を飛ばし、戦闘系電子機器群Armonics(アーモニクス)が醜い産声を上げると、視界右端に現れた人の手腕を模した大きな鉄塊も、寸分の狂いなく人差し指を折り曲げる。


 ジグ…………ジグ……ジグジグ——

 

 徐々に速まる振動リズム

 唯一響く音は……そう、〝D〟の音階スケール


(あぁ、そうか……こいつは、このリズムは——)


 いち、にぃ、さん、しぃ……数えて十と二。

 其れが合図。

 音が戻る。

 総ての音が。



(俺の、鼓動か)



「——CRYWOLFクライウルフッ!!」



 聞き慣れない声。それが己のTACネームを叫んだ。そして、声の主が伝えようとした〝囲まれている〟という遅過ぎる警告が鼓膜を震わせるよりも早く、この身体は反応を示して、煩わしさすら覚える司令部HQへの「ZIP IT黙ってろッ!」の抗議は、幸か不幸かジャミングによるノイズと程なく発せられた爆音に掻き消された。



 ボッ……ヒュ————



 その音。爆ぜ、抜ける様な鳴き声。

 鳥ではない。その事実を示すかのように、右眼の視界端から火線が幾つも産まれては、照星の先へ還って逝った。


 そして、鳴き声の主は絶えず歌う。

 束ねられた3つの砲身が油圧モーターに導かれ時計回りに駆動すると、ドラムマガジンから砲尾へ伸びる給弾ベルトがずるずると呑み込まれた。その間、僅かにワントゥーSec.


 跳ね上がる砲身を人工筋肉がその強靭でしなやかな力で押さえつけると、小気味良い破裂音とともに、タングステンを芯に抱く高速徹甲弾HVAPが解き放たれ、焼尽薬莢が空気中で塵へと変わった。

 砲身から産まれ出た火線は50にも達し、1,000m/s超の速度を持って目標ターゲットへ突き刺さる。


 発火炎マズルフラッシュが閃光と衝撃波を生み、圧力を受けた砂塵は地面から浮き上がり宙を舞う。そう、未だ陽は昇らず、薄暗いあかつきの空の下……朧月が最期の輝きを放つ月明かりの世界で。

 そして、その一連の……僅か数刻の出来事を、小刻みに震えながら見ていたガラス張りの超高層ビル群は、その狂宴の演者を恐る恐る己の身体に映し取った。


 重厚な鈍色にびいろ装甲はだは襲い来る徹甲弾を弾き返し、紅く血走り敵機えものを睨む複眼メインカメラが闇間を切り裂く。

 右腕に備えた外部動力式機関砲ガトリングガンは、雄叫び上げる獣の様に咆哮しながら発火炎を燦々と煌めかせ、走る火線は流星の如く宙空に軌跡を残した。


「俺も手前テメェも、所詮は雑兵……此処でくたばっても歴史に名なんぞ残らんさ——」




 mementoメメント moriモリ——死神が時を打つ


 ——踊れや、諸君ものども


 死屍累々ししるいるいの夜をまたいで


 臓物ぞうもつふるわ脈動リズムのままに


 此処は戦さ場


 さぁ、戦場ここで踊ろう


 限りある、その命のともしびが燃え尽きるまで……死の舞踏を!


 うたわれぬ英雄達よ——

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