休戦
糖分の頂を目指すことを教義に置いた宗教施設〝シュガーまみれ〟は学校近くに位置することから放課後には同じ制服の女子生徒でいつも賑わう、はずなのだけれど、今日に限ってはがらんと空いてしまっていた。みんな入り口あたりでこちらを見つけるなり足の向きを戻して通学路に復帰して行く。
ピンクハウスで着飾ったフリフリのまんまるい店長が表を見て不思議そうに首を傾げるのはこれでもう三度目で、私はいい加減に申し訳なさでここに居辛くなってきた。
「ねえ、せめてもうちょっと店の奥に入らない?」
そして布でも被って隠れていよう、というところまで提案したいのが本音だ。学校関係者ではないシュガーまみれ店長は知らないから歓迎してくれるけれど、この席は不穏過ぎる。
「はぁ? 何でよ。ここでまたなにに気を遣わなきゃいけないっての」
バニラアイスを陶製のスプーンで掬う、向かいの千爽は険悪な声で唸った。休み時間の度に会いに行って話しかけたものの、放課後の今もまるで機嫌は直らなかった。まだ怒っている。
「ただ甘いもの食べに来ただけなんだからどこに座ったっていいでしょうが。それとも何? 奥に進んだら男子がいて二回戦開始とかそいういう趣向なわけ? 私がもう会議に参加しないと思って、あんたそんな卑怯な――」
「ないないそんなことしない! ごめんってば、もういいから食べててよ」
必死で否定するとどうにか立ち上がりかけた千爽は腰を戻した。一度下ろしたスプーンを手に取って口へ運ぶと、一瞬で顔が緩んで笑顔になる。この可愛さがあるから千爽の親友はやめられない。
千爽はこのシュガーまみれの全メニューを大喜びで制覇するレベルの大甘党だ。
「うん、おいしー」
今日のことを怒ってはいるけれどこうしてシュガーまみれについて来てくれた。奢る約束をしたからだとしてもあとで費用だけ請求してもよかったはずで、トッピングは全盛りでなくハチミツ・チョコレートのソースハーフだけと手加減もしてくれている。あんなことがあったというのに関係はまだ断絶には至っていないとわかって安心した。
「あんたらさあ……よく平気でそんなの食べられるね」
丸くて白いテーブルには椅子がもうひとつ。座っているのは菊水さんだ。信じられない、といった顔でテーブルの上に届いている注文の品々を眺めていた。
目の前にはチョコパウダーがけの甘みたっぷりパウンドケーキがある。千爽には及ばないけれど私も甘党だ。というより、学校の女子はほとんどシュガーまみれびいきという認識で間違っていないと思う。
「あれ、菊水さんって甘いもの苦手?」
「いやフツーにチョー好きだけど……カロリー気になんないの?」
「肉になる前に燃やし尽くせばいい」
にこにこ顔の千爽の返事に同調して頷くと菊水さんはますます呆れ顔になった。
「そういやあんたら体育会系だっけ。で、今日部活はサボり?」
「まあ、そういうことになっちゃうかな」
反論はできない。部活に不熱心というわけではないのだけれど今日ばかりは休んだ。
とにかく千爽の精神ゲージを回復させないことには剣道部内に死傷者が出るのは間違いなく、隣の空手部にも――というより私目掛けて何か飛んできそうだったからだ。武道場には木刀があるので非常に危ない。
「いいなあ。アタシ体動かすと胸が痛くってさあ」
確かに菊水さんの場合、例えば剣道の胴を身に付けるにも不都合がある。
だがなぜここでまたその話題を出すのか。千爽のつるつるの眉間に浅く皺が寄るのを見て、自分の口へ入れるつもりでいたスプーンの行き先を千爽のほうへやることにした。
「はいアーン」
千爽は反射的に食いつき、たちまち表情が和らいだ。皺も消える。私の親友は可愛い。
これと同じことを会議の時にもできたらよかった。あの時にも豊くんが持ち込んだお菓子がたくさんありはしたものの、千爽の瞑想を解いてまで試す勇気がなかった。
今この様子を見ながら振り返れば、やっておけばよかったかなと落胆する。いや、ひとまず落ち着いている今と違って興奮の最中にあったあの時では「馬鹿にするな」と火に油だっただろう。
「アンタたち仲良いね」
菊水さんはつまらなそうにフンと鼻を鳴らして自分の前に置かれたコップを手に取って口へ運んだ。
あ、と気がつく。
「それ水じゃないよ。ガムシロップ」
注意は遅かった。菊水さんは体を捻って下を向き激しく咽ている。粘液なのでたくさん喉に入ったということはないにしてもびっくりしたに違いない。席に座るだけでシロップがまるで水のようにコップに注がれ運ばれるこの店のルールに私たちは慣れているけれど、菊水さんはどうやら初めてらしかった。
「なにこの店、チョーありえないんだケド!」
「え、なにあんた、ここ来たことないの?」
千爽は驚き、菊水さんは涙目の無言で頷く。
男子と一緒に過ごすことが多い菊水さんには来る機会がなかったとしても不自然じゃない。この店で見かける男と言えば彼女に付き合わされたカップルの彼氏さんを除けば豊くんと、あとは店長だけだ。
新たに注文したフルーツジュースに菊水さんは恐る恐る口をつけ、罠でないと分かると少量口に含んで飲み干した。それでようやく咳が落ち着く。
「あー……ちょっと気管のほうに入った。っていうかなに、もしかして水は超高い別料金とか、そういう仕組みで儲かってる店なワケ?」
疑いの眼差しが夕方で髭が存在を主張し始めている店長へ向けられる。
「この店、カロリーが無い物は出てこないの」
「なんちゅー変な店。なんであんたらフツーに適応してるの」
「え、なに?」
キャラメルコートされたポテトチップをシロップに浸して口へ持っていくと、千爽はうっとり頬をピンクに染めて小さく唇を開いて何度も何度も受け入れては頬を膨らませていく。
こうしておけば菊水さんに絡むようなこともない、と心配をしているわけでもないけれど、千爽が幸せそうで可愛いので続けている。
「それとこの店のルールはもうひとつ、ここでは辛いものとしょっぱいものの話は厳禁ね。じゃないとつまみ出されるから」
「酸っぱいのはいいワケ?」
「恋の味だからいいんだってさ」
「ワケわかんねー」
そうやって呆れて見せながらも菊水さんは席を立たずにいる。
千爽とは約束していたけれど、また揉めないとも限らない菊水さんを誘うつもりまではなかった。それがここでこうしている理由は下校時昇降口で見かけた彼女に挨拶して帰ろうとすると、菊水さんのほうからそれまで楽しそうに話していた男子たちを振り切って私たちについて来たからだった。
てっきり千爽にちょっかいをかけて弄ぶつもりなのだと警戒もしたのに、どうやらそういうわけでもないらしい。
(もしかして、菊水さんって……)
ふと、気になって質問してみることにした。
「ねえ、菊水さんはどうしてあの会議に参加したの?」
「どうしてって、あんたが私を誘ったんでしょうが」
それはきっかけでしかない。第一断ることもできたのに、あっさり「いーけど」と答えた理由があるはずだ。あの場の不快さは女子ならば誰でも身に染みることで、予想もできた。いつでも出て行けた彼女が最後までそうしなかった理由はなんだろう。
もし貧乳派を叩き潰す狙いがあるのなら、今ここで千爽や私がお菓子を食べるところを大人しく眺めていたりはしない。
「それを言うならアンタこそなんでよ」
「え? ……だって司会進行だし」
千爽に問い返されて面食らった。
「洞貫くんが引き下がらないっていうんなら、卒業するまでずっとボコボコにし続けたらいいだけでしょ。幼馴染だろうと、本気で縁を切ろうと思ったらできないわけない」
縁が切れるまでボコボコにする。さらりと挙げられた恐ろしい提案はその気になれば実行できたことだ。千爽にとっても。
「言っとくけど、私がそれをやらずにあんな邪悪な会合の拷問に耐えたのはあんたとの美しい友情の為だからね。自分で言うけど、私は友情に厚いから今後も懲りずに最後まで付き合うから、そのつもりでいなさい。結果が期待通りかは約束できないけど」
じんとくるほど千爽の言葉が頼もしい。
「だからそっちももうちょっと私に対して真摯になってくれたっていいんじゃない? どうして洞貫くんに協力するのか、その理由を話して」
どうしてあんな会議を開いたのかについては最中でも一度怒られたけれど、それは迷惑を被ったからだけじゃあなかったのかもしれない。友達として打ち明けなかった、それを怒っていたのかもしれない。
「え、あのバカと付き合ってるからじゃねーの?」
当たり前のことのように菊水さんが言うのを聞いて思わずスプーンを落とした。
「えっ、ちょ――はぁ? 何言ってんのバッカじゃねバッカじゃね」
自分が何を口走っているのか把握できない。動揺を自覚してはいても抑えられそうになかった。体が熱くなり手や顔から汗が吹き出て、シュガーまみれに来て摂取したカロリーが一気に熱に変わっているようだった。
「だってあんたらいっつも一緒にいるじゃん。付き合ってないならなに、あんたの片思い? ウケる」
「はぁー? だから、はぁー?」
私の心情とは対極的に、千爽は冷淡なまでに落ち着き払っていた。背筋を伸ばして腕組みし、ほとんど閉じているような薄目で私を見ている。私の返事を待っている。
照れている場合じゃあない。今は誠意を返す時だと思ったけれど、胸中をそのまま言葉にしようとすれば口はたちまち強張って思うように動かず、体温はますます上がった。
「か――勘弁してください……」
ようやく言えたのはそれだけだった。わかっている。私とコーヘーの埋まらない距離、畑ひとつ分は何よりまず私の意気地の無さだ。
「ふーん……ま、よしとしましょう」
千爽は鼻息をふんと吹いてから笑い、髪がぐしゃぐしゃになるまで私の頭を乱暴に撫でた。
「そんな事情でもないと、あんなめんどくさいのに付き合う義理ないってね」
「あのさ……散々迷惑かけといてなんだけど、いくら千爽でもコーヘーのこと悪く言うのやめてくれる? 腹立つから、一応」
まだ体温は上がったままでつい早口になってしまうけれど、するつもりのなかった情報公開を経て私は少し素直になれたように思えた。手放した平常心は永遠に戻ってこないのではという不安はあるけれど。
「これは贔屓目かもしれないけど、あいつが騒動起こしたあとはちょっと良いことがあるって、ちょっとだけ期待してるんだ」
昔あった「学校でのうんこ騒動」の時は鎮静化したあと、なぜか私のところに匿名でいくつか感謝の手紙が寄せられた。胃腸が弱い生徒にとっては大変な助けになったらしい。個人的にも馬鹿馬鹿しい風習がなくなってよかったと思う。
「ちゃんと最後まで付き合ってあげるわよ。そうしたらあんたのカレシがどうにかしてくれるんでしょ?」
「カレシじゃないけど……」
逆に言えばなにか良い風にまとまらないことには収拾をつけようがない。この状況ではそれを奇跡と呼ぶのかもしれないけれど。
「え、なんで? さっさと付き合っちゃえばいいじゃん。あんたらいつも一緒にいるんだからあとは一線越えるかどうかだけっしょ」
あっけらかんと菊水さんは言う。まだそこに食いついてくるか。
「そんな、言われるほど一緒にいるかな。今はクラスも違うし」
特別そんなつもりはない。思い返してみようとも思ったけれど、今コーヘーのことを考えるのは照れが出てしまって駄目だ。
「とにかく今はそういう話をする時じゃないから」
「そお? 誰が誰を好きって、それだけでいーんじゃね? あんなアンケートなんてチョーどーでもいいじゃん。誰がどんなおっぱいを好きなんて知ったこっちゃねーっつーの、ほっとけっつーの。大事なのは好きなオトコが自分を見てるかどうかじゃん?」
反論が無い。心から菊水さんに賛同する。でもそれではコーヘーは納得しない。
「そこら辺どうなの? あんたのカレシはビョードーみたいなこと言ってるけどサ、実際あいつどっちが好きなん? んで、好みが巨乳だったらあんた諦めんの?」
「コーヘーが何考えてるかなんて……わかんないから」
憶えている限り一番古いコーヘーの起こした騒動は小学校に上がってからの「男子と女子が混ざって遊ぶとからかわれる」という風習に対しての戦いだ。あれでコーヘーが勝っていなければ私たちは今ほど自然には一緒にいられなかったかもしれない。
といってもそもそもあの戦いのせいで私とコーヘーの間で〝異性〟としての線は曖昧になっている。
私の気持ちをコーヘーが受け入れてくれたとして、関係が変われば今までの自分ではいられない。変化に耐えられるだろうか。コーヘーは許容するだろうか。
自問にかまけて放心している間に場は妙なことになっていた。
三人、男子がこのシュガーまみれに入ってきている。かといってテーブルを選んでどこかへ座るでもなく、近くへ来て立ち止まった。
「なー、こんなとこでなにやってんの?」
菊水さんの知り合いらしい。顔くらいは見たことがある。いずれにしろ、こんな所というなら彼らのほうがこのシュガーまみれには不似合いだ。
「なんかくだらねーことに巻き込まれたんだって?」
本当にくだらないと思う。菊水さんには気の毒なことになっているとも思う。それでも今は申し訳ない気分にはなれなかった。
(なに、コイツら)
馴れ馴れしい態度と無遠慮な視線が不快だ。
「困ってんなら言ってくれりゃいいのに」
菊水さんに話しながら横目で私や千爽を見る彼らのにやつきが、彼ら自身もまたコーヘーが引き起こした騒動の延長であると予感させる。備えておいたほうがよさそうだ。
目配せしようとすると、千爽は冷ややかな半眼を何も無い真正面へ投げていた。眼に宿る凄みから計れば心構えは充分以上にできているようだ。触れらば落とすとカウンターを狙っている。
これはこれでマズい。これがコーヘーの起こした騒動から続く問題なら、なんとかしなくては。
「えーと! 何の用? 何か頼む?」
貼り付けた愛想笑いで武装する。
「あ? うっせーよ貧乳」
鉄骨の軋む音を聞いたような気がした。昔家族旅行で乗ったフェリーで夜中に客室を抜け出し聞いた船体の軋む音。その時の不安を蘇えらせるそれが正常にしろ幻聴にしろ超常にしろ、発生元は千爽だと確信できる。
「しょうもないことで他人巻き込んでんじゃねえよ貧乳。お前らが女としての魅力で菊水に敵うわけねーだろ? おい、なんだよ。目も合わせられないのか? そんなに罪悪感あるなら最初からやるんじゃねーよ!」
目の前の相手をまっすぐに見返さない理由はもちろん気圧されているからじゃあない。隣で余程危険な殺気を放っている千爽を監視する為だ。彼らの人生に幕が下りようと構わないけれど、千爽を犯罪者にするわけにはいかない。
(それに貧乳なせいで絡まれて暴力事件、なんて聞いたらコーヘーがますます使命感に燃えちゃう)
それが一番の理由でであることは千爽に対して申し訳なく思う。
「ったく……こんなんなら、あのデブのほうが百倍マシだっつーの」
嘆息を聞いて注意が千爽から逸れた。ぼやきに聞こえる言葉を吐くのは菊水さんで、彼女が顔を歪めて辛そうにする様子が不似合いに思えて胸に刺さった。
そしてすぐに、次の衝撃に襲われた。
菊水さんがテーブルのコップを掴みその中身を男子に浴びせつけた。
「なにすんだよ!」
「うっせ。女子会の邪魔すんな」
強気な行動とは裏腹な涙目で更に驚かされた。
これには男子たちも怯んだようだ。彼らにしてみれば菊水さんに加勢するつもりでここに来たのだろうから、このあべこべの対応はさぞ心外だろう。こっちも驚いて、自分の怒りも忘れ目を丸くする千爽と顔を見合わせた。
「んだよ! ワッケわかんねえ! つーかなんだこれ、甘ぇ!」
男子たちは怒って出て行き、店内には静寂が戻った。痛いくらいに静かだ。少しすれば居心地の悪さから菊水さんは席を立ってしまうかもしれない。
「ねえ、あなたも何か頼まない? ――美朱」
テーブルに手を置いてもうほとんど腰を浮かせていた菊水さん、いや――美朱はぽかんと口を開けてその脱力のまま重力に従い再び着席する。
会議に参加したこと、ここシュガーまみれについて来たこと、男子たちを追い払ったこと。多分、彼女は友達が欲しかったんだと思う。
「ね、一緒に食べようよ。奢るし」
「えっと、ああそうね……」
差し出したメニュー表で顔を隠す美朱は耳まで赤くなっているけれど、私も同じようなザマになっていると思う。顔が熱い。本当には親しみ深くない相手を名前を呼んだ思い切りのせいと、自分がひどくかっこつけた振る舞いをしているような気がして恥ずかしかった。
「初心者なら2甘くらいがいいんじゃない?」
千爽も話に加わり三人でメニューを吟味する。私たちは全て頭に入っているのでメニュー表は必要無い。
今後進行役として例の会議を動かすうえで、親しい素振りで参加者に近づくのは偽善を越えて卑劣と言えるかもしれない。けれど誰かにそれについて責められたら「それとは無関係」と胸を張って言おう。
なぜなら新しく友達ができた今のこの時間は、ただただ楽しいひとときだった。
◇
男子との悶着が怖かったらしくカウンターの裏で(とてもとてもスケールの大きな)小動物のように震えていた店長から掃除用具を借りてシロップをぶちまけた床を掃除し終える頃には美朱の赤面は納まっていた。
でもそれは落ち着いたからではなくて、これから話すことが気持ちを落ち込ませるせいだと物憂げな顔つきを見ていてわかった。
「会議のことだけど、アタシにも色々思うことはあるワケよ。あんたらとはまた違う悩みがサ。あんたら、あたしの第一印象どんなだった?」
「胸のでかい馬鹿女」
横を向いて足を組みツンとした顔で千爽が言う。容赦の無い物言いだけれど私にしてもそれと大差はない。
「そんなもんだしょ」
美朱はそれを聞いて寂しさを匂わせる弱々しさで笑った。
「それが第一印象ってもんだからしょうがないけどサ。デブがなにやってたってデブなように、あたしがどんな人間でも特徴は胸のデカさから変わらないんだ。そりゃ女の魅力としては大きいのかもしんないけど、そこから先なんにも見てもらえないってのは、正直しんどいよ」
彼女の胸に釣られて近づいてくる男は、つまりそれ自体を目的としているのならその他は余計なおまけとして関心は完結している。事実がそうでないとしても美朱はそのことでずっと悩んでいるんだろう。
「バッカじゃないの。そんなんで寄ってくる男なんかどうせロクなもんじゃないんだから、全部袖にしちゃえばいいでしょうが。ハーレム願望でもあるの?」
千爽が吐き捨てるように言い、美朱もムッとした顔で食ってかかる。
「だから私はまだ処女だっつーの。一応好意で近づいてくる相手に冷たくできるほどあたし強くないっつーの。他に選ぶ相手いないし」
二人が言い合っているせいでまたカウンターに隠れた店長を可哀想に思いながらも、意識しても表情を抑えきれなくなってきた。やり取りを見ていると顔が綻んでしまう。
確かに言い争っている様は会議の時と何も変わらないけれど、今はずっと素直な態度で二人とも接している。巨乳と貧乳という看板を取り払った個人として。
「女子と仲良くすりゃいいでしょうが」
「近づいて来ないんだからしょうがないじゃん」
「あんたから寄っていきゃいいでしょうが」
「んなコトできないっつーの。思春期ナメんな」
「今日はできたでしょうが」
ぎょっとした顔で美朱の反論が止まる。沈黙の間に千爽は組んでいた足を解き正面に向き直る。
「仲良くできてるでしょうが。ねえ、美朱?」
「なフっ」
更にもう一段仰天した美朱は目を剥き椅子に背を預けて体を引く。千爽にもニヤニヤ笑いが出始めた。
「他にいないんじゃあしょうがない、私たちが友達になってあげようじゃないの」
「……こっちにだって選ぶ権利くらいあるっつーの」
「選んでここに来てるのに、あんたはまずそれを認めなさいよ」
言葉は変わらず刺々しいけれど憎悪は無い。美朱の隠しきれない照れ顔がそれを証明している。
「アンタ、性格悪いね」
「そっちに合わせてあげてんのよ。感謝なさい」
ただでさえ他人を理解しその心を慮ることは困難なことでありながら、決定的に違う特徴を持った二人が友情を築こうとしている。これを見せるだけでコーヘーを納得させる決定的な論証になるんじゃないだろうか。そう確信するまでには至らない程度にこのふたりは不器用でへそ曲がりだけれど、私にとってはたまらなく愛しいというだけで価値のある光景だった。
◇
「お、やってるねえ」
私たちが店に入って以来初めてちゃんとした客が現われた。私たちに気付いても臆することなく桃色の店内へ踏み込んでくる。それもそのはず、豊くんだ。
「1ポンドシュガー、ロックで」
カウンター席に着くなり発した注文を聞いて私と千爽は揃って首を傾げメニュー表を覗き込んだものの、豊くんが頼んだ注文はどこにも書かれていない。相当な常連らしいので、いわゆる裏メニューというやつだろうか。
すぐに運ばれてきた皿を見て目を疑った。大きな角砂糖が丸々乗っている。砂糖ひとつまみではなく、ひと掴み(・・・・)といった有様だ。
「なるほど、ロックね。見事にカタマリだわ、うひぇー」
大の甘党の千爽もあれにはついていけないようで顔を引きつらせている。
料理(と呼んでいいか疑わしいもの)を運んできた店長は常連の登場を喜んで復活している。
「いつもならマシュマロに包んで食べるくせに、知り合いの女の子が見てるからってカッコつけちゃって、マンちゃんも男の子なのねえ?」
「やめてよ店長、そういうこと言うの。僕はカロリーと添い遂げると決めた男だよ」
からかわれた豊くんは動揺している。店長によるとあれは「異性を意識してカッコつけた注文」になるらしいけれど、私たちにしてみれば異文化にきょとんとする他ない。
「美朱、あれ挑戦してきたら?」
「ないわー。っていうか、『マンちゃん』って」
「さすが年間パスユーザー。ヒドい」
「あの二人顔似てない? ここが自分ん家とかそういうやつ?」
「あれはある程度太ったら誰でもおんなじ風になる、宿命の顔でしょ」
好き放題言われているけれど当人はどこ吹く風で器用にスライスした砂糖をご満悦で頬張っている。
「豊くん、そういう裏メニューって他にどういうのがあるの?」
「焼いて焦げ目を付けた砂糖のステーキと焙って刻んだ砂糖のタタキと砂糖のラードフォンデュがあるよ」
聞いているだけで明日の食欲まで持っていかれそうだ。
「裏メニューって言うか、店長の創作意欲を刺激すればテキトーに言った注文でも作ってくれるよ。これもそうだし」
「いや、それ創作してないでしょ。砂糖のまんまだし」
「ねえ、どうせならあんたもこっち来て食べたらいいじゃん」
美朱が豊くんに声をかけた。さすが男子慣れしている、と千爽は驚いたようだったけれど私はちっとも意外には思わない。豊くんは自分のナイト様だ。
「僕はこっちでいいよ。僕、普通の椅子には座れないから」
彼のお尻の下にあるのは椅子ではなく公園の入り口にあるような〝車止め〟に似た金属のバーだった。見ればカウンター席はみんなそれと同じものになっている。豊くんのように〝大柄〟というより〝小兵〟な客向けの特別シートなのだろう。
「ああ、そういや会議の時もパイプ椅子二つ並べて座ってたっけ。二つに割れてるから左右一個ずつって? オケツに優しいね」
下品だけれど、千爽の物言いがおかしくて私と美朱は声を上げて笑った。
「ふたりは部活どうしたの? 空手と剣道だよね。やっぱり女子部員とギスギスするから休んだ? 僕がそうなんだけど」
「あれ、豊くんって部活入ってるの?」
横で千爽と美朱が「相撲部」「どすこい」と呟いたのを聞いて吹き出しそうになるのを堪える。笑ったら豊くんに悪い。因みにうちの学校に相撲部は無い。
「演劇部、の裏方。ほとんど女子だからねえ。表立ってなにがどうってことはないんだけど……普段通りのグループで固まらないというか、みんなそれぞれ様子を窺って当たらず触らずわざと孤立しようとしてるような気がしたかなあ」
それは私も感じていたことだ。やはり校内は緊張状態にあるらしい。証言者が甘味を食べ食べ笑顔で話すせいで危機感は生まれづらいけれど。
「あれ、部活入ってるなら、コーヘーが運動部と文化部の備品入れ替えた事件には巻き込まれなかったの?」
「ああ、なかったよ。うちって元々色んなものが置いてあるからねえ。他所の部から借りるようなことも多いし。何を入れ替えたらいいか困ったんじゃない?」
徹底しないのはコーヘーらしくない気がするけれど、一応納得する。
「僕がおっぱい会議に参加してるのは知られてるし、急ぎの力仕事も無いから早めに切り上げて抜けてきたんだあ」
「それは間違っている!」
方々に迷惑をかけていると改めて罪悪感に浸っていると、馴染んだ声が鼓膜を叩いた。
うわあ、出た。
「お前たちは間違っている! なぜ周囲の反応に気を遣い衝突を避けて遠ざかろうとするのか? 取り組め! そうやって逃げていてはいつまで経っても苦しいままだぞ!」
声色に憤りを標準装備の、よく通る声がシュガーまみれ店内に響き渡って店長はまたまたカウンターに隠れた。
「息を潜めていれば危機は去り状況は改善するか? しない。消極は何も救わない。黙っていても貧乳に対する世間の評価が向上することも無ければ、お前の胸が膨らむことは夢にもあり得ない!」
じっと眼を見て力説された千爽がいきり立って立ち上がろうとするのを口にシロップを流し込んで阻止する。が、あっさり飲み干されただけで実力行使に及ばざるを得なくなった。
「それで、一体何が言いたいの?」
コーヘーには千爽が発破をかけなくては動かないほど臆病な、扇動しなければ諦めそうなほど卑屈な被害者に見えているのだろうか。今こうして力いっぱい押さえつけていなければ暴れだすほどの猛威を発揮しているというのに。
「思うままに振る舞えと言っている。直ちに学校へと戻り部活動に励むといい。己を曲げるまでに外聞に耳を傾けても甲斐は無い! どこの誰がお前たちの何を妨害すると言うんだ? そんな者はどこにもいない。お前たちが自由の名の下に確立された一個人であるからには、そうでなくてはならない!」
いつもいつでも言葉だけは力強い。同調できるわけではないけれど、提案自体には賛成できた。
「じゃあそうしようか」
千爽から途轍もないプレッシャーを感じて直視できない。部活を中止して彼女をここへ連れて来ておきながら態度を変えるのは後ろめたくはあるけれど、心苦しくはない。なぜならこの転換はけっして利己的な動機からではないからだ。
「美朱、部活見学してみない?」
入学後に選ばなかったのだから、何かきっかけでもなければ美朱はこのまま部活動に所属しないまま卒業するだろう。もちろんそれが実りの無い学校生活だとは言わないけれど、寂しさを感じているのならそれを解決する友達作りの場にはできるんじゃないだろうか。
「はぁ、なんで今?」
当の美朱は不思議そうな顔をする。面倒くさそうですらあった。
今の学校がとても友達作りどころではない緊張状態だと知っていれば無理もない反応だ。今暢気にお菓子(もしくは糖分そのもの)を食べているのもそれを避けたからだけれど、だがやはりそれは逃げなのだろう。コーヘーに言われて今更立ち向かいたい気持ちが起きている。
この騒動で学校に居辛くなるようなら、コーヘーの心配する差別や不和が本当にあると認めることと等しい。
理由はもう一つ、少し腹が立ってきた。
ネットで珍事でも漁るかのようなスタンスでニヤついて傍観する男子。被害者面をしてまとまった女子。全員で当たり前に「そんなことは無い」と口を揃えていたらコーヘーが要らない正義感を滾らせる隙も無かった。
コーヘーを止められなかった責任を無視して堂々としていられる立場でもないけれど、今がどういう状況であれ友達の為にできることがあるなら上等じゃないだろうか。
「ね、やってみようよ」
何かを打倒すればそれで解決する爽快な戦場とは異なる魔界へと変貌した我らが学び舎で、そこに存在するものを〝敵〟と呼びたくはない。けれどもし子供らしい友達づくりという試みや楽しみを満喫させまいとする無意味な偏見があるのなら、それを叩き潰すのに遠慮はしない。
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