第5話

 「束縛の文明……?」

俺はカタリナの言うことが理解できず、首をかしげた。

「私は、あの文明に行ったときに驚愕したの。今までのどの文明よりも自由があって、何でも手に入って、情報も知識も物品も氾濫している。小さな四角い『箱』を使えば、それらが即座に手に入るということも驚きだった……」

彼女は、左右の指で長方形を作った。四角い『箱』、恐らくスマホのことだろう。

「でもね……ある日、私は気が付いた。そんなに自由で、物も溢れるほどあって、生活には何一つ不自由していないのに、みんな暗い顔をしている。

 ――そして、美しい夕焼けが広がっていても、誰一人空を見上げず……手元ばかりを眺め、腕につけた小さな時計ばかりに目を配っている……私は、こんなにも束縛された人たちを見たのは初めてだった」

 

 俺は、慌てて手を振り言った。意味もなく微笑しながら。

「それは、カタリナが一人だったからだよ。その四角いのは使えば誰とだって簡単に連絡がとれるし、それに時計を見るのは束縛じゃなくて必要なだけだよ」

 

 カタリナはそれ以上、何も言わなかった。その代わり、頬をぷくりと膨らませた。

「それって……私が誰からも好かれてないって言ってるの?」

「いやいやいやいや……違うって! 俺のいたあの世界では一人って意味で言っただけで……」

前かがみになりながら、苦しいほどに否定した。でも、彼女はどこか落ち着いている。

「いいえ、別にいいの。私が、ずっと孤独だったのは紛れもなく事実だもの……。あの日、見覚えのあったあの古本屋で……」

そう言った後、顔をふいに背けると小声でポツリと追加した。

「……君に、出会うまでは」

 男なら、ここは平然と振舞うべきだろうと思った。でも、無意識に耳の裏が熱くなっていくのを感じてしまう。

 「俺は、別にカタリナみたいにいろんな異世界に転移できるわけではないんだ。でも、カタリナの話を聞いてたら……コレのおかげなのかなって思ったんだけど」

俺は立ち上がり、部屋の隅に置いておいたあの本を手にした。どっしりと重量があり、古びてはいるものの頑丈な表紙に自然と目が行く。俺でも、何となくこの世界の文字と、この本に書かれた文字が似ている気がしたのだ。


 ガタッ……。  


 カタリナは、勢いよく立ち上がるとその本をまじまじと見た。

 彼女の顔は、本当にまるで初めて異世界に降り立った人間のような――さっきの俺みたいな――表情をしていた。

「間違いない。コウ、題名を読める?」

「い、いや……異世界の文字は読めないな」

「本当? 私は、行く先々で文字も読めるし言葉も通じるからてっきりそういうものだと思っていたのに……」

いや、俺から見ればむしろそれが凄すぎると思う。そんなことを思った俺を傍目に、彼女は一言一言かみしめるように言った。

 「この本の題名は、『プロイヤ王国興亡史』……私の、この王国の誕生から滅亡までが書かれている物。そして、私がずっと追い求めていた本だわ…………でも」

ふいに力が抜けたかのように、カタリナは顔を俯けてしまった。

「私にはもうできない、未来を知ることなんて」

その分厚い本を彼女はテーブルの上にカタリと置く。テーブル上に積もっていたわずかな埃が舞い上がった。


 「全ての元凶は、最初に私がこの国の滅亡の年を知ってしまったこと……それだけじゃない。少しずつ少しずつ、原因を探れば探るほど、知りたくない未来を知ってしまった」

カタリナは俺の顔を弱弱しく見上げ、躊躇いながらも口を開いた。

「この国の滅亡と同時に、王族も全員死に絶えるらしいわ。だから、私の命もあと一年ってことになるかな……。

 ――私はね、あらゆる世界で時空を超えた知識を得るうちに……自分の寿命さえも知ってしまったの」


 俺は、背筋が凍りつくのを感じた。到底実感が湧かないけれど、自分の命の長さを知るということは……人間にとってあってはならないことなはずだ。それほどまでに、それが人に与える精神的な衝撃は大きい。


 「それでもカタリナは、ずっと求めてきたんだろ? この国の滅亡の理由を……」

「うん……。でもね、内心ではホッとしていたのかもしれない。自分が求めるものからほど遠い、なんの関係もない世界に飛ばされて……手がかりが一つも手に入らない時に、心の底では安心している自分がいた気がする」

カタリナは、俺に顔を見せてくれなかった。俯いた小さな頭部の前で、強く指を絡ませ手を組んでいる。

 「だから、私にはこの本のページをめくることは……できない。もうこれ以上、未来を知りたくない。もし、この国の滅亡が変えようもない事象だったら……それを知ってしまうことが怖い」


 出会って間もない俺なんかに、彼女のために何かできるのか? 

 彼女は、ずっと一人だったんだ。異世界に転移するという自分の怪異をその華奢な背中に背負い、自分だけが知る未来と戦い続けてきたんだ……。


 それなら俺は、何のためにこの世界に降り立ったのか。

 誰が、この世界に俺を送ったのか……。それは……。


 「……カタリナ」


 名前を呼んでも、彼女は顔を上げない。


 「俺は、この本を絶対にあげないし、売らない。カタリナが必要とするその時までは、絶対に」

驚いたように顔を上げたカタリナに、俺は一続きに言う。

「俺はこう見えても、古本屋の息子なんだ。人のために、本を売りたい。やっぱりウチの店が売った本ではお客さんに幸せになってほしい。だから、今のカタリナには絶対に売らない――」

カタリナは無言――、それが返事だった。

 俺は、彼女の細い腕を握ろうと手を伸ばした。その瞬間彼女と目が合い、思わず手前のテーブルに手をついて誤魔化してしまった。

「カタリナ、こんな埃臭いところにいてもだめだと思う……。少しこの国、この街を見てみたいんだ、付き合ってくれるか……?」

 今は、彼女の気持ちを変える何かが必要だ。それはこの狭い部屋には絶対にない。もっと広いところに必ずあるはずだ。カタリナには、きっと見えていないものがある。それが、カタリナ自身を救う手立てになるはず――。


 外の空気は、まるで午後のそれだった。異世界に飛んでから、何やら時間がわかりやすい気がする。街の人々全員が、太陽の示す時間に忠実な感じだ。午後三時くらいなために、外で働いている人々が棘の生えた独特な見た目の南国フルーツを刃物でバラし、ムシャムシャと食している。

 「コウ、ここ乗って」

慣れた身のこなしで大きな白馬に跨ったカタリナは、自分の腰かけた鞍の後部をポンポンと叩いた。そこに乗れということらしいが……。

「え……そんなとこ乗れないって」

ふたつの意味で俺には乗れない。乗馬経験がないから鞍に跨る方法がワカラナイ、そしてもう一つ、女の子の背中に密着するなんて恥ずかしすぎる……。

「もう、ほらっ!」

細い腕をスッとこちらに伸ばされた。まさか、馬に乗る機会があるなんて思っても見なかった。恥ずかしさで体が動かない。

「恥ずかしがらなくていいよ。コウの世界に馬がいないのは知ってるもの。まさか、人が馬を手放す世界があるなんて思ってもみなかったけど」

左側からなんとかよじ登り、できる限り彼女の体にくっつかないようにしながら肩に軽く手を掛けた。骨ばった細肩が手に包まれ、心臓の鼓動が心なしか早くなってしまう。

 カタリナは慣れた手つきで馬を走らせた……どこに連れられるのかはわからないままに。

 

 



 

 


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