蛇足的 -追章-


* * *


「これでよかったんじゃないか」


 それから数年経った、ある夏の日の午後のことだ。気になって、山の様子を見に来た島野に、隣の風変りな友人が、そう声を掛けた。目深にかぶった麦わら帽子の下から、虹色の鱗が日光に反射して、虹色の光を放った。2人は、山ふもとの駄菓子屋の軒先にいる。

 

 ガラス戸の代わりに、二重にかかったすだれに守られた店内は、適度に暗く、風も通って涼しい。『かき氷』の小さな暖簾が、ひらりと揺れると、風鈴も合わせて、チリン、と鳴った。



「そうかな」


 島野は、いつかの季節とはうって変わって、黒いリュックサックに白いシャツ一枚の軽装である。


 客足の途絶えた店先に立ち、誰かを待つでもないのに、焼け付く日差しに耐えて、往来を眺めている。対して彼の友人は、ほっそりとした体形で、サマーベストなんて爽やかなものを着ているせいで、ずいぶんと対照的な二人に見えた。


 しかし、友人はもとい、こんな暑さには耐性が無い。早々に、島野の隣からは撤退し、さっきから、地下水の引かれた水樽の前、じっとりと冷えた暗がりの中から、ぴくりとも動こうとしない。


 縦長に開いた瞳孔を煌めかせ、島野の友人は、長い舌をちろちろと出し入れしては、体内の熱を逃がそうとしている。幸いなことに店の人間は奥に引っ込んで、風物の野球中継に夢中な様子。友人は言った。



「それにしても珍しいよね。大樹が心残り、だなんて云うからさ。あんまり後悔とか、しないタイプだと思ってたよ」


 遠くで歌う、賑やかなセミの声を聴きながら、島野は頬を伝う汗を、首から垂らしたタオルで拭った。


「僕は結局、自分をどっちかに、重ねてたんだよ。はなからそれは、間違っていたんだけど」


 そう言って島野は、のそのそと軒先から戻ってくると、友人の隣の椅子に、ずしりと腰を下ろした。水樽の近くには、冷えた葛饅頭とラムネの置かれた桶が、同じく澄んだ地下水をたたえて、並んでいる。


 島野は興味の視線を向けたが、れっきとした売り物である。すぐに視線を友人の方へ戻した。


 友人は、柔らかな皮膚をしている顔の右半分を見せて笑顔を浮かべると、静かに言葉を返した。


「君は、君以外の何ものにも、成れない宿命さ。似ているものはたくさん見つけるだろうけど、それは ”似ている” だけで、”同じ” じゃない。君は越境者だろう? 矜持を持てよ」



 島野は、その夜空のような瞳で、まじまじと友人を見つめる。



「そんなことを言ってくれるのは君くらいだ。ありがたいよ」


 友人は片方の眉をわずかにあげて、どんな皮肉だ?という顔をした。島野は、両手を不安げに擦り合わせると、足りない言葉を探した。



「僕の存在の意味を、ときどき考える。自由意思なんてもの、あんまり信じないけど。でも、僕は少なくとも自分が気儘に行動しているものと、思っている。でも同時に僕は、自分が、ある大きな目的や結果のための、単なる ”道具” のような気もしている。  


 あらゆる境を超えて、定まるところの知らない僕だけど、それなりの価値観や、行動指針のようなものは、有るんだ。それを上手く、言い表すことが出来ない。折にふれて、言葉にしようとしているし、相応しい言葉を、探しもしているけどね」


 島野がまじめな様子なので、友人も思案して、こんな言葉を返す。


「ボクらのような半端者が、糧にするのはまず、何らかの信仰だと、ボクは以前から思っていてね。それがまさか、君にも当てはまるなんて、思いもしなかったけど。

 

 でも、君の存在の異様さはさ、少なくとも、知ってる奴等にとっては、大いなる意思の一端か、存在するなら ”神” の悪戯か、と思うんだ。それは恐怖であり、畏怖であり、尽きない興味の対象であり、思考を放棄してしまえば、"何でもなくも" 有り得る存在。


 ボクはね、君が感じている違和感を、生涯、直接に知ることはできないだろうけど、いつも君が、君の望みの為に忠実であってくれることを、望むよ。だって無気力や、諦めなんて面白くないだろう? 君は常々、自分が創造者であるというじゃないか」


 島野は、友人の背中を軽く叩いて、感謝の気持ちをこめると、今回の来訪の理由を、ようやく口にした。


 「僕は少し、意地になっていたことを、後悔してるんだ。人間になりたいと願ったその矢先、蒸留した魂が、神々しい輝きを放っていたら、僕はどうしたら良かったのかって。だって僕は、羨ましい、と思ったんだ。そうやって引き留められることも、心残りを断てないほど深く、関りある立場も、僕には一生、望めないだろうからね」


「それで?」


 友人がうった相槌に、島野は頷き、ことさら悔しそうに続けた。



「腹が立ったんだ。自分自身にも、五十鈴神にも、その周りの取り巻きにも、全員に僕は、腹を立てた。神として残りたいなら、僕の労苦はいったい何だったんだ。面倒な思いをしたのは僕だけで、事態はまるで改善されない。それが、今回の結果なのかと思ったら、まるで頭の中に小さな稲妻が落ちたような気がして、僕はすぐに『次、何をすればいいか』に、気付いた」


 島野はそう言って、ジェスチャーで、自分がやったことを再現する。友人はその身振りを見て、聞いた話を思い返す。


「神の魂と、人間の魂の違いとか、その話か? いや、神に魂は無いんだったか」


 島野は頷く。


「そうだよ、神に魂なんてない。でも、存在しえた。人間の魂を創ろうとして、失敗したのが、ほんとうだけど。人の魂はね、みんなどこかが、削れてる。そして別の生物に生まれ変わるには、何かの心残りも、引き留める想いも、無い方がいい。


 でも僕はそんなこと、ついこの間まで知りもしない。なのに、あのときはそれが出来たんだ。怖かったよ、エノダ。僕はいったい何を考えていたんだろう? 手が勝手に動いたり、気が付いたら、見たことも無い場所を目指して歩き出していたり、そんなことばっかりだ。


 だけど、それと僕の感情が無関係だなんてことは、いつもない。今回のことも、神様に憧れる僕のことだから、いわゆる、嫉妬のためだったのかなって、思うんだ。本当に必要不可欠なことだったか、って訊かれたら、いまの僕は全然、自信が持てない。


 出来ることが増えたって何だ? その分だけ、罪深いだけじゃないか。他人には出来ないことが出来る? それは単に、自分の行動の一つ一つに取り返しのつかない重責と、理解できない結果が付いて回る、ということじゃないか。 


 僕はそもそも、なんでこんなに悩まなきゃならない? 毎回毎回、新しい ”正しさ” を探して四苦八苦、どうして既にある規律ルール通りに、事が進まないんだ。僕の見ている世界のほうが、おかしい気がしてくるよ。僕はただ、できることなら何もかも自然に、収めたいのに」


 島野が雄弁な時ほど、本当は、ひどく落ち込んでいるからだと、友人は知っている。彼は、大きな島野の背に腕を伸ばし、その肩を引き寄せた。



「いいか、大樹。ボクは何と言われても、君の兄貴役さ。生物学者がボクのことを、蛇人間だと分類しても、ボクは君の相談役であり、人として暮らす限り、保護者として接しよう。そしてボクが見る限り君は、途中で責任を投げたりする ”人間” じゃない。


 理解できないといっても、どこかで君は、それが何であるのか、”感付いて” いる。僕らみたいなのも、色んな事に ”感づいて” 生きているのさ。今回のことで、何か文句を言われたのか。依頼人から、予定と違う、とでも言われたかい?」



 島野は首を振った。大きく、首を振った。そもそも依頼されたのは、鬼退治だけだったのだ。それ以上のことをやったのは、島野の判断だった。



「僕はまた、やりすぎたんだ。望まれたこと、だったかもしれない。でも、それを叶えるかどうかは、僕が決めれば良かった。だから間違いなく僕は、"勝手に" やりすぎたんだ。


 ねぇエノダ、僕は神様だか鬼だか、よく分からないものを創ってしまったんだけど、大丈夫だろうか」


 口にしてようやく気付いたのか、突如よぎった不安に、島野は回転していた思考を止めた。友人は、困惑したように瞳を細めたが、それは用語の定義が、不鮮明なせいだった。


「大樹、でも君は新しい山神を創ったんだろう? 何と呼ばれようとも、そうした役割を担う存在を創っただけだ。だったら何が問題なんだ」


 島野は友人の言葉の意味を考え、ぱくぱくと空呼吸をしたのち、ぐっと言葉を吐きだした。


「役割と本質は違う。役割だけで、その存在を語れるなら、そんなものは生きものじゃない」


「でも、神は ”生きもの” じゃないだろう? 魂が無くとも存在できるものは生きものじゃないって、君が言ったんじゃないか」



 友人の言うことは、もっともだった。しかし、過去の自分はともかく、今の自分は釈然としない。もやもやとする胸の辺りをさすって、島野は言った。


「僕は、神様じゃないけど、ほんとの意味では、生きていないのかもしれない、って思う」


 今度は友人の方が、本気で驚いた。


「大樹がかい? 君は生きているよ。心臓だって動いてるし、赤い血も流れてる。意外なほど、よく泣くしね。落ち込みついでとはいえ、なんてことを言うんだ」


 そう言って鼓舞するように、友人は島野の肩を揺すった。


「これだけは言える。君がひとつのことに関わりすぎると、間違いなく本当に、、いいことじゃないだろう」


 そう言って、片目をつぶった友人の顔を間近に見返し、そこに共通の経験、過去の出来事を思い出した島野は、気を取り直して、背筋を伸ばした。


「分かったよ、エノダ。僕は先に進もう。くよくよしても、ここに答えは無いだろうから」


「いい調子だ。さ、そうと決まったら何か食べよう。何がいい?」



「え、いや…じゃあ甘いものがいいな」



 二人はそう言って、店の奥に入っていく。この二人の話は、またの機会にあらためよう。

 

 


 

***



 その同じ頃、この山のふもとの街で、小さな産声があがった。


 道端でうずくまっていた一人の女性。若い彼女が病院へ運ばれたとき、まさか妊婦だとは、誰も思わなかった。


 父親を知らないその子は、寿美子すみこと名付けられ、しばらくは実母によって育てられた。だが後に、ある事情のため養子に出される。


 彼女にはあらゆるものがいたが、頑なに口を閉ざし、代わりに手話と表情で、会話することを選んだ。



 『かんざさの滝』へと、続く。





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鬼と山神: 鬼神の生まれる日 ミーシャ @rus

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