刺青

今日の面会者は私としても少しだけ気が楽だ。

私の職場である、この小さな部屋。

白いリノリウムの床、薄いグリーンの壁、グレイの机、

やけに座りの良い椅子。

二つの扉。いつもの通り、いつもの場所だ。


対面に座る彼は少し陽気に話しかけて来た。

「ドク、久しぶり。元気?」

「ああ、何とかね。君と、彼女たちは?」

彼は微笑みながら

「ようやく、人と会話してる気になるね。勿論元気だよ」

彼は自分の肩や太ももを撫でる。まるで愛撫するように。

その肩までたくし上げたシャツから見える腕をいくつもの繊細で美しい刺青が飾っていた。その首にも天使が舞っていた。


「こいつらがいるから俺は生きていける。孤独じゃないって言ってくれる」


そう言って彼は自分の刺青を撫でている。


「実際、ドクぐらいだよ。安心して喋れるのは」

「私には守秘義務があるからね」

「それだけじゃない。そんなモノじゃないだろ。あんたはさ」


彼は私の瞳を見つめてくる。

私はそらさない。


「まあ、カウンセリングのついでだが、勉強はどうだい?」

「ドクのおかげで、今はカレッジの資格カリキュラムに入ったよ」

「それは良かった」

「あんたも変わってるよな。ミドルすら出てないオレにこうやって授業めいた事

すんだからさ」

「君はそれに見合う知能を持っていた。その結果さ」

「結果ね」

彼は苦笑した。


実際彼の学習能力は私の想像以上だった。

彼は元ドラックバイヤーだった。それもその辺の売人ではない。

億という金額を常に動かす取引を17歳で取り仕切っていたのだ。

しかも、たった数人でその取引を行っていたのだ。

顔も知らないメンバーたちと。

並の人間に出来る事ではない。


彼はスラムと言うのも、はばかるような貧困生活からのし上がっていったのだ。

親が10歳以下の娘を2ドルで売春させるような街。

12歳の息子が父親の頭を撃ち抜くような家庭。

彼は自分の妹を父親のレイプから救うために、銃を使うしかなかった。

彼が初めて捕まった時だ。


彼が少年院から戻ってきたころには、妹は彼の事が分からないほどの薬物中毒者であり売春婦になっていた。薬の為に体でも何でもする最低辺の性的奴隷だった。


彼は少年院で得た知識を利用し、ドラッグ業者の情報屋を始めた。

自分は表に出る事無く、すべてプリペイド携帯とネットを駆使して、存在しない人間として売人の情報仲介業を始めた。

薬に混ぜ物が入っていたり、混ぜ物や贋金を使った売人のアドレスを調べあげ、仲介業者としてバイヤーたちのランク付けを始めたのだ。

”非常に良い売人です”

”クズをつかませる売人です”

売人たちは名前やIDを変えても、彼や他の顔も知らないメンバたちが裏をとって、それらの情報を丸裸にした。

バイヤー達の信頼情報を無償で提供し、自分達の仲介業の信頼性を高めた。

それは、様々な組織の抗争を生んだが、彼らにとってはどうでもいいことだった。

そうやってネット上のバイヤーとして、ドラッグと金の仲介を行っていった。


彼は2年でその商売を軌道に乗り上げた。

金額も仲介料だけで億の単位を稼いでいた。


全ては妹を救うためだったが、彼女の精神は最初の父親の暴力と、その後の生活で完全に壊れていた。

彼を自分の恋人としてしか認識できなかった。

常に自分を愛してくれる理想の王子さま。

セックスとドラッグを常に与えてくれる、理想の男性。

それは彼が最も忌避していた事だったが、妹を満足させる方法が他にはなかった。

彼女は服や宝飾品、美食にも興味が持てなかった。


そして、彼女はオーバードーズで死んだ。


彼の管理が行き届かなかったのか、それとも、彼が父親の頭を銃弾で吹き飛ばし、

血と脳漿をかけた時からの余命だったのか。

どちらにせよ、彼女は彼が仕事から戻って来た時には完全に手遅れだった。


「そう、それが始まりだったんだよな」


彼は首の天使を撫でた。

彼は妹の首の天使の刺青を切り取り、始末屋を呼んだ。


「俺の妹はここに居る」


彼は妹の刺青そっくりの天使を自分の首に入れた。

その革を専門の業者に依頼し、保管し額縁状の箱に入れた。

箱には妹の名前を入れた。


彼のコレクションが始まった。


「不思議だよな。そういう絵を入れた女が欲しくなるんだよ」


一つ、ドラッグをやっていること

一つ、年齢が若い事。

一つ、刺青が入っていること

一つ、妹にどこか似ていること


彼が殺した女性は16人。

彼の自宅には刺青人革の入った16個の額が壁に飾ってあったそうだ。

そして、彼女たちの入れていた刺青と同じ絵を彼は自分に入れた。


「一体感があるんだ。いつでも一緒に居られる感じだよ」


問題は15人目だった。


「名前も知らねえよ。ただ、その娘の入れてる刺青がすげえセクシーでさ。

何でも、どこぞのアーティストに特注で描かせた一枚絵だってベッドで笑ってたんだよ。それがまさか、メキシコカルテルのボスの一人娘だったなんてな……」


彼はドラッグをいつもの様に使い、娘を殺していた。


「簡単だよ。強めの薬キメて顔にラップして、ハイおしまい」


薬物中毒で弛緩してる上での呼吸困難だ。5秒と心臓と脳が持たない。


「で、オレは綺麗に皮をはがして、いつもの通りに始末屋を呼んだわけ」


その始末屋からカルテルへ情報が流れたのは、16人目の娘の刺青を入れている最中だったそうだ。


「アイツラの襲撃ってすんげえよ。未だに思いだすだけで叫びたくなるね。

俺が誰とも話せないのも、一人でいるのも殺されたくねえからだよ」


彼はすぐに自首した。16人目の刺青は途中となった。

しかも、麻薬取締局であるDEAに飛び込んだのだ。


「並の警察じゃ、すぐに殺されるからな。俺は自分の情報と麻薬の仲介業での仲間たちの情報があった。そりゃ、あそこにもカルテルの手は伸びてるけど、さすがに面と向かって国に手を出すのは無理だと踏んだんだよ」


その後の裁判中ですら彼は狙われた。

事実、局員が巻き込まれて2名死んでいる。

そして彼は麻薬取引、麻薬密売、殺人でここに収監された。

無期懲役。

司法取引の上、ここを選んだのも、彼自身だ。


「ここは、メキシコ系が居ねえんだよ。重犯罪者は多いけどな。それでもレベル4では唯一と言って良いぐらい治安がいい。俺はここで死ぬけど、少なくともあいつらの

拷問を食らうことは無い」


彼は全てを知ってここに来たのだ。

そして彼らの拷問がどれほどのモノなのか。

私は以前彼から聞いたが、その夜は安眠できるものでは無かった。


「見せしめの意味もあるし、恨みもある。まして一人娘だ。俺がどうなるかなんて、百回死んでもお釣りがくるね」


彼は暗い笑いを浮かべて、首を撫でる。天使の守りを得るように。


「まあ、最低でも1年は生かされる。俺は自分が削られ続けるところと、その痛みだけしかなくなるのさ。

見せしめはすげえぜ。真っ赤になるまで燃やされた山盛りの5セントコインを口から流し込まれるんだ。その後はケツの穴からも漏斗さして流し込まれる。

金の亡者って事なんだろうけど、アレは忘れられないね……」


彼は震えるように肩を撫でる。そこにも美しい薔薇のトライバルが咲いていた。


「オレはそんな目にあいたくねえからさ。

まあ、この子たちが常に居るから俺は孤独じゃねえしな」


彼は復讐を恐れて常に一人か、看守でも特に信用できる人間としか歩かない。

ほとんどの時間を自分の部屋で過ごす。

食事も自分の部屋でしかとらない。

食堂で狙われることもあるのだ。

彼の命には未だ賞金がかかっているのだ。


私はそんな彼に勉強を勧めてみたのだ。

勉強法を教え、カリキュラムなどを組み立てた。

彼はいつしか私に信頼のようなモノを見せ始め、

自らの体に入っている刺青と16人の娘たちの話、

様々な裏社会でのサバイバル方法、手法を教えてくれた。


「でもさ、オレが話すのはそれだけじゃねえよ」

「どういうことだい?」

「ドクがオレと似た人間だからさ」

彼は微笑む。裏表のない表情。

「アンタも常に最愛のモノを思い出そうとしてる」


私は彼を見つめる


「そう見えるかい?」

「初めての女って不思議だよな。ずっと残るんだ。なんでだろうな?」

「そうだな。分からないが、その気持ちはわかるよ。なんでかね? 

もう取り戻せないのは分かってるんだがな……」

「でも、取り戻そうとしてるだろ。俺はコレだけどさ」

彼は自分の首を撫でる。

「ああ、その通りだ。私は取り戻したい」

彼は微笑んだまま頷く。

「だからかもな、ドク、また話そうぜ」

彼は扉に向かう。

私も席を立ち扉へと向かう。


「ドク」

「なんだい?」

「奥さんによろしく」

「……ああ。伝えておくよ」


彼は手を振って扉の向こうへ。


私は、そう、彼ほどでは無いが、取り戻したいものが常に有る。

それを得るためにここに居るのだ。

そしてそれを手に入れるために、扉をくぐる。


その夜、私は車を飛ばして、海岸に居た。

近くにホスピスの明かりが見える。

妻を看取ったホスピスだ。


私は小箱をポケットに入れたまま手でなぞる。


妻と最後に見た海だ。

ポケットの小箱を撫で、潮騒を聞く

車椅子でここに妻を連れてきたのだ。


「貴方、こんな綺麗な海をタバコ一本吸って飽きたって言ったのよ」

「いつの話だよ。私も若かったんだ。それにあの時は寒かったし」

「今は一緒に居てくれるのね」

「いつまでだっていいさ」


彼女の、妻の表情が思い出せない。

あの時の妻がどんな顔で私と話していたのか、うすぼんやりとした

イメージでしか出てこない。

小箱を撫でる力を強めても無駄だった。


「新しいものが……」


私は車へと戻る。

職場へ帰るのだ。

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