真夜中に風は吹く。

草詩

赤い夜がやってくる

 その日の夜に会いたい、と彼女は言った。それがどういう意味を持つのか、わかったうえで。


 僕は聞き返すことが出来なかった。彼女がどういうつもりでそれを口にしたのか。

気まぐれだったのかもしれない。言ってみただけだったのかもしれない。


 でも、その目を見ていたから。僕は聞き返すことも、承諾することも、断ることも出来なかったのだ。ああ、本気なんだ。その内に光る覚悟を見て、そう思った。

 そしてこの時、僕の運命も決まったのだ。彼女がそのつもりなら、僕が迷うわけにはいかない。


 だから僕は準備をしたんだ。その日のために。



「キゴの実30? おいおい、ちゃんとご主人様に確認してんだろうね。あとで間違いでしたって言われても困るぜ。なにせ今夜はあの日だ。俺も早めに引き上げちまうからな」


 店主は怪訝そうにしていたが、きっちり30個のキゴの実を用意してくれた。黒ずんだ独特の殻に包まれたキゴの実は手のひらに三つは乗るだろう小ささではあったが、一つ一つが結構重い。


 主人はいつも使っている紙袋ではなく、丈夫な箱を敷いた袋二つに分けて渡してくれた。口調とは裏腹にできる店主のようだった。


「重いから気を付けな。腕がすっぽ抜けちまったら大変だ」


 僕が礼を述べて代金を払うと、店主は上機嫌に歯を見せて笑っていた。金歯が見える。なかなか稼いでいるようだ。


 これで準備が整った。食料や寝具も用心して防水シートで包み込んでからしまった。すべて彼女のための準備だ。今夜、その成果が試される。



「本当に、来てくれたんだ君。今夜が何の日かわかってる?」


 僕は黙って頷いた。彼女は少し困ったかのように眉を曲げ、それでも口元は嬉しそうに、小さくはにかんだ。


「ありがとう。さぁ、いきましょう? この目で見るのは初めてだから緊張するわ」


 悪いけれど、彼女がそれを直接見ることは叶わない。僕は彼女の手をとり、そっと、来た道を先導していった。暗くなった周囲に街灯はなく、ただただ闇が深い夜道だ。


 両脇の家々は固く門扉を閉ざし、窓を覆うように鉄扉がつけられている。皆、今夜何が起こるのかをはっきりとは知らないのだ。


 彼女は暗くなった道に足をとられないよう、ゆっくりと。そして薄らと見える周囲の様子を物珍しそうに見ていた。


「ここは、初めて会った中央橋よね。どうしてここに? ここなら……痛くないのかしら」


 戸惑う彼女の手は震えていた。やはり、今夜何があるのか彼女は知らないのだろう。とはいえ、多分彼女の想像は間違っていないのだ。何の対策もなく立ち会えば、それは等しく死を伴うものなのだから。


 曰く、満月の夜は悪魔が通る――。

 曰く、月夜の晩は恐ろしい暴風雨が吹く――。

 曰く、赤き夜に出会えば何人なんぴとにも死が訪れるであろう――。


 ただの迷信と莫迦にした者は等しく、文字通り死でもって結果を手にしている。だから準備をしてきたのだ。彼女を死なせないために。


「ここに入るの?」


 彼女を、用意してきた箱に僕は仕舞い込んだ。これは大事な箱だ。彼女はそれ以上に大事だ。だからきっと、守ってくれる。

 用意してきた荷物も一緒に入れ、僕は蓋をしっかりと閉じた。箱の一部、透明な箇所に手をついて、彼女がこちらを見て首を傾げている。


「あなたは?」


 僕はそれには答えず、キゴの実の使い方を教える。そうこうしているうちにうす暗く、影のようにしか見えなくなっていた家々の先が明るく、点々と光を灯し始めていた。


 彼女もそれに気づいたのか、そちらを見上げ目を見開いて。思ってもみなかった光景なのだろう、口も開いたまま固まってしまっていた。


「……綺麗」


 空に瞬く光は赤と白。そして地響きと共にやってくる大量のが、僕には見えていた。彼女は赤と白の空に夢中だったが、地響きに遅れて気づき、不安そうにこちらを見る。だから僕は身を低くし、衝撃に備えるようにとだけ伝えた。


 すぐに何も聞こえなくなった。


 衝撃に身構えていた身体は、強烈な勢いに軋みをあげる。予想よりも到達は早く、あっと思った時には僕も彼女の入った箱も、その濁流に呑み込まれていた。


 大丈夫。大丈夫。僕は必死に彼女に呼びかける。そして、僕の意識もそこで途切れ――。



「おいおい嘘だろう。こりゃ、女の子が入ってるぞ」

「ああ、本当だ。艦内排水機構に街を作った奴らがいるとは聞いていたが、これは生きてるのか?」


「どうだか。いくら救命ポッドに入っていたって言ってもこんな小型じゃ空気が」

「いや、見てみろ。こりゃ気泡カプセルだ。錆びついて表面は黒いけど間違いない。考えたなこの子。おおーい医療ロボットをまわしてくれ」


「こっちの作業ロボットはどうする?」

「腕が抜けてるしもうだめだろ。この子のだろうけど。待てよ、液晶に何か文字が出てるぞ。これは、この子の名前か?」


 周囲のそんな声を聴き取り、僕の機能は終わりを告げた。きっと安心したから、気が抜けたんだと思う。もう大丈夫。


 あの日彼女が何を思ったのだとしても。

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真夜中に風は吹く。 草詩 @sousinagi

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