星くずの雪 ~ ポンコツ悪魔とぼくの クリスマスの冒険〜

天津真崎

プロローグ

 街を見下ろす小さな山の上に、その時計台は建っています。

 まだ世の中が昭和と呼ばれていたころ。

 好景気で、誰もが太っ腹だった時代に、勢いで作られたものでした。

 もとは赤く塗られていたであろうその外観は、おひさまに照らされ、雨風にさらされ、今では淡いオレンジ色。

 でもうまい具合に色褪せた結果、まるで最初からそんなふうに作られたように、絶妙な雰囲気に落ち着いていました。

 それはまるで、いい感じに年齢を重ねた女性のように、暖かく静かな佇まいでした。

 海に面した、これといって特徴のない地方都市です。

 しかし、その時計台だけは、初めてこの街を訪れた人ならば、驚き、思わず写真に撮ってしまうくらい、ちょっとした異彩を放っていました。

 そして、そういったものの常として、この街に住むひとにとっては、それはすでに生活の一部。見慣れた、当たり前の、いつもの風景なのでした。

 今では時計としての機能は失っています。

 何年か前、この街を通り過ぎた未曾有の大台風で、地上からの外付け階段もどこかへ吹っ飛び、もう誰も時計台に上ることはできません。

 すでに修理も出来ず、やろうとすら誰も思わず、その時計台は、山の中で、たくさんの木々に囲まれ、静かに朽ちていくのでした。


 ほとんどの人間が覚えていませんが、時計台には、機関部とは別に、展望部屋がありました。

 街全体に時を示す巨大な文字盤の少し上。

 開け放たれた出窓があり、そこからはこの街のすべてと青い海が見えるのでした。

 その部屋は十二畳くらいでしょうか。

 床は木で出来ており、まるで田舎の小学校の職員室のような雰囲気です。

 今、ここを勝手にねぐらにしている、おかしな二人組が居ました。

 きれいに整えられた部屋の隅っこには、木組みの広いベッドが置いてあります。

 もちろん元からここにあったものではありません。

 その上に、長い足を投げ出して両手を頭の後ろに置き、大きなあくびをする若い男が寝そべっていました。

 すぐそばの丸い椅子には、黒いコウモリがとまっています。

 そしてもう一人。

 この場にすごく場違いな、ほっそりとした美しい姿が、ベッドの上で面倒くさそうに相槌を打つと、真剣に聞く使に向かって、話しかけていました。

 ぴったりとした黒のタイトスカート。きっちりボタンがとめられた白いブラウス。手入れの行き届いた肩までのしなやかな黒髪。

 たいへん美しい姿勢で直立不動したまま、そのは、手に持つファイルを読み上げています。

 すらりと背が高く、ウェストはきゅっとくびれ、小さな顔の上には上品な目鼻がバランスよく配置されています。大企業の社長秘書かのような、とんでもない知的美人ですが、なぜだかまったくの無表情。そのせいか、精巧な機械人形のような印象も受けます。


「えーと、連絡事項は以上ですかね」

 コウモリの使い魔がしめくくりました。

「……………………」

 悪魔秘書は何か言いました。

 ですが、ものすごく小さな声で全然聞こえません。

「えーと……今月分の【魂】も確かに受領いたしました、ですか?」

 使い魔が翻訳するように言いました。

 悪魔秘書はコクリとうなずきました。お疲れ様です、と消え入りそうな声がかろうじて聞こえました。

「はい。お疲れ様です」

 使い魔も丁寧に返します。

「お疲れさーん」

 ベッドの上の悪魔は、目をつぶったまま、左手だけを上げてエラそうに言いました。

「………………」

 悪魔の秘書は、ファイルを両手で抱え込んだまま、身じろぎもせずにじっと立って居ます。

 無表情で整った顔をしているだけに、命令を待つ機械人形のようでした。

「?」

 女悪魔のそんな様子に、使い魔は「あの……まだ何か?」

 ふるふる。

 小さな顔と綺麗な髪が左右に振られました。

「なんかほかに連絡事項でもあんのか?」

 ベッドの上に寝そべったまま、悪魔も問います。

 悪魔秘書は、無言で首を横に振るだけ。

 それからも、無表情な顔でじーっと悪魔たちを見つめています。

「え? おかまいなく? いや、おかまいなくとおっしゃられても……」

 困りますよねえ、とコウモリの使い魔は自分のご主人さまを見ます。

 悪魔は、どうでもいいやという感じで、あくびしながらベッドの枕元に置いてあった雑誌を開きました。ばかでかい胸の青い水着の女の人が表紙の雑誌です。

 エロ雑誌を眺めている悪魔。でもよく見ると、凛々しく整った、色黒の美形です。

 エロ雑誌を眺めているのにどこか品があるのはイケメンの特権でしょうか。

 エロ雑誌に目を向けたまま、悪魔は、ふと思い出したような口調で言いました。

「なあ。今回、ごっそり寿命を奪ったあの連中だけどよ」

「……………………」

 悪魔が言い終わらないうちに、さえぎるように女悪魔がなにか言いました。相変わらず小声でよく聞こえません。

「……ヒトの法では裁けない、ロクでもない悪党? ごっそり寿命を縮められて当然の報い?」

 悪魔が翻訳するように言います。

 コクコクコク。秘書悪魔は妙に可愛らしくうなずきます。

「もうひとりの、ごっそり記憶を奪った若い女のほうは」

 悪魔が言いかけたところ、またもさえぎるように女悪魔がなにか言いました。

「……実父からの性的虐待の記憶なんて、ぜんぶ無くなって構わない?」

 コクコクコク。

「そりゃそうだな」

 悪魔は自嘲気味に笑い、またエロ雑誌をパラパラめくります。

 コウモリの使い魔は、ちょっと居づらそうに黙っています。

 少し間がありました。

 静かな午後の時計台。

 展望部屋に、ぱらぱらと、エロ雑誌をめくる音だけが響きます。

 すーーーっと息を吸い込む音が聞こえました。

 悪魔の秘書の深呼吸でした。

「……じつはクッキーを。持って参りました」

 悪魔の秘書はなんの脈絡もなくとつぜん言いました。

「チョコチップと。バターとアーモンドがあります」

 女悪魔はぎりぎり聞こえるくらいのかすれた声でそう言うと、手に持っていた黒の皮のブリーフケースに手を突っ込み、藤のバスケットをにゅっと取り出しました。

 どう考えても、サイズがおかしいです。四次元にでも繋がっているようでした。

「は、はあ。くっきーですか」

 使い魔は困ります。

「おれチョコチップ」

 悪魔はエロ雑誌から目を離しもせず言いました。

「こ、こここ、紅茶も。良い葉が手に入りました。アールグレイですが」

 ほんのちょっぴり高い声で、悪魔の秘書は続けます。

 よく見ると、顔がポッと赤らんでいます。

「はあ。あーるぐれい」

 使い魔は困ってしまってとりあえずご主人さまを見ました。

「そのへんに置いといてくれ」

 悪魔は軽ーく言いました。

「…………はい。では私は……これで……」

 悪魔の秘書はそう言うと、目と鼻と耳から、ぷしゅーーーと大量の空気を吐き出しました。まるで蒸気機関です。

 これで。と言ったわりに帰る素振りは見せません。

 エンドロールはとっくに終わったのに、席を立たずぼんやりしている、独りで映画を見に来た女のひとみたいです。

「あのー」と使い魔はおそるおそる悪魔秘書に尋ねました。「お急ぎでなければ、お茶でもご一緒にいかがですか?」

 それを聞いた悪魔の秘書は、それまでのオットリした雰囲気がウソみたいに素早くブリーフケースに手を突っ込むと、にゅっと折りたたみの木の椅子を取り出し言いました。

「……じつは。椅子も持参しております」

 それから、悪魔と女悪魔と使い魔は、天気の良い平和な午後の街を見下ろす時計台の展望部屋で、熱い紅茶と甘いクッキーを楽しみました。

 悪魔の秘書が帰ったのは、けっきょく夕暮れでした。


「あのひと……いつも仕事まわしてくれたり、何かと良くしてくれるんですけれど」

 悪魔秘書が飛び去った茜色の空を眺めながら、使い魔のコウモリは、ちょっと疲れた顔で言いました。

「……なんかちょっとコワイですよね……なかなか帰らないし」

 そう言って、ご主人さまの美しい顔を眺めます。

「そうかあ?」

 イケメンのご主人さまは、チョコの付いたしなやかな指をナメながら、無邪気な顔で言うのでした。



 この物語は、そんな小さな街の時計台で暮らすポンコツ悪魔と一途な使い魔が、クリスマスに起こした、小さな奇跡のおとぎ話です。

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