最終話『休暇神聖』

「みんな夏休みって、どうするんです?」

「いつなんどき神々の黄昏ラグナロクがあるか分からないのに休みは取れんよ」

「ラグナロクってそんなに急に始まるのですか?」


 転職第二週目にヴァルハラ継続のなんやかんやを片付けながらの営業会議。夕食を兼ねて食堂に集まった太郎は、フレイヤと課長がラグナロクに向けた予定を確認し合っているのを聞き、太郎は少し驚いた。


「基本的にいつ鳴ってもおかしくないんですよ部長」


 課長が敬いを込めて太郎に一言添える。神の雷トールハンマーを三度受けてなおフレイヤを追い詰め気死させたこの日本の社鬼畜だいえいゆうに対する未曾有の尊志が現われている。


「訓練と備えがヴァルハラの基本。事を起こすときにラッパが鳴り、それを合図に繰り返される最終戦争。それによる世界の代謝がうちらの基本サイクルなのよ」


 とフレイヤ。


「なもんで、もう何年も帰ってないのよね……」

「そうですなあ」


 ここに会社の根幹――やる気のない上司フレイヤの本国帰りたい病の根幹が見えた気がした。いや、彼女だけではない。やはり皆一様に帰りたいのだ。エインフェリアたちも、戦乙女たちも。


「……いつ鳴るんです? そのあれ、滅びのラッパ」

「さあ~」


 とフレイヤも首を振る。


「星が落ち、新しい太陽が昇る。日本で言う仏教の生老病死せいろうびょうしのサイクルをこなすことで、神格と世界の代謝をになってるのだ。日本神話だって国産みしたりするでしょ」

「あんまり聞いたことないですねえ。成り立ちこそあれ繰り返しはしてないかもしれません。……そもそも、そのラグナロクは必要なんです?」

「そこなんだよなぁ~」


 とフレイヤも頭をボリボリと掻く。

 エインフェリアの戦士課長は、一介の戦士であることに矜持をしっかり持った男であるし職務に忠実な勇敢な名誉ある男だけに、この件に口は出さない。フレイヤは疑問を呈するが、そもそものヴァルハラ本社オーディン会長含む重役たちの気分次第らしい。


「なんかロキあたりのいたずらが引き金になるなんて話もありそうな流れだねえ」


 北欧神話のトリックスターの名前をぽろりと漏らす太郎に、フレイヤも課長も「へ~」みたいな顔になる。


「なるほどそれはある話かもなあ」

「そう言われてみれば多いかもねえ」


 と考え込む。


「え、そうなの? サイクル自体長そうだけど、この前は何年前でして?」

「部長の住むこの日本ではまだいっかいも。本国は――カール大帝が色々やった辺りでしたっけかねえ」

「そうだねえ。ええと……」


 太郎は「シャルルマーニュ騎士団の時代か、八世紀半ばから五六十年くらいか」と指折り数え「千二百年以上前? そらまた長いスパンだな」とほへーっとなる。


「神々のスパンだとそうでもないのか。……日本支部はいつから?」

「奈良に都があった辺りからかなあ。当時はそこで見てるだけで、日本神連合政府というか、前身の日本神連盟と妖怪魑魅魍魎統合会ができるまでものすごい闘争の歴史で、人間同様戦国時代でねえ」

「いろいろあったんだなあ。……で、話を戻すんですが、じゃあみんな長期休暇なんて取らないんですか?」


 太郎の問いに「うむ」とフレイヤ、「ですなあ」と課長。黙って聞いていた秘書ヴァルキリーも「そうなんですよ、部長」と頷いている。


「盆暮れ正月も?」

「盆暮れ正月もだ」


 当然のように頷くフレイヤ。

 太郎は得心した。そりゃあ里心も芽生える。


「休日を取りましょう。有給休暇を。ヴァルハラを空けられないのなら、持ち回りで休みを取り合いましょう。管理職のフレイヤさまも二週間くらいずつ取れば、本国でリフレッシュできるのではないでしょうか」

「え、なにそれ」


 フレイヤがぼそりと呟く。

 と、食堂の夜宴の喧噪も少し落ち着いてくる。


「そりゃあ、規定で決まってるし、取らせないと逆にマズイ状況になりますよ? 無効になったものはありますが、取って貰う分は神々スパン考慮しても数年分ありますから。まあ僕は入社したてでまだですけど、更に言うなら人間スパンのものですが」

「え、

「……就労規定読んでないのですか? こ、この千年チョイ」

「そんな面倒くさいの、日本神連ができる前だし……


 すう……と、太郎は背筋を伸ばして顎に手を当てる。

 出た出た。北欧のトリックスターの名前。

 いつもと同じにやっていたら、たぶんこうなのだ。今までのヴァルハラなのだ。


「なるほど。そういうことか」


 太郎の低い呟きに、フレイヤは「ひっ」と息をのみ、課長の背筋が総毛立ち、ヴァルキリーは内股をもじもじさせて頬が紅潮し始める。


「最新の就業規則は、先週末に言ったように、守らなければ日本におけるヴァルハラ――日本支部の存続に関わります。つまり、本来ならお盆に入る時点でこの日本においての


 みしりと、組み合わせた手が拳を作る。骨が軋み、関節が白く浮き出し、こめかみと眉間にぶっとい血管がドグンと盛り上がる。


「幼女の――イヤ失礼、ロリババアの里心につけ込み、この日本で、私たちの職場のあるこの国において、この国ならではのラグナロクを、神々の黄昏を、職場の消滅を謀ったクソ野郎がいると言うことになります」


 太郎の背にオーラが満ち始める。エインフェリアたちはゴクリと唾を飲み込むが、そのあまりの、巨人族の圧倒よりも恐ろしいそれを感じカラカラになった喉はおいそれとそれを許さない。


「ちなみに本国のロキさまも遠縁の親戚で、同じ名前のでございます、太郎さま」

「なるほど」


 太郎は殺気の気配を霧散させ、ふと思い出すように腕を組む。


「パスポート、まだ期限は切れてなかったよな」

「休みの話か?」


 フレイヤがほっとした表情で聞き返すと、太郎は頷く。


「ええ。フレイヤさまの休日に合わせて、自分も本国とやらについていこうかと。どのあたりです? バイキングともなるとフィンランドよりも西、アイスランドまでは行かない辺り? ですかね?」


 まあどうせ異次元だろうけど、パスポートは要りそうだった。まあ貯金もあるし、観光と思えばリフレッシュにもなる。


「え、取れるの!? 休暇!? というかついてくるの!? オマエがぁ!? まじでえええええええ!?」

「イヤだとでも?」

「イヤに決まって……………………」


 太郎の目だけが、赤く染まる。


「一言ね、言ってやりたい輩がいるだけなんですよ。支部だからと言って舐めてる輩、クソ生意気にも日本のシステムを逆手に取ろうとしてこの私に、私たちに、手間を掛けさせた馬鹿野郎が。そんなアホ野郎ロリババアとやらに、一言言って釘を刺しておかねば今後に差し障りが出ます。……討って出ましょう」


 ざわっと、食堂が一気に殺気に満ちる。

 初めてのことだった。

 本国に休暇とは言え一時的に帰れるのかという期待。なにもせずにただ戦わずに神々の黄昏のために鍛え上げたこの技術を活かすことなくシステムから消滅させられそうになったこの憤りを晴らせる機会があるというのか。しかも、討って出ることができるというのか!


「先にラッパに手を掛けたのは相手だ。容赦はしない」


 太郎は全員を振り向く。


「システム上、休暇は三交代になる。六十有余人、二十人ずつとる。先陣で仕留めたいが、立候補者は――」


 太郎の呼びかけに、全員が雄叫びを上げて立ち上がる。


「待てええええい!」


 そこに、さすがのフレイヤの「待った」がかかる。神格の違いか、エインフェリアたちは一斉に姿勢を正す。


 フレイヤは全員を見回し、「勝手に話を進めるな! きゅ、休暇の件はまあ……ぬふふ、よしとしよう」と場を和らげるも、「人選やスケジュールは追々決める。もう今日は喰って帰れ。明日以降決めるぞ」と水と釘を刺すのは忘れない。何せ就業規則だ。ここは強い。

 だが収まりが付かないのも事実。

 本国は、とりわけロキという名のロリババアは、この日本におけるラグナロクをアホロリババアのフレイヤが乗り切ったことを知らぬだろう。つまり、油断をしている。明日になればバレるかもしれない。不意を討って出るなら、今しかない。

 今回は拙速を重んじる場面である。巧遅は太郎が脳内で補えば良い。

 そこで太郎は片手を上げる。

 するとどうだろうか、戦乙女たちが給仕の手を止めて、六十有余人のすべての担当エインフェリアの横に並び始めるではないか。


「え、みんなどしたの?」


 そんなフレイヤの呟きに、静まりかえる食堂――重い沈黙が落ちる。


「さあみんな、ここから先は飲みュニケーションだ。フレイヤさまに思いの丈を伝えようじゃないか」


 太郎の手が緩く振り下ろされると、心得た戦乙女たちがエインフェリアたちの首を両断し、その手に優しく抱えて持ってくる。


「ぎゃあああああああ!! ななな、なにを!! わたしがそういう怖いの苦手だって知っててやってるだろうおまえら!! ぎゃあああ!! も、もってくるな! ちょちょ、ちょ、まて、ほんとまって……まってよぉおおおお……」


 ズル――ペタン。

 腰を抜かして倒れ込むフレイヤのぐるりに、六十以上の生首が並べられる。みな爛々と光る目で期待と怒気と戦意に満ちたまなざしを向けている。腰に力が入らないフレイヤは、苦手なスプラッタ……わざわざ戦の野を遠ざけてまで見ないようにしていたそんな血なまぐさい錯覚を催す光景を前に、完全に言葉を失っていた。


「フレイヤさま、私からもぜひ」


 課長が清楚な担当ヴァルキリーに首を撥ねさせると、神妙な生首が正面に据えられる。



 太郎も机の角に股間を擦りつけている秘書ヴァルキリーに命じると、「イキますぅ!」と見事に応じたヴァルキリーに両断された自分の生首を、フレイヤのへたり込む脚の間に抱えさせるようにあろうことか自分自身で乗せるではないか。


「逃げませぬよう。逃がしませぬよう。さあ、臨時会議です」

「ぁ~……――」


 太郎は首の下で熱いおしっこが盛大に漏らされたのを感じた。

 だがしかし、フレイヤは知ることになる。

 かつてない恐怖を本国のロキも知ることになると。

 そしてオーディンも知るのだ。


 嗚呼、ファンタジーは日帰りであればこそであるということを。







      ――とりあえず終わり。

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ヴァルキリーに誘われて 西紀貫之 @nishikino_t

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