使用期限

私はベンチでタバコを吸っていた。

明日の処刑準備は終了し、

私は囚人の精神状況を確認していたのだ。


『適格書類』

”死刑へ精神的に適格している”

と言う書類にサインをする。

精神遅滞や、躁鬱、その他病的な症状を判断する。


明日死刑になる者がいかなる精神状態で居るかを

私が判断するのだ……。

彼は空白だった。

全てを諦めている。自らの生死だけでなく、

これまでの生に諦めていた。

私はため息を煙と共に吐き出す。

いつもの事。

いつしか私は安定剤よりもタバコに戻っていた。


この矯正所は小高い丘の上に有り、一見外部からは病院の様にも見えるだろう。

それとも閉ざされた修道院か。


そのため、このベンチから見えるのは周りの山々、森、運が良い時は鹿の親子が遠目に見ることが出来た。


「ここに居ましたか。ドクター」


声をかけてきたのは矯正所教誨師だった。


「お疲れさま、ファーザー」


私も彼を役職名で呼ぶ。

仕事仲間であり、信じるモノが違う。

彼は神を、私は決めかねている。

いや、ひょっとしたら彼もそうなのかもしれない。


「ここに来る方々も随分減ってしまった。

昔はここでいろんな方たちの話を聞いたものです」


彼はポケットから葉巻の箱を取り出すと、

「初めてですか? よろしければいかがですか?」

「昔、安物を吸って失敗しましたよ」

「そんなに良いものではありませんが、もう一度試しますか?」

「では遠慮なく」


私は彼がシガーカッターで葉巻の先を切り落とし、マッチで火をつけてから、

そのうやうやしい儀式に付きあう事にした。

高くつくかもしれない。そんな事を思いながら。


彼とベンチに座り、私は彼の真似をしながら、彼から借りた道具で葉巻にゆっくりと火をつける。その使いこまれた道具は彼の精神性をあらわす様に質実剛健にして綺麗に磨かれていた。


「吸い方をご存じでしたか?」

「今、貴方のを見ましたから」

「肺には入れずに口の中で煙だけを味わってください」

「おいしいですね」

「昔よりも?」

「今の方が」

「私は家では吸えなくなりました。妻が嫌っていてね」

「私は妻も喫煙者だったので」

「それは喜ばしい事だ。奥様は何を吸っているのですか?」

「いえ、ガンで亡くしました」

「ああ、それは、ああ、なんと言う失礼を」

「気になさらないでください」


私は素直に答える。

彼は黙り込み手を組んでいた。

なにかに祈ってくれているのかもしれない。

ひょっとしたら私の妻にだろうか?


「ここは静かだ」

「ええ、こんなに静かな場所があるとは思いませんでした」

「景色もいい、ひとまず仕事は終わりました……」

「ええ、あまり明日を考えたくはないぐらい」

彼はリハーサルとも、準備とも言わなかった。


「ここ最近は回数が増えています。気付いてましたか?」

「そうですね。私は以前を知りませんが」

「実際、異常です。今年に入ってもう36人です。そして、明日37人になる……」

「数えたのですか?」

「憶えているのです。以前はこうではなかった。年に4人も居れば多い方でした」


彼はここに20年以上居ると聞いたことがある。

ここでの職員としては彼はかなり古株の人間だ。

そう、彼もこの矯正所の職員になるのだ。

だからと言って彼が囚人に好かれているわけではない。

彼の立ち合いを望んだ囚人は36人中二人だけだ……。

マニュアルにのっとるのであれば、処刑前に囚人は彼から何らかの言葉を受け取る。

それが何なのかは私の業務範囲外だ。

仕事の責任範囲を犯さないようにすることが私のポリシーでもあり、それは私自身をここで守る事につながる。

ここでの命の価値は囚人と同様に私たちも他所とは違うのだ。


「それは、国が決めたことでしょう。他の誰でも無い、我々の選んだ者たちの」

「そういう言い方は責任転嫁にも聞こえますね」

「責任転嫁ですよ。私は確かに、ここに配属されました。仕事として。

ファーザー、貴方は違うのですか?」

「私はここには望んできました。以前はもっと管理のひどい場所にも居ました。

看守が囚人をけしかけて殺すような場所にね。そこでは死刑よりも殺人やリンチの方が多かった……」

「でしたら……」

「……貴方、何か知ってませんか?」

「何を?」

彼は私の眼を見つめ、葉巻の火が消えそうなほど長い時間私を見つめていた。

「……貴方が来てから、死刑の回数が3倍に増えています」


私は答えない。彼の言葉を待つ。


「今年に入っては8倍です。おかしくはないですか?」

「貴方はよそ者が嫌いだという事ですか? 私のせいで死刑の回数が増加した。

私がどこかのエージェントで貴方の箱庭を壊そうとしている、狂人の科学者だと?」

私は語気を荒げてさらに強い口調で言った。

「冗談じゃない。私が国に訴えて死刑の回数を増加させることが出来る権限を持ってるとでも」

「落ち着いて、私はただ、貴方が何かを知ってるんじゃないかと思って……」

「貴方が知らないのも無理はない、新聞には出ていませんからね。死刑の回数が増えたのは簡単ですよ。

私が配属された時期が、ここで使われてる薬液の使用期限が切れるのと同じだったからですよ!!」

私は明らかに言い過ぎた。

そして神父は呆然としていた。

「……期限切れ?」

「神父、私はすでに守秘義務を犯しています。この事は忘れてください」


私は葉巻をバケツに投げ捨て、自分のタバコに火をつけて、

煙を深く肺に吸い込んだ。


私は投げやりの様に言った

「薬品には使用期限があります。まだここにはストックがかなりある。管理している彼のおかげでそれほど劣化もしていない。

ただそれでも、使用期限があるものは使い切らねばならない……。

予算がおりませんから」


彼はなにかに祈りを捧げるように黙祷していた。

はっきりと羨ましいと思った。

そんなものが彼には存在することに。

私には……。無いわけではないが、ソレはあまりにも虚ろだ。

だが、私にとっては必要なモノなのだ。

それはここでしか得られない。


「ドクター。私は謝罪します。あなたを疑った事、そしてとんでもない間違いを犯していた事」

彼は私の眼を見つめて真摯に謝罪した。


私は構わなかった。

別に薬液の使用期限の事などとっくに公然の事になっているのだ。

この教誨師は新聞の記事だけで世界を見ているのだ。


それ以上に私の目的がこの程度の演技で隠せるのなら大したことではない。


「ファーザー、気にしないでください。私も少々いらだっていたようです。

カウンセラー失格ですね」

「いやいや、私こそ……」

「これ以上はやめましょう。お互い仕事です。囚人の心の安定を得る事。

私たちはそれを考えるべきでしょう。

ああ、葉巻もったいなかったな」

「ハハハ、こんなもので宜しければどうぞ」

彼は箱ごと葉巻を私に差し出してきた。

「いいんですか? 高いんでしょう?」

「気になさらずに。受け取ってください」

「では、遠慮なくいただきます。もう少し我々は、情報交換しても良かったですね」

「それは私からお願いしたいことです。お互いの職務の為に」


そう、お互い職務なのだ。仕事なのだ。

ただ、彼はできれば救済と言う理由があり、

ただ、私には少しだけ個人的な理由がある。

ただそれだけだ。

私は『適格検査』を不可にした事が無い。

それは個人的な理由だ。

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