ショッピングモールのえる子と私。

ピクルズジンジャー

第1話

 私の目の前に古い携帯電話がある。

 

 メタリックに輝く水色の、昔懐かしい折りたたみ式のガラケーだ。これを使っていた当時お気に入りだったキャラクターのストラップもそのままになっている。


 思い立ってクローゼットを掃除していると、今の部屋に引っ越してから一度も開けていない段ボール箱を発見してしまったのだ。この携帯電話はその中から出てきた。

 中高生の時につけていた日記、友達とやりとりした手紙、大好きだったおばあちゃんがくれたけれど部屋の雰囲気に合わなかったお土産の民芸品、昔好きだったアイドルのグッズ、小学生の時のクリスマスにもらったおもちゃのステッキ、林間学校で作った工作……そういったいとおしくて捨てるに捨てられないガラクタ類の中にこの携帯電話も入っていた。


 なんとなく開いてみたがもちろん画面が明るくなったりせずうんともすんとも言わない。あの頃の常に傍らにあった携帯電話は今ではただの抜け殻だ。

 つるつるの表面やボタンを指の腹で撫でさすっていると、あの頃の記憶が蘇ってきてしまう。私たちの町にできた大きなショッピングモールとそこで出会った特別な女の子と、一夜の冒険のことを。


 片付けの最中に違うことを始めてしまうのはだれしも経験があることだろう。加えて私は人より上の空になりやすいタチだった。意識ははこの携帯電話を使っていた頃に飛び立っていた。



「ほら、スポットの向こうの子だよ」

 

 できたばかりのショッピングモールに遊びに来た日、広すぎるフードコートでアイスクリームを舐めていると友達の一人が目くばせをしながらひそひそと囁いた。

 彼女の視線の先を見ると、明らかに周りから浮いている女の子がラーメンの丼を乗せたトレイをもって歩いていた。

 その女の子は私の友達以外にも周りの人々から注目を集めていた。

 何故か? 長い髪はサラサラで背丈もすらりとしてラーメンの丼の乗ったトレイをもって歩いているのが悪い冗談にしか見えないくらい、怖いほどきれいな子だったこともある。が、発光してるような白くきれいな肌や尖った耳、愁いを帯びたような金色の瞳、ゆったりとした布と厳つい鎧を組み合わせたようなコスプレじみた服に胸元や手首を彩るじゃらじゃらとしたエキゾチックなアクセサリーを組み合わせるセンスなど、彼女を形作るすべての要素が平均的な日本人どころか地球人類の規格からかけ離れていたことが大きい。サラサラの髪の色なんてプラチナブロンドどころではなく本物のプラチナを糸にしたような銀色だ。

 

 その手が支えているのは神様に捧げる聖なる供物か何かではないかという荘厳な雰囲気を漂わせながら彼女は自分たちの仲間がいる席まで歩く。

 そこにいたのも、彼女と同じように地球人類の規格から大なり小なりかけ離れた人たちだ。背中に翼があったり、頭から角が生えていたり、毛むくじゃらだったり、人間によく似ている人がいても髪や目の色が規格外だ。

 ゲームやアニメから抜け出たような人たちが座るテーブルの上には、ラーメンの他うどんの丼やたこ焼きのパックなんかが並んでいる。それはは当時の私の脳みそでは処理できない不思議な光景だった。

 銀色の髪の女の子が席につき、仲間たちと二言三言やりとりしたあとにまずレンゲでスープをすくいフーフーと息を吹きかけて一口飲む。邪魔な髪を尖った耳にかけ、箸で麺を適量つまんでこれもまたフーフー冷ましてからすする。美味しかったのかその顔が笑顔になる……。


 その様子を私たちはつい無言で見入ってしまったが、他人をじろじろ見るものではないというマナーを皆ほぼ同時に思い出したと見えてお互いに顔を見合わせた。


「ニュースでも言ってたけど、本当にスポットの向こうの人たちってこっちに来るんだね」

「そりゃ、こちらからあっちに行ってばっかりじゃ不公平だもん」

「でもわざわざこっちに来て何してるんだろ? あっちの方がなんでもできて自由なのに」

「ラーメンとたこ焼きとうどん食べに来るんじゃない? あっちにはそういうの無さそうだし」

 

 ひそひそ、こそこそ、アイスが溶けるのもお構いなしに友達は言葉を交わしあう。その間ずっと私はあの子がラーメンを食べる様子を眺めていた。

 神々しい外見に反して、彼女はかなり気さくな性格なのかくるくる表情を変えながら仲間たちと談笑している。麺をすするときはかなり幸せそうだ。見ていると私も無性にラーメンが食べたくなってくる。


 意識の飛び癖はそのころから顕著だったので、友達が声をかけた時に慌てて素っ頓狂な返答をしてしまったのだった。「きれいな人だよね」とかなんとか。

 それを聞いた友達は皆「またか」という表情で顔を見合わせる。


「はい出た、美里みさとの可愛い子好き~」

「あんた本当にきれいな女の子好きだよね~」


 クスクスと友達はささやきあって場の空気が一新された。

 意識の飛び癖がある上どうしても男子というものに興味が持てないために恋バナの類には一切参加せず、好きな芸能人を尋ねられると美人女優か可愛い女性モデルの名前を挙げる私を友人たちは「無害な天然」とみなして面白がっていた(面白がることはあっても人格を否定するほどイジってくる子はいなかったので幸いである)。

 私も私で場の空気に合わせない癖を「天然だから」の一言で受け入れてくれる当時の友達に依存していたこともあったので、話の流れを考慮せずに思ったことをつぶやいた。

 

「なんのスポットの子だろう?」


 あの子がいるスポットに俄然興味がわいたのだ。それは私だけではなかったらしい。あの子の仲間たちの美しさも地球人類離れしていたためだろう。


「気になるよね、これ食べたらちょっとスポットルーム覗いてみようか」

「えー、でもここ出来たばっかりだし混んでるんじゃない? 並ぶの嫌だ~」

「混んでたら帰ればいいじゃん、行ってみるだけ」


 

 1999年の七月某日、20世紀末期の日本の子供たちを散々おびえさせた大予言が的中したのか主要国の上空に恐怖の大魔王が現れ人類を大いに混乱させた。

 

 と同時に、多くの人類の知らないところで大魔王と戦っていた特殊な使命や能力を持つ人々もその正体を現し、大魔王を追い出すために力を貸してくれと地球の人々に呼びかけた。その結果、様々な悲喜こもごもやらスペクタクルやらが繰り広げられた結果、大魔王群は地球を支配下に置くことは一旦あきらめて宇宙や次元のかなたにある自分たちの巣に帰って行った。

 存亡の危機に一時的に手を結んだところで人類は21世紀頭には再びいがみ合う日常に戻る。しかし恐怖の大魔王襲来という形で異世界諸文明とのファーストコンタクトを果たした人類はその後積極的に異世界諸文明と相互の交流を続け魔法やオーバーテクノロジーといった今までの地球上には存在しなかった技術をどん欲に取り入れた。結果、20世紀には考えられないような生活文化が花開くこととなる。


 スポットゲームは代表的なものの一つだった。

 

 異世界との通路になる特異点を任意の場所(例えばクローゼットや勉強机の引き出しや駅のホームなど)に固定化する。「スポット」と呼ばれるそのポイントを通過して様々な異世界へ簡単に行き来する技術が一般化・実用化されたのとほぼ同時に生まれたアミューズメントだ。


 スポットを通じてかつて夢見たフィクションによく似た文化の存在する異世界へ赴き、現地の強力のもとフィクションでしかできないことを体験するアトラクション型のサービス。それがスポットゲーム。なし崩しに異世界との交流が始まった数年後には、そんな娯楽が実現していたのだ。私たちの中学時代はちょうどこのスポットゲームの黎明期にあたる。


 友達が予言した通り、スポットルームは数十分待ちの行列ができていた。隣り合う旧来型のゲームセンターにまで列が伸びている。今では百円台で遊べるスポットゲームも黎明期は中学生の財布には厳しい価格設定だったこともあり、私たちはすっかりやる気を失った。


 とりあえずスポットの向こうに広がっている世界はどんなものなのか、看板やポスター、フライヤーで確認する。恐ろしいモンスターのいる魔界へ通じたスポット、可愛い妖精たちのいるお子様向けスポット、お姫様や王子様に変身してお城でデートのできるスポット……様々なスポットがあるようだ。あのきれいな子たちがいるのは剣と魔法の大冒険が体験できるという触れ込みの「幻想大陸」だろうか。ずいぶんベタな名前だ。


 どうする? 帰る? ひそひそ相談しあっている所へ声がかけられた。


「ねえ、そこのあなた」

 

 鈴を振るとはこういう声か、というような耳に心地よい声だった。振り向くとそこに、さっきフードコートで見かけた銀色の髪に尖った耳のあの女の子がいた。

 その子が仲間たちと一緒にわたしを見て微笑みかけた。彼女の方が身長が高いので私は視線も気持ちも見上げてしまう。ただでさえぶしつけにじろじろと眺めていただからきまり悪さも相当だった。

 そんな縮こまった私の気持ちを見透かしたように彼女は私の前に携帯電話を差し出した。その時使っていた水色の、この、携帯だ。

 

「はい。忘れてたよ」

 

 金縛りが解け、あわてて自分の持っていたバッグの中を探るという挙動不審なふるまいをしてから恥ずかしさでいっぱいになりながら彼女から携帯を受け取った。


「あ、ありがとう。それからごめんなさい……」

「?」

「あの、じろじろ見ちゃって、その……」


 ああ、と彼女はほがらかに笑った。


「いいのいいの、気にしないで。見られてるのはなれてるから。ていうか見られるのが商売みたいなものだから」


 見られるのが商売という理由は、仲間がの一人が「スポットルームOPEN」などと書かれた看板や色とりどりの風船を持っていることでも明らかだった。旧来型のビデオゲームから抜け出たような恰好でモール内を練り歩き、新しいアトラクションの宣伝をしてるのだろう。

 そのおかげか、彼女の仲間で背中にコウモリのような羽を生やした男の子が「よかったら遊びに来てよ」とこれもまた耳に心地よい声で囁きながら私たちに一枚ずつ半額割引券を手渡した。


「俺たち、幻想大陸ってスポットから来たんだ。今から並ぶとちょうど俺たちも出るショーが見られるよ」

 

 今思えばこの有翼の男の子は実に商売上手だった。この口外の田舎どころか地球上にまず存在しないきれいな男の子や女の子に遊びにおいでと声をかけられて、無視できるほど意志の強い者は私も含めてその場にいなかった。半額割引も大きい。

 楽しみに待ってるからね~と、そのきれいな子たちはにこやかに手を振って、お客でにぎわうモールの通路をゆったり歩いてゆく。その後ろ姿を見送りながら私たちは列の最後尾にうかうかと並んだ。


「美里のうっかりで得したね」

 

 私はそんな評価を頂戴した。



 今は平和慰霊の場になっている首都のクレーターが何故できたのかを合理的に説明できないのに「恐怖の大魔王は来ていない」という説を繰り広げる人がいまだにいる。

 それと同様に、スポットなんて存在しない、スポットの向こうの異世界はすべて脳の生み出したまやかしだ。スポットゲームは脳に幻覚を見せ人類を堕落させる危険な遊戯だ。そのような娯楽は即刻禁じるべきだ……と、頑なにその説を唱える人だってまだいる。


 今となってはお笑い種だけど、スポットゲーム黎明期の中学生だった私たちにはその説にはある程度説得力があった。

 クローゼットが魔法の国につながっていたわけでもない、空から降ってきた女の子に「世界を救って」と頼まれたわけでもない、図書館の不思議な本に引っ張り込まれたわけでもない、修学旅行中に謎の光に包まれたわけでもない。全国展開している大型ショッピングモールから簡単かつ安全に異世界にたどり着けてしまっていいいのだろうか。しかも行列に並びながら……。やっぱり騙されてるんじゃないか。


 そんな疑問が徐々に芽生え、行列の先端であるカーテンで仕切られた先へ移動するにつれ最初ははしゃいでいた私たちも段々無言になってゆく。カーテンのそばのカウンターにいたお姉さんに割引券と料金を支払いチケットを手渡された時、私の緊張は最高に達した。


 カーテンの向こうには六畳ほどの部屋があり、床には大きな魔法円が描かれ、壁にはドアくらいの大きさがある縦長の大きな額があった。額のそれぞれからは様々な風景が見えていて、最初は絵画かと思ったがよく見ればあちこちが動いている。これが私の初めて目にする魔法だった。

 部屋の中にいた若くて明るい男の店員さんが私たちからチケットを預かると代わりに安っぽいタイマーを手渡し、明るく送り出す。


「幻想大陸は右から二つ目のスポットだよ。新規開店のサービス期間でお時間は一時間。これがなったら元のスポットに戻ってきてね。大丈夫、怖がらなくていいから思い切ってくぐってみて。それじゃあいい旅を!」


 こういう時に先陣を切るのは「空気を読まない天然」の私だという暗黙のルールがある。覚悟を決めて、お兄さんが言った右から二つ目の額の前に立ち、頭からえいやっと飛び込んだ。


 そしてあっけなく異世界にたどり着いていた。

 エアシャワーのような、空気を一瞬強く吹き付けられたような感覚と、エレベーターなどで一瞬無重力になるあのふわっとした感じを同時に味わったくらいで、気づけば全く見たこともない家の中にいた。木でできた床、シンプルな漆喰の壁、カウンターの中にいるおじさんがぼそっと「新規ご案内」と言いながら、鐘楼から鐘が鳴ると寸劇が始まるので見るとよいと一応宣伝らしきことを口にしながら戸惑う私を家の外に追い出した。

 

 商売向きではないおじさんに外へ追いやられた私は初めて目にする異世界の光景に目を丸くした。石畳の道に煉瓦でできた建物、道を行き交う馬車にシンプルな装いの町の人々。顔かたちはモンゴロイドよりコーカソイドに近い。遠くにはノイシュバンシュタイン城風のお城も見える。一見ヨーロッパ調だけど、空には翼をの生えた龍が空を飛んだり、町のそこかしこでは一見実用には向いて無さそうな派手な装飾の剣や巨大な杖を持ち歩いた人がうろうろしていた。どこまでもRPGを実写化したような世界だったが、ほこりや食べ物や家畜などが発する匂いに馬車が跳ね飛ばす泥の質感にはまさしくリアルで本物の異世界だと思うとじわじわと感動が押し寄せる。

 私に続いてやってきた友達と合流し、本当にスポットの向こう側にきちゃったんだねと、興奮しながら異世界の村を歩く。酒場を外から覗いたり、市場で珍しいものを見たり、気味の悪い生き物に悲鳴を上げたり……単なる物見遊山だったが初めての体験をした興奮でちょっとしたことでも十分楽しい。そして私たちと同じようにプラプラと村を散策しているお客たちとすれ違う。


 まもなく鐘が鳴り、ショーが始まるので村の広場に集まれとしゃべる鳥が鳴きながら空を舞った。割引券をくれた男の子と商売に不向きなおじさんが言っていた寸劇のことだろう。私たちも無論そっちへ向かう。

 私たちと同じ客がそろうと、おもむろにショーが始まる。いかにも邪悪な存在らしい紫色のトカゲめいた怪人が魔王の名の下に罪もない人々を苦しめる。そこへ光の勇者一行が現れて悪い軍勢を退治するという、わざわざ語るまでもない筋書きの物語が演じられた。その光の勇者一行の中に銀色の髪のあの子たちがいた。

 物語は実に月並みだが、様々な光や炎に氷の礫が飛び交う本物の魔法、悪役サイドも含めた体術系のアクションは素晴らしくて掛値なしに見ごたえがあった。友達は有翼の男の子が繰り広げる俊敏な槍裁きに気づけば歓声を送っていたけれど、私は銀色の髪の女の子を目で追っていた。ダンスのように舞いながら華麗にボウガンを撃ち仲間のピンチには不思議な魔法で敵の足止めをする、蝶のように舞い蜂のように刺すとはこのことか。


 敵を倒し、魔王城を目指す勇者一行が新たな町を向けて旅立ってゆくというエンディングを迎える形で退場したことによりショーは終わった。私たちは拍手をおくり、それぞれぱらぱらと広場を去ってゆく。私はなんとなく去りがたく勇者一行が消えた後を目で追っていた。

 

 結構おもしろかったね、もう一回みたいね、とはしゃいだ友達と歩いているとピーピーとタイマーが鳴り始めた。もう帰らなければならない時間だ。

 町は案外狭くて、ほどなく私たちのスポットのある小さな家へなんなくたどり着き、商売に不向きなおじさんにスポットをくぐるように指示された。ここでのスポットの形は大人の背丈くらいある楕円状の鏡だ。一度体験したので怖がることはなく、私たちはそれをくぐった。


「お帰り。どうだった? 幻想の旅は」


 入った時と同じ部屋に戻り、お兄さん店員に明るく迎え入れられた。雑駁な近代以前のヨーロッパ風異世界の村から急に館内放送やゲーム機の音がやかましいショッピングモールに戻るとギャップが激しくてくらくらする。タイマーを返却し、入ってきたのとは別のカーテンからスポットルームの外の休憩所に出て、しばらく私たちはぐったりとベンチに腰を下ろした。たかだか小一時間の異世界体験とは言え、カルチャーギャップはすさまじかったのだ。


 すごかったね、うん、夢みたいだったね、うん、夢じゃなかったのかな、たぶん……魂の抜けた声でやり取りをして体力が戻るのを待ってから、私たちはその日はそこで解散することにした。日は傾いてもう家に帰らなければならない時間だったのだ。

 自転車のペダルを漕ぎながら蒸気機関車やカメラを初めて見た明治の人たちの気持ちってこんなのだったのかなと思いながら、あの銀色の髪の女の子のアクションを思い浮かべていた。そのせいで私は赤信号を無視しかけた。


 

 銀色の髪の女の子は幻想大陸の寸劇では「シルフィーナ」というお菓子か生理用品のような役名が、こちら側ではもっぱら「エルフちゃん」と呼ばれていた。国産ファンタジーで描かれるエルフを彷彿とする彼女の外見が由来だろう。

 彼女の本名は地球人類には発音できない上、無理やり和訳すると「北の森に住みクマとシカの神を祖先に持つ一族の勇猛な父親と麗しい乙女を母に持つ神々の祝福を受けた誇り高く美しい弓の扱いに秀でた乙女」になるという長ったらしいものだそうなので、本人はエルフちゃん呼びをこころよく受け入れていた。

 

 私は異世界エキゾチシズム丸出しなそのあだ名になんとなく抵抗があったのでそう呼ぶのを渋っていると、彼女は「じゃあ美里が私の名前をつけてよ」とせっつく。

 急に振られて動転した私はとっさに「……える子」とセンスもかけらもない名前を口にしていた。彼女はぷっと噴き出して「それじゃあエルフちゃんとそう変わらないじゃん」とカラカラ笑った。


 その後何度か彼女の外見に似合った詩的で美しい名前を提示してみたが彼女は「える子」を何故か気に入ってしまい(ガチの中二女子のひねくりだした美しい名前よりこっちの方がマシだと判断したのかもしれない)、その後こちら側ではえる子を使用し始めた。

 よって私もここからは彼女のことをえる子と呼ぶことにする。



 名前をつけられるぐらいえる子と近しい仲になったのは、私がそのショッピングモールに自転車で五分程度のごく近所に住んでいたことが大きい。文房具、ちょっとした雑貨、漫画の新刊、特にほしいものはないけれどちょっとした気晴らしなど、ふらふらとショッピングモールに出入りするようになったのだ。

 建設中は道路が混雑したり工事の音に悩まされたり迷惑もかけられたが、その時の不愉快に見合うよりも大きなリターンを得たというべきか。


 オープン当初は仲間たちと幻想大陸を含むスポットルームの宣伝をしていたえる子だが、開店当初の賑わいが落ちつくと楽しそうな表情でモール内を散策している姿をよくみるようになった。

 完全にプライベートの時の彼女はモール内に出店しているファストファッションの店で一式そろえたカジュアル服を纏っていた。なんてことない装いなのに規格外の容姿のためにとにかく目立つ。ある時はアイスクリーム屋、ある時はゲームセンター、ある時は書店で立ち読み、ある時は変なものを売ってる雑貨屋でパーティーグッズを手に取る。中でも一番よくみかけたのがフードコートでラーメンを食べている所だった。


 なにかというとモールに足を運び、何をしていても目立ってしまうえる子を目で追っていたせいだろうか、次第にえる子と目が合う機会が増えてゆく。にっこり微笑みを返す彼女にあわてて会釈をしたり、そんなことをしているうちにいつの間にか距離が近づいていた。

 あの子は今日もフードコートにいるのかな、なんて、異世界から来た綺麗な子を見たいためにモールに訪れているのだと自覚した頃だ。フードコートの入り口にいたえる子から声をかけられたのは。


「あなたあの時、ケータイデンワとかいうキカイを忘れた子だよね?」


 と。焦って頷きまくるとえる子もぱっと笑って、よかったらケータイというものを見せてほしいとお願いしてきた。そんなのお安い御用だ。席に着くと早速私は彼女に自分のメタリックブルーの携帯を手渡した。える子は自分の手の中に移った形態を興味津々で見つめ、ボタンを押しては画面が変化すると驚いて目を瞠る。神秘的な容貌に反してコミカルとさえいえる表情の変化が楽しくて、私は基本的な扱い方を教えてあげた。それをえる子は真剣な目で聞いて頷く。

 その後、私に携帯を返した後、この世界の女の子達がもってるこのキカイが欲しくって今こっちのお金を貯めてるんだ、と屈託なく語った。

 魔法が使えるらしい異世界の女の子がケータイなんて……と、目の前の事態に頷くしかできない私の目の前でテーブルに置かれていた呼び出し端末がピーピーと電子音を立てる。いわずもがな、える子がすでに注文していたラーメンが出来ましたよという合図だ。

 ごめんね、と椅子から立ち上がる彼女のいそいそとした背中を私は見送り、その数分後にはいつものように世にも美味しそうな表情でラーメンをすする顔を正面から見つめることになる。


 そういった経緯で私とえる子の距離は急速に縮まった次第だ。

 なんだか私が一方的にストーキングをやらかしていたようだが、える子の方も初めて友達になるこちら側の人間第一号として私のことを見初めていたらしいので、まあセーフということにしておこう。


「美里のぼーっとした所が牧場の牝牛みたいでさあ、可愛いなと思ったんだよね」


 人間何が気に入られるのか分からないものである。



 とにかくえる子はあきれるほどラーメン好きだった。こんなに美味しい食べ物は彼女の出身世界にはないらしい(まあそうだろう)。


「そんなに食べてよく太らないね」

 うらやましさから呟いたことがある。

「うちの一族は狩猟で食べてるからね、カロリー消費がハンパないんだよ」


 える子はスポットの向こう側——スポット運営会社がこちらむけに「幻想大陸」と名付けた世界の奥地も奥地にある深い森の出身だという。える子のいた部族は獲物を追って深い森を移動する狩猟採集民族で、伝統と格式を誇るが「とにかく保守的で頭が固くて排他的で柔軟性に欠ける」ために元々は私たちの世界と交流することに対して乗り気ではなかったらしい。

 この文明開化のご時世に、と、生来新しもの好きなえる子は一族の方針に嫌気がさし、家出同然の形でスポットゲームのキャスト募集の声に誘われる形で故郷を飛び出したそうだ。


 える子の生活基盤は私たちがスポットゲームで訪れる幻想大陸のあの村にあったが、ショーに出演している時以外のプライベートな時間はモール内をうろついていた。とにかくショッピングモールを愛していた。える子の仲間たちやほかのスポットの人たちもモールで休憩したりクレーンゲームで遊んだり買い物をしている様子を時々見かけたけれどここまで頻繁ではない。

 明るい、キレイ、なんでもある、おとぎ話の妖精のお城よりずっと素敵な夢の国。それがえる子にとってのショッピングモールである。


「こんなところに毎日いていいなんて、幸せすぎて怖い」

 フードコートでふとえる子がこぼしたことがある。

「あんまり楽しいから長居しているうちに故郷では何百年も経っていて、久しぶりに家に帰ったら親兄弟みーんなとっくに死んでいた……なんてことになってたらどうしよう」

「それとそっくりの昔話があるよ? 浦島太郎っていうの」

「マジで? うちにも同じ話があるよ。妖精郷に迷い込んだ木こりの話っていうの」


 

 何をしていても目立つ異世界出身のとてもきれいな女の子がモールにいることはすぐさま近隣では有名になる。その効果もあって、える子の所属するスポットである幻想大陸は局地的に大人気になった。

 ファストファッションでただ通路を歩くだけでも絵になるえる子を一目見る為にだけモールを訪れる客まで現れる。える子はちょっとした地域のアイドルになった。

 あのモールはあの時期える子のお陰でかなり儲けたのではないだろうか。


  

「ねえ、ここって夜中はどうなってるの?」

 

 ある時える子が私に尋ねた。

 ショッピングモールの閉店に合わせて、スポットルームも次の日の朝まで閉じられる。スポットの向こう側の住人達も閉店に合わせて自分たちの所属する世界に必ず帰ることになっている。そのあとスポットルーム管理人の手によって各スポットには鍵がかけられるのだという。翌朝にその鍵は管理人によって開かれるまでスポットは閉じられたままだ。よってえる子は夜のショッピングモールの様子を知らない。

 幻想大陸の村にあるえる子の部屋で、いつも想像をめぐらせているのだという。


「こんな大きい建物の中からだーれもいなくなるんでしょ? ほとんどのデンキも消えちゃうし。暗くて静かで空っぽで、そんな様子を想像するとゾクゾクしてこない?」

「でも警備の人が巡回したり、全くの無人じゃないと思うよ?」

「……そうね、これだけモノがあるんだもの。盗賊対策は重要よね」

 神妙な表情でうなずいたのちそれでもえる子は夢見るようにつぶやいた。

「ああでも一晩だけ、このモールの女王様になれたら最高だろうな」


 そういえば夜のショッピングモールの様子ってどんなのだろう。

 小さなころに似たような疑問を抱いた覚えはあったけれど、える子がそんなことを言いだすまですっかり忘れていた。

 考えてみれば私も夜のショッピングモールがどんな様子なのかを全く知らない。

 外からのモールの姿は私の部屋の窓から見える。防犯上のライトが照らす、巨大な箱という風情だ。その中でえる子が女王様のように自由にふるまう姿を思い浮かべてみた。

 あのモールにはお城のような豪奢なものはないけれど、壁の一部がガラス張りになっているフードコートから国道と高速道路が並走するこの町を見下ろすのは案外悪くない眺めかもしれない。



 浦島太郎もそうだが、昔話の登場人物たちはなぜか大抵今まで受け入れていた楽園のような環境を自ら放り捨ててしまう。そして大体悲しい目に遭う。

 このセオリーに則ってしまうのは癪だが、える子の楽園生活も続けていくのが難しくなった。

 

 ちょっとしたアイドルになっていたえる子が悪い形で注目を集めるようになったのだ。スポットルームの女の子が意味もなくモールの中を歩き回るのが不愉快と書かれた投書がお客様ご意見箱に入れられたり、人間を見下すクソエルフがいる店にだれが行くか等と読むに堪えない誹謗中傷がネットに書き込まれ始めたのだ。

 

 当時の人間の中にスポットの向こう側から来た人に対する差別感情が無かったとは絶対に言えない。 

 ラーメンを食べるえる子を携帯のカメラで撮ろうとしたり、髪や体に触れようとするタチの悪いファンも出始めた。


 事件はそんなときに起きた。

 雑貨売り場の商品を眺めていた時、見ず知らずの男が私に近づいてきて突然早口でなにやらわめきたててきたのだ。

 早口の上に滑舌が悪いせいでで何を言っているのか全く聞き取れないが、時々耳に突き刺さる「ブスが」「調子乗るな」「散れ」といった言葉から類推して全力で罵倒されていたことだけは分かった

 見たこともない男から一方的に罵られら驚き、戸惑い、楽しい気持ちが台無しになったが、それ以前にただただ怖い。それらすべての感情が入り混じって思考を奪い、立ち尽くすしかなくなっていると、男が突然私を平手で叩いたのだ。痛さよりも怒りよりも、わけの分からなさが先に来る。

 え、私、あんたに何かした? と、頭がそれ一色になった私の目の前で男が不意に吹っ飛び雑貨屋の店先に派手な音を立てて突っ込んだ。そのあとドタドタと駆け寄ってきた数人の警備員さんが駆け寄ってきて男を取り押さえる。

 呆気にとられた私の前に現れた、魔力を乗せた拳で男を殴り飛ばしたえる子が駆け寄ってきてぎゅっと抱きしめる。


「大丈夫っ? 痛かったよね、ごめんねごめんねっ」


 叩かれた頬に手を当てて撫でさすり、私の感情のこわばりが一気に解放された。恐怖と怒りと悔しさがやってきて気が付けば目から涙が勝手に噴き出していた。そんな私をえる子はより強く抱きしめる。なぜかえる子も涙を流していた。


 ショーで華麗なアクションを見せるえる子の身体能力はかなり高い。スポットゲームのキャストになるまでは故郷の森で巨獣を狩る生活を送っていたため戦闘能力も日本の平均的成人男性など五秒でひねりつぶせる程度には高い。

 そんなえる子が魔力をこめで殴った為にこの男は全治数か月の大けがを負ったようだった。それに加えて雑貨屋に与えた損害も少なくなかった。先に手を出したのが男だったこと、この男が以前から一方的にえる子につきまとっており暴言を投げつけるような問題行動に及んでいたためについにスポットルームを出禁になった要注意人物であることも考慮されて、なんとか厳しい処分を免れれたような状況だった。


 モールの事務室で、ショックで気が抜けた私は上の空で駆け付けた警察官に事情を説明しながら目ではスポットルームの管理人に叱られうなだれているえる子を追っていた。


「君が怒るのは無理もないよ。むしろ、俺個人としては正しい判断だと思っている。だけど君が暴力をふるったことで他のスポットの住民の立ち場はどうなる?」


 管理人は私たちが初めてスポットゲームを体験した時に「よい旅を」と見送ってくれた大学生くらいのあのお兄さんだった。その人が真剣な表情でえる子を叱っている。


「異世界の住民に偏見を持つ人は残念ながらまだまだ多い。一人の軽率な判断で他のみんなも色眼鏡で見られることもある。そのことは常に意識しておいてほしい」


 そんなに怒らないであげてとお願いしたかったが、連絡を受けてすっとんできた私の母親に状況を説明したりしてその日はまともな話もできなかった。母はモールの偉い人や管理人のお兄さんから平謝りの上にきちんと説明をされ、娘が暴力を振るわれたと聞いて気持ちの動転を収めたようだった。そんな母にもえる子は深々と頭を下げた。


「あの子が例のエルフちゃん? きれいな子ねえ」


 その日は母が運転する車に乗って帰った。なんだか含みのありそうな言い方だった。


「山本さんから美里がしょっちゅうエルフちゃんとモールと一緒にいるって聞いてたけど、挨拶のできるいい子なのね。日本語も上手だし」

「スポットの向こうの人たちが困らないようにモール全体にどんな人でも言葉が通じる魔法がかけてあるんだって。える子が言ってた」

「魔法……魔法ねぇ」

 

 自転車では五分なのに、信号待ちや夕方の渋滞で十分かけて帰宅する。それでも後部座席からなかなか立ち上がれなかった。


 叩かれた恐怖や怒りがある程度コントロールできるようになるまでの数日間を家と学校でおとなしく過ごし、それからようやくモールを訪れた。

 久しぶりに会ったえる子は黒地に銀糸で幾何学模様や未知の言語を刺繍したパーカーを着て、さらにフードを目深に被っていたためになかなか見つけられなかった。向こうから声をかけてきてようやくバンギャみたいな恰好の女の子がえる子だと気づく。


「よかったあ! もう来ないのかと思った……」


 える子は私を抱きしめる。あ、今、山本さんがいるかもしれないと私の頭に一瞬よぎったが迷わず抱きしめ返した。見たければ見ろ、である。

 こうして私たちは以前のようにモールで会ってモールで別れる仲に戻った。

 

 私の目にはバンギャのコスチュームにしか見えなかったが、える子いわくこのパーカーの刺繍はえる子自身の手によるもので、文様それ自体がある程度人目をくらませる魔法であるとのこと。

 そのフードを被ってえる子は相変わらずラーメンを食べ、ゲームセンターで遊び、本屋で立ち読みをし、服屋で試着を楽しむ。家族連れやほかに遊び場のない若者に気づかれることのないえる子がひらひら舞いながらモールのあちこちを遊び歩いている様子を想像するのは楽しいものだった。まるでショッピングモールの妖精みたいだ。


 とはいえ何もかも元通りというわけにはいかない。

 

 今までと同じようにモール内を自由に歩けなくなることはえる子にとって窮屈だったようだ。プライベート時に羽織ることにしたパーカーだって妥協の結果で、本当は着たくはないらしい。


「あのあと本当は美里の家にお見舞いに行きたかったんだけどね、でもそれ規則違反なんだ」


 その日もえる子はやっぱりラーメンを食べた。


「私たちはこのモールの外へは行けないことになってるの」

「え、なんで?」

「外に出るのは特別な許可がいるの。こっちとあっちが好き勝手に交流すると歴史の因果律を狂わせるとんでもないトラブルが起きるかもしれないからって」

「ふーん……」


 空港や港で未知の病原菌や恐ろしい動植物が入り込まないように税関の人たちが水際で目を光らせてくれているという特集をニュース番組で見た覚えがあるが、異世界間に関しても同じような事情があるのかもしれない。

 そんな風に理解しながら、私はあれほどモールを愛しモールに住む幸福に疑問を感じていた様子が気にかかった。浦島太郎もいつか竜宮城の生活に飽きていたっけ。


「その許可ってどうやったらおりるの?」


 私は試しに聞いてみた。


「わかんないけど……めったなことじゃおりないと思うよ? とりあえず美里のお見舞いに行きたいって言ったらだめだって管理人さんに怒られた」


 える子はお気に入りのラーメンのメンマをつついていた。いつもに比べて減りが遅い気もする。いくら大好物だってしょっちゅう食べてれば飽きもくるだろう。その様子を見ていてふとある気持ちが沸き起こる。

 家族で時々食べに行くお気に入りのラーメン屋が駅前にある。不意にあのラーメンをえる子に食べさせたいな、とそんな気持ちになったのだ。


「そのパーカーを着てれば、外に出てもあまり気づかれないんじゃない?」


 悪事をそそのかすことになってるなという自覚はあった。


「今度の日曜日、美味しいラーメン屋に連れて行ってあげる。駅前だから自転車だとすぐだよ。バレたら一緒に怒られてあげるから」


 える子は金色の瞳を不安そうに、それでもしっかり輝かせた。


 

 私もえる子も基本はまじめな優等生である。その日まで規則や法令の類をきっちり守って生きていた。私の場合それまでに犯した法令違反は自転車の二人乗りくらいだ。

 

「※※※※! ※※※※、※※※※!」


 ショッピングモールは切り開いた山の中腹にあるので、平地の町の中心部にある駅に向かうにはまず坂を下ることになる。自転車の荷台に横座りし私の腰に腕を巻き付けるえる子ははしゃいだような悲鳴を上げながら、異世界の言葉で何かを叫んだ。スポットの向こうの人たちと言葉が通じるのはモールの中だけなのは本当なんだと感心しながら体が密着するというベタなラブコメ的シチュエーションにドギマギしていた。える子はフードが風で飛ばないように方手で押さえているので、どうしても体をぎゅっと押し付けてしまうかたちになるのだ。

 一気に自転車で坂を下り、地元住民しか知らない細い裏道をすり抜けて駅前に向かった。

 

 昔ながらの中華料理屋的なたたずまいを残したラーメン屋にのサッシの引き戸を開く。そういえばこの店に子供だけで来たのは初めてだと、店主のおじさんの「いらっしゃい」を聞いて不意に自覚した。

 言葉がしゃべれないえる子に代わって私が並盛のラーメンを二つ注文する。ラーメンが来るまでの十数分、そわそわとあたりを見回したえる子は私の持っている携帯を指さした。使ってもいい? というようなジェスチャーを見せる。私は頷く。


 あちこちのボタンを押した後にメール欄を開いたえる子は、何かを打ち込んだ後に笑顔で画面を見せた。

 打ち込まれていたのはニコニコした笑顔の絵文字一つだ。


 このことは何があっても一生覚えてるんじゃないかとそんな予感がしてしばらく後に二杯のラーメンが出来上がる。早速割りばしを割って、スープを一さじ飲み麺をすすったえる子は嬉しそうに目を細めた。そのあとお互い無言でずるずるラーメンを食べる。


 無限に無くならないラーメンなんてものは存在しないので、いつかはお金を払って店を出なければならない。もうこれ以上いれば店主のおじさんが変に思うというタイミングになって支払いを済ませ、サッシを引いて外に出た。外は日曜日の午後だ。駅前なので人通りもそれなりに多い。私は自転車をおしてえる子と並んで歩く。


 時間はまだある。それにわたしもえる子と一緒にいる時間をできるだけ引き伸ばしたかった。

 える子が両手を下ろしていた時、顔を見合わせてお互い笑った。ほんの一瞬、気を抜いた数秒のことだった。

 

 私たちのそばの車道をバスが通ったのは運が悪かったのか。空気が動き、ラーメンを食べている時でさえ、かたくなに深くかぶり続けていたフードが外れてえる子の銀色の髪がふわっと風に舞った。

 わあっ、と通行人の一人が歓声をあげる。はた目には美しい光景だった。


 血相を変えたえる子が慌ててフードを被りなおしたが、もう手遅れだった。私にはたかだかフードが外れただけにしか見えなかったのに、える子はフードを被り直しその場にしゃがんでガタガタと震える。歓喜からの急激なおびえ、感情の急降下っぷりに私はその時ついていけず、とにかくえる子のそばにしゃがんでどうしたの? と呼びかけるしかできなかった。


 える子の恐怖の意味を次の瞬間、嫌というほど思い知らされることになる。


「シルフィーネ、発見しました」


 私たちの目の前に、警備員のような藍色の制服を着た人たちがどこからともなく音もなく現れるとしゃがみこんだえる子を無理やり立たせた。私もその中の一人に自転車が倒れるのもお構いなしに後ろ手に拘束される形で立たされる。

 える子は藍色の制服数名に取り押さえられながらも、首をねじって私の方を見ようとする。異世界の言葉で何かを叫んだ時、制服の人たちと一緒にその場からぱっと消える。

 

 何今の、魔法? びっくりしたぁ……通行人の場違いな呟きが耳を素通りする。


「その子は離してあげてください。俺から話をしますんで」


 聞き覚えのある声がした方を見ると、スポットルーム管理人のお兄さんがいて私を拘束している制服の人に頼んでいた。

 お兄さんの表情は優しかったが、目が「とんでもないことをしてくれたね」と語っていた。



 1999年の七月に恐怖の大魔王と戦ったヒーローや勇者と呼ばれた人たちは複数いるが、まさかこのお兄さんもその一人だったとは。

 異世界に召喚されて魔王と戦う宿命を負った当時の14歳は、とりあえず型通りの平和を取り戻した日本の日常に戻り、経験と能力を活かすためスポットゲーム運営会社に社員として協力することにしたらしい。


「現状、異世界間の交流と平和にかかわれるのはこの分野しかないらね」


 スポットルームのバックヤードで、実はえる子が午後の公演をすっぽかしていたことやなぜスポットの向こう側の人間がこのモールの外から出てはいけないことになっているのか、お兄さんの簡単な身の上と一緒に聞かされた。


「異世界の人間と不必要に交流すると、また1999年のような災厄が起きるんじゃないかと心配する人は多いんだよ。恐怖の大魔王だって俺たちのような人間がわざわざ召喚に応じなければ地球には現れなかったと主張する人もいる。ばかばかしいけど否定するのは現状難しい」


 ふうっとお兄さんは息をついた。


「うちも商売だからね、安全な娯楽を地球の人に提供する以上、そういった恐怖心に対する対策を取っていることを全力でアピールしなければならない」

「それが、スポットの人のをモールの外に出さないという理由ですか」

「君たちだってスポットゲームのエリアの外には出られないだろう。お互い様なんだよ」


 重い沈黙が狭いバックヤードに立ち込めた。呑気な館内放送が聞こえる。


「……える子はどうなっちゃいますか?」


 藍色の制服に連行されたえる子とその直前のガタガタと震えていたえる子の姿が頭から離れない。

 お兄さんはいい難そうに間を置いていたが、ごまかすことなく教えてくれた。


「あの制服たちはね、『平和で安全で快適な異世界交流に努める』うちの会社の警備部門の連中なんだ。社の理念に反したものを捕らえるのが仕事だ。残念ながらキャストのふりをして地球で悪事を働こうとする異世界の人間も少なくないし、そういった連中はこちらの人間にとって何かと驚異的な力を持ってるのが普通だからね、それに対抗する力も持っている」


 つまりえる子はスポットゲーム運営会社の『平和で安全で快適な異世界交流』を違反した存在とみなされた、お兄さんはそう言いたいようだった。


「理念に違反した人はどうなるんですか?」

「うちとの契約は切られる。つまりスポットゲームのキャストはクビだ」


 それだけでは済まなさそうな雰囲気をお兄さんは出していた。今更遅いが、私は必死に食い下がる。


「あの、える子をそそのかしたのは私なんです。私が駅前のラーメン屋に連れて行ってあげるって言ったんです。える子は悪くないんです!」

「だったら君の誘いを断るべきだったんだよ、シルフィーネは。公演を投げ出した上に、こんな目くらましの魔法までかけていたのは悪質だ。社があの子を不穏分子と見なしても俺にはもうどうすることも出来ないよ」

 

 事務机の上にお兄さんはえる子の着ていたパーカーを投げ出した。

 正直、ただの中学生が泣いて謝れば元勇者だという優しそうなこのお兄さんが何とかしてくれるのではないかという、今思い出しても甘ったれて恥ずかしい考えをその瞬間まで持っていた。でもお兄さんの表情でそれがただの甘い考えでしかなく、私の軽い思い付きがえる子を窮地に陥れた事実を突きつけていた。

 それでも駄々をこねるように私は繰り返した。


「本当に、ラーメン食べて自転車に乗ってただけなんです!」

「そうだと信じてるよ。俺も普段の君たちをよく見ていたから」


 お兄さんの目はどこまでも悲しそうだった。


「いい世の中になったなって、嬉しかったんだよ」


 何分だまりこくっていいたことだろう、バックヤードを覗いたスポットゲームのキャストらしき人がお通夜のような雰囲気に驚いていた。

 お兄さんはちょっと席を外すといって椅子から立ち上がる。その際に私の目の前で壁にかけた鍵束を取り出してバックヤードを出ていく。

 事務机の上には、目くらましの魔法のかかったえる子のパーカーがある。える子がフードを風で飛ばしてしまうまで、あの藍色の制服の連中も私たちを見つけられなかった様子だった。


 人の気配がないのを確認してから、思い切ってパーカーを手に取り急いで羽織り、える子がよくしていたように目深にフードを下ろしバックヤードを後にした。

 

 

 モール内に「蛍の光」が流れ、それもやがてしんと静まる。

 店員さんたちが閉店作業を終えてバラバラと去っていった後に、警備員さんが巡回するような足音が聞こえる。やがてフロアの灯りがぱっと消えた。


 完全に人気がなくなったと確信が持てるまで洋便器の上にしゃがんで待っていた。魔法のパーカーを着ているとは言え念には念を、だ。


 灯りが消えて非常灯を頼りに移動するしかないショッピングモールは想像したよりロマンチックなものではなかった。暗い、怖い、静かすぎる。

 とにかくスポットルームを目指して走り、夕方お兄さんといたバックヤードに侵入する。どうやって使うのか全く見当もつかないが、鍵かけから鍵束を手に取った。

 鍵を束ねる環に何か書いてある付箋が貼ってあるのが見える。非常灯が照らす範囲まで移動した。


 

 佐藤さんへ

 左から二つ目のスポットは稼働しておきます。すべてが終われば鍵を閉めてください。鍵は元の位置に戻すこと。


 

 そう書かれていた。お兄さんの心配りに感謝し、スポットルームのカーテンを開けた。

 稼働してないスポットはすべて真っ暗なガラスの板にしか見えない。その中で一つ煌々と明るいものがあった。もちろん左から二つ目のスポットだ。私は迷わずその前に立ち、あっと息をのんだ。


 える子がいた。ファストファッションの服でもなくショー用のコスチュームでもない白い貫頭衣姿でうなだれ膝を抱えている。思わず手を伸ばすと指先がガラスにぶつかるような感触があった。

 どうやら鍵が必要らしい。鍵束から無遠慮に一本ずつスポットのそばに近づけてみると、そのうち一本にすさまじい反応があった。鍵を持つ指先から通じて体を動かす全エネルギーが吸い上げられるような恐ろしい感触だ。

 思わずその場にへたり込むと同時に、える子がこちらに気づく。何かを叫びながらこちらに走り寄る。スポットを潜り抜け、私を抱き寄せた。


「美里! バカっ。スポットは魔力を持つ人間じゃないと開け閉めできないんだよっ」


 ということはあのお兄さんは大層魔力を持つ人なのか、そういや元勇者だったものな……というようなピントのズレたことを考える余裕が生まれたのもえる子と再会できた故である。


「える子、全てが終わったら鍵を閉めてってお兄さんが……」


 今朝までキャストだけあってえる子は鍵の扱いに慣れていた。鍵を一振りするとスポットが黒い板状になる。力が奪い取られて歩けない私をえる子は抱きかかえる。いわゆるお姫様抱っこだ。助けに来ておいてなんてザマだろう。でも正直嬉しかった。


 すべてのスポットが閉じられたスポットルームはそれこそ鼻をつままれても分からないような暗闇だったが、える子は夜目がきくのか私をだきかかえたままはバックヤードに戻ると鍵を戻す。

 少しでも明るいところへ行こうという本能がそうさせたのか、ガラス張りのおかげで比較的明るい無人のフードコートへ出た。私が想像した、真夜中のえる子が似合いそうだなと思ったあの場所だ。イメージ通り並行する高速道路と国道、あまりぱっとしない私の町の夜景が見渡せる。わあっ、とえる子が声を漏らしたのをちゃんと聞いた。


「こっちの夜ってこんなんだったんだ……!」


 ああ、える子にこれを見せてあげられたんだ。そして私もそこに立ち会えたんだ。

 その思いで私の胸はいっぱいになった。




「また美里は意識を飛ばしてる!」

 

 古い携帯を手に持ったまま意識を飛ばした私を同居人はしかりつけ、私がもっていた携帯電話を取り上げた。その後うわっ! と声をあげる。


「懐かしい……! まだ持ってたんだ、この携帯」

「覚えてたんだ。意外~」

「覚えてるよ、私が初めて触った携帯電話だもん」


 今ではすっかり日本語がうまくなり、私よりスマホのフリック入力が速い同居人、える子はヒヒヒと笑った。


 ――というわけで大人になった私とえる子は一緒に暮らしている。


 結果を先に伝えたので、一夜の冒険の後どうなったのかだけを簡単に説明しておこう。

  

 あの後一晩過ごせればロマンチックな思い出に昇華できたものだが現実はそうはいかず、すぐにすっとんできた警備員に補導されてしまった。える子が何の魔法もかかっていない素の状態であったのが原因だろう。

 

 佐藤さんちの美里ちゃんが深夜のショッピングモールでスポットの向こうの女の子と一緒にいたというスキャンダルは近所や学校を席巻し、私は母親の故郷である他県の都会の学校に転入する羽目になった。……というより郊外暮らしが肌に合わなかった都会の下町育ちの母がこれ幸いと父だけこの町に残す形で引越しを決めたようにも見える。私はそこで大学を卒業するまで暮らした。

 

 える子は地球から永久追放されてもおかしくない犯罪人の立場におとしめられそうになったが、管理人のお兄さんが身元を引き受けてくれることになり、当時先例の少なかった異世界からの帰化日本人としての人生を選ぶことになった。

 スポットゲーム運営会社のやりかたに疑問を感じていたお兄さんはこの件をきっかけに袂をわかち、私たちのショッピングモールのあったのとは別の町で独自に異世界と地球の交流によるトラブル片づける会社を立ち上げる。える子はそこのたった一人の社員として頑張って数年すごし、言葉も文化も身に着けて言葉も達者になった。


 二人の近況は、える子が頑張って手に入れた携帯電話を介したSNSを通じて把握していたので、離れてくらすことになっても交流事態は密だった。ちなみにお兄さんには元異世界のお姫様の奥さんがいて、私たちの冒険した年にはお子さんがすでにいた(生活のためにも大手の社員になった方がいいとも思ったんだよね、と最近になってぶっちゃけていた)。


 私は大学卒業し、お兄さんの会社に事務員として就職した。そしてえる子と一緒に暮らしている。

 楽園を追われた二人にしては緊張感が無く呑気で平穏なその後で申し訳ない。


 今住んでいる所にも、私たちの町にあったのと同じ系列のショッピングモールがある。今でもえる子はモールが大好きで、休日にはふたりでラーメン屋巡りをしている。

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ショッピングモールのえる子と私。 ピクルズジンジャー @amenotou

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