第1話 親分とハチ

 眩しく澄んだ冬の朝。

 凍りつくような蒼い空に、一匹の悪魔がぷかぷかと浮かんでいた。

 悪魔はとても不機嫌そうに街を見下ろしていた。

 悪魔といっても、古い物語に出てくる黒い羽、蛇の尻尾、ぬめぬめ体毛の「わたしはあくまで悪魔です」といったありがちなシロモノではない。

 耳がちょっと尖っているだけで、あとは人間と変わらない姿だった。

 むしろとてもハンサムだった。彫りが深く、鼻筋は通り、色黒で、均整の取れた体つきの、とてもカッコ良い兄ちゃんだ。

 この悪魔の兄ちゃんは、眼下に見える、師走の人々を見下ろしながら、

「おそい」

 と言った。そして頭に載せた真っ赤なぼうしの位置を直した。

 服の袖にはもこもこした白い毛糸の生地。

 真っ赤な妙な服を着た悪魔は、誰かを待っているようだった。

 ワタの切れ端のような雲と、キラキラした光のつぶ以外、何も浮かんでいない冬空を、イライラと見渡す。

 やがて、

「おやぶーーーーん」

 という可愛らしい声と共に、一匹の小さな黒いコウモリが、パタパタ羽を動かして飛んできた。

「遅いぞっ! ハチっ!」

 悪魔は、目の前ではあはあと荒い息をつくコウモリを睨んだ。

「す、すいません」

 コウモリは言った。

「で」悪魔は、コウモリの脚がつかんでいるモノをじろっと見ながら、「例のブツは用意できたようだな」

「は、はい」使い魔は、ごくりとツバを飲み込んだ。「苦労しましたが、でもなんとかバイト代で」

「はやくよこせ」

「は、はい」コウモリは、ぱたたっと軽やかに飛ぶと、悪魔の手の上に、小さな脚でつかんでいたものを離した。

「ふふふ。コレさえあれば……」

 悪魔はニヤリと笑い、受け取ったモノをおもむろに口の上に貼り付けた。

 真っ白なつげ髭だった。

 悪魔の端正な顔がほとんど隠れてしまった。

「……ふぉっふぉっふぉっ。やあっと完成じゃよ」

 目を細めながら悪魔は言った。

 ジト目で自分を見つめる使い魔のコウモリに、

「どう、ハチ。似合う?」

「似合うわけないでしょうが」

 使い魔は冷たく言い放った。

「大将。悪魔がそんな格好して、似合ってたらシャレになんないですってば」

「う」自分の着ている服……いわゆるサンタの格好を見て「そ、そうかな」

 悪魔はちょっと傷ついたようだった。

 使い魔はちょっと調子に乗って言った。

「まったく! 今年もあと少しで終わるってのに、私らときたら、満足にご飯も食べられず、おなかを空かせて……。情けなくって、ほんとっ、泣きたくなりますよっ」

「そう言うなって。俺の考えた作戦で、今度は絶対大丈夫だって」

「親分がそう言って、うまくいった試しないんですよね」

「だったらこれがその第一歩だぜ」

「信用できません」

「あのな、ハチ。人間どもが初めてあのヒコーキって乗り物で空を飛んだとき、みんな信用しないで笑ったって話知ってる?」

「悪魔が妙なたとえ話しないでくださいっ」

 使い魔は疲れた顔で、恨みがましくブツブツ。

「だいたい、親分がしっかり稼いでくれないから、私まで空腹の憂き目にあうんですよっ。しかも、せっかく入った私のバイト代で、妙なコスプレ衣装買っちゃうし」

 使い魔は、そ知らぬ顔して耳をほじる自分の主人に向かって、ツバを飛ばした。

「えり好みなんてしないで、ちゃんとニンゲンから奪って、しっかり稼いでくださいよ、もう!」

 文句を言う使い魔に、ご主人さまはニヤッと笑って、

「好き嫌いは重要な個性だぜ?」

「だぜ? じゃありません! またワケわからないことを……」

「けど、だったらなんでもいいってわけじゃないんだ」

「知ってますよ! 何度も何度もなんども聞きましたっ。『欲望にまみれて、薄汚れてて、自分勝手で、醜く歪んだニンゲンの魂しか欲しくない』んでしょ!」

「そっ」

「はああー」

 使い魔は、無邪気にうなずく主人に向かって、深いためいき。

「……あなたのその美しいお顔をうまく使えば、人間のバカな女なんて、いくらでも騙せるでしょうに」

「駄目だ」美形の悪魔は、口を真一文字にしながら、大マジメな顔で首を横に振って「女性を騙すなんて駄目だ。そんなことは紳士のすることではない」

「……自分ら紳士ちゃいまんがな。悪魔でんがな」

 使い魔はぼそっとツッコミをいれた。

 北風がぴゅうーっと吹いた。

 二人のおなかもぐーっと鳴った。

「ううう……こんな……こんななおひとの使い魔として就職してしまうなんて、私って、私って、なんてかわいそうーっ!」

 使い魔は大げさに叫んだ。

「うはははは。ハチぃ、お前どうしたんだ? 今日はいつもにも増してオモシレーぞ。バイトで疲れてんのか?」

 悲観にくれる自分を見て「うははー」と笑うご主人様。

 使い魔は一瞬あ然として、それから、

「うえええええーん! もうこんな生活イヤあーっ!」

 悪魔は使い魔の小さな体をぱしっと叩いて言った。

「ま、そう泣くなって! 契約なんてすーぐに取って、うまいもん食わしてやっからよっ」

 目に涙を浮かべた使い魔は、疑わしそうな顔で悪魔を見た。

「……その自信と、その胸クソ悪いカッコウとは、なにか関係が?」

「あるある! おおアリよっ!」

 悪魔はそう言うと、ワクワクとドキドキが一杯詰まった冬の街を見下ろした。

 天辺に光る星をつけた大きなモミの木。

 青や赤や黄色や電球と金銀の飾りつけ。

 あちこちで流れる、楽しげなBGM。

 忙しいひともそうでないひとも、元気なひともそうでないひとも、男のひとも女のひとも、子供も大人もお年よりも、みんなどことなくうきうきと楽しそう。

「今日はなーんかいいことありそうな気がするんだ」

 悪魔は、ニヤっと不敵で素敵な笑みを浮かべ、足元に見下ろす12月24日の街へ、ふわりと舞い降りた。

「あ、待ってくださいよー」

 使い魔のハチも慌てて後を追いかけるのであった。

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