第10話 千加

 3年7組…… 理系男子クラスだ。これでボクはめでたく3年間男子クラスとなった。どういう基準でクラス分けされるのか知らないが、3年連続男子クラスというのでは、ボクの青春時代、思春期を蹂躙したに等しい。いや、もっと言うならば、ボクのその後の歪な人生を形成したのがこの時期だとすれば、その責任は極めて大きいと言わざるを得ない!


 そして、三笠もまたおなじく大切な3年間を蹂躙された仲間だった。


「3年になると女子クラスはないんだとさ。どうすんだよなぁ、体育祭とかよぉ」


 三笠が今さらなことを言い始める。圧倒的に女子生徒の少ない理系を選んだ時点で、こんな悲劇もある程度予想しておかなきゃいけないところだから、それこそ自己責任ですよ、と言われてしまえばそれまでなのだ。だから、ボクたちは色気のない体育祭を迎えることを甘んじて受け入れるしかない。そして同時にそれは、高校生活になんら彩が添えられないままに終わるということを意味していて、三笠が言う通り、どうすんだよぉ~な事態ではあった。


 しかもボクも三笠も自転車通学だ。西と東の果てから、片道7キロの道のりを必死こいて自転車漕いでくるのだから、途中で高校生らしいロマンスに出会える可能性もない。さらにさらに、ここは東京ではない。その辺にうじゃうじゃ他校の女子生徒がいる状況もない。まぁ、万一奇跡的な出逢いがあったとしても、必ずや中学校の同級生に身分照会が入り、あ~、神原ね、あいつダメだわ、みたいな話になるはずだったから、ボクも三笠ももう諦めるしかなかった。


 予想通り何事もなく1学期が終わり、さらにな〜んの色気もない夏期講習で丸々夏休みを潰され、すぐに2学期が始まる。そしてこれまた予想通り体育祭、文化祭という2大イベントも、ま~~~~ったく女子の気配のないままに終わり、そのうちクリスマスが来る。仕方なく三笠と寂れた商店街の、所々電球の切れたイルミネーションを眺めていると、そのままお正月になる。一応受験生らしく合格祈願のお守りを買うためだけに神社に参詣すると、どうみても同じ年頃のカップルがそこここにいて、お揃いのお守りを買ったりしている。遠くから別れろ~別れろ~と呪いをかけてみるが、まさかその天罰が自分たちに降りかかるかもしれず、結局暗澹たる気持ちになって家に帰る。するとまもなくバレンタインデーがやってきて、受験生にはこれね、とばかりに母親がキットカットを買ってくる。そしてその頃になると、周囲はさすがに受験一色で、余程のバカじゃない限り異性に浮かれている者もいなくなる…… と思うが、ボクと三笠は別だ。お互いに母親からもらったキットカットを齧りながら、作戦を練っている。何の作戦や!


「よし、じゃあ、お互い、中学の卒業アルバムで目ぼしいやつ探して、電話で呼び出そうぜ」


 三笠はこういうところは大胆不敵だ。大抵の玉砕は翌日にはケロッとして立ち直れる。そこがボクとは大きく違うところで、こいつ凄いなぁといつも感心している。


「どうすんだよ」


「だから、オレが西中のアルバムから目ぼしいのを見つけるから、お前が呼び出す。そしてオレと引き合わせる。お前は東中の中から選べよ。オレが段取り組んでやるよ」


 アホである。西中も東中も、もはやボクたちの手中にないから本日ここに至っているのに、ここからまだ起死回生の一発があると思っているところが正真正銘のアホである。


「出せ、アルバム」


 三笠はなかなかの行動力だ。理系なんかやめて政治家の秘書にでもなればいいだろうに。


「上手くいくかねぇ……」


 そう言いながらボクも断れない。渋々卒業アルバムを持ち出す。


「国立狙うお堅い方々じゃなきゃ、そろそろ受験は終わってるだろ? 推薦の奴らなんか今が狙い目なんだよ、今が」


 なかなかの分析力かもしれない。確かに、受験はほぼ山場を越えた。ボクも三笠も適当な大学に紛れ込むことが決まったところだ。


「お互い、先入観なしで決めようぜ。あれこれ言いっこなし。実物はこっちがいいとか、性格が悪いとか、そういうのなしな」


 これは極めて正しい。大体、余計な先入観が邪魔して付き合えないケースが多すぎる。三笠、お前、大した男だ!


 しばらく無言でアルバムを眺めていた三笠だが、ある写真に目を止めた。


「これ! この右端の子!」


 それは、理科の実験かなにかで、フラスコを掲げたやや上目遣いの、確かにちょっと見かわいい感じの子が写った写真だった。


「ほ~、さすが、三笠、お目が高いよ」


 ここは褒めるでしょ。でなきゃ盛り上がらない。


「そ、そうか! 誰だよ、この子!」


「千加だな。椛島千加。高校はどこだったかな……? 憶えてないけど調べりゃわかるよ」


「調べろよ、今すぐ!」


 なんて気の短い奴だ。そもそも、一枚の写真がきっかけで、どうにかなると思っている、こいつのノー天気さはどうなんだ?


「待てよ…… 同じクラスになったことないからな…… 誰かに聞くしかないな」


「探せよ! 早く!」


 さかりのついた野良犬状態だ。いいのかね、こいつ紹介して。


「健太郎は知ってたかもな。でも、あいつ今頃受験勉強の真っ最中でそれどころじゃないんじゃないか?」


 健太郎は国立の医学部志望だ。その辺の三流大学で手を打つボクたちと、この時期に遊んでくれるような奴じゃない。


「健太郎はやめとこう。あとが面倒くさい。誰かいないのかよ」


「う~ん、みゆき?」


「大石? お前、何かというと大石だな」


 仕方ないじゃないか、あいつしか頼れるやつが見当たらない。


「頼みやすいんだよな、なんにしても」


「お前、大石と付き合えばよかったじゃないか」


 う~ん、確かにその線はあったと思う。でも、どうだろう。あいつとキスできるだろうか? 近すぎて、エッチなことができない気がする。っていうか、今はそんな話は関係なかった。三笠の話は無視して、千加へどう連絡できるか考えてみた。


「電話帳で探そう。あいつ、椛島って苗字だからすぐ見つかるよ」


 あの頃はまだ電話帳で大抵の家の電話は見つけられた。個人情報がなんちゃらなんて面倒くさいことなどなかった。探せば連絡網もあったかもしれない。


 果たして、彼女の家の電話はすぐに見つかった。


「かけろよ」


 とにかく三笠はせっかちだ。かつ、あれこれ指示してきて煩い。


「いいか、とにかく、連れ出せ。余計なことは伝えず、お前を見初めた同級生がいるんだけど、とだけ言え」


 面倒くさい。そもそも一緒のクラスになったことのないボクがいきなり電話して、そんなにトントン拍子に話が進むとでも思っているのだろうか? 空洞頭もここまでくると立派なもんだ。


「わかったよ、うるせーな」


 段々面倒になってきたが、仕方ない、乗り掛かった舟だ。ボクはしぶしぶ電話することにした。




 トゥルトゥルトゥル……… トゥルトゥルトゥル………


 電話の呼び出し音がする。やたら緊張してきた。


 ガチャ……


「もしもし?」


「あっ…… こちら…… あの…… 西中のものでして」


「はあ? 西中がどうかしましたか?」


「ええ…… その椛島千加さんは…… いますか?」


「いませんよ」


 ガチャ…… ツーツーツー……


 気が付いたら三笠の顔が間近にある。


「近い! なんや! お前、息が生臭い!!」


「そうか?」


 そう言いつつ、三笠は手にハーハーと息を吹きかけて、自分の息の匂いを確かめ始めた。こんな調子で女子にモテるわけがない。


「だめじゃんか! どーすんだよ!」


 自分の息の臭さにがっかりして、女子を口説くなど諦めてくれればいいのに、三笠はなかなかどうして打たれ強い。


「…… 仕方ない。大石に頼もう」


 困ったボクはやはりみゆきを頼ることにした。こういう時、みゆきは不在であったためしがない。どういうわけか、あいつとは腐れ縁だ。電話はすぐにつながった。


「みゆき? あのな、頼みがあるんだけど」


「なに?」


 面倒くさそうな声が返ってくる。


「椛島って知ってるよな?」


「知ってるよ。千加ちゃんでしょ? それがどうしたの?」


「いや…… 元気かなぁ……」


「ん? 元気なんじゃないの?」


「いやね、中学校卒業してから一度も会ってないなぁと思ってさ」


「へぇ。それで?」


 みゆきは察しがいい。おそらく、もう用件は伝わっていると思うが、わざとこっちの出方を待っている。


「いやね、大したことじゃないんだけど…… そのなんだ、えっと……」


「あんたなの? それともほかの誰か?」


 じれったくなったのか、ズバッと核心をついてきた。


「オ、オレな訳ないだろ、何言ってくれてんの……」


「だろうね。ミエちゃんにも筒抜けになるかもしれないしね」


 古傷を攻めてきやがる。なんとなく自然消滅すると、男の側に問題ありとされるのは仕方ない。しかし、椛島とミエちゃんが同じ女学校に通っていることを忘れていたのは迂闊だった。


「あんたとツルんでるとなると…… 三笠?」


 息をのんでしまった。なぜ、こいつはボクの一挙手一投足を把握しているんだろう?


 普通、話がこうなると撤収するものだ。敵わない相手に戦争をしかけたら、早々に降参するものだ。しかし、ここらあたりが三笠の三笠たる所以で、彼は受話器をボクから奪うと、直に交渉し始めた。


「お~、オレオレ。どう? その椛島ちゃんとか言う子。付き合えそう?」


 バカだけに直球である。110キロのストレートなんか打ち頃だと言うのに、ガンガン直球勝負するアホなピッチャーと同じだ。


「三笠ねぇ…… まぁいいんじゃない? で? どうしたいの?」


「えっ! マジで! 紹介してくれよ、マジで!」


 マジしか知らんのか、このボケは! っていうか、なぜ三笠はOKなんだ? そこが気になる。


「紹介するだけだよ」


 みゆきの面倒くさそうな声が受話器の向こう側からかすかに聞こえる。三笠と完全に顔がくっついてしまったが、この際我慢しよう。


「マジか~~~~~~!」


 こんな安請け合いが成就してたまるか! ボクは笑いながら、溺れる者は藁をもつかむ、だよ、などと三笠をバカにしたが、三笠はもう完全に椛島と付き合えることを前提に、あれこれ春休みの計画を立て始めた。



 その次の日曜日。ボクと三笠が駅前の珈琲館に出かけると、そこにはみゆきとえらく可愛い子がいた。サラサラした髪の毛が肩くらいまであって、中学時代よりちょっとほっそりして、眉を切り揃えたのか、顔全体がシャープに見えた。とにかく、椛島は3年前より格段に美人度がアップしていた。


 三笠はもう有頂天だった。初対面のくせに千加ちゃん千加ちゃんと、ちゃん付けで呼び始めている。椛島も椛島で、淳クンなんて三笠のことを呼ぶから、もう完全にアウトな感じだった。バカップルめ……


 ボクもみゆきもまるで邪魔な感じだったので、コーヒーを飲みほしたところでボクたちふたりは退散することにした。


「では、あとはお若い方にお任せして……」


 こういう嫌味も全く通用せず、三笠の野郎はシッシとボクを手払いしやがった。





「みゆき…… なんでだよ、どうなってんだよ」


「あ~、渡りに船ってこのことね。千加ちゃんからさ、会うたびにうちの生徒誰か紹介して~って言われてたんだよね」


「はぁ……?」


 ボクはその場にへたり込みそうになった。恋などというのは、そのあたりに適当に転がっているものらしい。偶然、それを手にすることのできる奴もいれば、いつまでたってもそれに気づかず、見逃しっぱなしの者もいる。三笠は前者でボクは後者だということか…… ガッカリ。


「あんたもバカだねぇ…… 気づかなかったの? マジで?」


「ん? なんのこと?」


「千加ちゃんって、中学校の頃、あんたのことがそれとなく好きだったらしいよ」


「…… なにそれ」


 なんで今ごろそんな打ち明け話するかね……


「三笠紹介する時に、あんたのツレだって言ったら、一発でOKだったよ。なんであんたみたいなのがいいのか知らないけど、あんた、意外に人気あったからさ」


「…… マジか…… 他にはいないのかよ……」


「…… バカにつける薬がないってのは本当だよ、ったく」


 そう言って、みゆきはとっとと歩いて帰ってしまった。空には早すぎる月を隠そうとでもするかのように、解けそうなひこうき雲が東の空を横切っている。




 その後、三笠と千加ちゃんは結構長い間付き合った。どこでどう行き違いが生じたかはしらないが、ハッピーエンドにはならなかった。


 そしてボクは、大学に進んでからはこの小さな町で出会った連中とはまったく付き合わなくなった。


 だから、みゆきのことも、その後どうなったか、詳しくは知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青く澄んだ空の下で 千賀 華神 @ChicaHannaLugh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ