01 パーフェクト ガール

中学時代の安富美殊は、欠点が舌を巻いて逃げ出す程の完璧少女であった。

 まず、容姿。長く美しい黒髪に、触り心地のよさそうな白い肌、大きな黒い瞳、それらすべての彼女を構成するパーツが絶妙なまでのバランスを保つことによってその美しさは成立していた。顔だけの人間なら山の数ほどいるが、美殊は明らかにそれらとは違っていた。勉強は常に学年トップ三には入っていたし、中学時代は部活には属していなかったものの、体育の授業では常にキレのある動きを披露してきた。美術の時間に書いた絵がなにかの賞を貰ったそうだし、始業式や終業式の後にある表彰式でもいつも名前を呼ばれていた。

これだけでも十分すごいのだが、美殊の最大の凄さは、自分の能力を鼻にかけることなく、クラスの誰とでも仲良くできてしまうその社交性であった。とにかく優しいし、友達想いの彼女はクラスでも常に中心的な存在で、いつも誰かと楽しそうに会話していた。

 才色兼備で、その上社交的で性格もいい、才能を司る神に愛されすぎた少女の噂はやがて他校まで広がったらしく、いつしか「西中の奇跡」という二つ名まで存在するようになった。

 その様子を面白くもなさそうにクラスの端の席から眺めていたのが、「仲良しグループを組ませると確実に余る男」という二つ名をほしいままにしていた中学時代の俺である。ちなみに俺のクラスにはもう一人、仲良しグループを組んだら余る人間がいた。意外に思われるかもしれないが、それは他ならぬ美殊である。クラス内に数多く存在していた派閥が、それぞれ美殊を巡って血で血を洗うような抗争の末、冷戦状態に突入してしまったのであった。つまり、どのグループも美殊に手を出せなくなってしまったのだ。美殊本人も自分が下手に動けば、クラス内でいらぬいざこざが起きるのを知ってか知らずか、栄光ある孤立を貫き窓の外を眺めている俺の方へやってきて、「一緒のグループにならない?」と声をかけてくることがよくあった。

 この話を聞けば、俺は学校一の美少女と同じグループになったことがあるだけで長々と自慢しているオメデタイ男と思われるに違いない。だが、事態はもっと複雑なのだ。

 俺はこの完璧少女と幼馴染なのである。

 おそらくこれは、俺の人生で最も幸運なことであり、この事実と引き換えに俺のツキはほとんどなくなったに違いない。もう俺の人生の中で残っているツキといえば、釣り銭でもらった十円玉がギザ十だったくらいのことしかないだろう。

 俺の家と美殊の家は真向かいにあり、母親同士の仲が良かったこともあったので、小さい頃からずっと一緒に遊ぶ仲だった。もちろん、幼稚園からずーっと同じ学校だったし、クラスもほとんど同じであった。まさに「正統派幼馴染」と言える関係の俺達であるが、残念ながら中学に入ると学校で喋ることはほとんどなくなっていた。とある事情から、中学入学後に突然他人との交流を避けるようになり、クラス内で鎖国政策を実施し始めた俺と、社交的で皆に愛されるクラスのアイドル的存在の美殊。幼馴染でなければ、接点がある方がおかしいような二人である。先程述べたグループ分けの時に一言二言交わす以外は、同じクラスであってもほとんど交流することはなかった。そのおかげか、俺と美殊が幼馴染であることを知っている人間は学校内にはひとりもいなかった。

 休み時間になると、決まって頬杖をつきながら、楽しそうに友達同士で話をしているクラスメイトを金剛力士像のように睨み付けている俺を、時々会話の輪の中心にいる美殊が哀しげな目で見つめてきたのを今でも思い出す。

「どうしてみんなと一緒に会話に加わらないの?」

視線でそう言われているような気がして、いつも目をそらしてしまっていた。普通の男子ならあのレベルの美少女に見つめられようものならすぐに勘違いして木にでも登りだしてしまいそうなものに、下手にお互いを知っている分難しいこともあるものだ。

 ではこのまま俺達は疎遠になっていったかと言えば、そういうわけでもない。

 俺は確かに学校ではほとんど喋らないと言った。だが、それはあくまで学校での話である。

放課後になると、俺は毎日のように美殊と二人で一緒にいた。

 社交的で友達も多かった美殊であるが、絶対に放課後や休日に友達と遊びに行く予定を入れることはなかった。恐ろしいまでの才能に恵まれながらも、クラブに属することはなく、放課後になるとすぐに家に帰る。そのミステリアスさも、また彼女の人気の一つであったのは間違いない。まさか当時のクラスメイトも、「西中の奇跡」が、その謎に包まれた放課後を、毎日友達のいない冴えない男子と共に過ごしているとは思っていなかったであろう。

 美殊が誰にも言っていなかったことはもう一つある。彼女には、妹がいた。先天性の病気により、一日のほとんどをベッドの上で過ごさざるを得ない、そんな妹が。

 名前は、安富美晴。俺より二つ下であった。

 美殊は、妹を可愛がっていた。昔から時から毎日放課後になると、急いで家に帰って妹の世話をする日々。いつからか、俺も美晴の看護を手伝うようになっていた。それは中学生になってからも続き、普段は喋らなくても、放課後はその大半の時間を三人で過ごしていた。

 特に大した話をするわけでもない。学校での話をするわけでもない。ただ、お喋りで無邪気で博識な美晴が様々な話題を振り、それに俺と美殊が答えていく、ただそれだけの時間が過ぎていった。学校ではほとんど会話を交わさないのが嘘のように、俺と美殊は饒舌であった。それは病床の美晴に気を遣って明るく振る舞っていたからではなく、三人が自然体で振る舞うと、自然に会話が弾んでいただけなのだ。つまり、俺も、そしておそらく美殊も貴重な青春の少なくない時間を、美晴の看病に費やすことを決して苦には思っていなかった。

 いや、むしろ楽しみに感じていたのかもしれない。美晴の見舞いに行くことを。幼馴染と毎日、楽しく話すことが出来るこの時間を。

ただし、楽しい時間は永遠に続かない、という法則は古代よりフィクション、ノンフィクションを問わず、絶対的なものである。そして、その法則は残念ながら、この場合にも当てはまるのだ。


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殊色 エレファント類人猿 @elephantruijinen

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