第2話 この気持ちの未来を教えて

4時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。

世界史の西村先生が、今日の授業のまとめを話しているが、そんなのは誰も聞いてはいない。

何と言っても、お昼ご飯の時間なのだ。



ざわつく生徒たちに向かって溜息を一つつき、西村先生は教科書とプリントの余りを脇に挟んで教室を後にした。



クラス内では机を向かい合わせにした島が4つ程形成され、グループでのお食事会を開いている。

私は鞄の中からお弁当箱とスケッチブックを取り出し、廊下に出た。



私は別にひとりぼっちとかそういうのではない。

好き好んで1人でお昼を食べているのだ。

その証拠に、田代さんからお昼一緒に食べないかと誘われたことだってある。

まあ、自慢することでもないし、別に田代さんと仲良いわけでも無いのだ。



廊下を端まで進むと、階段が現れる。階段を上ると、まもなく立ち入り禁止のテープが行く手を阻んだ。

私は、辺りに先生が居ないことを確認し、テープを跨いで先へと進む。

屋上手前の踊り場。

この場所が私の特等席である。



我が白風女子高等学校の屋上は、全面的に封鎖されている。

過去になにか問題でも起こしたのか、はたまた生徒への嫌がらせのためか、定かではない。



でも、私にとってはかえって都合が良いのだ。

1人になれる場所が出来るのだから。



私は段差に腰掛け、ポケットから取り出したイヤホンを耳に装着し、スマートフォンから今流行りの恋愛映画の主題歌を再生した。



TSUTAYAのレンタルランキングで1位だったからというありきたりな理由で聴き始めたけど、これがすごく良い。恋愛経験値0の私でさえ、どこかで想い人が探してくれている気がしてくる。



思い返せば、ここでお昼を食べるようになったのが高校1年生の夏。

あれから1年半経って、あっという間に3年生の春を迎えた。

毎日ここで昼休みを過ごしているが、今まで誰もこの場所に来たことはない。






そんな当たり前な毎日は、音楽を1曲聴き終わる間も無く、1人の先生によって奪われた。







「あら、こんなところで何してるのかしら?」


音楽越しに、大人の女性の声が聞こえた。

階段を上がって来たのは、見覚えが無い先生。

新任なのかな、歳は二十代半ばだと思う。

目鼻立ちがしっかりしていて、男子校ならば確実にマドンナ扱いされるであろう容姿だ。


「す、すみません。お昼ご飯を食べようと思ってました」



私は慌てて、イヤフォンを外して答えた。やばい、怒られる。



「そうよね、お昼休みだものね。ご一緒しても良い?」



私の返答を待たず、その先生は隣の段差に腰掛けた。



「あ、あの…。怒らないんですか?」



「怒る?どうして?」



「いや、校内で音楽聴くのも、立ち入り禁止の場所に立ち入るのも、普通の先生なら注意します」



「そうかな?あ、でも私だって立ち入り禁止の場所でお昼食べようとしてたし」



妙に納得したように頷き、先生は笑った。



「先生は、新任の方ですか?」



私は、もし違ったらだいぶ失礼だななんて思いつつ、問いかけた。



「そう。4月から赴任して来たの。ここの生徒たちは礼儀正しいし、本当に良い子たちよね」



先生はそう言って、ハンドバッグの中から取り出した卵のサンドイッチを頬張り始めた。

私もおにぎりに齧り付く。



「先生お名前はなんていうんですか?」



なんとなく、この奇妙な大人の名前を知りたいと思った。



「苗字は国見。下は当ててみて」



先生は、いたずらっぽい笑みを浮かべている。



「せめて、なにかヒントをください」



「あなたが直感で思い付く名前を言ってみて。お母さんでも、親友でもいいし、芸能人の名前でもいい。ぱっと浮かんだものを言って?きっと当たるわ」



先生は、サンドイッチを口にした。

まったく、この大人は良くわからない。



「カレン…」



我ながら適当な回答だと思った。

カナとかエリカとか、確率高そうな名前はいくらでもあるのに。



「ほらね、正解」



え、この人は何を言っているのだろう。

女性の名前なんていくらでもあるのに、当たるはずない。

そんな私を納得させようと、先生は免許証を見せた。



国見可憐。

そこには確かに、そう書かれていた。名前に負けず劣らず、きちっとした顔写真も可憐で、この奇妙な現象を前にしても見惚れてしまう。



「なにかのマジックですか」



「いや、種も仕掛けも無いわ。ただ、あなたがクイズに正解しただけ。なんでカレンっていう名前だと思ったの?」



「私が一番好きな名前だったから……」



「ふふふ。あなた、可愛いね」



どきっとした。

17年の人生で初めての経験。

何かの小説で読んだような、心臓が飛び出しそうっていう表現がぴったり合う感覚。

なんとなく、先生の顔を直視出来ない。



「お名前は?」



「3年2組の水谷桜です」



「水谷さんね。3年2組っていうことは、町田先生のクラスかしら」



「そうです」



町田先生は私のクラスの担任で、白髪のお婆ちゃん先生だけど、優しい性格で生徒からの人気も高い。



「ところで国見先生、どうしてこんなところで昼食を?」



「さっき、校内の防災点検で歩き回ってて見つけたの。なんだか秘密基地みたいで楽しそうだったから」



先生は、小学生が新しい遊びを考え付いた時のように笑った。



「国見先生って他の先生とは、ちょっと違う気がします」



「そう?どんな風に?」



「なんというか、お姉ちゃんみたいな感じがします」



私自身は一人っ子だけど、そんな感じがする。



「あら、嬉しい。家族みたいな先生って私の理想なの」



先生は、サンドイッチの最後の一口を食べ終え、壁にもたれかかった。



「ちょっとお昼寝するね」



言い終わってすぐに、先生は眠りに落ちた。

生徒の私には計り知れない、新任の先生の苦労があるのかもしれない。

そりゃ、1人になりたくもなるよなあ。



私は、教室から持って来たスケッチブックにデッサンを始めた。

普段はスマホで表示した写真を描いているけど、今日は格好の素材がある。



髪の毛は綺麗な栗色のセミロング。

そこから覗く真っ白な肌は、透明という言葉がぴったりだ。



私は、真っ白な画面に当たりをつけて、先生を描き出していく。

何度見ても可憐な人だと思う。

依然として、胸の鼓動はおさまっていないが、今は先生を描写することに夢中になっていた。



やがて、予鈴が鳴り、私のデッサンは未完成のまま終わりを迎えた。



「うーん、よく寝たっ」



大きく伸びをする先生を横目に、私はスケッチブックを閉じた。


寝顔をデッサンしていたなんて、知られたくない。



「先生、あと10分で授業始まりますよ」



「あら、急がなくっちゃ。水谷さんも、授業はサボっちゃだめよ」



そう言い残して、先生は階段を降りて行った。

今までで、1番短い昼休みだった。

私も甘い香りに続いて教室へと向かった。





それからというもの、先生と私は、秘密基地で一緒にお昼を食べた。

私は毎日スケッチブックを持って行って、デッサンを完成させるチャンスをうかがっていたけど、あの日以来先生が昼寝することは無かった。



それでも、満足なのだ。

先生と過ごす昼休みは、いつの間にか1日で一番楽しみな時間になっていて、私の心を満たした。





6月のある晴れた日、先生は私に夢の話をした。



「水谷さんは、何か将来の夢ってある?」



「夢……ですか…」



昔から、自分の夢をはっきりと語れる人が羨ましかった。なんとなく大学に進学して、どこかの誰かと結婚して、子育てに苦労したりして、しわくちゃになっていくんだろうと思う。それは、夢というには余りに曖昧で、現実というには余りに楽観的な妄想なのは自覚している。



「あんまり、これっていうものは無さそうね」



また心を見透かされた気がした。



「国見先生は、いつ先生になろうと思ったんですか?」



「こんなこと生徒に言ったら怒られちゃうかもしれないけれど、いつの間にか先生になったの」



「いつの間にか…」



大人は時折ずるいことを言う。絶対どこかで決断したはずなのに。一番知りたいところはそうやっていつも隠すんだ。



「じゃあ、先生って楽しいですか?」



「うん、とっても楽しいわ。こうやって水谷さんとご飯を食べられるのも、先生だからだもの」



「それちょっと危ない発言ですよ」


「あら?ほんとよ?」



昼休みのゆったりとした時間が私と先生の間に流れる。温泉に肩まで浸かっているような、そんな温かさがここにはある。



「高校生の時には、絶対先生になんてなりたくないって思ってたんだけどね。やってみたら、何でもっと早く目指さなかったんだろうって思ったわ」



「やってみないとわからない…」



「例えばね、今日は良い天気でしょ?」



先生は立ち上がり、天井を指さして言った。



「こんな日は屋上に出てみたいと思わない?」


先生は、立ち入り禁止の札が下げられている鉄扉のドアノブに手をかけた。



「そこは鍵がかかってるはずじゃ…」



先生はドアノブを回し、鉄扉を押し開けた。6月中旬の、ソーダのような爽やかな風が吹き込んでくる。2年半もの間、扉には鍵が掛かっていると思い込んでいた私は呆気に取られた。



「立ち入り禁止だから鍵が掛かってるっていうのは思い込みよ。この世界はやってみないとわからないことだらけで、だからこそ楽しいの。水谷さん、おいで」



私はつられて屋上に出た。当たり前のように自分とは無関係だと思っていた場所には、町全体を写すパノラマが広がっている。町の高台に作られた学園だからこその景色だ。



「綺麗…」



「水谷さんにも、やりたいけど胸の奥に閉じ込めてる事あるでしょ?」



その問いかけは、私の鼓動を早くさせた。



「うう……」



先生は私の真正面に立ち、私をしっかりと見据える。この人の言葉は私自身も気付いていない、心の奥底に触れてくる。



先生は何も言わず、私の頭を撫でた。



3時間目の体育でかいた汗の匂いが気になったが、そんな不安は大人の女性の掌が掻き消していく。私は込み上げる衝動に従って、国見先生に抱きついた。先生の身体は柔らかく、媚薬のような甘い香りがする。



「良い子ね。でも、もっと素直になって」



私は、全てを許されたような気がして、先生にキスをした。



「……私は、国見先生のことが好きです。先生と生徒の関係じゃなくて、恋人として一緒に居させて下さい」



ずっと私がしたかったこと。ずっと胸の中にしまい込んでいた気持ち。もうどうにでもなれと思った。



「桜、私も同じ気持ちよ」



それからどんな話をしたのかは覚えていない。ただ、私たちは、お昼休みのチャイムが鳴るまで、何度もキスをした。



進路やら将来の夢やらは、まだ見つからない。だけど、先生に教えて貰ったこの気持ちの未来を、今はただ大切にしたいと思う。私は今日も、描きかけのスケッチブックを手に、2人の秘密基地へと向かうのだった。

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この唇はあなたのために HAL @hal_2015

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