山を越えて

「あー、スッキリした!」

 伸びをして体を振るわせる。久しぶりに清々しい気分だ。

 かかってきた覆面たちを殴る蹴るして残らず返り討ちにして二階のバルコニーに引っ掛け終えると、満足して大きく息を吐く。もろともぶっ飛ばした校長も含めて全部で三十人くらいだろうか。

 放送室にいたはずの人員を始めほとんどは逃げ出してしまったが、それを追いかけてまでとっちめようというつもりはない。もう充分にスッキリした。奪われていた私の携帯電話も放送室で見つけた。

「ああ……そう言えば籏先生に逃げられたね。まあいいか、明日の楽しみにしよう」

 一息ついて振り返ると覆面がまだ一人残っていた。既に臨戦から心が離れていたので冷や汗が出たけれど、よくよく見ればこれは千爽だ。覆面のトンガリを掴んで引っこ抜くと唇を噛み締めて泣いていた。

「裏切り者ぉ……今日の許せないレコードがこれ以上更新されるとは思わなかった。しかもあんたに」

 恨み言は怨念に満ち満ちて握った両拳は下へ突っ張ってぷるぷる震えている。本当に悔しそうだ。

「今までずっと仲間みたいな胸しておいて、私が胸が大きくならないことで悩んでるって話を電話で一晩中聞かせた時も、あの時本心ではあざ笑ってたってことでしょう?」

「あれは引いた。だってこっちにはこっちの事情があったからさ。ほら、千爽だって私に『腹くくれ』って言ってくれたでしょ。これが私のピンクフリルってわけ。どう、似合う?」

「違和感しかないわこの背信者め。穢れた真実を晒すくらいなら一生着ぐるみでいればよかったのに。ちょっと、馴れ馴れしくこっちに近寄らないで。その目障りに膨らんだ異物のサイズの分だけ離れなさい。それがあんたと私の間に出来た壁の厚さで、私の心に出来た傷の深さと思い知れ」

「そこまで嫌われると本当にコーヘーに平等にしてもらったほうがいいんじゃないかって気がする。もうやらないだろうけど」

「簡単に許すわけない。第一、私があんたに腹くくれって言ったのはそんなののことじゃないんだから」

 口を尖らす千爽の目つきは和らぎ、刺々しい空気はいつの間にか失せていた。指差す先では後ろに手をついて脱力したコーヘーが私を見ている。言う通り、私の目標は嘘を告白することではなくそこだ。

「ほれ、行って来い」

「うん……ありがと」

 関係が変わってしまうのかと不安は強かったので千爽の反応は怖かったけれど、私は良い友達を持った。

「いいから行きなって。私は私で……あとであんたに相談に乗ってもらわないと、その、困るんだから」

 照れくさそうに早口で言って押風くんのほうへ駆けていく。

 私の親友は可愛い。とついニヤニヤして見ていたら振り返って睨まれてしまった。足元へ向けた指を回す動作は空手審判の〝逃避行為〟に対するジェスチャーだ。おっしゃる通り。

「あー大丈夫? ……って、大丈夫そうね。ほんと呆れるくらい頑丈だこと」

 近づいて声をかけると、コーヘーはハッと気が付き瞳に力を戻して自力で立ち上がった。訝しげにする様子を隠そうともしていない。

「なんというか……どうしようもなくどちら様感が漂うな。大歓迎だが」

「やー、それはまあしょうがないと思うけど。そんなにジロジロ見ないで」

「ああ、スマン。セクハラか。善処する」

「とりあえずここ出よう。人集まってくるかもしれないし。バルコニーの連中は校長もいるし、ほっといても旗先生が一番面倒が起こらないようにしてくれるでしょ。なんだかんだ言ったってあの人も当事者だもんね」

 連れ立って体育館の正面出入り口に移動すると、自然千爽と押風くんに合流する形になった。

「あっ、お疲れっス――ハァぁっ?」

 ダメージの影響かぼけっとしていた押風くんが私の胸を二度見して驚きの声を上げた。

「打ち身? なんスか、それなんて病気っスか?」

「はいはい、あんたはいいからさっさと保健室」

「いや違うんスよ? 俺は万畳さんのほうが――イデデ!」

「そういうこと言ってるわけじゃない!」

 千爽は肩を借していた押風くんをそのままの格好で締め上げる。これでは介助しているのか痛めつけているのかわからない。

「で、あんたら付き合うことにしたの?」

 唐突に、千爽が直球な質問をぶつけてきて飛び上がりそうになった。意地悪そうな顔をしている。ちょっとした仕返しのつもりだろう。

「いや、そういう話はここではまだでしょうが。そっちこそどうなのよ」

「ナァっ? それこそまだだっつーの。そういやあいつらどこ行った?」

 照れ隠しに赤くした顔を振って辺りを見回す。私の親友は可愛い。

 そういえば美朱と豊くんはどうしているだろう。先に体育館を出ていたようで中には見かけなかった。

 と、遠くを見れば建物の影からこちらの様子を伺う怪しい突起があった。美朱の乳と豊くんの腹だ。

「なんでそんな離れてるの」

「なんでってそりゃ、お邪魔しないほうがいいじゃん? 私らちょっと今活動してる部活回ってさっきのに参加してたメンバー特定してくっから。このあと反撃されたら嫌だかんね」

「あっ、それはやめて。特定はダメだよ。あの連中匿名のままにしとかないと引っ込みつけられなくなるから」

「わかってるって。どうせ全員が完全にわかるわけじゃないから、わざとらしく覗いて回って表向き調査した感じで黙っとけば、一応連中の弱味にもなるし『こっちはこれ以上騒ぐつもりが無い』っていうアピールにもなるじゃん? 平和の為の抑止力ってやつ」

「もう、そんな物騒な備えなんか要らないってば。また襲いかかってきたら光の速さで殴ればいいんだから」

「アンタらはそれでいいだろね」

「いやいやいや、私をこんな化け物と一緒にしないでよね」

 横から口を挟んだ千爽の言いように傷つく。どちらかといえば千爽の神業染みた曲芸のほうが人間離れしていると思う。

「えー、ひどいー。ずっと我慢してたから、ちょっとハメを外しただけなのに」

「あんたが外れてんのは〝桁〟よ」

「ハイハイ、ハメようがなにしようが好きにしてちょーだい。私は自分で身を守れるようにしたいし、毒殺されるあんたらなんか見たくないってワケ。……んじゃあこれでどう? 私は友達を作りに行ってきます。あの子たちと、仲良くなんの」

 にんまり企み顔で笑う美朱が本当に友好的な態度で彼女たちと接するかは大いに疑わしい。しかし隣のコーヘーは満足そうにうんうんと感慨深げに頷いていた。

「ナオが虐げられる少数派で無いとわかった今となっては限りなく重要度が低いものの、両派が調和の意思を持つことはとりあえず良いことだ。この流れは歓迎すべきことじゃないか?」

「ああもう、そうねーホントソウネー」

 あれこれ気にしているのは私だけなのかもしれない。そう思うと途端に心配は徒労に思えてめげた。

 それに、美朱自身が表面的にでもこれだけ楽しそうにしているのに水を差すのは心苦しかった。今日会議を始めた時の仏頂面からすれば驚くべき変化だ。

 もう、美朱が無茶をするようなら止めてくれるだろうという期待で豊くんに責任を押し付けてしまおう。

「んじゃま、行ってくるからまた明日ねー」

「ばいばーい。末永く爆発しろー」

 二人を見送り手を振る腕に力が入らない。今日はもう元気を使い切ってしまった。千爽には悪いけれどコーヘーとのことは後日に見送ろう。

「なあ、豊が言った『爆発しろ』とはどういう意味だ?」

 私が疲労感に支配されている間、コーヘーが押風くんに質問をしていた。

「ああ、『リア充爆発しろ』って、ネットスラングっスよ」

 コーヘーの眉間に皺が寄るのに気が付いてももう遅い。

「〝リア充〟はネットにしか居場所がないと思ってる連中が現実で楽しんでる人間がネットに入ってくるのを嫌って『リアルで充分楽しめるのにこっち来るな』って言ったのが転じて、今ではほとんどの場合カップルとか彼女・彼氏持ちを指す言葉になってるっス。爆発しろってのは言葉のまんま妬みの――」

 私が止める前に押風くんの講釈はコーヘーによって遮られた。襟首を掴む手は憤りでワナワナと震え、見開いた眼で凄む距離と圧力で押風くんを見据えている。

「それならばさっきの豊は誤解していただけにしても、いつかナオがどこかの馬の骨と結ばれた時、イカレたネット民族に爆破される危険があるということか?」

「いやそれはものの例えで……」

「同等の悪意を向けられるということだろうが!」

 あまりの剣幕に押風くんは舌を引っ込めてしまった。これでなにもかもが振り出しに戻った気がする。

「ほら来た、どうするボインの幼馴染」

 千爽に解決を促されて頭を抱える。

「えーっとお……じゃあまず会議を検証して、カップルに回したアンケートを集計した結果を検証して……っていうかこの馬鹿私のこと全然気付いてないし、ってもう――」

《いい加減にしろ!》

 千爽と声が重なって、前後からコーヘーに拳がめり込む。

 白目を剥いて昏倒するコーヘーを見て、最初からこうしていればよかっただけの、何もかもが骨折り損に思えてうんざりした。



 家に帰ってゆっくりお湯に浸かると体のあちこちに痣が浮き出てきた。興奮状態から冷めてみれば現れた痛みとは逆に、今日一日の出来事が夢だったかのように思える。

「って言うかそう思いたい……なんかとんでもないことしたような」

 今まで意識して男っぽく振る舞ってはきたけれど、今日のはただの狼藉者だ。

「それに次からどうやって顔合わせたらいいんだよー」

 お湯を掬ってぱちゃぱちゃ顔に浴びせる。顔が水温より熱く感じるのはのぼせているせいとは違う。

「こっちの片想いだと思ってたのに向こうも片想い? あいつわけわかんない」

 自分も螺子くれていることはよくよくわかってはいるけれど、今はどちらにも向き合う気力が無い。

「じーちゃーん、軟膏借りるねー」

 風呂を出て着替え、夕焼けで赤く染まる畑に出ている祖父に声をかける。

 家でだけゆったりしていられたこの状態で、明日からは学校でも過ごせるその点だけは気が楽になる。さすがに下着はつけないといけないだろうけれど。

 自室に戻ってストレッチで体を伸ばしながら祖父特製の軟膏を痣に塗り込んでいると携帯電話が鳴った。表示を確かめてから通話ボタンを押す。千爽からだ。

「今日はお疲れ様。どうしたの? はあ……コーヘーなら家に放り込んできたけど。ううん、まだ話してない。いや多分今もまだ失神してるって。無理やり起こしてから告白しろってこと? 私どこの王子様なのよそれ」

 電話口の向こうの声が陰気にぶちぶちと恨めしい調子で続いているのは、きっとそのまま愚痴を言いたいだけのことで、私はそれに付き合うのも楽しく感じられた。

 そう感じているのは私だけの気のせいかもしれないけれど、千爽と以前よりも気持ちよく胸の内を晒し合える気がした。

「ああそうだ、私下着買いに行かなきゃいけないんだよ。ブラジャーの数が足りなくって。慣れてないし一緒してくんない? 美朱も誘ってさー。え? だったらあんたも買えばいいじゃん。押風くん用に色っぽいスポーツブラ。アハハ、ごめんごめん。えっ! なにあんた、もうデートの約束してるの? はやっ! 尻軽っ! ……冗談だってば、怒らないでよ」

 今日一日だけでも随分苦労した気はするけれど、私の前には乗り越えなければならない本命がまだ残っている。その山に挑戦する心の準備が出来上がるのを待つ間に、多分コーヘーはまた次の問題を起こす。その堂々巡りの中で私は追いつけるのだろうか。

「いやー、付き合ってもないのに、それはキツイでしょー。オムツ締めて並んでた相手に下着を見立ててもらうってだけでなんかわけわかんないし。そうそう、幼馴染だからね。畑一つ間にあるけど。えー、いやいやオムツはしてないサラシだけだって」

 ――オオオオォォァアアア――

 突然聞き慣れた声の雄叫びが聞こえて、窓を開けて外を眺めた。何事かを確認して、一度離した携帯電話を耳元へ戻す。

「ああいや、なんでもない。ただ思ったより早くなりそうってだけの話」

 開け放たれた隣家の二階窓と、畑に突き立った物干し竿と下半身。高速で動く私の王子様も対面速度になれば一瞬で接触できるかもしれない。

「わーお……ごめんちょっと行ってくる。フリルが喪服になりそう!」

 早速すれ違ってしまわない為に、動転して鍬を構え飛来物に近寄っていく祖父よりも早く、私は一つ目の行動を急がなければならなかった。

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過剰正義はおっぱいについて問う 福本丸太 @sifu

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