おっぱい会議
おっぱい会議
早速昼休みのうちに行動を始めた。
旗先生に申請してレクリエーション室を借り〝コ〟の字型に連結させた長机の右角、議長側の端に陣取って咳払いをする。
「えー……本日皆さんにお集まりいただいたのは、本日騒がせたコー――洞貫くんを発起人とした会議に参加していただく為です。進行役を勤めさせていただきます、山切です。よろしくお願いします」
「司会」の表札を持ち上げて見せる。こうやって、当事者ではあっても根源ではないと極力アピールしていきたい。あくまでも解決に協力しているだけなのだと。
「続いて議長を紹介します。旗先生」
隣の席には籏先生が腰を前にずらしだらしなく座っている。憮然とした表情でいかにも不服そうだ。押し付けようたってそうはいかない。議長と司会で役割が被っていることなんて知るもんか。
「旗先生、一言どうぞ」
「いるのか? その段取り。まあいいけどな。あの場にいる全員が協力するように言ったのは先生だ。確かにあの場にいたのからな。嫌々ながらキミに協力するよ」
旗先生の役割は「わかりやすい責任者として非難の的になること」なので、とにかく同席してさえくれたらそれで充分。
求めてもいないのに反対の角が騒ぎ始めた。
「書記を務めます洞貫です! 本日はよくぞお集まり下さいました! この話し合いが終わる時には谷間と壁を隔てる溝が埋まっていると思うと楽しみでなりません!」
不愉快なことに溌剌としている。何を笑顔を輝かせているのか、と憎く思う心すら芽生えた。
コーヘーを書記に据えたのはこの会議の内容から目を逸らさせないという目的あってのことだ。現実には両者の間に対立などはなく、どちらかが虐げられているような事実もないことを知らしめ思い込みを払拭させるにはこれが最適となる。自分で司会をするのは自然とそうなるようコントロールする為だ。
コーヘーの挨拶はなぜか続いた。
「会議に先立ちまして、まずはこのような場を設けてくださった旗先生に感謝致します。それと忘れてはいけない、我が幼馴染――山切菜緒にも。よかったな、ナオ。これでもう二度と苦しまなくていいんだ」
この際好きに言わせておく。ここが一番苦しいのだと説明したところで理解はしてくれない。
「なにを……なにをさっきからわけのわからないこと言っているんですか!」
ヒステリックに椅子を蹴って立ち上がったのは〝コ〟の字の上側、こちらから見れば右翼に位置する万畳千爽だ。一度代表に立った立場として彼女にどう終局したかを見届けてもらわなければならないので参加してもらっている。
「呼び出されたからにはやっと洞貫くんが謝るんだと思ったのに、はぁ? なにコレ! ふざけてんの?」
吊りあがった目元はピクピクと震え、既に相当なところまでヒートアップしている。部活に向かう途中を捕まえたので机に立てかけられた竹刀の存在が非常に恐ろしい。いつでも怒りに任せて抜き放てる位置にある。
会議の趣旨を正直に伝えたら参加してもらえない。そう思ったのでよくわからないままここへ連れてきている。なので出だしで引っかかるとわかってはいたが、これほどまでの怒りになるとは想定外だった。この会議が狙い通りに進めば千爽の願いも叶うはずが、このままでは彼女自身にその機会を潰されてしまいそうだ。
「ね、ねえ千爽? ちょっと落ち着いて」
「私が落ち着けば真実が変わるの? 早く説明しなさい!」
詰め寄ってくるあまりの迫力に引けた腰が戻らない。こんな彼女は見たことがなくて、身近な同級生というより今地面を割って現れた鬼か悪魔だとしたほうが信じやすい別人ぶりだ。
「キミが友達と喧嘩をする会じゃないことくらいはわかっていてもらいたいね」
千爽の怒声を制してハッキリ、旗先生の声が響いた。生徒が起こす騒がしさには慣れているということか、臆することなく堂々と――かと思いきや首を曲げ視線をよそへやってどうでもよさげだ。
「じゃ、会の開催に先立って議長として先生から一言言わせてもらおう。発言は着席して手を挙げて指名されてからどうぞ。小学生じゃないんだから、こんなこと言わせるな恥ずかしい。わかりましたか貧乳派――いや貧乳そのもの、万畳さん」
千爽は食いしばった歯を剥き出して苛立ちを現し、呪い殺さんばかりに旗先生を睨みつけた。それから自分の席に戻ると自分の前に置かれた「貧乳」の三角柱を叩き潰し、それでも理性を捨て去ることなく殊勝に手を挙げる。
「はい、菊水さん」
ところが、議長の旗先生が指名したのは別の人物だった。
一瞬、千爽の髪が逆巻いて邪悪な何かが吹き上がったように錯覚したけれどそれもすぐに落ち着く。怒りを抑えて目を閉じる辺り、彼女は辛抱強い性格と言える。その姿は私にとても深い好感を持たせるけれど、そのせいで彼女は損をするだろうから不憫にも思う。少なくともこの場においては。
「まあアタシも、山切サンに呼ばれたから来たんだけどサア」
菊水美朱(きくすいみあ)。「遊んでる感じの女子高生」を思い浮かべればそれがそのままそこにいる、そんな風な子だ。態度の軽薄さで言えば旗先生とタメを張る。
彼女は〝コ〟の字の下側、千爽と相対する左翼は当然「巨乳」サイド。当然自身がそれを証明するシンボルを持っている。指名されてただ立つだけの動作で揺れること揺れること。
旗先生のどうでもいい名誉の為に敢えて言うならば、彼女は千爽より先に手を挙げていたので発言権が先に渡ったのは正当なことで、旗先生がひいきや嫌がらせをしたわけではない。
「万畳さんの人権を保護したいってワケならアタシ、ココいなくていーんじゃね?」
「私個人がどうこうって話じゃないでしょ!」
とうとう自制を切らした千爽がまた机を叩いて立ち上がった。反対に菊水さんは椅子へ腰を戻して身体を斜めに崩して髪をいじり始める。
「違うっつーならそんなリアクションしなくてよくね? 別にいーんじゃん? 守ってもらえばあ?」
「私はあなたたちより弱いわけじゃない。守られる必要なんか、無い!」
今でこそこうして激しく対立はしているが、今まで学校生活の中で千爽と菊水さんはいがみ合うような仲ではなかった。というか関りがなかった。それをムリヤリ向き合わせた元凶はニコニコと笑いながら状況を見守っている。
「そういう意識の違いを埋めることがこの会議の目的なんだよ。いいぞ、早速活発に意見が交換されているな」
余計ないがみ合いを自分が生んでいるという認識は微塵も無い。
(こいつは本当に……)
怒りを噛み殺し、深呼吸を一往復してから腰を上げる。
「議長、参加者に快く協力してもらう為に少し時間を貰ってもよろしいでしょうか」
「どーぞ、副議長」
「司会です」
咳払いをして間を整えるつもりが、千爽と菊水さんに注視されてつい緊張し、ただ空気を吐いただけになった。
「えとえと……ここに集まってもらった目的は、誰かが誰かに謝罪する為でも誰かを弱者にする為でもなくて、胸の大きさで差別とか対立なんかしてないことをこの書記に証明し、納得させることです」
隠しておくつもりが、動揺してかなり正直なところを打ち明けてしまった。
「なにわけのわからないことを言ってるの。洞貫くんに今朝みたいな行動をもう二度と取らないようにしてもらえたらそれだけで結構なんだけど」
千爽の視線に込もる敵意が極度に強くなった。数歩先にいて鼻先に迫っているかのような迫力を感じ、怯みを表に出さないよう体を固める。ここはそういうことをする場ではないと頑として示さなくてはならない。
「だ、そうだけど?」
手のひらを示して発言を促すと、コーヘーは椅子の上で組んでいた足を下ろして前のめりで意気込んで見せる。
「そう意固地にならなくても大丈夫だ。絶対に俺が助けてやる。ナオもな、もうごまかそうとしなくていいんだ」
思い込みを何一つブレさせることなく力強く言った。もう呆れもしない。
「この通り、既に弱者だと思われて人権保護も発動してる。だからそんな必要は無いとわからせる為のこの会議です。今朝みたいなことをしてほしくないってところは千爽の希望と同じだから、お願い協力して」
「そんなの、言ってやめさせればいいじゃないの!」
千爽の怒りは更に強まった。
まったくその通りだと思う。しかし説いて叩いて言うことを聞かせられたらの話だ。
「だ、そうだけど?」
もう一度コーヘーに手のひらを見せるとにんまり笑顔さえ返ってきた。
「明日世界が終わるとしても、俺は今日おっぱいについて問う」
「こういうわけ。わかった?」
これにはさすがに千爽の口が開いたままで止まった。
「こうなった洞貫くんは絶対に止まりません。そこはもう崩せない前提として理解してください。『もうやめて』と思うなら、この馬鹿を納得させるしかないんです」
何が原因でこうも厄介な性分に育ったかはわからない。しかしこうした騒動が今までにも何度か起きていることは事実だ。
最も大きいのは小学校での出来事だろう、その時コーヘーは「学校でうんこをしてはいけない」という風潮と戦った。
教室最寄のトイレが故障し、仕方なく上級生の教室が並ぶトイレを使ったコーヘーは水をかけられズブ濡れの状態で戻って来て今日と同じように私に確認した。「うんこをするのは悪いことなのか」と。
返事に困っていたら「そんな馬鹿な決まりがあってたまるか」と勝手に怒り出し、すぐさま行動に出た。休み時間の度に「うんこしてくる」と大きな声で宣言しては校内のトイレ個室全て(職員用、女子トイレも含む)で実行していった。変態だ。
最終的に下剤を大量服用し病院へ担ぎ込まれ胃を洗浄される事態にまで発展したことで、学校側も対策を取るようになって結果コーヘーの願いは叶った。今でもその小学校では「堂々とうんこをする文化」は根付いているらしい。
「協力って言うけどね、アタシになにしてほしーワケ?」
傾けた体を肘で支える菊水さんが髪をいじりながら呟いた。気の抜けた態度は頼りなくはあるものの千爽の何倍も柔和ではある。
「基本的には胸の――小さな人が迫害されている事実は無いってことを実証していくことになります。具体的には洞貫くんの疑問に答える形で、大きかろうが小さかろうが平等だって納得するまで、何度でも繰り返し」
「んじゃあ、アタシは胸が大きいことで得したり、胸の小さい奴を見下したりしてないってことを言えばいいワケだ」
易々とこちらの意図を汲んでくれて拍子抜けした。
「なに? デカパイだから馬鹿だと思った?」
心の内が顔に出てしまっていたらしい。コーヘーに凝視されていることに気づいて慌てて首を逸らし顔を直接撫でて無表情に整える。少しでもどちらかに偏見があると思い込む材料を与えるのはまずい。
「とんでもない! 協力してくれてありがとう」
「は? まだ協力するなんて約束してないケド」
思わずつんのめるような肩透かし。
会議の参加者を集めるに当たって「胸の大きな女子」と真っ先に思い浮かんだのが彼女だったものの、これは人選を間違ったかもしれない。
もし彼女がこの騒動を利用して自分たち「巨乳」サイドが得をするように運ぶつもりでいたら? そうなら彼女は邪魔になる。
実を言えば菊水さんについてはよく知らなかった。比較的男子と一緒にいることが多く、そうでなくてもどんなグループにでも入って行ける気安さと社交性を持っている。そのくらいだ。今回のことについては千爽と同じように迷惑に感じているとばかり思っていたのは早とちりだったか。
対して千爽のことはよく知っている。なにしろ彼女は剣道部で、空手部と同じ武道場を使うから接点も多い。
千爽は周囲からの人望はとても厚いが、その枠を超えてしまえば目立った生徒ではない。深い付き合いの人間がいる代わりに友達は少ないので予定が合わなければ孤立し易く、そのことで当人は悩んでいたりもする。
その千爽の様子が違ってきていた。迫力もそのまま眉間は険しいままでいるが、瞳には涙が滲んで恨みがましくこっちを見ている。
「山切さん、あなたのことは同じナイチチだと思って気を許していたのに……。日陰だろうとそこに潜んでいられたら私はそれで良かった。平等なんて望んでも手の届かないものの話なんかされても、惨めな気持ちになるだけなのよ私たちでは。どうしようもないから気にしないようにしていたのに、どうしてこんな不毛なことをさせるの」
さっきの怒りといい、また見たことがないこの反応にぎょっとした。まさかこれほど暗いコンプレックスを抱えていたとは。この流れはマズイ。
「えっとあの……いつもみたいにちゃんと『ナオ』って呼んでよ」
「黙れ空手バカ」
「うわ、そんな風に思ってたの」
「『貧乳仲間』だと思っていたわよ。なのにどうして同じ苦しみを持つナイチチ同士で争わなくちゃあならないの?」
「オレだって別にあんたと争いたいとは思わないけど」
「その言葉が真実なら、私と同じ卓に着きなさい! じゃなきゃおかしいでしょう!」
千爽は潰れた表札の〝貧乳〟席を指差す。
それは乗れない誘いだった。そこに座るとなると司会の任を降りなければならない。
「お願い、わかって。とにかくあいつを納得させないことには終わらないの」
切実に訴えながら、慈しみの笑みでこちらを見守っているコーヘーを指差す。
「ほら見て、あの馬鹿『被害者一同』って目で見てやがるんだから」
「被害って何? 私やあんたや他の誰かが『助けて』って洞貫君に言ったの?」
「だからあいつは酸素が無くても燃え続ける自律した天秤秤なの。火の無いところにマグマを見るのよ」
「ううっ……じゃあなに? 『私たちはいじめられてません』なんて話を真面目にしないといけないの?」
涙目で懇願するように見つめられ、ぐぅと奥歯を噛んで堪える。自分がどれだけ残酷なことをしているかわかっているつもりでいたけれど、直面する覚悟が足りなかったらしい。
「お願い。ちょっとの間我慢して。今度〝シュガーまみれ〟でオゴるから」
シュガーまみれは最近商店街に加わったスイーツショップで、自然な素材を使ってどこまで甘味を引き出せるかの究極を体験できる実験的な店だ。トッピングが幅広くふざけて注文するととんでもない物が出てくることで知られているけれど、そこを踏まえたうえでの人気でありこの学校の女子にもファンが多い。千爽もそのひとりだ。
「ぐすっ……トッピングは?」
「好きにしていい」
千爽はしぶしぶといった様子でしょんぼり座り直した。甘味に釣られたということではなくいくらかは友情もあると思う。それだけで報いたことになるとは思わないけれど約束は必ず守ろう。
これでどうにか話を始められる、というところでまた手が挙がった。
「えーと……どうぞ、豊満高(ゆたかみちたか)くん」
指名されて立ったのはそう、男子だ。「あらゆる角度からの検証が必要」と言ってコーヘーが連れてきた。確かにどの方向から見ても丸みを帯びている見事な肥満体型で、物理的に事実のみを捉えれば菊水さんを凌ぐ豊かな胸の持ち主と呼んでいい。なので巨乳席に座っている。
私が直接誘ったわけではないこともあって、どういうつもりでこの会議に参加しているか読めない不安要素と言えた。人間性についてはほとんど知らないけれど、七福神に混じっても違和感がなさそうな見た目通り温厚な人物と期待したい。
「シュガーまみれに行くならコレあげようと思って。僕、年間パス持ってるから要らないんだあ。店長さんは『布教用に』って言って毎回くれるんだけどねえ」
間延びした声で話す彼が差し出したのは値引きのクーポンだった。
「え? あ、ありがと……。わっ、助かっちゃった」
予想外のことに拍子抜けしてしまい、前へ出てクーポンを受け取るだけのことにわけも無く動揺してしまう。
豊くんはそれが済むと椅子に悲鳴を上げさせて元の席に座る。会議に参加しようとして手を挙げたわけではなかったようだ。
「もういいか? 落ち着いたんならそろそろ始めようや」
「あ、はいどうぞ」
議長、旗先生のうんざりした口調に短く返事をして視界席へ戻り、背筋を伸ばす。そうすると一時抜けた緊張が戻ってきた。
ふざけた内容ではあるけれど、こうした会議の場に要職として参加するのは初めてのことだ。どうしても力みは生まれる。
「それじゃあ〝膨らみ会議〟を始めます」
議長の開会の号令に寒気を感じ肌が粟立った。抱えていた決心もなにもかも吹き飛ぶ。
「センセ、それセクハラ」
菊水さんは陽気にケラケラ笑っている。
「そう言うけどな、このテーマでどうやってセクハラを回避しろってんだよ。〝対決! 巨乳VS貧乳〟にするか? まんま〝おっぱい会議〟にするわけにもいかんだろ」
そう話している間にコーヘーがホワイトボードにでかでかと〝おっぱい会議〟と書いてしまっていた。
「あー……書いちゃったか。書いちゃったんなら仕方ないな。じゃ、おっぱい会議を始めます」
疲れて文句を言う気力が湧かない。千爽も同じ気持ちのようだ。机に突っ伏してぐったりしている。
「……ではまずはこちらの資料をどうぞ」
気が散っている間にコーヘーが参加者にプリントを配り始めた。慌てて追って立ち上がる。コーヘーに自由な行動を取らせるのはとにかく危ない。
「ちょっと、勝手なことしないで! あんたはただの記録係なんだ」
「ああ、わかっている。この会議を催したのは旗先生で、仕切るのはナオだ。だがそうは言っても発起人は俺だ。少し口出すくらいのことはさせてもらっても構わないだろう? 何が正すべき問題かを明確化させる、議論の前準備くらいは」
確かにそうだ。現状では、具体的な事柄を挙げて一つ一つコーヘーの言い分を潰していくのが最も有効と言える。
「それは……そうだね。怒鳴って悪かった」
私はコーヘーを制御することに固執し過ぎているのかもしれない。大切なのは本人が自分で気付くことだ。そう思い直して私もプリントを受け取った。
「アンケートの結果を集計した資料で、おっぱいの大きさの違いでどういう意識が働くかが明らかになっている」
コーヘーが配って回ったプリントなら、受け取っても千爽のように怒るのが普通の反応なので誰もまともに回答していないはずだった。その集計だと言う。
「え、なんでそんな資料ができて……って、うわぁ」
目を通して目眩がした。確かに胸の大きさに関するアンケートのその集計結果に違いない。ただし、男子向けの。知っている他にもしっかり活動していたらしい。
質問:異性のおっぱいについて、大きいほうが好ましいですか? 小さいほうが好ましいですか?
回答:大きいほうが好ましい 61%
小さいほうが好ましい 59%
(おお! ありがとうみんな!)
思いの他、反論してねじ伏せる好機が訪れた。男子たちの良識に感謝する。
「ほら見なさいこの数字を! ほとんど差が無いじゃない? これこそ平等に扱われているという客観的な証拠!」
コーヘーがこちらに有利な材料を提出してくるとは想像していなかった。真実を知りたいだけで貧乳が迫害されていると決め付けたいわけではないはずだから別に意外でもないのだけれど。
「こんな結果が出てるなら、特に話すこと無いんじゃない? そうよね? ね、ね」
ところが、コーヘーの顔つきは納得している風ではない。悔しげに歪んでいる。
「ああ……そうだったらよかったんだがな。この『大きい』と『小さい』の認識が曲者なんだ。次のページを見てくれ」
促されるままプリントの束をめくる。
質問:おっぱいはどのくらいが 大きい・普通・小さい と感じますか? アルファベットで表した次の中で普通と思う範囲を丸で囲んで示してください。
回答:C~Dが普通 27%
B~Cが普通 25%
C~Eが普通 22%
D~Eが普通 21%
A~Bが普通 5%
『ほら、大体横並び。あんたの取り越し苦労だって』
そう言えたならよかった。しかしそうするには最後の部分があまりにも残酷過ぎる。
資料を眺める千爽に目をやれば顔色を変えずにだくだくと涙を流していた。どう声をかけていいかわからない。
コーヘーは深く頷いて話を続ける。
「そう。万畳さんもショックを受けるように、男の思う『大きくもなく、小さくもない』というサイズは大体C前後ということだ。だが現実はそうじゃあない。なあナオ」
反論できない。千爽のいる席から嗚咽が聞こえ始めて顔を背けた。
一人の少女の心を抉りながらコーヘーは続ける。
「アンケートに集約された一般的な男――厳密には本校男子生徒237名のことだが」
「え、このアンケートって投票率パーフェクト? どうせホームルームとかじゃだんまりのくせに、こんな時だけ熱心か!」
「その熱心な男子生徒が一般的に考える、〝理想〟というより〝当然〟なおっぱいのサイズと、現実お前についているそのおっぱいのサイズには深い深い隔たりがある」
「議長! 書記の発言に悪意を感じます! というかどうして書記が喋る!」
「却下します」
静観していた旗先生に介入を求めたが、どうでもよさそうに小指で耳の穴をかきつつ軽く拒絶された。強く睨むと視線を逸らす。彼は彼で解決を望んでいるはずでも、目的は早く終わらせたいという短絡的なもので真に平和を望んでいるわけじゃあない。
不満の傍らでコーヘーの弁舌は続いた。
「これは多分だが、おっぱい市場に触れ過ぎたせいだと考えられる。大きな乳を武器に商売をしているグラビアアイドルたちを見慣れることで、そのおっぱいの大きさを当たり前だと感じるようになってしまった。世間がそういう考えになれば市場は影響を受けより高い水準を求める。自ずと所謂『巨乳』と呼ばれるおっぱいのサイズも敷居が高くなっていくんだ。つまり『大きなおっぱいの持ち主がそれを誇示することで、小さなおっぱいの持ち主が立場を悪くする』という図式がここに生まれていると思うわけだが、どうかな」
コーヘーは菊水さんに意見を求めた。菊水さんは肘をついた腕に顎を乗せたままダルそうに答える。
「アタシは別に商売してるわけじゃないけど、そうだとして、持ってるもの使って何が悪いの?」
「そう、需要を満たす為のサービスが供給発達することは自然なことだ。その辺りは小学校の社会で教わったろう? 経済現象を否定するつもりなのかいキミは」
旗先生が付け加えると、コーヘーは首を振った。
「そこを無くしても平等にはならない。問題はそうやって誘発される潜在的な差別意識なんだ。具体的には、次のページ――」
一斉にページがめくられる。私も目をやって、意識が薄れた。
C以下なんてあり得ない・わざわざ貧乳を選ぶ意味がわからない・男と変わらない・貧乳好きはホモまたはショタ好き。こうした意見が何ページにも渡って続いている。
悪意の羅列。無記名のアンケートであることをいいことに好き放題書かれている。
「これが巨乳派、かつ貧乳否定派の意見だ。なあナオ、こうした考えがあるというのに、お前はまだ傷ついた心に蓋をして『差別や迫害は無い』などと健気な否定を続けるのか? それで個人の尊厳はどうなる? 悲しくは、惨めには思わないのか!」
一気に近くへ寄って肩をぐっと掴まれ鼻先で見つめられる。瞳に炎が宿っているように錯覚するほど熱のこもったさまが暑苦しい。他人の迷惑を顧みず燃え盛る不要善は一向に衰える気配がなかった。
「惨めです!」
突然、甲高い声が響いた。一人突き抜けていたコーヘーのテンションにも届くこの昂ぶりの種類は、悲鳴だ。千爽が資料を握る手を震わせ、苦しげに小さく首を振っている。
「誰かと並んで歩く時、服を選ぶ時。いつも惨めに感じてた。誰かに何か言われる必要なんてない。他でもないこの私が比較するんだもの。意識しないようになんて、できるわけじゃない」
「いやそんな大げさに悩まなくても……だってまだ育つかもしれないじゃない? まだまだこれから――」
「黙れ! 多少なり膨らみがあるあんたに私の気持ちはわからない!」
慰めようとすると、火がついたように反論をこっちへ向けてきた。
「未来に期待? 私の身長は中学に入る前から成長止まってるの。胸なんて一度だって膨らんだことないんだから、それこそ赤ん坊の頃から変わらないの。ねえ、第二次成長ってなに? 私に教えてよ!」
詰め寄られ間近に見る泣き濡れた眼は赤く髪は乱れ、ついあとずさるほど真剣そのものの訴えは悲壮にすら感じられる。それでも同じ深刻さで付き合うことができずに戸惑うしかなかった。旗先生に至っては堪え切れずに笑い声を漏らしている。
「ほら見て、このアンケート『万畳なんか特にヒドい』って書いてある。なんだろうね、私の何がヒドいんだろうね。アハハハ! わかってるけどさ、アハハハハハハ!」
千爽は天井を見上げ白目を剥いて笑い出した。
「しっかりして! ホルモンを、ホルモンを信じて!」
「お前の気持ち、しかと伝わったぁ!」
無駄に力強い声。付き合える人間が悪いことにここにいた。コーヘーがいつの間にか千爽の肩を掴み手を取っている。
「全てのおっぱいが平等に見なされる社会の構築のため、一緒に邁進しよう!」
「よろしくお願いします! ああ、洞貫さん。優しい洞貫さん」
あんたたち別にそんな仲良くなかったじゃん。
数秒、唖然として固まってしまったがそんな余裕は無い。千爽が洗脳されてしまっている。これは困った流れだ。
「ちょっと待ってちょっと待って! そもそもこのアンケートの信憑性が疑わしいでしょ? 男子にとっては全然関係無い心理調査なんだから、フザけてるんだって!」
「たわけェ!」
邪魔なタイミングで出入り口の扉が勢いよく開いた。枠に激突した音で竦んだ体を回して恐る恐る振り返ると、袴姿の大男が身を屈めて戸口を潜り、レクリエーションルームに踏み込んできた。横目にそれを見た旗先生が舌打ちをする。
「めんどくせえのが来た」
原天原(はらあまはら)大星矢(だいせいや)。集会で訓話を聞く時くらいしか普段は見かけない、校長先生だった。とにかく豪快な人物で、毎度壇上でマイクを放り捨てて語る生声は体育館窓の暗幕をはためかせる圧力を持っている。威厳を支える体格は大人と変わらないくらい育っている高校生をまさしく子供に見せるほど大きい。
「男として生まれた者が乳に抱く想いを疑うでない! 恥を知れィ!」
石化した。
「男が乳に対する時、それは己と向き合う時だ。乳に対し真摯に、どのような己でいられるかを通じて己を知るのだ。そこに嘘偽りの生まれる道理がどうしてあろうか? 無論、虚勢はある。想いから舌・手を動かし語る間に本心が隠れてしまうことは起こりえる。だがそれを安易に〝虚実〟と呼ぶべからず。隠れてしまうことまでを含めてが本音なのだ。この世が『これこのような乳が好きなのだ』と憚ることなく口外することのできぬ風潮であれば、ますます持ってこれは詮無きこと。断じて悪ではない! 恥を知れィ!」
立てば太陽を遮り、歩けば地揺れを起こす。そういう、知的生命体というよりも自然現象に近い我が校の長。和装なのは単にその体格を収める服が一般の店では手に入りにくいので仕立てを頼むことが多いかららしい。特大サイズの専門店で買ってきたと思しき吊りズボンで花壇の世話をしているのを見かけて、蓄えたヒゲとのギャップが可愛いと思ったこともあった。今までに抱いたイメージが無残に崩れていく。
なに言ってんだコイツは。
「なればこそ、その意見書の伝えるところはまったくの本意と心得よ!」
体育館を揺らす時のものと変わらない声量は教室という狭い空間に轟き、より大きく感じられた。どこまで届いているのか、聞きつけた生徒たちが廊下に増えつつあるのがすりガラス越しの影でわかる。
「で、でもですね校長先生」
歯を剥いて威嚇し、ドア枠に張り付いていた数人を追い払うと出入り口を閉めて校長に向き直る。けれど戸を閉めたくらいで校長の存在感は封印できない。野次馬が集まる前に即行で収拾をつけなくては。
「このアンケートで集まっている回答は男子の分だけじゃないですか。迫害する体制が仮にあるとしても、それによる被害が現実に起きてるかどうかなんてこと確かめようがないでしょう? だって女子の回答が無いんだから。女子生徒全部の……胸のサイズなんて知りようが無いし」
「ハイ! 私が被害を受けています! アンケートに実名で攻撃されてます! この――むぎゅぅ」
千爽が涙声で発する主張を物理的に押さえて黙らせ、制服のリボンで結んで固定する。事態を速やかに収束させる為には粛清も止むを得ない。
「昔は身体測定で胸囲を測るのも当たり前だったんだけどな。今は座高を測らない学校も多いんだって。ここもそうだろ」
「あー、そういや小学校では座高あったっけ? あれなんで計んの?」
旗先生がどうでもよさげな風にどうでもいいことを呟き、菊水さんがそれを構った。
「胴体の成長が内臓の成長として見られていたんだな。医学的には根拠が無いって言われ始めてからも、やれ『椅子や机のサイズ』だ『席順に配慮する為』だって言って続けてたらしいけど、今現在普及している机も椅子もサイズは調整できないし座席の位置で考えるのは視力くらいだろ? 意味は無いな」
「身長と体重量る意味もわかんないんだけどー?」
「そういうのを調べて統計を取ったら、それがさも重大であるかのように発表することを仕事にしてる連中がいるんだよ。アメリカみたいに平均体重が極端に増加してるとか逆に減ってるとかいう話なら対策の必要もあるだろうけどよ、身長が変わったからってそれで何をするってわけでもねえだろうに」
「地域的な健康を調べるとかはどうかなあ」
豊くんも無駄話に加わった。身体測定の結果で問題が発覚してもなんの対処も行なわれないことは彼の質量が証明している。
「お、なんか思いつくのかデブ」
「酷いなあ。例えば毒とか成長を邪魔する物質が発生したとか、そういう地域的な変化が起きた時に気付けるんじゃあ?」
「環境汚染にバイオテロ。それを察知する手段としてはトロ過ぎるだろ。子供の成長に影響が出てる段階で手遅れもいいとこだ。もっと他に手段を考えないとな」
「あんたもうバイオテロ受けてんじゃん? 『シュガーまみれ』の糖度汚染」
「これは信仰心の現われだよお」
「ハイそこまで!」
間に割って入り、人差し指を立てて斜めに振り下ろす。
「話が逸れているので本題に戻ってください。議長は立場を弁えること」
睨み付けると旗先生はそっぽを向いた。校長は彼にとっても目障りな存在なはずなので排除したい立場は同じはずだが、ここでも積極的な行動を見せるつもりはないようだ。だが自主性を期待できないなら無理矢理尻を叩く。
「いいですか議長」
旗先生に近付き耳打ちする。
「協力しないと殺す。必殺の空手チョップで一撃だ」
「ストレートだな。平和を望んでるんじゃなかったのか」
「既に起きている戦争の最中にまで平和を唱え続けるつもりはないですね。そういうのは終わってからです」
旗先生のネクタイピンを摘まんでV字のデザインに加工してあげると気の抜けた顔も幾らか引き締まった。反応に満足して次は校長に体を向ける。
「さあ話を戻しましょう。男子の好みがどう偏ろうと、女子の胸のサイズの統計は取れていないんだから検証のしようがありません。なのでこの資料は議論の題材としては不充分です」
「不足の論拠なら間に合わせがここにある。諸君ら女生徒の発育をじっと見守り続けたこの両の眼(まなこ)がな」
何を言っているのか理解するには時間がかかった。
「へ――変態!」
心からの叫びは困ったように寂しげな笑みで受け止められる。まるで駄々を捏ねる子供を見下ろすように。
「花が『花を愛でたい』と想う気持ちを知ることはあるまいが、諸君らは人だ。他者を慮り心中を察することに努めなければならない。だが現在それをできないことで諸君らが負う罪は無い。環境に、制度にこそ問題はあるのだ。自動車学校は自動車について教え導くというのに、教育学校は第二次成長と生徒を心より向き合わせることをしない。このことが問題として取り沙汰されないこの世がどうかしているのだ。のう旗先生?」
「ボクに同意を求めないでくだサーイ。パワハラデース」
話を振られた旗先生は驚いた様子も無くそっぽを向いている。教師の間では校長のこの一面は明らなことだったのだろう。自分がこれまで過ごしてきた学校の正体を知って不安になってきた。
「いや……ええっと……」
あまりにも校長が堂々としているせいで自分がおかしいのかと疑いが生まれる。不安になって振り向けば千爽も同じように怯えていた。校長を見る顔を青くして首を縮め、肩を抱いて胸を守っている。
「そうやって隠さなきゃなんないほどは無いからアンタここに来てるんでしょうが」
ケラケラ笑う菊水さんに挑発され、青褪めた顔は途端に赤くなった。
「別に大きさなんて関係なく、見られたら嫌なもんでしょうが!」
「待つがいい。我輩は何も邪な心でもって諸君らを観察しているわけではない。我が思考を埋め尽くすはもっと崇高な、哲学だ」
口を挟まれた千爽と菊水さんの二人は校長に顔を向けた。始まりかけた問答を中断したのは別に目上の人物に対し敬意を表しているわけでも、健気に真実を探ろうとしているわけでもないとその顔つきを見ればわかる。まさに変態を見る目だ。ドン引き。
「いや、包み隠さず打ち明けよう。恥ずかしながらかつて我輩の信念はまさに猥褻であった。生涯を賭していつの日か〝真なる乳〟を見定め、それを手に入れるという利己なるものであった」
発言の内容を無視すれば、厳かな振舞いに威厳が漂っているだけに余計タチが悪い。この声が外に届いて周知されることで安心できるのか、そのまま嘘の中で暮らし続けてくれたほうが幸いなのか、どちらを願うべきだろう。
校長は軽蔑の視線をまるで意に介さない様子で続ける。
「だが諸君、考えてみるがいい。『乳を手に入れる』とは如何なることか。男として生まれし者が如何にして『乳を手に入れる』か。手で舌で弄くり舐り名を記せば手にしたことになるか? なりはせん。なりはせんのだよそんなことでは。それに気づいた時! 我が目論見は猥褻の域を突破したのだ……」
陶酔の中にいる彼が何を言っているのかは相変わらずわからない。
「あのお、生涯を賭してって言うんなら、なんで学校の校長をやっているんですか?」
男同士ということで通じるところがあるのか、豊くんが真面目に手を挙げて質問をした。校長の岸壁のような厳つい顔つきとは対極、ぱんぱんに実る肉が表情筋を覆っていて彼は彼でなにを考えているか読み取れない。
「おっぱい修行僧になるとか、他に色々あったでしょう?」
そんな色々はない。ということを誰も指摘しない。校長も機嫌よく聞いている。
「実に良き、問われるべき疑いと言えよう。感心な太めの若者よ、答えよう。何を持って〝真なる乳〟とするか、それはどれだけ熟考しても未明である。然るに我が性癖は未だ迷いの中にある。小さき乳が良いか、はたまた大きい乳が良いのか。こと個人的趣向という狭い範囲においてさえ結論は遠く、真理の存在を感じるところに近づきさえせなんだ。悩み、乳を恨むことすらしたのちのこと、ならばいっそ『もう選ぶまい』と決心したのだよ。移ろう時の中で変化こそを愛そうと、それで教職に籍を置くことにしたのだ。麗しき花は蕾もまた美しいが、咲き綻ばんとする様はいっそ神秘的ですらあるとは思わんか」
校長の話が難しいのは一般的なことかもしれないけれど、これはちょっと事情が違う。
「あー、つまり校長は、女子の胸の発育を見守る為に教師になったってことですか?」
どうにか理解した内容を話すと、校長は満足そうに笑って頷いた。
「いかにも」
《ウワッ、気持ちワルぅ!》
叫んで、ハッとして千爽と菊水さんと顔を見合わせた。今の声は確かに自分で発したはずだけれど、二人の声ともピッタリと重なって聴こえたので一瞬混乱した。
校長は痛ましそうに首を振る。
「我輩に人望無きを嘆かずにはおられぬな」
「いや、単純にキショいから」
「服役してください」
「とりあえずここから出ていって欲しいです」
女子一同から思いの丈を浴びせられ、校長は落ち込んだ様子で部屋の隅へ移動した。帰るつもりは無いようで、石像のように佇む。小さく体育座りをしてもまだデカい。
とりあえず静かになったところでコーヘーのことが気になった。校長の影響を受けて暴走しなければいいが。
「う~ん、平等に扱おうとしているのはわかるんだが、性癖? おっぱいって性癖?」
書記の席に着きブツブツこぼしながらノートの上でペン先を旋回させている。どうやら触発されてはいないようだ。
「あんな偏った変態の意見は気にしなくていいから」
「しかし議事録は取らねば」
「いいって。校長は会議の部外者なんだ」
「ああ、それもそうだ。だが、おっぱいの実際のサイズについては考慮すべきだな。この資料に載っているのは男子側の想像だから、一方的に過ぎる」
資料をめくって探してみると『質問:本校女子生徒のおっぱいのサイズの割合を示してください。*表現は自由』という項目があった。これもまた回答はひどい。
・貧乳も巨乳もそれぞれ別の意味で壊滅だろwww
・万畳<ほぼ全ての女子<<<<超えられない壁<<<<菊水<豊
・はいお殿様、では示しますのでまずは屏風からおっぱいを出してください
・くれぐれも万畳がヒドい
などなど、見るに耐えないふざけた回答が並んでいる。男子は乳と真摯に向き合うはずじゃなかったのかと校長を問い正したくなるけれど話がややこしくなるので気持ちを抑える。
「おっぱいのサイズに関するデータは絶対に必要になると思ったから女子用のアンケートに含めてはいたんだが、貧乳向けのアンケートを配る段階でトラブルに巻き込まれて、それからはお前も知っての通りだ」
トラブルを起こしたのはお前だ、と言いたい気持ちをぐっと堪えた。
「トラブル起こしたのはお前だろーが」
旗先生が苦悶顔で唸るコーヘーの頭を平手で叩いて、私はとても胸の空く思いがした。旗先生に対して感謝の念を抱いたのはこれが初めてかもしれない。
「お前がえぐれ胸どもを刺激しなけりゃこんなことになってないんだからな。反省しろよ? 内申減点しとくからな」
感謝は今ので最後になりそうだ。
「そう言えば万畳さん、あんた教室で同士を率いていたな。彼女たちから統計を集めることはできないか?」
千爽はまた資料を見つめて泣いていた。コーヘーの声は聞こえていないらしい。その手から資料を奪い取ることでようやく正気に戻る。
「もう一度同士に声かけたら何人集められる?」
コーヘーが聞き直すと千爽は俯き、苦い顔で答えた。
「ざっと……200人」
これを聞いてコーヘーも豊くんも驚いていたけれど、妥当な数字だ。アンケートに男子が予想してある中に『A・Bが9割超』という意見があって、それは私の見立てと一致する。普段学校で生活していてそれ以外の生徒を見かける機会はほとんど無い。参考にしていいのかどうか、隅で校長がしきりに頷いている。
「それっておかしくねぇ? 多数派がそっちなら、なんでいぢめられてるみたいな話になってんのサ」
菊水さんはため息をつくように話した。冷めた瞳は千爽に向いている。巻き込まれたに過ぎない彼女にしてみれば他人事なのは当たり前だけれど、それは千爽には挑発と映ったらしい。怒りが燃える。
「私たちは誰にもいじめられてなんかない!」
「だって泣いてんじゃん」
二の句を告げなくなった千爽は歯を食いしばって黙ってしまった。
「自由に発言するのはやめて! 会議としての形に戻させてください」
強く言うと場が静まった。どうやらまだ私に任せてくれるつもりはあるらしい。
私は席に戻り、これ見よがしにずれていた位置を正して「司会」の札を見せ付ける。その期待に応えて見せるという誓いのつもりで。
「さて、『胸が小さいと迫害される』という事実確認の前に、まずこれは誰によって迫害されるのかということからハッキリさせていきましょう」
札に「司会」と書いてはいるけれど、私の本質的な役割は弁護士だ。かけられた疑いを徹底的に排除し、争いなんて起きていないことを証明する。それが私のやるべきこと。
「アタシじゃないよぉ」
「誰があんたらにいじめられるってのよ」
「確認しただけじゃん。いちいち突っかかってこないでくれるぅ? あ、舌打ちした。感じ悪ぅ」
相変わらず勝手に話し始める千爽と菊水さんに心の内で頭を抱えた。この二人が協力してくれないとなるとコーヘーを納得させることは困難を極める。
気になって横目に見れば、コーヘーはそんな二人の様子と交互に見ながら熱心にノートに何か書き込んでいた。
「ちょっとあんた、何書いてんの」
「俺は書記だぞ。記録くらい取るとも。やはり対立は根深いようだな。だが安心しろ、必ずこの溝は埋まる。埋まるまでやる」
独り言のように呟いてやる気を燃やしている。どんどんマズい事態になっている。
「待ちなって。この二人は今だけちょっと喧嘩っぽくなってるだけで、普段そんなことないから。この特殊な状態のせいだから」
「追い詰められた時に出るものこそが本性だ。平常表に出さない本性が、普段の行いに影響しないとは言わせない」
「今まで生活してきてそういうこと感じたことあった? あんただって今日初めて問題
だと思ったんだろ。グラビア見てた男子がしょうもないこと話してなければそんなこと考えなかった」
「それは……確かにそうだな」
コーヘーの顔つきから力が抜けていき、自信が揺らいでいるのがわかった。チャンス。
「そう、要するにあんたが問題に感じたのは胸の大きさを理由にした対立とか迫害じゃなくて、単なる『その男子の好み』だったってわけ。じゃあどうする? そいつらの個人的な趣向が捻じ曲がるまで洗脳する?」
続けて言うと腕を組んで考え込み始めた。これはいい。
元々「平等であるべき」という目的に向かって行動する以上、今の不平等が見えなければ必然的に引き下がる。他人の趣味にまでとやかく言うのははっきりと筋違いだから。
「堂々と教室で話すようなことじゃあない話題でその男子たちが盛り上がっていたってだけで、別に誰が悪いって決めなくちゃいけない話じゃない。何か下される罰があるとしたら、学校に雑誌を持ち込んだ校則違反だけ」
これで一件落着。安堵してゆっくり振り向くと千爽と菊水さんに親指を立てて見せた。弁護士としての役割を果たした、そのつもりで。
「そうか……わかった! 貧乳イメージアップキャンペーンを行うぞ!」
「な――なんでそうなんの!」
思わず手が、いや足が出た。横っ面を蹴り飛ばすとコーヘーは机の天板で頭を弾ませて床に落ちる。
「あ、校内暴力」
菊水さんの呟きが聞こえた。自分でもそう思うけれど絶対にここで反則退場するわけにはいかない。
「これは幼馴染ならではの近所づきあいです!」
開き直って脅すつもりで睨みつけると、床で昏倒しているコーヘーを見下ろし顔を引きつらせていた旗先生はそろそろと他所へ顔を向けた。
「俺は何も見ていない」
人道に反してでも面倒を嫌う旗先生なら困ったことにこれが当然だ。
続けてもう一人の監督義務、校長に注意を移すと私が用意できるよりも遥かに強力な眼光で返された。たじろいでつい一歩引いてしまう。校長にしてみればこの程度の凄みは普段から発しているので私が背伸びをしたところで乗り越えられそうもない。
「青春に衝突は付き物、まさに左右の乳が如し」
校長は感慨深げに頷いている。旗先生と違って予測も理解もできない言動の主について思考して時間を費やすのは無意味だ。
構わず押し進もうとして、また菊水さんに挫かれた。
「校長それ失言っしょぉ? ぶつからない人がいるからこうして揉めてるんだしサ。ねえ? 揉めないひと」
「アアーッ? 上等だぁコラァ! 徹底的に激突してやらぁ!」
視線を投げかけられた千爽はとうとう傍らの竹刀に手をかけフルスロットルで怒り出した。もしかするとこれほど興奮しているのは当人にしても初めてのことかもしれない。
「ちょっと馬鹿なことしないで――」
慌てて止めに入った瞬間寒気に襲われた。菊水さんを庇って間に割り込んだことで視界を遮ったはずが、千爽の眼差しは力強く焦点はしっかりとしていた。すかさず切り替えたのか始めからそのつもりか、止めに入ってくることを読んで狙いを絞られていた。打ってくる。
竹刀袋を抜き捨て机を避けて前へ出てくるに合わせ、一歩引いた足は逃げるのではなく支える為の挙動。重心は前寄り、集中して相手の動きをよく見る。
正直な上段からの振り下ろしが降ってくる。構えた手刀は迎え撃ち止めるのではなく、竹刀に合わせ同じスピードで剣先に従って押す受け流し。
単純な話だ。例え真剣が相手だったとしても同じ速度で同じ方向へ動けば斬られることはない。
イメージ通りにうまくいき剣先は勢い余って床を叩いた。ピシャリと竹が震えて竹刀が鳴く。千爽は眉を上げぎょっとしていたけれど、同じ気持ちだった。こんなことを試みたのは初めてで、抜きざまだったせいで片手打ちになっていなければきっと追いつかなかった。
しかし表情は違っていたらしい。
「こんなことで勝ち誇らないでくれる?」
今燃えているのは体育会系のプライド。新たな燃料を与えてしまった。
弁解の隙は無くもう一度正眼の構えが戻る。宙に浮かんだ二本の竹刀を見てぎょっとする。
この〝曲芸〟は知っている。こうして空中に放った竹刀の片方を掴んでそのまま打ち込む千爽のオリジナルだ。部活の休憩中に披露しているのを見たことがある。竹刀を手放すのは違反行為に当たるそうなので試合では使えないと聞いたけれど、だからといってまさか自分が標的になるとは思わなかった。
両方を同時に受け流すことはできない。片方がフェイントなら、先にこちらからその選択肢を決めてやればいい。
驚きで竦んだ体を奮い立たせ前へ伸ばし、さっきと同じく手刀を伸ばして竹刀へ触れる。ただし今度は流す為でなく落とす狙いだ。千爽に掴まれないよう弾いて位置を動かす。そうやって選択を減らしてしまえば迷うこともなくなる。
(これで――)
うまくいったはずだった。内心勝ち誇った私が残る一本に注意を戻した時、そこにあるはずの一本はいつの間にか二本になっていた。そして、その二本共に手がかかるのが見える。
直撃だけは避けるべく体を開いて横へ向け、折り畳んだ肘を上げた私を挟んで二筋、上段からの斬り下ろしが鼻先と背中を掠めて過ぎる。ピリっと痛んだけれど、しでかした油断に比べれば分の良い痛みだ。これだけで済んだのは千爽が手を抜いたからに他ならなかった。その証拠に目の前の顔は口の端で笑っていた。
剣先は私の首の後ろで交差してカタと音を立て、抱きしめられる形になっている。笑顔はそのまま親愛の表れではなく支配者の余裕と言える。
「剣道三倍段って言うんだっけ? そんな控え目な数字じゃ比較できないってことを教えてあげる」
思わずムッときた。体育会系のプライドならこっちにもある。
しかし振り払うより千爽の動きが速い。すり足で数歩下がって腰を落としたところまで見て、そこから先は宙へ放られた竹刀へと注意を移す。
(何度も同じことを――)
今度は五本。それもさっきまでのように単調な横並びだけでなく、面狙いの三本の他、胴の高さに横向きや逆袈裟で膝を狙う軌道にも位置している。こうなるといよいよ剣道でもなんでもない。が、空手で考えれば下段狙いは常識の範囲内だ。
腕で頭を固め、片足を上げる。五本の内どれとどれが来るかこそ予測できないが、なにしろ太刀筋が途中で停止して見えているに等しいので備えはできる。頭の三本を両腕で、胴を腿で、膝を足の裏で止める構え。上げた足でそのまま前蹴りを喰らわせる。その先は密着して乱打戦だ。
剣道三倍段というけれど、相手が竹刀なら三回打たれている間に一撃で決められる。
覚悟を固め息を止め意識を研ぎ澄ませる。だが、続かなかった。緊迫で硬化した世界に横合いから割り込んできたコーヘーに破壊された。
「仲間同士で争うのはよせ!」
両手を一杯に開き千爽に向かって立ちはだかっている。『なぜ私を守る』とかそんなことに怒る前に危険を感じた。千爽だけでなく、被打のタイミングを計りこちらももう動き出している。
竹刀の連打に続き私の蹴りがコーヘーの尻に食い込んで鈍い音が轟いた。前後から押され反発で舞い上がったコーヘーは床に落ち壁の方へと滑っていく。
菊水さんがゲラゲラ笑う声と豊くんの野太い悲鳴が脇に聞こえる、その程度には集中が解けて平静になった。
今見たことを落ち着いて思い出すと、千爽の竹刀は五本ともコーヘーを叩いていたような気がする。一体どうやればそうなるのだろう。これじゃ曲芸というより手品だ。
「ふぅん」
千爽は振り向いて倒れ伏すコーヘーを見下ろした。
両面から激突されて飛んだ障害物が千爽の後ろへ落ちたことで単純な押し合いではどちらが勝ったかを物語っている。首の向きを戻した時には面白くなさそうな顔をしていたが、すぐに笑顔になった。
「やるわね。校内最強女子決定戦、ここでやる?」
散らばった竹刀を拾い集めながらの言葉は固さを失くしてはいないけれど、敵意と呼ぶほどの棘はもうない。それを確認してからこちらも構えを解く。
「そんなタイトル欲しくない」
「私も要らないけど、ムシャクシャするからやっちまいたい気分だわ」
他が障害や不安因子だらけだから千爽に我慢してもらおうと思っていたせいもあってか、かなり負担になっていたようだ。
返事を躊躇っているとコーヘーが復活した。
「やめるんだ万畳さん。誰かを倒して解決するような話でもないんだこれは。必ず助けるから、俺とナオを信じてほしい」
床に手をついて身を起こしながら見当違いの情熱がしぶとく吹き上がっている。一方で千爽は氷のように冷たい。
「助けるって、一体何をしてくれるって言うの? 不思議な魔法で私の胸を大きくしてくれるとか?」
「そんなこと、できたとしても絶対にしない。なぜならそれでは本当に貧乳を救ったことにはならないからだ。真の救済、具体的な方法はあれだ!」
コーヘーが指差したホワイトボードにはイラストが描かれていた。二頭身の小さな人形が御輿を担いでいる絵だ。御輿の上にも一人人形がいて線を引き「万畳」と注釈がしてある。つまり千爽が担がれているイラストらしい。
「あのように大勢を連なって練り歩き『貧乳万歳! 貧乳万歳!』と盛んに唱和する。これを目撃した群集に『あらもしかして貧乳っていいものかもしれない』という意識を呼び起こすことで貧乳の価値が改められ――」
「晒し者じゃないのこんなの!」
当然の怒りが、通じるようなコーヘーじゃない。
「苦痛無く切り拓ける道などあるものか。もし大きな効果が得られないとしても、息を潜めている支持者が堂々と出てこられる環境を作るだけでも意義はある。万畳さんたちの集団は既に圧倒的大多数なんだ。次は支持者がそれに追いつけばいい。その為の礎になれ! 勇気を出すんだ!」
「勇気……? 私に勇気がないって言うの?」
千爽は取り戻しかけていた平常心をあっという間に手放してしまった。
コーヘーにはそうした影響力がある。本人が正気を失っているようなところがあるせいか、周りにいる人間はそれに引き込まれるようにして冷静さを失ってしまう。簡単に言えばよく人を怒らせる。
だけどそれだけじゃない。
「でもイメージは大切っスよ、実際」
にゅっと、コーヘーの後ろに首が生えた。どんぐりのようにつるんとした愛嬌のある顔がにっこりと笑う。押風(おしかぜ)実(ミノル)くん。
「パフォーマンス的な態度を嫌って硬派でいれば『自分かっこいい』って思ってられるかもしんないスけど、それじゃなんにも進展しないんスよ?」
「な、何よコイツ急に」
突然の乱入に千爽は戸惑っているようだった。一体いつこの部屋に入ってきたかまったくわからないけれど、どういう状況であれ彼がコーヘーの陰から現れることは不自然にならない。
「顔くらいは見たことあるでしょ。なんていうか、うん。コーヘーの強烈な信者」
今のように情熱を発症している時のコーヘーはなにしろ目立つので好奇心をくすぐられた誰かが近づいてくることもある。大抵は呆れて興味を失くすけれど、押風くんはその例外的な存在だった。
「〝信者〟ってのは心外っスねえ。同じ学校の先輩を応援したいってのは健全な気持ちっショ?」
「おお! 今回も力を貸してくれるのか。頼もしい」
コーヘーが力強く握手で歓迎した。彼の合流は予想できる展開ではあったけれど、だからこそこの会議からは外していたのに「厄介なことになった」と感じざるを得ない。
「え、今回ってなあに?」
豊くんの質問に嫌なことを思い出した。
「あー……前に体育の授業中に差別意識を感じたとかで、『体育会系と文化系』の溝を埋めるって言い出したことがあってさ」
運動神経はそれぞれだとしても普段体を動かす機会が多い生徒がスポーツで活躍するのは当然のことだけれど、コーヘーはそこを考えに入れない。運動部と文化部の相互理解の為に部員入れ替えによる体験入部を企画したものの誰にも受け入れられなかった。その挙句、勝手に各部室へ侵入して備品を入れ替えてしまった。
「部室に行ったら防具が〝漫画セット〟になっててたまげたわ」
思い出しているのだろう、千爽までが陰鬱な顔をする。コーヘーは当然ながら男女を区別しない。因みに女子空手部は茶室になっていた。
その時は体育会系と文化系が揃って反発し、その団結を見たコーヘーが満足したのですぐに収束した。けれど今回、両者は極力息を潜めていたいと考えているので同じ流れになるとは期待できない。
「あ~、そんなことがあったんだねえ」
部活には入っていないのか、知らなかったらしい豊くんはなにやら納得した風に何度も頷く。
「それで最近、体育の時間が接待みたいになってるんだねえ」
「なんかゴメン」
再発を防ぐ為には確かにそのくらいの演出が必要かもしれない。コーヘーはいつでも目を光らせている。というかなにか感じればたちまち光る。
「あれ面白かったっスねえ」
「ああ、実に有意義な活動だった」
押風くんとコーヘーだけが当時を振り返って活き活きとしている。良いことをしたつもりでいるのだろう。
「つーわけで、今回もお助けするっスよ、アニキ」
顔を輝かせた押風くんは意気揚々と足取り軽く会議席の右翼、千爽の隣に座った。大変ご機嫌なようで机上で潰れていた三角柱を伸ばして〝貧乳〟の札を置き直しながら鼻歌が混じる。
「バッキャロウ!」
その押風くんの頬にコーヘーの拳が突き刺さった。突然のことに押風くんは成す術も無く椅子から転げ落ち壁際まで転がっていく。それを見下ろすコーヘーは憤怒の形相だった。
「何を迷わずにそこに座っているんだ。助ける? 考え違いをするな。さっき貧乳の当事者である万畳さんも言っていたことだが、貧乳は弱いわけじゃあない。貧乳は守られなければいられないようなものじゃない!」
「あんまりそう連呼しないでくれる? 名前も出さないで」
千爽が口を挟んだところでコーヘーが当人の意見に耳を傾けるはずがない。
「我々〝おっぱい評議員〟はどちらかに肩入れする為に行動を起こしたわけじゃない」
「わ、恥ずかしい名前つけられてる。ウケる」
「主眼は真なる平等を手に入れることだ! 勝ったり倒したりしたいだけならば今すぐにここを出て行け!」
役に入ったような身振り手振りで話すコーヘーの声は押風くんには届いていない。なぜなら気を失っている。常に力いっぱい暮らしてやたらと敵が多いせいか、コーヘーは運動をしているわけでもないくせに頑丈で喧嘩も強い。
「私は別に負けても倒されてもいいんだけど。静かにそっとしておいてほしい」
千爽は心底疲れきった声で話し大きく息をついた。会議はまだ何も進展していないのに、最後まで精神が持ちこたえられるかどうか心配だ。
「そんなことでどうする? もちろん我々も手伝うが、なによりまず万畳さん自身が立ち向かわなければ意味はないんだからな。いつだって思い出すんだ、万畳さんは一人じゃない。その背中にしょっているものがあるだろう? 万畳さんの仲間たちが背中みたいな胸を不安でいっぱいにしながら万畳さんを応援している」
「おちょくってんのかコラぁ!」
電撃的な素早さで千爽の竹刀が翻ったが、コーヘーは床に這いつくばることでそれをかわした。剣先は空を切る。
ちょっと感心した。
あの床と一体化した姿勢ならどこを狙われていようと床を叩く動きでしか命中しない。その打ち方が剣道に型として無い以上、慣れない動きならもし当たったとしても大して痛くはなさそうだ。
「なめんなっ」
千爽は次の姿勢に移っていた。竹刀を肩へ担ぐように振り上げ、片足をやや浮かせながら腰をひねる――ゴルフスイング。
「怒られるけど――たまにやってます竹刀ゴルフ!」
コーヘーの顔が引きつるのが見えた。あの体勢からかわしようがない。
(まったく……)
千爽の後ろから前へ滑り込みながら開脚して腰を沈め、靴底で竹刀を受け止める。それなりに鍛えた足先なので大事には至らない。
「あら、愛は偉大ね」
振ってきた皮肉な言い草に負けじと睨み返す。
「冗談、単にさっさと終わらせたいだけ」
爪先をコーヘーの首の下へ差し込んで力任せに振り上げると、大して動じずに着地して立った。
「では会議を続けようか」
「私はもうちょっと気分転換続けたいんだけど」
千爽は竹刀をブンブン振り回してゴルフスイングを続けている。あとで顧問に言いつけてやろう。
「あのね、そんなこと続けたって何も生まれない。会議の流れをコントロールする為に力を貸してって言ってんの。千爽、お願い」
千爽と睨み合う。この件には彼女の協力が絶対に必要だ。どうしても必要だ。一方の勢力の代表者というだけでなく、親友としてこの困難な挑戦をそばで支えて欲しい。今こうして対立していることがとても切ない。
千爽は気まずそうにしながらも納得していない。
「そう言うけど、一体なにがしたいわけ? あんたらの関係で今更『同じ委員会になって憧れの彼とお近づきになっちゃうゾ☆』って狙いがあるわけでもないでしょうに」
「な、なんのこと言ってんのよ」
反論はモゴモゴと口の中から上手に出て行かなかった。
「そんな下心でもなきゃ誰が好き好んであんなめんどくさい星のめんどくさい王子に付き合ってこんな馬鹿なことやるっての。得なこと無いじゃない」
「ハァ? なに馬鹿言ってんの。んなの今全然関係ないでしょ」
腕を交差させ下へ払う。
「あんたねえ、自分じゃわかってないみたいだけどバレバレだからね? 幼馴染がどんなもんか知らないけど、恋は盲目って言っても限度があるでしょうが」
「ちげーし、幼馴染じゃないし、間に畑あるし、話逸れてるし」
千爽の足元を指差した手を、がっと掴まれた。
「そのうろたえると審判のジェスチャーをする癖はやめなさい!」
「そっちみたいにすぐ竹刀振り回すよりマシですぅ!」
しばらく取っ組み合いをして、千爽の顎に二、三発膝を入れてから周囲の様子が変わっていることに気がついた。
「手早く周知させるには神輿が良い方法だと思うんだが。選挙カーやデモのように、ずっと続けられている洗練された手段だと思うのだが」
「言うけどアンタあれ聞いて内容わかったトキある? 意味わかんないのに『活動してます』ってアピールだけする意味なんてないじゃん。普通の人間がやったってただの罰ゲームだし」
「それ万畳さん泣いちゃうんじゃないかなあ」
「オイラも賛成できないっスねえアニキ。パフォーマンス自体は賛成っスけど。どうしてもやるんならせめて最後でやんしょ? ドパっと派手に勝利宣言」
コーヘーや失神していた押風くんも復活して会議が再開していた。議長の旗先生は冷ややかな目でこっちを見ている。何も言われないことでかえって自分のしていることが子供染みていると理解できた。
「勝利は目的でないと何度言えばわかる? そのことを重々理解しない限りお前がその席に座る資格は無いぞ」
「へえへえ、わかってますって。でも話し合えばきっとこっち側に不利に進むと思うんで、加勢があったほうがいいっスよ。っていうか好きっス、貧乳」
「ム、確かに。前準備で集計したアンケートの時点でこの偏りぶりだからな。よし、適宜適切な意見を頼むぞ」
掴んでいた千爽の喉笛を離し、バツの悪い思いで頭を掻きながら司会の席へ戻る。危うく自分から役を降りるところだった。
千爽は千爽で不満そうな顔をしながらも貧乳席に戻った。踏まれても蹴られても結局は根が真面目なせいで放り出せないらしい。その責任感が少しでも私との友情から働いているとしたらとても申し訳ない。
なにしろこれから彼女はまだまだ心に傷を負うことになるだろうから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます