9:01「打開策」
始業のベルが鳴った。
先ほどの喧騒が嘘かのように静かで、ペンが走る音だけが響く。
思いついた打開案は、皆が集中している授業中でしかおそらく成功しない。ただ、必ずしも成功するわけではないし、かなりリスキーだった。
問題点はまだある。
最も大きい障害は、マッパーマンが協力してくれるのか。そして、私がそれを頼めるのかということだった。
いや、利害は一致している。
だからこそ、私は―――。
(どうした?)
蒸されるようなロッカーの中、マッパーマンの言葉で我に返る。
(小刻みに震えているではないか。トイレでも我慢しているのか?)
(……お前にはデリカシーがないのか。いや、すまない。聞くまでもなくなかった)
こんなヤツの身を案じるなんて、私もどうかしている。マッパーマンはどうしようもない変態。情けをかける必要なんてない。
(さて、授業が始まってしまったわけだ)
(……そう、ね)
(では、そろそろこのロッカーから抜け出すとしようではないか)
おもわず耳を疑った。
(ばっ……! なにを考えているっ。今の状況でだれにも見つからずに出ていくのは不可能だ……!)
(そうだな。だが、いつまでもここにいるのはキミにとってリスキーだ。そうだろう?)
それは、たしかにそうだ。時間が経てば経つほど見つかるリスクが高まる。
(なら、俺が囮になろう。先にロッカーから出て時間を稼ごう。そして、教壇に上り『マッパーダンス』を決め皆の視線が集中しているあいだにキミは教室を出る。ミスディレクションというやつだな。教室を出てしまえば、授業中の廊下は手薄。楽に移動できるはずだ)
私は驚いて、言葉が出なかった。マッパーマンの提案が私の考えた打開策とほぼ一緒だったからだ。
私は隠れ場所を変えることができるし、マッパーマンは裸を見せることができる。それぞれが目的を果たせる。幼気な中学生たちに変態のトラウマを植えつけかねない可能性に目を瞑れば、悪くない案だと思う。
(準備はいいか? タイミングを合わせて行動するぞ)
だけど、なぜだろう。
(
マッパーマンは私が露出仲間だと思っているから協力してくれているだけだ。結果的に騙すことになる。
(
だが同時に、頭のなかのもう一方から声がする。これはマッパーマンが勝手に言いだして、勝手に行動すること。良心の呵責なんてする必要はない、と。
思考と感情が絡み合うだけ絡まって、答えが出ない。全身からイヤな汗が噴きだす。
(
(ダメッ!)
ぎゅっと腕に力を入れて、マッパーマンを止める。
私はなにをしているのだろう。
せっかくのチャンスを。
こちらが気に病む必要はないはずなのに。
そのはずなのに。
体が、勝手に動いてしまった。
(お願い。お願いだから、行かないで……)
今も手に力がこもってしまう。
でも、どんなに力を入れても、手の隙間からすり抜けてしまいそうで、指が震えた。
自分の傷ついた正義感が疼いて、しかたなかった。
―――なんでこんなことになってしまったんだろう、と。
―――きっと誰も幸せにならない、と。
―――お前はまた取り返しのつかないことをするのか、と。
(……大丈夫か?)
また、マッパーマンの言葉で我に返った。
(ご、ごめんなさい)
意図せず裸でマッパーマンを抱きしめる形となっていることに気がつく。慌てて力を抜いた。
(……)
(……)
気まずい。
互いになにも言わない。生徒たちのペンが走る音だけが響く。時間だけが過ぎていく。
この静寂を先に破ったのはマッパーマンのほうだった。
(……なぁ)
(な、なに?)
(足の位置をすこし変えたい。いいか?)
(え、ああ。うん……)
とくに考えずに頷いてしまった。身動きが取れないので、結局我慢するしかない。
(……ん、っ……)
内ももを撫でるような、くすぐるような感覚。それが止むまで、ただ待った。
(……。すまなかったな)
足の動きが止まって、マッパーマンはそう言った。
(さっきは急ぎすぎた。すまない)
ちくり―――と、胸が痛んだ。
今回のことに関しては、マッパーマンが謝る必要はない。私が意気地なしで、一歩を踏み出せなかった。ただそれだけ。マッパーマンを悪いやつにしたかったわけではない。だから、謝らないでほしかった。
(考えてみれば、急ぎすぎずともまだ希望はある)
(えっ?)
(移動教室だ)
マッパーマンの言葉にハッとする。
そうだ。その可能性を忘れていた。日数的には移動教室がない日のほうが少ない。ただ、問題はそれがいつ来るのかということだった。
(四限目の次には給食、そのあとは昼休みを挟み清掃になる。清掃が始まれば学内に隠れる場所がなくなる。昼休みが始まれば人目が多くなって足止めを食らう。給食を早食いしたものから昼休みに突入できるから、実質のタイムリミットは給食前半……四限終了時が『12:30』だから、時計にして『1:00』あたりまでだな)
マッパーマンは今の状況を的確に説明する。
(ただ、それまでに移動教室があるとは限らない。覚悟はしておくことだ)
私は頷く。
いざという時にさっきみたいなことにならないように、と釘を刺されたのだ。
(ねぇ、私からもひとついい?)
今度は私から口を開く。
もしかしたら訊いてはいけないことかもしれない。けど、聞いておきたかった。
(マッパーマンって、ここの卒業生?)
肌に伝わるマッパーマンの鼓動が、すこし早まった気がした。
目を覚ますと教室で裸だった私の冒険 柳人人人(やなぎ・ひとみ) @a_yanagi
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