スイバクはきっと

四葉くらめ

スイバクはきっと

 こうして一人、公園のベンチでぼんやりとするのはいつぶりだろう。

 大学を卒業してからは基本的に会社と自宅の往復。子供が小さいときには妻と息子三人でこの公園に来たこともあったが、一人で来たのはもしかしたら初めてかもしれない。

 この公園は住宅街の中にひっそりとその姿を隠していて、あるのは小さな滑り台と砂場、そして今私が座っているベンチだけだ。大きさにしてみれば十数畳ぐらいしかないだろう。

 住宅街の奥まったところにあるから、ここは本当に都内なのかと疑いそうになるほどに静かで、空は広かった。

 そんな場所で、真昼間から私は何をするでもなく時を過ごしていた。

 私のような年配がなぜこんなところにいるかというと理由は簡単で、会社をリストラされたからだった。

 それに加えてついこの間、妻と離婚したというのもあるだろう。確かにここ十年ほど、私と妻の間に『愛』というものがなかったように思えたし、この間一人息子が社会に出て自立したというのもきっかけだっただろう。妻は外に男を作り、離婚届を出してきた。私としてもそのときには妻に執着する理由もなかったし、それで妻が幸せになれるなら良いと思い、調印した。

 家族を養う必要もなくなったから、これからは生活費にかなり余裕ができるだろう。貯金はそこそこあるし、すぐに働き口を見つけなくてもいい。今から正社員として雇ってもらうのは難しいかもしれないが、年金を貰うまでなら最悪アルバイトだけでもなんとかなるだろう。

 一方でお金を稼げなくなって初めて、私はこれから何のためにお金を稼いでいくのだろうと疑問を持ってしまっていた。養う家族はいない。今まで仕事一筋だったため、何かやりたいことというのも無い。

 私はなんで生きているのだったか。

 そんな、今まで大して気にしたことのないようなことを考えてしまう私がいる。

 別に自殺願望があるわけではないのだが……例えば私の命と引き換えに誰かの命を救えるけど、どうする? とか神のような存在に訊ねられたら、あまり躊躇することなく差し出せてしまえる気がする。

 空を見上げる。

 そこには飛行機雲が快晴の空を二つに割ろうとしていた。

「もし、水爆が落ちてきても、逃げないかもしれないな……」

 隣国が水爆実験をやっただの、ミサイルを発射しただのというニュースが最近よく報じられている。

 隣国が何を意図して武力を持とうとしているのか、その真意は私なんかには分からないが、仮に水爆が東京に落ちてこようと私は慌てず騒がず、今と同じように空をぼんやりと眺めるだろう。そして、一瞬にして蒸発するのだろう。

「スイバクってなーに?」

 突然、声が聞こえた。

 完全に一人だと思っていたので私は体をビクッと震わせ、空へと向けていた視線を前に戻す。そこには小さな少女が立っていた。

 小学生ぐらいだろうか。多分低学年だろう。小学生らしいあどけない表情を浮かべて少しだけ首を傾げている。

 こんな人気が無い場所で知らない男性に話しかけるだなんて危機感のない子――いやこの子の両親に危機感が無いというべきか――だと思ったが、今はそんなことはどうでもよかった。

「なんだと思う?」

 ここで私はなぜか少女に問うていた。それは水素爆弾の残虐性をこんな幼い子供に教えたくなかったからかもしれないし、単純に人との会話に飢えていただけかもしれない。

「どおいう字をかくの?」

 子供らしいじゃっかん舌足らずな喋り方で質問してくる。なるほど、漢字から意味を推測しようとしているらしい。これぐらいの歳の子供がどれぐらいの知能だったかはあまり覚えていないが、ひょっとしたら頭のいい子なのかもしれない。

「スイは『水』でバクは爆弾の『爆』だよ」

「それならあたし知ってるよ。まえにゆうくんといっしょにあそんだんだよ」

 うーん、多分それは水爆じゃないかなー。

 私は苦笑いを浮かべながら少女の言う水爆がどんなものか聞きだしてみる。どうやらそれは風船の中に空気の代わりに水を入れるもののことのようだ。私が子供の頃は水風船と言っていたが今の子供はなんて呼んでいるのだろう。少なくとも水爆ではあるまい。まあ確かに、風船が割れた瞬間は水が爆弾のように飛び散るが。

「ちがうの?」

「うん。もっとね大きな爆発が起きるんだよ」

「へー、どれぐらい?」

「うーん、少なくともこの町ぐらい?」

 本当は影響範囲はもっと大きいのだろうが、詳しいことは分からないし、小さな子にはこれぐらいの曖昧さでもいいだろう。

「すごいね! でもビショビショになるのはいやかも」

「ははは、確かにね。家も水浸しになったら掃除が大変だ」

「でもそんなにおっきかったら、にじもきっとすっごい大きくなるよね!」

 水爆で虹ができる……か。

 戦略核ミサイルだとかそんな物騒なものではなくて。

 世界中の人たちがこの少女のように、水爆といえば虹を作るもの、みたいな発想をする世界。

 そんな世界がいつかできたらいいなぁ、とか。

 とりあえず、水爆が落ちてもいいなんて言わずに仕事やら趣味やらを探したりしてみよう、とか。

 そんな事を頭の隅で考えながら、私はその後も少女との会話を楽しんだ。


〈了〉

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スイバクはきっと 四葉くらめ @kurame_yotsuba

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