誤訳ミステリー解決編

一流弁護士の秘書がギャングのような脅し文句を言い出し、主人公はそれに全く噛み合わない返事をし、そして二人は笑い出す。謎が謎を呼ぶ一幕の原文を以下に引用します。


... “Mr. Marlowe is here, Mr. Umney.”

Then she leaned back and gave me the look. “I’ve got friends who could cut you down so small you’d need a stepladder to put your shoes on.”

“Somebody did a lot of hard work on that one,” I said. “But hard work’s no substitute for talent.”

Suddenly we both burst out laughing.


~Playback, 1958 Raymond Chandler~


分からない英文があったら辞書を引け。それでもダメなら聖書とシェークスピアを調べろ、と言われています。まずは辞書を引きましょう。ギャングっぽく訳されている“cut you down”を検索するとこんな結果が出ました。


cut 【someone】 down to 【size】


to make someone accept that they are not as important or impressive as they believe they are


やはり切り裂きジャックは居ませんでした。“cut you down”はyouに『自分で思っているほど重要でないと分からせる』という慣用句だったわけです。それなら納得です。なにしろ超有力弁護士の秘書なんですから。


続いて主人公のあまりにもとんちんかんな返事。これは相手が慣用句ならそれに応じるだろうと見当をつけつつ「頭にはかなわない」の辺りを調べてみると以下の様な慣用句が見つかりました。


there is no substitute for 【something】


used for saying that nothing else is good or useful enough to replace something


こちらは誤訳というよりは、秘書の台詞がおかしいのでそれに合わせて誤魔化した結果のようです。日本では『〇〇に勝る△△なし』という言い回しが一般的でしょう。調査にまさる知識なし、といったところでしょうか。


改めて訳し直してみると不思議なところは一つも無くなります。これは個人的には長年の疑問が氷解した工程自体が楽しい作業の一つでした。


「アムニー先生、マーロウ様がいらしてます」

 それから椅子の背に身をもたせかけて私を見た。「自分が靴をくのに梯子はしごがいるほどの小物だ、って思い知るような友だちがいるのよ」

「その誰かさんはそこまでなるのに相当努力したんだろう。だが『才能に勝る努力なし』さ」

 不意に私たちは吹き出した。

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