潮騒

私は「A-23」室

処刑室に居た。


私、契約の麻酔看護師、矯正所医師、そして管理部門のE・D、

他、数人の看守が私たち見守っている。万が一のために銃は

ホルスターから抜いている。


囚人は手術台に寝かされて胸、腰、膝、足首をナイロンバンドで固定されている。

彼の腕だけがシーツから出た添え木に乗せられ、6本の注射針が動脈へ点滴液を流し込んでいる。そこから延びたチューブは途中で分岐し、<送出装置>と呼ばれる致死薬装置へと伸びている。

私がサインをし、E・Dが用意した薬液だ。


医師はそこで初めて、席を移動し入ってきた矯正所所長と入れかわる。

所長は囚人に最後の声をかける。

「ミスター、何かいう事はありますか?」

「ありません」

所長は頷き、医師に場所を譲り、そのまま部屋を出ていく。


まるで、完全な儀式だ。

それが何の儀式なのかは何度見ても分からないが。


私は上の部屋からこの処刑室を眺めている12人の立ち合い者と証人を見上げる。


そして、E・Dが声を上げる。

「緑点灯!」

彼の機械が動き出し、薬液を流し込む準備が始まる。


1分後

「ワン!」

E・Dの声が聞こえる。

が、私に囚人は見えない。

医師と共に、衝立の裏で心電計を見ているからだった。


1分後

「ツー!」

再度E・Dの声が聞こえる。しかし、これは別に言う必要はないのだ。

全て彼の機械がやってくれているからだ。

薬液は囚人の肉体に流れ込まれている。

ただ、いまだ、心電計は正常な曲線、鼓動も正常だ。


そして1分後

「スリー!」

E・Dの声だ。コレを言うためのツーなのだ。

一分後

心電計は変化を始める。曲線から振動へ、そしてあらゆるリズムを見せて、

直線に代わる。

医師は「ナンバーエイト!」と声をかける。


「チェックメイト!!」

E・Dの声が看守たちに伝わり、

上の部屋のブラインドを一斉に下す。

証人たちの仕事は終わり、死刑は終了したという合図だ。

私はこの掛け声を最初に決めた人間にいつか会いたいと思っていた。

勿論、頭の中に脳が入っているか確認するためだ。


「ドクター、患者の診察を!」

E・Dの演技のような声。

事実演技としか思えない棒読みのセリフだ。

医師と私は囚人のベッドに行き、医師はペンライトで瞳を調べる。

瞳孔が拡張していること、次に鼓動を確認する。

肺の動きも確認し、それらすべてが止まっていることを確認する。


「死刑囚Dは死亡した。何時?」

「9月21日01時13分です」

医師へと私が答える。

医師は進行記録に時間を記入し、サインをする。

そして、矯正所の為に死亡証明書にサインし、次に埋葬許可証にサインをする。

看守がそれら書類全てを受け取り、別室へと移動する。


医師は部屋を出る。

麻酔看護師が慣れた手つきで、死体から注射針を外しキャップをして、医療用の廃棄袋へ入れる。

E・Dは機械類の片づけを始める。

看守達は死体のベルトを外し、待機していた葬儀屋へと渡していた。


私は麻酔看護師から廃棄袋を無言で受け取ると部屋を出た。

廃棄物集積所に着くと、私は廃棄袋から注射針を一本抜き取りポケットへ入れた。

床に置いた医療用廃棄物の袋は集積所でもひときわ目立つオレンジ色だった。


私は今日の仕事が終わり、半年ぶりの長期休暇に入った。

所長へは妻の命日を伝えている。

他の職員も私の休暇については何も言わない。


E・Dだけが、

「ドクター、お疲れ様です。良い休暇を」

と声をかけてきた。

私は無言で頷くだけだった。


注射針はキャップを付けたままカバンに入っている。

私は車で家に戻ると、着替えをする前に注射針を取り出し、用意していた高級腕時計用の小箱へキャップを外して差し込んだ。


小箱はこれで10個になる。


私はシャワーを浴び、部屋着に着替え、殺風景な部屋を眺める。

必要最低限の物しか置いていない。


パソコン、オーディオ、あとは自分のこまごまとした何か。


強いて言えば椅子だけは良いものと言えるだろう。

リクライニング機能が付いた、機能性に特化したデザインチェアだ。


オーディオからは小さく音楽が流れている。

パソコンと連動させ、私のお気に入りの曲しか流れない。


私は小箱を手に取ると椅子に座り、目をつぶる。


妻との別れも今日と似た様なものだった。

違いと言えば、私は彼女の手を握りしめていた。

彼女は小さく微笑みながら私になにかを囁くようにして

眼を閉じ、そのまま眠りにつき。そして二度と目を開けることは無かった。


彼女の最後の微笑みが鮮明に見える。

あの所の唇の動き。

「あ……」


何を言いかけたのか、言ったのか、私には聞こえなかった。

思いだすことが出来なかった。


小箱に力をこめる。また、違うヴィジョン。


「それも持っていくんですか?」

以前に住んでいた自宅だ。

義母が彼女の服やアクセサリー、写真類をまとめている。

「あの子がどうしても欲しがるのよ。近くに置いておきたいって」

「ああ、確かに言っていました」


妻はホスピスに居る。

彼女は自分の荷物、持ち物、そういったものを全てホスピスへと持ち込んでいた。


「どうしても不安なの。出来るだけ自分のモノに囲まれてたいの」


末期ガンの彼女にそう懇願されて断れるものではなかった。


彼女が体の不調を訴えた時、それは当初は軽いものだと思われていた。

だが、精密検査を受けた際に分かったことは、もはや手遅れだった。

病名は私からは言うのは避けたい。

ただ、彼女の激痛と余命は1年と言われ、治療に関しても、5年以上の生存は難しいだろうとの回答だった。


彼女は治療を諦め、ホスピスへと移った。

妻自身医師であり、その病気については十分に理解していたからだ。


「まさか自分がかかるなんてね。インフォームド・コンセントの勉強になるわ」

「笑えないよ」

「笑わせてよ、それでもカウンセラー?」

「残念ながら、私にそこまでの能力はないさ」

「正直に自分の能力を患者へ伝えることは良い事ね」

「なあ、治療に専念しないか? 5年後治療方法が見つかる可能性もゼロじゃない」

「……、残念だけど、この痛みに5年も絶えられる自信はないわ。今だってこうやって医療マリファナを吸ってても、辛いのよ」


そう、そのためにこのホスピスへときたのだ。

医療マリファナの合法な州へと渡り、彼女に必要な準備を整えるために。


「ここは、そう悪くないわ。貴方も居てくれるし、私も自分の事を見つめ直せる」

「君は激務だったから」

「貴方だって変わらない」

「そうだね。僕らは少し休暇を必要としてる」

「私は長い休暇になりそうだけど」

「じきに僕もいくさ」

「ダメよ!! それだけはやめ、イッ」

彼女の苦痛に歪む顔に私は何も言えなかった。


また別のヴィジョン


ホスピス近くの海岸。

「別れの海岸」とホスピスの患者たちはいっていた。

確かに、此岸と彼岸を嫌でも思い起こす。

私は砂浜用の頑丈な車椅子へ彼女を乗せて

この砂浜に腰を下ろしていた。

彼女は医療用大麻の葉巻を吸っていた。

私も自分のタバコに火をつける。

「ねえ、それ久しぶりに吸ってみたいわ」

「ああ」

私は彼女の唇に煙草をくわえさせる。

もう一本火をつけて、自分も深く吸い込んだ。

「なんか、昔もきたわね」

「海ね。こうやってみると何とも、広く感じるな」

「タバコが美味しいわ」

「こういう場所だと特にね」

「ねえ、貴方、再婚しなさいよ」

「やめてくれよ」

「まだ、貴方は生きて欲しいの。私に縛られないで」

「縛られてなんかいないよ」

「ううん、もう私は十分、貴方だけが心残りなの」

「大丈夫だよ」

何が大丈夫なのだろうか?

自分でも分からなかった。

彼女を失って自分はどうなるのか、そう考える事すら恐ろしかった。

「そうよね。大丈夫じゃない。だから貴方は生きて幸せになるの」

「君を置いてかい?」

「私ははほんの少し先に行くだけ、空になるの」

「空?」

「『空』よ。だからその準備は済んでるの。所詮この世に間借りしてたようなものだもの」

「そういう死生観か……」

私はその意味がまるで解っていなかった。


「そうね。もう十分だわ。決めたわ。皆を呼んで下さい。最後の挨拶をします」

彼女の宣言だった。

それは、もう余命も短い人間とは思え無い力強さだったが、彼女の肉体も苦痛も限界だったのだ。


彼女は家族、友人達に別れの挨拶を少しづつ行っていた。

泣くのは主に家族や友人であり、彼女でも私でもなかった。


そして、最後の別れの日。

彼女が眠りにつき、目の覚めなくなった夜。

私は彼女の腕に刺さっていた注射針がキャップをしたままトレイに転がっているのを

何気なく手に取った。


彼女は自分の持ち物全てをホスピスに持って来て処分していた。

自分の存在などなかったかのように、

服や下着、仕事道具、学生時代の勉強道具、アルバム類に至るまで、

義母や私は彼女が精神的な安定を得るためだと思っていたが、

全く違った。

彼女は自分の痕跡を全て処分し、消してしまっていた。

私との結婚指輪ですら飲み込んでいた。


それが分かったのは、彼女を火葬し海に散骨する時だった。

彼女は自分の墓すら必要とせず、プランクトンのエサになる事を夢見た。

その施設も含んだホスピスだと知ったのは全ての葬儀が終わってからだった。


全くの空白となった私の妻。

書類上私の妻であった女性の痕跡はほとんどない。

その注射針を手に取るまでは。


注射針を手に取った時、彼女のヴィジョンが私の中で明確に見えた。


彼女に出会った時、

彼女との初めてのデート、

彼女との結婚式

妻との生活


私は妻と過ごした家を売り、今の部屋を借りた。

静かであること、隣人とはあまり接触も無く、プライベートが守られる、

そんな部屋を選んだ。


最初の妻の注射針の入った箱を手に取ると、

もうずいぶん腐食が進んでいた。

ヴィジョンはもはやうっすらとしか現れない。


私が、なぜ妻との生活のヴィジョンをこうやって見えるのかわからないが、

今の矯正所で働き始めた時の初めての死刑に立ち会った際に、

囚人のあの虚ろな、全てを諦めた目を見た時に確信した。

私はそういった囚人の注射針を持つことで、妻のヴィジョンが見れるのだ。


上訴を行い、まだ生に未練を持ち、精神安定剤を通常の10倍近く与えられて運ばれてくるような囚人ではヴィジョンは見えなかった。


私は全てを諦めた囚人達の注射針を集める事を始めた。

いつか彼女の最後の囁きが聞こえるように。


「明日は海に行こう」


私は小箱に囁いた。


「貴方は生きて、幸せになるの」


妻の声が潮騒と共に聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

清潔、無個性、無痛、無常 叫骨(キョウコツ) @kyouko2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る