シンプルな方法

 靴は履き替えず体育館へ飛び込んで板張りを踏む。通常この時間であればここ大体育館では男子女子を含めてバスケット部やバレー部が活動しているはずだけれど、今日はそうした活気は無くしんと静まり返っていた。

 かと言えば誰もいないわけではなく、全方位に黒装束姿が丸く立ち並んでいて人数だけならかえって普段よりも多い。

 三角にとがった頭巾、足元までつながった黒いワンピース。肩の位置がわかり辛いので体格を判別することさえ難しい。完璧に匿名の集団だ。

(こういうの、今日は二度目ね)

 止まらずに足を進めて中心を目指す。罠だというのはわかっているけれど、これは乗らなければ始まらない罠だ。

《急いでもらって嬉しいのですが、怪我はしませんでしたか?》

 放送は館内スピーカーから続いた。

 体育館には壇上の舞台袖から降りる小部屋に放送設備があることは知っている。けれどその操作の方法までは知らない。ほとんどの生徒が同じことだろう。そんなことに詳しいのは放送部だけだ。

 携帯電話を奪われたのも今思うとコスメ部かもしれない。貰ったクレンジング液は科学部に作ってもらっていると聞いて文化部の見事な連携に驚いたばかりだった。

(さすが、メイクの下はなに考えてるかわかんないなあ)

 放送を聴いてコーヘーを人質に取られていると知って、一度完全に我を失った。演劇部部室のある三階の窓から飛び出したあと雨どいのパイプを伝って地上へ降り、まっしぐらにここへ駆けつける間でどうにかいくらか平常心を取り戻せてはいる。

 人質を渡して解散しなさい。そう言いたい気持ちを堪え深く息を吐く。そのくらいで乱れた呼吸は戻らないけれど、精神の昂ぶりを下げる効果はいくらかあった。

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だから、コー――洞貫くんに会わせてもらえる?」

 この件で誰が悪かを追及する気がなかった。ここに集まっている覆面たちが敵として立ちはだかろうとしても、彼らの思惑に嵌ってはいけない。

《それはあなたの態度次第です。こちらの要求は一つ、洞貫くんを中心としているあなた方の活動を中止してください》

 やはり、ここにいるのは貧乳側だ。千爽が会議で「200人は集められる」と言っていたけれど、その半分ほどが集まっているんじゃないだろうか。それも今は千爽の手を離れている。

「あなたたちが迷惑してるのはわかってる。だけど少しの間辛抱して。できるだけ早く静まるように努力してるから。会議はその為に開いてて、そこ以外では騒がないように言ってあるから――」

 話しながら円の中心に近づくと、床に水たまりができていることに気が付いて視線が下がった。色は赤く、表面は固まって黒ずんでいる。血だ。

 水滴で波紋が起きるのを見て首を天井へ向ける。理性はここでまた途切れた。

 コーヘーが宙吊りになっている。かなり高く、顔色までは見えないけれどそれでも意識が無いことはわかる。コーヘーがこの状況に怯えて黙るはずはない。助けを求めないはずがない。

「すぐに下ろせ!」

 そう言って彼女たちが従うはずはない。返事は待たずに壁へ向かって走り出した。近づいた黒ずくめたちが動揺して円が途切れたが、それは無視して手前で跳び上がり、バスケットゴールのネットを掴んで自分を引き上げて身を捻り、リングに着地するともう一度飛んでバルコニーへ飛び移った。そこから更にカーテンを掴んで天井まで上り、あとは鉄骨の梁を伝ってコーヘーのところまでたどり着いた。

 コーヘーは黄色と黒のロープで巻かれて吊るしてあった。触れればささくれが指を刺すようなもので縛られれば自重で食い込んで相当痛むだろう。

「ちょっと、起きてる?」

 呼びかけながら梁に足を絡めて姿勢を安定させ、空いた手に部活用の拳サポーターを通す。

「ん……ああすまん。ちょっと、考え事をしていたんだ」

 コーヘーが顔をあげると怪我の状態が明らかになった。片目が塞がるほど腫れ、口から出血が顎から滴っている。鼻のほうは既に止まっているようだ。

「頭に余計な血回してないで、ちょっとは自分のこと心配しなさい。馬鹿」

 念の為髪も束ねてからロープへ手をかける。ロープは三つ編みの要領で頑丈に束ねてあって、これならもう一人ぶら下がっても大丈夫そうだ。救出のシチュエーションとしては男女が逆だとも思うけれども、コーヘーは当然そんな性差を気にしない。

「いや、考えずにはいられない。乳の大きさ差別から手を引けと脅されたんだが、この連中をこんな凶行に走らせるまで追い詰めている正体はなんだ? 一体どうやったら救ってやれる? 俺にはわからない。なあナオ、助けてくれ」

 案の定な要求に呆れた。袋叩きも拘束も今日はこれで二度目ながら、まだこんなことを言っている。

「あんたねえ……こんな目に遭わされたくせに、誰を救いたいって?」

 聞いてはみるもののコーヘーはわかったうえでそう言っている、ということをもうわかっている。

 コーヘーの眼には彼女たちが〝加害者〟として映っていない。あくまで〝偏見の被害者〟でしかない。なので今直面している問題は〝囚われた自分〟ではなく、〝そこまでするほど追い詰められた偏見の被害者たち〟ということになる。

 行き過ぎた思い込みは独善と等しく、正しいとはまったく思わない。だけど、衝突は全て行き違いで差別意識もコンプレックスも話し合いで解消できるという考えまでを否定したくはない。童話のようなハッピーエンドが来ると信じる純心さを守りたいとさえ思う。自分が信じられないことを、コーヘーにも同じ風に疑ってほしいとは思わない。

「なあナオ、こいつらを救いたい。なぜこんなことをするか理由を聞かなきゃならない。ここから降ろしてくれ」

 ため息で返事をする。ここで「逃げよう」と提案しても従うわけがないと知ってはいた。この場を逃げ切っても鎮圧したとしても、その原因を解決しないことにはコーヘーにとってなにも進展したことにはならない。本当に厄介な善人だ。

「わかった。手伝う。でもまずはオレに話をさせるって約束して」

「いいだろう。もしこの連中がお前と同じ悩みを持っているのなら、そのほうが心を開きやすい。同じ立場の者同士、親身に話を聞いてやってくれ」

 訂正するのも億劫で、返事はせずにコーヘーを縛るロープへ乗り移った。弾みで少し揺れたけれど、強度には問題ないようだ。結び目はかなりきつく、コーヘーの重みで締まっているので解くのは難しい。

「じゃあ落とすから、着地してね」

「わかった」

 結び目に指をかけ、力を込めてロープを引きちぎる。支えを失ったコーヘーの身体はぐるぐると独楽のように回転し、ひと巻きひと巻きロープが解けながら落ちていった。

 私はすぐにロープを登って鉄骨へ戻り、骨組みに挟まっていたバレーボールを抜き取った。古くはないようで布の劣化もほとんどなく空気は充分残っている。弾力を確かめるとすぐに真下、どんどん小さくなるコーヘー目掛けて投げつけた。

 命中は墜落とほぼ同時だった。私はなんの心配もしていない。落下の音は肉の鈍い音ではなく、ボールが弾ける音だったから。

 ここからはコーヘーの頭しか見えない。つまりは直立で器用にボールを踏みつけて着地できたということだ。緩衝材のつもりでボールを投げ渡したのだけれど、使われ方は想像していたものとはちょっと違った。

 コーヘーは上を――私のほうを見上げて両手を広げた。受け止めるから落ちて来いということらしい。高過ぎることは忘れるとしていかにも紳士的な振る舞いだけれど、性差を気にしないコーヘーなのでこれが逆の立場だったら私に同じことを要求しただろう。どちらにしろこれだけの衆人環視の中では恥ずかし過ぎて冗談じゃない。

 コーヘーは無視し、ロープを揺すって加速をつけバルコニーの柵へ飛びついた。そこから更に跳んで宙返りをして一階へ降りる。

《すごい運動神経ですね》

 褒めているように聞こえても、本心は機械音声からは推し量れない。

「あんたたちの気持ちはわかってる。こっちから言いたいことはさっき言ったから、その返事を聞かせて」

《なにをわかっていると? 相手を思いやる心があるのなら、なぜあなたはその男に協力するんです》

 千爽にも同じことを聞かれたことを思い出した。この匿名の中に彼女がいなくてよかったと思う。揃いの衣装を用意したりと段取りを踏むほど気長ではないところには困ることもあるけれど。

(衣装……ああこれ、被服部もきっと混じってるよね)

 体力づくりで不在だった演劇部も怪しい。これだけの人数が揃っているのだから誰がどこから来ていても不思議には思わないけれど。

 正体が誰であれ疑問に答える。ここでしなければならないのは、結局のところ会議と同じことだ。

「オレがこいつを手伝うのはそうしたほうが早いからだけど、それで納得できないって言うならあなたたちが想像してる一番下世話な理由でいいわ。それで合ってるから」

 こんな話をしてもどうせ隣の朴念仁には伝わらない。見れば腕組みで眉間に皺を寄せて考え込んでいるようだ。先に話をさせると約束したのでそれが終わるのを待っているのだろう。コーヘーのこういうところは、律儀ではあるけれど不誠実でもあった。自分が関心を寄せている事柄でなければ見向きもせず、自分が納得しやすい形式で証拠を突きつけなければそもそも話を聞かないような節がある。

「誘拐と一方的な暴力についてあなたたちを責めることはしないわ。あなたたちは『自分たちこそ精神的に傷つけられた』ってことで自分を正当化しているんだろうけど、暴力じゃなにも変わらないってことだけはわかって。オレはここにこいつを救出に来たんじゃない。あなたたちと話し合いに来たの。暴力では飛び越えることはできても、間にある溝を埋めることは永遠にできない。何度も繰り返せばいつか届かずに落ちる。それじゃ意味がないと思わない?」

 誘拐と衣装とこの人数。彼女たちがここに整えたのは脅迫の舞台だ。そんなものはコーヘーには通用しない。私が求めているものとも違う。

「あなたたちはこいつのことを縛ってから暴行したんだろうけど、別にそんなことしなくてもこいつは反撃なんてしないから。こいつはあなたたちを『可哀想』と誤解して助ける為に動いてるの。それを正すには暴力じゃダメなの」

《つまりあなたはその彼を信頼している、ということでいいですか。彼なりの道理を守る話してわかる人格者だと》

 あまり答えたくない質問だ。独善的に騒動を起こし、被害が拡大するような手段を直情的に選ぶ。そんな人物に賛同すれば人格を疑われる。けれど、今はそう表明する他しようがなかった。

「はい。ワタクシ、山切奈緒は彼、洞貫幸平を信頼しています」

 右手を挙げて宣誓して見せた。

 嘘とは違う。「やめたほうがいいのに」とは思うけれどそれは面倒を避けたいからで、まして「やっても意味がない」とは思わない。前例のように少しだけ暮らしやすい日々に変わると期待しているのも本当だ。

《あなたが率先して開いたという、嫌がらせにしか思えない会議についても同じですか。何か成果が出ることだと?》

「成果を……出すのは困難かもしれないけど、これが一番平和的に解決できる手段なの」

 会議については軽率だったと自分でも思う。現に参加者に対しても騙まし討ちのようになってしまっている。けれど周囲の意見を確かめる時間もなければ、それ以外で説得できるとも思えなかった。会議を開かなかったとしたらもっと早くに今と同じ状況になっていただけだ。

「なあ、もういいか?」

 コーヘーは自分の出番をまだかまだかと待ち構え爛々と瞳を輝かせている。けがのことなどまるで気にも留めないやる気満々だ。

 強行手段に打って出た彼女たちがコーヘーを納得させる話をするとは思えない。コーヘーはコーヘーで、また言葉を選ばない弁で無闇に彼女たちを刺激して再び暴力に晒されることになる。それで屈するはずもないから、あとはもうエスカレートする以外に変化は起きない。

「ダメ、ずっとダメ。会議の場以外では話さないって決めたでしょ」

「場と機会を選んでいる余裕のある、優位な状況には見えないが?」

「そうだけど、だけどここじゃ手段だって選ばせてもらえないの。今ここで何を話したってこっちの意見なんて聞いてもらえないし、一方的にいぢめられるだけよ」

「俺はそれでも構わない。息の根が止まるまでは問いかけをやめない」

 予想していた通りここでも曲がらない。

「あのね、『どれだけ徒労と傷を抱え込もうと自分の勝手だ』、なんて考えてるんだったら勘違いはやめなさいよ。あんたがケガして帰ったら、オレがおばさんに聞かれるんだからね」

 コーヘーのことで何かあるとなぜかコーヘー母が相談に来る。「婿に出すんでもいいから」と時々言われるように嫁としての将来を嘱望されていて、ムズ痒くて仕方がない。

 気持ちを言動として示した記憶はないのだけれど、それを言うなら千爽の前でも同じことだったなので、それこそ生まれた時からを把握されているコーヘー母に見抜かれているとしてもまったく不思議はなかった。

「この件を一から報告しろっての? オレ嫌だよ。『息子さんは学校でおっぱいおっぱい騒いでます』なんておばさんに言うの」

「それは確かに。家庭に持ち込むことは好ましくないな。端的に状況を聞かれると問題行動と誤解されてしまう恐れがある」

「芯から問題行動だから。おーい、いい加減自覚しろー」

 二人で話している間、覆面たちは大人しくして待っていた。私にはそれが逆に恐ろしい。彼女たちが怒りに我を忘れた暴徒ではないということだ。冷静に自分たちの行いを正義と信じ、私たちを断罪するつもりでいる。コーヘーに近しいものとして、その危うさはよく知っている。

《あくまでも話し合いによって結論を得るべきだということですか》

「ええ。時間はかかるだろうけど、急ぐべきものじゃないとも思ってる」

《会議はあなたが開催したものと聞いています。あなたのその意見が参加者の総意と受け取っていいですか?》

「それはちょっと乱暴だけど、少なくともあなたたちの側でないことは確かね」

 当初千爽に関してはかなり怪しい立ち位置だったけれど、今なら押風くんが支えになると期待していいはずだ。

《なるほど。完全に決裂していると理解できました》

 抑揚の無い機械音声でそんなはずもないけれど、突然その響きが憎悪を伴って凄みを発したように思えた。

《あなた方はその会議によって事態がきっと進展すると信じていて、我々はそうは思わない》

「極力平和的な手段を選びたいと考えるのは文化的な現代人として当然のことよ」

《我々は傷ついているのに何が平和か。あなたは所詮〝自分が守りたいもの〟を中心に考えて築いた理念と正義を信じているに過ぎない偽善者だ》

 それは私の弱味だ。突かれると反論ができない。

《暴力によって解決することはできないとあなたは言う。だが我々はそれを信じていない。なのでそれが真実かどうか、実践によって追究させてもらいます。その為に呼びしました》

 覆面たちが一歩前へ出て円が縮まった。ここからは彼女たちのやり方に付き合わせようというつもりらしい。

「どうする。お前は一旦逃げるか?」

 コーヘーは平然としている。自分だけは何があっても残るつもりのようだ。

「ダメ。こいつらを外に出したら私たち以外が襲われるかもしれない」

 近づいてくる歩みは足音もバラバラでもう統率は感じられない。同じ目的で集まっているだけなのだから無理もないことだ。それなら、こことは違う場所で別働隊が動いているとは考えにくい。千爽たちは無事だ。

「なにも案はないけど、とにかくここで時間を稼ぐの。ヘトヘトになってお腹が空くまで持ちこたえて」

「電話で先生や警察を呼ぶのは?」

「オオゴトにはしたくないから却下。こいつらは正体がわからないように覆面でいるのよ。解決したら元の日常に戻りたいの。大人を呼んだら事情を調べられてそれができなくなる。旗先生ならその辺は大丈夫そうだけど、こんな揉め事に関わるわけない。じゃああとは校長だけど、この状況で他の大人に悟られずに直接校長を呼ぶ方法あんた持ってる?」

「無いな。それに無駄は騒動は好きじゃあないから賛成だ。では逃げ回るとしようか」

 円はもうかなり縮まっている。覆面が手に持つ鉄パイプやら物騒な持ち物の中に槍のような長いものがあればもう届いている距離だ。

 タイミングを計っているうちにコーヘーに横から抱えられ、驚いている間に宙を飛んで覆面の列を飛び越えていた。お姫様だっこではなく肩に担がれているとはいえ、それなりに恥ずかしい。頭に血が上ってつい助けてしまったけれど、これならコーヘーはいっそ宙吊りのままにしておいたほうが良かったかもしれない。

「逃げ続けるのはいいが、展望がないのは窮屈だな」

 壇上へ上ったところで床に下ろされた。覆面の集団は円を崩し我先にと両脇の階段へと集まっている。

「正直万策尽きてるんだから、しょうがないの。あ、今ならもう好きに話しかけていいよ。気を引いておきたいし、あんたが感動的な演説でこの状況を打開する奇跡に期待するのもいいかもね」

「それができるといいんだが……。俺にできるのは基本的に質問だけだからな。何より今はお前を守らなくちゃいかん」

 コーヘーにとって〝守らなきゃいけない対象〟として認識されているらしい。こんな時でも赤面してしまうのは、その余裕があるからというよりそのことが私にとって最優先事項だからという自覚がある。目の前にどんな危険が迫っていても私はコーヘーにどう思われているかのほうが気になる。こんなだから、いっそコーヘーと一緒に突撃していって何度か殴られたほうがいいかもしれない。

 轟音――金属を叩く派手な音が体育館内に響いた。私が通り既に塞がれている正面入り口の扉とは別の、横の壁に面した出入り口の戸の一つが軋みを余韻に浮き上がっている。

 戸は薄いブリキを貼り付けてある一見粗末な物ではあるけれど、内部には頑丈な骨組みが入っているようでそれなりに重い。上から吊り下がる構造で滑車によって横へスライドするようにはなっているから、扉のように開いたりすることはない。それが今無理矢理めくり上がっている。

 壁へ戻ってきて衝突する前にもう一撃加わり、戸は枠を外れ放物線を描き向かいの壁まで弾け飛んだ。

 何が起きているのか。私なりの推測は、振り返って事態を凝視している覆面の前に竹刀が浮かんだことで確信に変わった。

 いつも武道場で聞いているものとは違って鈍く生々しい音が響く。かなりの数が重なった和音は滝にも似て広い館内に残響し、それから覆面を叩いた全員分の(・・・・)竹刀がバラバラと床に落ちた。

「お見事、これ何本分?」

 音と同時に壇上に現われた前屈みに声をかけると、律儀に体育館履きに履き替えている最中の千爽は背筋を伸ばしてふんと息を吐いた。

「誘拐なんて性根の腐った連中、何遍叩いても一本にすらなりゃしないわ。乱戦なら姿勢を崩さない剣道がの独壇場だってことをわからせてやる」

「姿勢を崩さないでいられるのは一対一だからでしょ」

 竹刀を何本持ち込んだのかも不思議だけれど、全員同時に打ち込むとなると完全に人間離れしている。威力が犠牲になっているとかいうわけでもないようで、覆面連中にまともに立っている奴はいない。

 援軍としてはこれ以上ないほど頼もしい。けれど、千爽がここには来たのは間違いだ。

「来てくれて嬉しかった。でも早く逃げて。ピンチの時には現われる男前だってことと、千爽との友情も再確認できたからもう満足」

「はぁ? あんた、自分一人でこの人数に勝つつもり? いくらこいつら文化部どもがヘナチョコって言ったって無茶に決まってんでしょ。あんた持久力は並以下で、連戦なんかできっこないんだから」

 指摘された通り、ここへ来た時から息が上がったままで戻っていない。

「これは勝っても困る戦いなの。だから逃げて」

「なにボケたこと言ってんの。戦いがもう始まっているからには二択でしょうが。勝つより他に良い結果なんてあるわけない」

 話している間に覆面たちは五人が復活して足取り軽く壇上へ上がってきた。

「首謀者は俺だ! 誰の協力が得られ無くとも俺は一人で活動を続けるぞ。この二人に手を出しても意味は無い!」

 コーヘーが前へ出て叫んだ。

「むしろ苦しんでいるお前たちこそ協力しろ。苦痛を訴えることを恥じるな! 存在を誇示することに怯えるな! 誰かがその一人目にならなければ永遠に今の境遇のままだ。この先に平等があることを信じろ!」

 それは彼女たちにしてみれば敵の弁でしかない。どんな言葉を選んでも届くはずはなかった。

《あなたがたはそれを信じればいい。だが手段を追求する権利は我々にもある。今は我々の時間だ》

 五人の覆面は散開し半円を描いてこちらを取り囲む。

「だからって暴力を振るっていいってことにはならないよ」

 彼女らの意思が揺るがないとわかっていても私は食い下がった。どうしても戦いたくない。絶対に嫌だ。

《同じ問答が必要なら何度でも応じる。あなたがたが〝自分たちは何も傷つけていない〟と本心から主張するのなら、自己欺瞞に満ちていると言わざるを得ない》

「いいじゃない。好きにさせたら」

 千爽は竹刀を五つ、人数分拾い集めている。覆面の攻撃姿勢に対し乗り気だ。相手と違いこちらの意思はまるで統一できていない。

「こっちも何度だって付き合ったげるわよ。本来私はあんたらと同じ側の立場だってのに、まったく嫌になるわ……。攫って囲んで襲ってってだけで気分悪いのに、何その被り物。文句があるなら直接言えばいいでしょうが。陰気で陰気で気分悪いっつーの。まったく、これだから文化部は。昼休みに私のとこ集まった奴もいるんじゃないでしょうね? っていうか絶対混じってるわよね、こんだけいれば」

 竹刀を抱えたまま、千爽は躊躇い無くスタスタと前へ出る。

「ダメ、手を出さないで!」

 千爽の腕に束ねられた竹刀が消え、一つ一つがバラバラに覆面の前へ飛ぶ。千爽がまるで悪役のようにほくそ笑むのが見えた。まさか負けるとは露ほどにも考えていないのだろう。文化部のヘナチョコたちには。

 それぞれの眼前に放たれた竹刀、彼女らはそれを払って落とし――脇へ跳んで――事も無げにかわして見せた。竹刀は虚しく空を切って床へ落ちる。

「は?」

 ぎょっとして硬直する千爽の周囲、一歩二歩のところに滑らかな足裁きで五人の覆面が集まり、私は固く瞼を閉じた。

 見たくなかった。傷つく親友も、彼女たちが何者かが語られるその一挙手一投足も。

 放送がきっかけで、ここでも機械音声が代表して話していたから勘違いしてしまいそうになるけれど、別に放送部の誰かがこの件の首謀者というわけじゃあない。匿名性を守る為に分担してできることをやっているだけのことだ。

 そしてその結束が文化部・運動部の枠を超えて繋がっているのはあの宙吊りをセッティングした人間がこの覆面の中にいるということからもわかる。機械音声は私がコーヘーを救出した手際を褒めたけれど、同程度のものを既に見ていたはずだ。

 この匿名の海の中には私たちを実力行使で制圧できる人材がいる。そうでなければこの場は罠として成立しない。私も千爽も校内で誰が束になろうと負けないレベルの無敵を誇っているわけではないのだから、激突すればこうなることはわかっていた。勝てない。戦いたくない一番大きな理由はシンプルなそれだ。

「キャ――いやっ……そんな!」

 打撃音に続き、千爽の動転した声を聞き異変と知って目を開ける。そこには押風くんがいた。千爽に覆い被さる形で千爽を守っている。

 押風くんは千爽に笑いかけようとしたようだったけれど、それは叶わなかった。私にとって今ここで最も見たくなかった、しっかりと型の取れた正拳突きが脇腹に深く突き刺さったからだ。苦悶に歪む。

 その場に崩れ落ちようとする押風くんと、それを抱いて支える千爽。始まったいくつもの追撃。私もコーヘーも駆け出してはいたけれど、とても間に合わない。

 一番大事なものはコーヘーで、その為に色々なことが犠牲になることは予想していた。覚悟していたつもりだった。なのに今は後悔している。私は信念なんて持てない。

 途中拾った竹刀を投げつけても出鱈目に飛んでいくだけで当たりはしなかったけれど、一つが千爽に届いたおかげで追撃だけは防ぐことができた。

「コーヘー!」

 顔を見合わせ、視線と指を振るブロックサインで行動を打ち合わせる。

 周囲からの攻撃を千爽が竹刀でいなしているところへ滑り込み、私は千爽、コーヘーが押風くんを抱き留める。

「どけえぇっ!」

 人垣の一端、さっき正拳突きを見せた覆面を睨んで吠えると、ぎこちなく動きが強張るのを私は見逃さなかった。運動部で最低の持久力しかない私でも一応は空手部である程度のイニシアチブを握っているつもりではいる。

 でもここではそれが影響したわけじゃあない。彼女を引かせたのは当人の罪悪感だ。どんな事情があろうと大勢で袋叩きにすることを前面肯定する人間は少なくとも空手部にはいないと信じたい。

 隙を突いて突破し、壇上から飛び下りて走る。が、状況は好転しない。その他の覆面たちが起き上がり始めていたせいで自然と包囲されてしまった。距離の近い覆面たちは私たちに気が付くと驚いた様子で離れて円に築いていき、壁は厚くなっていく。

 少しでも隙のある今のうちに逃げ出さなくては。コーヘーは不服だろうけれど、抱えている押風くんがぐったりとしている今なら従うはずだ。

「大丈夫? 助けに来たよお!」

 千爽が吹き飛ばした入口へ向け一歩踏み出すと、豊くんの巨体が脱出口を塞いだ。その後ろで腰にしがみつく形で美朱も隠れている。

 その美朱は気づいたようだけれど、豊くんは脇にいる覆面に気づかずドシドシと固い床を軋ませて前へ進み、こっちへ近づいてきた。仕方なく美朱もそれについて動き、いよいよ包囲は完成してしまった。

 美朱と豊くんの二人まで連れて逃げ出すことは不可能だ。かといって庇いながら戦うことも得策とは言えない。

「え、なんかマズかった?」

 豊くんは贅肉のせいで表情が動かないのでまるで動じていないように見える。一方美朱は充分理解しているようで辺りを見回しながらうろたえている。

「ホラ! だから先生が来るまで待たなきゃ危ないって言ったじゃん! でもほっとくわけにもいかないし、あー! もう、なんかされたらアンタ盾になれよ!」

「え、先生呼んだの?」

 こうなってしまうとそれもいいかもしれない。

「うん。旗センセのケータイに留守録とメールでここに来るように言っといた」

「旗先生に直接? ならよかった。ていうかアドレス知ってるんだ」

 まともな先生が来れば覆面たちの正体を暴こうとするはずなので厄介なことになる。その点旗先生なら心配ない。そんな面倒を引き受けるくらいなら見なかったことにするだろう。

「つーか、旗センセこれ見たら帰るんじゃね?」

 美朱も同じ予想にたどり着いた。つまり場はなにも好転しない。

「要らないでしょ別に。全員ぶちのめしてここから出てけばいいだけよ」

 千爽が今度は木刀を構え力んでいる。完全に頭に血が上っている。

 覆面たちは思い思いに道具を持ち直している。場所柄かバレーボールやバスケットボールが多いが、拾った竹刀を何人かがまともに構えているせいで余計に千爽の平常心が奪われているようだ。

「誰にそそのかされたのか知らないけど、死ぬほど根性叩き直してやる」

 千爽には悪いけれど、匿名の集まりであるからにはきっと自主的に参加しているはずだ。正常な判断力かどうかまではわからないけれど。

「お願いだからやめて。さっきので無謀だってわかったでしょ」

「だったら他にどうすんの。ここから血を見ずに済ます方法があるなら教えてよ」

 間近に見る千爽は眼を見開き鬼気迫る凄みを放っていた。挑んでもどうにもならないのはわかっているのに、どうして動き出せるのか。私は竦んでしまう。

「することは、することはあるよ」

 私は千爽の腕を掴んで抑えたまま首を振り返ってコーヘーを見た。

「ねえ、コーヘー。もう諦めようぜ。これは無理だったんだよ」

 豊くんの肩に押風くんを乗せていたコーヘーは目を丸くして驚きを見せた。この期に及んでそう言われるとはまったく思っていなかったのだろう。そういう奴だ。まるでブレがない。私とは違う。

《いいですね。ぜひ説得をお願いします。初めからそうしていればよかったんです》

 機械音声に応援されて目に涙が滲んだ。誰の味方かわからないくらい、私はブレまくっている。

「初めからなんて、そんなのやれるわけない」

 洞貫幸平。いつも近くにいるくせに何を考えているかわからない幼馴染。衰え知らずの行動力はけっして自分に正義があると信じているからではなく、疑問や不自然に対して大真面目に直面しようとしているだけだ。他人が有耶無耶で済ますところで立ち止まらない。

 昔を思い出す。「学校でうんこができるようになったぞ」と、そんな馬鹿馬鹿しい宣言を満面の笑みでする、そんなコーヘーと一度でいいから同じ景色を見てみたかった。それが今回も果たせない。

 コーヘーに自分は同等だと胸を張れる何かが私には無い。憧れが強いだけにいつも自分が惨めでならなかった。コーヘーは成し遂げるまで直進できる人間で、私はあっけなく諦めてしまう人間だ。畑ひとつ以上の差があるから、同じ場所にいるとはとても思えなかった。

「この状況は危険そのものだが、抵抗勢力と話ができる良いチャンスだと思うが? お前も今のままでは困るだろう」

 確かに私は困っている。いっそ諦められたらと思うけれども、今以上の自分を望んでもなれないのと同じで気持ち一つ違う別の自分にもなれなかった。

「胸の大きさで困るかなんて、そんなの自分じゃ決められないの。たった一人……大切な人にどう思われるかどうかってことだけが誰にだって唯一意味があるんだよ。どんなに自分で自信を持ってたって、どんなにその他大勢から褒められたって、そんなの全然意味無い」

「その大切な人物が、何者にも影響されない価値観を形成していると断言できるか? 現在の巨乳至上主義の社会の中で他者の眼を憚ることなくお前のことを見ると断言できるか?」

「そんなに胸のことばっかり気にされる関係なんて、例え付き合ってるとしても悲し過ぎるよ」

 それに関する悲劇については美朱から聞かされている。

「ああ、その誰かはきっとお前の様々な面を好きになるだろう。それができる人物でないなら選ぶべきではない。となると乳のサイズなどは些細な問題だ」

「だったら――」

「しかし! 『流行は巨乳だけど、個人的な好みも巨乳だけど、それはそれとしてお前のこと好きだよ』などと言われてお前は心から納得できるか? 無理だそんなことは。『この人私のこと好きって言ってくれるけど、胸の大きさについては我慢してるんだ』と意識が必ずついて回る。それでは駄目だ。風潮と価値観が破壊されなくては安心できない」

「違う、そうじゃない! 本当に好きならその人の何もかも好きになるんだよ。その人がとんでもない問題児だったり、おっぱいのことしか考えてなくっても、好きになっちゃったら、もう好きなんだよ。コンプレックス? それが何? 好きだったらそれくらい耐えられるに決まってる」

「耐えなければいけないこと自体が間違いだとなぜわからん。好きな相手の一部を欠点のように感じるなんて、それで正しいはずがない」

 どうして私はこんなわからず屋を選んでしまったのだろう。

《やはり言葉での説得は無理ですか。では》

 覆面の輪のあちこちからバレーボールが放たれた。いくつかは私と千爽とコーヘーで払い落としたけれど、ひとつが豊くんに命中する。

「大丈夫、大して痛くはない……けどちょっとおっかないねえ」

 豊くんの言う通りだ。いつまでも続けてられない。早くこの状況を打開しなければ。

「あー、もう! 旗センセ早く来てってば!」

 美朱が携帯電話に向かって怒鳴りつける。と、どこからか電子音が聞こえてきた。ピピピと鳴る、ごく普通の着信音だ。館内放送のスピーカーからではなく、覆面の輪の一部から聞こえてくる。

 よく見れば他より抜けて背の高い覆面がいて、慌てた様子で懐をゴソゴソといじると着信音は止まった。それを不審に見る美朱が携帯電話のボタンを押すと、また同じ人物から着信音が聞こえてくる。

「ああっ、んだよくそったれ!」

 忌々しげに舌打ちしながら覆面が床に脱ぎ捨てられると、やはり旗先生だった。紛れ込まれていた覆面たちは動揺し、声を出してざわつき彼から離れる。

「マナーモードの切り替えは忘れずに。やっぱり大事だな携帯電話マナー!」

「旗先生、なんでここに?」

「女子生徒たちが怪しい動きをしてるのはわかってたんでな。こっち側を手伝えば早く終わると思ったんだよ。洞貫、テメーしつこ過ぎるぞ! 暴力には屈しろよ危ないだろうが」

「それが教師のやることか!」

「生徒の身の安全を憂慮して何が悪いんだよ」

 旗先生の主張には呆れるばかりだけれど、これでようやく状況が変化した。

 例え当人が積極的に関わるつもりでなくても大人の眼がこの場にあることで匿名希望たちは行動を改めざるを得ない。

 でなければいっそ――。

「んがっ」

 怖れたそのままの行動が目の前で行われた。

 後ろから石膏像で殴られた旗先生が卒倒する。邪魔者が表れたのなら排除すればいい。シンプルな解決法だ。

「ええ、そんな!」

 先生さえ来れば解決する、美朱はそう思っていたようで悲鳴を上げた。

「こいつら、とっくにとことんまでやる覚悟で集まってんのよ。ほら、見てこれ」

 コーヘーの首を掴んで顔を見せつけると顎を引いて困り顔になる。

「だってそいつは犯人なんだからしょうがないじゃん」

「犯人って……一応言っとくけど、この連中は美朱のことも同じ目に遭わせるつもり――ってなんで今更驚いてんのよ。こっちがびっくりだわ」

「えーだって、あんた強いんだから私のこと一番に守ってよね!」

「自分の王子様がそっちにいるでしょうが。っていうか籏先生、あれ関わるの面倒だから気絶したフリしてるだけできっと意識あるよ」

「うわ! なにアレちょっとずつ外に動いてる。卑怯者! 無責任!」

 大騒ぎする美朱を陽動にして、私は素早く静かに駆け出した。籏先生に向かっているけれど、彼を目指しているわけじゃあない。狙いは彼の周りだけ薄くなった包囲網。そこをこじ開けることができれば、幸い壁の出入口にも近い。活路はそこだけだ。

 ついてこい。半身振り返って腕を振る。私の意図は伝わったようで、特に千爽の反応は早かった。

 さすが頼もしい私の親友。つい嬉しくなって頬が緩んでしまう。場違いな気持ちで前へ向きを戻した首に、何か固いものが激突した。

 白む視界で天地の感覚を失いながら、痛みに体を丸める。思えばあとに続いた千爽は私に何か訴えかけようとしていたようだった。

「筋の違う振る舞いをするな。恥を知れぃ!」

 降って来た怒号は、校長の声だった。よろめきながら起き上がると間違いなく校長の巨体が立ち塞がっている。

「何をする! 血迷ったか校長!」

「来たばっかりにしても状況見ればやっつける相手が違うのはわかるでしょうが!」

 周りにコーヘーや千爽が集まってきた。未だに目の前がチカチカするのが気になるばかりで何が起きたのか掴めない。

「大丈夫か? 血は出てないな」

「あー……とっさだったから自信ないけど、多分首捻って直撃避けた? から平気だと思う」

 顔と背中が痛むけれど、大して続くものではなかった。肌に熱も帯びていないのでこの分なら腫れずに済むだろう。

「つまり回避しなければ無事には済まなかったということか」

 コーヘーは眼差しと声色に直視すればたじろぐほどの迫力を纏った。正体不明に対して憤ることは多いコーヘーだけれどこうして怒っているところは見たことがない。私の為にそんな風に心を動かしてくれることが嬉しいのに、今は小さな感動に浸ってもいられなかった。

「待って、落ち着いて。まずは理由を聞こうぜ」

 コーヘーの腕にすがって立ち上り、校長を見上げる。聳え立つ仁王立ちは女子生徒を殴ったあととは思わせないほど堂々としていた。

「なぜ殴られたのか、その理由を説明して下さい」

「知れたこと、姑息極まる振る舞いを見れば手も出ようというもの」

「姑息?」

「なぜその問いかける姿勢を彼らに対した時にはやめてしまった? なぜ『助けてくれ』『出してくれ』と彼らに請い続けなかった? 通じる相手でないと言うならば、なぜ儂相手にはまた持ち出した? 懸命でいることを弁解にして無自覚でいるのならば言ってわからせてくれる。それは貴様が儂には敵わぬと思ったからよ。叩いて突破できるならば今もそうしておったはずだ。相手に対して姿勢を変える、これを姑息と呼ばずしてなんと呼ぶ。恥を知れぃ!」

 私は今回の騒動に際して会議を開いて話し合いで解決する道を選んだ。それを貫けということだろうか。

「その為に暴力を受け入れろということですか?」

「弁によって進む道を選んだのならば、弁を置いて他に屈してはならぬと心せよ。貴様は暴力に屈した。暴力から逃げ、暴力を選んだのだ。そのような者の言葉になど誰が耳を傾ける? 通じぬと知れば殴りかかってくるような者の言葉を、誰が心に受け止める!」

 潔癖な姿勢はコーヘーに近しいものを感じた。

「イヤイヤイヤイヤ! 教師が生徒に暴力を奮うのは問題なんじゃね?」

 私の代わりに食ってかかったのは美朱だ。

「なんか偉そうに語ってるけどアンタ生徒殴ったじゃん。指導なんて言い繕ったって、あとで絶対問題にすっからね!」

「承知の上! 言うまでもなく暴力を必要とする教育は未熟であろう。だが儂は真なる教育に未だ至らぬまさに未熟。であれば己が高潔である為に無欠の教育者と成るまでの期間、迷う者を成す術無く見捨て続けなければならぬのか? 否! 真理は問わぬ、正しさは求めず儂は動く。諸君らが己を律するためにそれが必要となるならば、儂は喜んで諸君らのトラウマと成ろう! 不埒な教育者として血塗れで地獄に落ちるを受容するとも!」

「は、ええっ? はぁ?」

 美朱は校長の言うことを理解しているわけではなさそうだけれど、とにかく迫力負けしている。

「先延ばしも許さないってわけですか」

「それは、儂よりもこの者らが許さんであろうて」

 周回しながら円陣を整えている覆面たち。私は彼女たちに暴力で立ち向かったが、それは薄い部分を狙って突きここから逃げようとしただけのことだ。また同じことをするなら今度は校長もろとも捻じ伏せなければならなくなった。到底できない。

 逆に彼女たちが継続する暴力については校長はきっと干渉しない。自分が殴られても抵抗はしないだろう。それが今回の騒動を起こした、校長を含む私たちの責任だからだ。その姿勢は見方によっては正しいとも言えると思う。

(……いいと思う)

 なにより私が校長に共感するところは、目的の為ならそんな正しさは掃き捨てる点だ。

 一度緩めた拳を握り、膝を溜めて校長を見上げる。今度は標的として。

「ご指導痛み入りました。でもごめんなさい」

 コーヘーを自由にする。それを今の私の標榜に掲げる。ずっとコーヘーの好きにさせて、いつか世の中のどこにもひっかかりを感じることがなくなったら、その時コーヘーは私のことを見てくれるかもしれないから。

「だから……これが私の徹頭徹尾!」

 私が飛び上がるより早く大きな拳が振ってくる。躊躇いが無いところまで予測通りだ。固く締まった小指を側面から裏拳で迎え撃って叩き、回転しながら床を蹴って跳ぶ。体勢が崩れて無防備になった首筋にたっぷり遠心力をつけた一撃を叩き込む――つもりが足刀は空を切った。

 服の裾をコーヘーに掴まれていた。引き戻す力で慣性が打ち消される。空中姿勢が崩れて受身を取れず床に叩きつけられる。

「もう! 邪魔しないで――」

 強かにぶつけた背中をさすりながら体を起こすと、コーヘーはワックスの板張りに額をこすり付けて頭を下げていた。

「すまん! この通りだ!」

「いや、痛かったけどそこまでしなくても――」

 言いかけたところでその謝罪が私に向けてのものでないと気が付く。

「お前たちの言い分はわかっているつもりだ。平等が実現すると信じられずその為の痛みも耐えがたいと思うのならば俺たちを黙らせようと考えるのは当然のこと。強引な手段に出たのもそれだけ想い強いからこそと理解する。だが、わかったうえで頼む。堪えてくれ! 地球上の全員に反対されても、俺は必ずこれを成し遂げなければならない。やめるわけにはいかない!」

 唖然とする。

 コーヘーが毎度騒動を起こす理由は当人の不理解に因るものだと思っていた。自分の目に入った問題が誰からも無関心に置かれている理由、表沙汰にすることを反対される理由、それらに納得がいかないからこそ、無神経に行動できるのだと。

「反対されるって……わかってるならどうしてやるの?」

 誰憚ることことなくぽんぽんと頭の中身を口にするコーヘーには珍しく、沈黙が生まれた。青褪めて見えるまでに思いつめた顔でじっと私を見つめる。

「それは……お前を幸せにしたいからだ。ナオ」

 また言葉を失った。コーヘーは続ける。

「お前は言った。お前が見込んだたった一人の相手だけがお前の価値を左右できると。『その他大勢』である俺はその閣議決定に関与できない」

 苦しげな顔をする。今日だけでも散々だったというのに、私は今ここで初めてコーヘーの辛そうな顔を見た気がした。

「どれだけ望んでも俺がお前を幸せにすることは不可能だ。それはお前が望むたった一人だけがすべきことだから。だが、お前は幸せにならなくてはならない。『俺が』そうしてやりたいと望んでいる。ならばどうすればいい? 俺になにができる? 考え抜いた結果、俺は世界中をお前にとって都合のいい形に変えると決めた」

 何を言っているのかよくわからない。けれども苦痛の表情から真剣であることだけは伝わった。

「なんでそんなこと……? なんで、オレのこと幸せにしたいなんて思うのよ」

「それは俺がお前のことを好きだからだ、ナオ。世の中に存在するお前を傷つけるものを一つ残らず見つけ出し、一つあまさず徹底的に叩いて平らにしなくては気が済まないほど、どうしようもないくらいお前を愛している。それができない俺は死ねばいい。だがどうか頼む、ナオ。俺に死ねとは言わないでくれ。今俺にこの生き方を『やめろ』と言うのはそれに等しいことだ」

 浸って、一瞬この状況を忘れてしまいそうになった。と思ったら実際数秒硬直していたようで、千爽に肩を叩かれてハッと気がついた。千爽は私が放心していると気づいて覚ましたかっただけらしく、眼は私でなくコーヘーを向いていた。

「じゃあなにさ大将、あんたは『自分が惚れた女が貧乳と悪く言われるのが許せない』ってだけの理由でこの大騒ぎを起こした。まとめるとこういうこと?」

 細めた目は嫌悪で持って目標を射抜いている。コーヘーはその当たりの機微を感じ取る情緒が無いので堂々としていた。

「騒ぎについては本意ではないが、要点は指摘の通りだ。今回に限らず俺はずっとそれだ。洞貫幸平は山切奈緒の為に行動する――そういう風に生きる生き物だ」

 強く肯定されても腑に落ちない。私が知っているのは自分勝手に暴走するコーヘーで、私を愛するコーヘーなんて知らない。全てを忘れ二人の世界に埋もれてしまうには不可解な点が多過ぎる。

「そんなの嘘! だってあんたが今までやってきたってことって、全然オレに関係ないもん! トイレの……自由な使い方のどの辺が私の為だったって言うの?」

 窮地に陥って苦しい言い逃れをしようとしている。そんな風に思い込むこともできなかった。それこそコーヘーらしくない。

 一方でそれを真実と受け止めて、諸手を挙げて歓迎したい気持ちもあった。今この状況でも、これよりも更に酷かったとしても、私には「コーヘーにどう思われているか」が最重要に大切な一つのことだ。

「いつ始まったという自覚は持たない。俺たちがいつから身近にいるのか、自分では記憶していないのと同様にな。俺の一生にはお前が不可欠、そんなことは今更検証の必要もないことだ」

 土下座を解いて正座に移ったコーヘーはいつもと変わらない大真面目で、嘘や冗談を言っているようにはとても見えなかった。そうした一種の知性からコーヘーは縁遠い。

「昔の俺は当然お前も同じ気持ちでいると思っていた。しかしそうではないと知ったのを〝自覚した時〟とするなら、それは小学校に上がった時だ」

 それはきっと、私も覚えているランドセルの色など男女分けに反発した最初の事件のことだ。

「男と女を別にしようとする働きが社会にあることを知った時、俺は死に物狂いで抵抗した。お前と離れ離れになるのが嫌だったからだ。だがお前は、そんな俺のことを不思議そうに見ていたな。心の底から恐怖したよ。俺とお前は違う個人だということを深く思い知らされた」

 当時の出来事をよくよく思い返してみれば、単に私と離れたくないと言っていただけのような気もしてきた。あやふやだけれど、当時6才のコーヘーにそれ以外なにができただろう。

「トイレの件は言うな。あれは女子用のトイレは全部個室だとは知らずに、お前が俺と同じように水をかけられたら困ると思ってやったことだ。途中で見たはずなんだが、我を忘れていて気付かなかった。まったく……なんだってそんなことを憶えているんだ」

 平等の為に戦う。それはコーヘーのライフワークで、だからその一つ一つの事件はコーヘーにとっては功績であり勝利というふうに私は認識していた。それが今、当人の口から行き当たりばったりであったかのように語られている。

「部活の備品を入れ替えたのは……私が文化部にいぢめられないように?」

「ああ、選択授業で茶道だとか書道だとかがあるだろ。その時になにか起きるかもしれないと不安だった」

 私への過保護の結果が数々の騒動だった。そういうことらしい。今回の件については改めて確認するまでも無い。騒ぎになる前にコーヘーは私のところにも貧乳の実害状況を聞き取りに来ている。

「こんなことは話し明かすだけ惨めな未練と執着だ。俺は何も『例え選ばれないとしても』と美しい無償の愛で尽くしているんじゃあない。鬱陶しいものを省き人生を不満なく満たすことでナオが誰かの手を必要とすることがなければ、いつか俺のことを見てくれる日が来るかもしれない。そう期待する下心あってのことだ。我が事ながら浅ましく陰険で吐き気がする。お前の言うように、畑一つの断絶を受け入れるべきだとわかってはいる。わかってはいるんだが」

 コーヘーが俯いているせいで視線は合わず、今どんな顔をしているかを見ることはできない。きっと苦しげにしていることは声音でわかる。その心を楽にする方法を知っているのに、私はただ黙って見下ろしていた。

(同じこと考えてたなんて)

 コーヘーが私のことで想い苦しんでいる、悩みを知ってゾクゾクと鳥肌を立て快感に酔いしれた。コーヘーが今味わっている、それ以上の後ろ暗さとわかっていながら私のほうは自己嫌悪は微塵も沸かない。コーヘーが迷っている、それだけの影響を与える人物が自分であることが――コーヘーにとって自分が〝その他大勢〟でないことが心の底から嬉しい。

《つまり山切さんがコンプレックスに苦しむことがなければあなたは大人しくなるということですか》

 疑いがどうだ状況がどうだと言ったところで、結局のところ私はお花畑の世界に浸っていたらしい。機械音声の言葉を聞いて覆面たちの気配が変わったことに気がつかなかった。

「そうだ。だがそれがむず――ぐっ」

《なら手伝ってあげます》

 コーヘーの顔面が床に激突する。後ろから腕を捻って押さえつけられていた。しっかりと肩関節が決まっていて、あれでは腕力に差があっても振り解けない。

 味方は他も同じような目に遭っていた。

 豊くんは取り囲まれ小さく手を挙げた格好で取り囲まれて、美朱はその肩によじ登り首にしがみ付いた。その弾みで豊くんの肩から落ちた押風くんを気にして、丸腰の千爽もすぐに羽交い絞めに拘束された。

「テメー、あっさり降参してんじゃねーよ! 男なら戦え!」

「無茶言わないでよぉ、僕は何の意外性も無い動けないデブなんだから」

 私だけが自由でいる理由はなにかと思えば、すぐに千爽も開放された。私のいる方へと背中を押されてつんのめり、周囲を睨む。

「なんだっつうの。私らだけ嬲り殺しにしようってんならいくらでもやったんぞ、オラ!」

 千爽はまだ盛んに猛っていて実力行使を続ける意思を残している。それほど判断力を失わせる原因になっているのは、頻繁に視線を送っている先にある押風くんに他ならない。私もコーヘーが人質に取られた時にはそうだった。

《万畳さん、山切さんを裸に剥いてください》

 機械音声の要求に耳を疑った。

《あるかもわからないコンプレックスを洞貫くんが気にするのなら、山切さんにはそれも覆い隠すくらい大きなトラウマをあげましょう。押風くんが納得するまで裸で町を練り歩いてもらいます》

「ハァ? アンタら馬鹿じゃねえの!」

 美朱が騒いだだけでざわつきは生まれなかった。機械音声の主が急な思い付きを言っているわけではなさそうだ。初めから計画されている。

《もう一度言います。万畳さん、山切さんを裸にしてください。それができたらあなたを含めて他の人たちは解放しましょう。ついて来て見物したいというのなら勝手ですが、その場合あなたも身元を隠したほうがいいでしょう》

 千爽の足元に、彼女たちと同じ覆面の衣装が投げ渡される。

《友人を裏切らせてあなたを試そうという意図はないです。我々は初めからあなたは仲間だと認識しています。どうしてもできないというのなら、仲間が代わります。あなたは見過ごすだけでいい》

 私は今からフルヌードでパレードをさせられるらしい。あまりに突拍子の無いことで唖然としてしまって反応することができずにいた。けれど千爽のほうは幾らか真剣に受け止めたようだ。顔色が蒼白になっている。

「これはさすがに見過ごせぬわ!」

 ずっと事態を見守っていた校長が動き出した。が、腕組みを解いたその途端に縦横から覆面に飛び掛かられて封じられる。翻弄されて一歩も前へ進むことができていない。最初に気付いた五人意外にも精鋭はいるようだった。

「やめろ! それはただの復讐だ! やり返したいなら矛先を俺以外に向けるな!」

 コーヘーも精一杯の抵抗をしている。両手足を何人もに押さえつけられ背中に乗られていながら、その連中が揺らいでバランスを失うほどにもがき続けている。その度金属バッドで打たれて元通り床に貼り付けになった。

《違います。あなたを痛めつけたところで意味がないことはもう理解しています。だから他を叩いておく、予防策です》

 目的なのか、手段なのか、コーヘーに罪悪感を植えつける狙いで言っている。

「わかった――やめる! もう二度とお前たちに関わる問題には手を付けない! だから、頼むやめてくれ!」

《追い詰められてやっと動く口先なんて信用できない。これはその為の保証です。自分の行動がどういう事態を招いたか、今度はそれを忘れるな》

 私に近付く千爽の足が重いのは見ていてわかる。

「ごめん、私は押風くんを助けたい」

 罪悪感は飛び火している。

「余計な抵抗はしないで。取っ組み合いになったらあんたは私に勝てないし、この状況じゃ他にどうすることもできない。そうでしょ。もう早く終わらせましょう」

 泣きそうな顔でそんなことを言う親友に嫌な感情を抱くはずがない。

 私は堪えられなくなって下を向いた。

「っぷ――ククク」

 抑え切れずに笑いがこぼれる。腹を手で押えて屈み込んでもダメだった。もうこれ以上は耐えていられない。

「ヒィー……あー、ごめんなさい。落ち着くまで待って。時間かかると思うけど。ぐふっ」

《今からストリップショーをするというのに頭でもおかしくなったんですか》

 無理もないけれど、全員の視線が私に集まっていた。千爽や校長までが捧立ちしている。機械音声や覆面は感情が読めないけれど全員怪訝な顔をしていることだろう。

 もちろん私は正常で、これは私にとって正常な反応だ。状況が状況だけになかなか実感できなかったけれど、やっと追いついてきた。笑いが止まらない。

「ほんと、ごめんなさい。もう振り返ってみたらこの言葉しかないわ、〝ごめんなさい〟」

《あなたが謝っても無駄です。止められません》

「いや、もういいんだって。だってもう終わってるから。終了! 全面解決、みなさんお疲れ様でした!」

「ねえあんた、なんでさっきから笑って……っていうかなんでそんなテンション高いの?」

 近くに来ていた千爽は心配そうにしている。誰もわからないらしい。今日は色々あったけれど、私にとってのトップニュースはコーヘーが私を「愛している」と言ったことだ。それ以外は何もかもが霞む。

「なんでって? だって嬉しかったら笑うでしょ。笑うしかないでしょ。あんたにもたくさん迷惑かけちゃったけど、ごめん、私今幸せいっぱいで申し訳ないとかいう気持ちになれっこないんだ」

 私は裾から制服の中へ手を入れて胸元を掴み、全力で引き裂いた。

「あ、あんた――それ!」

 目の前で千爽が叫ぶ。彼女が指差す先には制服を前へ押し出す立派な私のおっぱいがある。

 しばらく場が静止して、ショックから覚めるのは美朱と豊くんが早かった。

「あー、ボインだ」

「隠れ巨乳……つーかこの場合隠し巨乳?」

 そう、私はサラシで胸を潰し、バストサイズをごまかしてずっと過ごしきた。

 小学校に上がって初めて〝男女別〟に触れたコーヘーがごねた時、実を言うと私は私で〝女らしくなるとコーヘーと一緒にいられなくなる〟と思い込みショックを受けた。それが今の今まで癒えずに傷として残っていたのは、私がコーヘーを信じられていなかったからだ。いつか屈して差別を区別と受け入れてしまうんじゃないか、私のそばからいなくなってしまうんじゃないかと不安で仕方がなかった。

「なんだこんなケガ、さっさと晒して治しちゃえば良かった」

 コーヘーの気持ちがわかった以上痛みはもう無い。

「ねえコーヘー。ご覧の有様だけど、こんな私でもいい?」

「愛している」

 覆面たちが呆然とするあまりに拘束を免れたコーヘーは体を起こしながら力強く頷く。私が貧乳として非難されることへの怖れがコーヘーの原動力だったのだから、私の胸がこの通りだと知られた今となっては今回の活動が続くことはない。

「むしろ、より強く愛している。今までどうしても言うことができなかったが……俺は大きなおっぱいが好きだ!」

 いきなりのカミングアウトに笑顔が止まった。コーヘーを捕まえていた覆面たちがサッと離れる。

「はぁ?」

「違うんだ、聞いてくれナオ。俺はお前を心から愛している。だが、どうしてか、お前のおっぱいが小さいことだけは気になっていた。おかしいな、そんなはずないと何度自問自答しても返ってくる答えは同じなんだ。俺はどうしようもないくらいお前を愛しているのと同じように、大きなおっぱいのことも愛しているんだ!」

 なんのことはない。会議で例として出てきた「貧乳を我慢しながら私を好きでいる男」とはコーヘーのことだったらしい。

「あほくさ」

「俺は自分のそんな性分が憎くて溜まらなかった。のうのうと巨乳好きであることを公言する、クラスの男子たちが許せなかった。この巨乳偏重の現代の風潮さえ変われば俺も一緒に変化してまっとうにおっぱいの小さいお前を愛することができるかもしれない。今回活動を起こしたのはそういう狙いもあった。だが、お前のおっぱいが大きいとわかった今なんの問題も無いな! おっぱい会議も永久凍結だ! 巨乳偏重万歳! ハッハッハ!」

 高笑いするコーヘーにどう反応していいものか困る。

「ええっと、そういうことらしいけど……どうする?」

 コーヘーが活動を治めるのならもう私たちを閉じ込めておく理由はなくなった。にも関わらず覆面たちは殺気立ち、手に手に武器を持って近付いてくる。

「いやまあ……そりゃそうだよねえ。あーっもう! いい気分だったのに、ムシャクシャ解消しなくちゃ気が済まないのは私も同じ!」

 大きく息を吸い込んで両足を踏ん張る。

 サラシを解いて胸の閊えなく呼吸するのは学校では初めてのことだ。全力で体を動かすこと自体もう何年も無い。今は何もかもを、忘れたいことを積極的に忘れて自由を存分に堪能したい気分だった。

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