第2話 2045/10/12(1)

 黒海を望む山岳地帯を源流とし、アナトリア半島を流れて、ペルシャ湾へと流れ込む二つの大河。その大河から生まれた恩恵を享受する肥沃な地域は、かつて、人類最古の文明が生まれた場所でもある。

 言葉や文字を作り出し、果ては天を目指して神に届かんとした先人達は、その夢を潰えて地へと堕とされてから、妄執もうしゅうに囚われる様に同胞同士で争いを重ねてきた。


 その発端は、時に大河がもたらす恩恵であり、時に聖地を巡る戦いであり、あるいは世界を巻き込む大戦の勝者による醜い奪い合いや、地下に眠る限りある資源を求めて……時代と共に、時の権力者が掲げる大義名分によって形を変えて幾多の戦争が起こされてきた。


 その背後に、神の意向あるいは悪魔の囁きがあったか否かは定かではないが、戦によって生まれた憎しみが、新たな争いの種となる事は、誰しもが理解していたにも関わらず避けられなかった運命であったのだと、歴史が物語っている。


 そして、それは現代いまも変わらない——


*****

 10年前——中東某所 04:30


 飃々びょう——と、突風が砂塵を巻き込んで砂丘を駆け抜けると、波の様な風紋を地面に残して過ぎ去っていく。砂漠気候特有の暑く、乾いた乾季が過ぎ去り、間もなく雨季を迎えるこの時期が、同地を訪れるには最適であると、数十年前のガイドブックには掲載されていた。

 紛争地域の戦後復興からの目覚ましい発展は、いつの世も外国資本がこぞって参入するほどに魅力的な投資先であり、ほんの数ヶ月前までは、同地も例外ではなかった。


 起動輪がキュルキュルと駆動音を鳴らし、60トンを超える超重の戦車を稜線の上へ押し上げる。一世代前とはいえ、西側諸国が製造し改修を重ねた同機は、現代戦においても充分に前線運用が可能なモデルであった。車体が前方につんのめる様に急停止すると、無限軌道キャタピラが地面へ食い込み、砂塵が舞い上がる。


 上部ハッチが解放され、痩躯そうくの男が顔を出した。顔面は黒いスカーフで覆われており表情は伺えない。しかし、夜明け前の薄暗いとばりの中で、彫りの深い大きな両眼が、米海軍第五艦隊を含む有志連合部隊が布陣するペルシャ湾方向をギョロリと見据えて妖しく光った。

 首からぶら下げていた無線機から、漏れ出た電子音が男の耳に届く。戦車内の無線通信士に視線を投げると「各隊、配置完了」と短く返答があった。


(結局、こうなるというのか——)

男は、喉まで出かかったその言葉を奥歯で噛み殺すように飲み込むと、ギリリと歯ぎしりを鳴らした。

 旧国家が大国の前に成す術なく崩壊したのがおよそ半世紀ほど前。その後、急造された暫定政府が戦後復興まごつく合間に、宗派間対立が燃えあがり、治安悪化の最中に台頭した国際テロ組織が打ち立てた宗教国家も呆気なく終わりを迎えて……。

 男の中に決意が産まれたのは、その時だったのだろう。神託などでは無い、確固たる己の意思のもとにその答え——この地を、解放せねばならないと導き出した。


 国連主導の……言い換えれば、いつもの通り外国資本が我が物顔で甘い汁を吸い取る国家再建計画。男は、それにくすぶる国内の権力者、地方部族をそそのかして、グラつく政権を演じさせ東西両陣営から支援を引き出し、インフラ復興に伴う経済発展の裏で、世界から疑われぬよう秘密裏に、この地へ研究機関を誘致し、軍備を集中させてきた。

 その手法ならばいくらでもあった。これまでの歴史をなぞれば容易いことである。地方部族を反政府組織に仕立て上げ、政府軍との小競り合いを演じさせる。東側陣営は案の定、第三国を介して彼らに武器兵器を渡し、国軍には駐留米軍や欧州から装備が引き渡された。絶えぬ戦場が欲深い戦争屋を現地に引き寄せ、民間軍事企業が傭兵を派遣する。そして——機は熟した。


 今から約五年と三ヶ月前。二十数年に渡り種を植え、育ててきた同志達による一斉蜂起。従来と異なるのは、これが単なる政権転覆を図ったクーデターではないという事だ。

 全てが予定調和。男の思うままに物事は進んでいく。役目を終えた傀儡政権を引き摺り下ろし、地方部族が合流。彼等は世界に向けてを行った。


 ——即ち、人類を国家という枠組みから解き放つこと。国という枠組みを放棄した新しい形の集合体「ネスト」の結成であった。

 彼等の、世界への要求は大したものではない。

 不干渉と容認。

 好意には好意を。

 敵意には敵意を。

 来る者は拒まず、去る者は追わず。

 奪取は許さず、施しもせず。

 ここにあるのは、人が人として生きる事ができる権利と機会。この地こそが人類が再出発を果たせる唯一の場所なのだと謳ってみせた。


 ともすれば、眉唾物の空虚な宣言に当初は誰もが顔をしかめた。しかしながら、世界にはそんな空虚な戯言さえも、一縷いちるの望みとして、しがみつがなければならない人々が溢れかえっていたのだ。

 経済不況・破綻、人種差別、宗教対立、頻発するテロと自然災害。疲弊した近隣諸国の難民や大志を抱く若人、戦いに己が人生を捧げてきた強者つわもの達も、再起と安住の地を求めてこの地へ集った。

 

 けれど——


 世界は、彼等ネストに容赦なく牙を剥いた。確かに、ある意味では想定通りの結果とも言えるだろう。そうだ、先進国からすれば復興特需に沸く投資先への梯子を外されただけではなかったのだ。

 ネストの人種、思想、信条といった既存の境界線を取り払った新たな試みは、賛同者の増加によりその勢力が肥大するにつれ、彼等の思惑とは裏腹に、世界の限られた人材や資源を一部独占する事となり、『国家』という枠組みを有する勢力の圏域を確実に侵食していったからだ。


 だからこそ主要国は、急成長を遂げた新勢力ネストを、大量破壊兵器の横流しやテロ発生の温床だと、世界秩序を乱す要因なのだと、口を揃えて彼等を批判し、即時武装解除と集合体の解体を求める国連決議を採択するに至る。遂には、これに応じなければ有志連合部隊による武力介入を行うと突きつけて来たのだ。


 そして、その期限が、あと数刻というところに迫って来ている。


「世界秩序だと? 誰が、どの口でほざくのだ……」

多数派からの一方的な要求、正義の押し付け、世界中の情報端末には根拠も無く憶測のみで構成された虚報フェイクニュースが蔓延し、それらに踊らされる大衆は好き勝手に彼等を批判した。そして何よりも、国連決議の採択と共にからの支援がパッタリと途絶え、彼等ネストは一転窮地に立たされた。男は振り返って有志連合部隊を待ち受ける為に配した兵器群を見据える。


 そうだ。まだ終わりではないのだ。いや、これから始まるのだ。大国に弄ばれるように分割されたこの地を統一する。この俺ならばそれが可能なのだと、奴等はそう言ってを寄越したのだ。


 男の背後、クレーター底地に設置された母機を中心として、地中に埋め込まれた多数の子機を経由しネストの各拠点を覆う不可視の電子の傘。あらゆる電子的技術に対する妨害・介入・命令上書きを可能とする戦術級多重電子目標対抗装置——『TMC5S』

 これにより、上空から飛来する誘導兵器の無効化が可能となっただけでなく、近代兵器群に標準導入されているC4I搭載兵器の類は、当該域内への侵入を感知され次第、TMC5Sによるシステムへの侵入、無力化工作を受け、再起動を経てコントロールを奪取される事になる。この戦術級兵器の存在こそが、彼等ネストの台頭を支えた要因でもあり、また、主要国が彼等を敵視する原因でもあった。


(だが、何故今になって武力介入を決めた……TMC5Sへの対抗手段が用意できたとでもいうのか?)


『zz……ィフル、まぁた小難しい事考えてんのか?』

頭切れになった無線から、「スィフル」という己の古い名前を呼ぶ声が聞こえ、男はそのように自分を呼ぶ、数少ない人物の中からあたりをつけて、おもむろに無線機を耳に当て返答した。


「オツォ、考えるのが俺の役割だ。大したことじゃないさ」

『ならいいが、糞するなら今のうちだぜ』

このオツォという人物はネストの立ち上げ時から行動を共にして来た傭兵だった。


 本人曰くイベリア半島の出身だと言い張るものの、顔つきや話し方に東欧系の特徴が垣間見えており、スィフルにとってはオツォの発言のどこまでが本当でどこからが出鱈目なのか、5年過ぎた今でも判然としなかった。

 確かなのは、オツォの傭兵としての確かな能力と相手が誰であれ率直に物申す事ができるという点であり、そこはスィフルとしても大いに頼りにしているところであった。だからこそ——


「——すまない」

『あ?』

「結局、こんな俺の我儘に付き合わせてしまった」

ッ——』

と、吹き出した様な笑い声が音割れしながら聞こえると、オツォは当たり前だと言わんばかりに通話を続けた。スィフルに言い聞かせる様に。

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