第4話
あれは忘れもしない二年前、16歳の夜のことだった。私は、たくさんの侍女に囲まれ、夜の勉学を終えてベッドに入った。ふかふかの大きなベッドが、いつも以上に気持ち良くて、心が弾んだ。
ふわふわの布団を口元まで引き上げ、じっといろんな想像を巡らす。絵本で見た世界や、お父様に付随して旅に出たときに見た景色を……あれこれ思い出しながらそこでの暮らしを考えるのだ。過酷だけれど夜には綺麗な月を見れる砂漠の生活や、山脈の麓で湧き水と共に暮らす生活など……そして、その日もいつもと同じようにそんなことを頭で思い描いて眠った。
眠りについたはずの私が、はっと目を開けると……見たこともない世界に飛ばされていた。目を覚ましたのは、街の中心部の小さな木造家屋だった。固すぎる質素なベッドに耐えられず起き上がり、愕然とする。窓の外では、どこかへと連れ出される男たちが神妙な顔つきで列を作っていた。粗末な槍や剣を手にした彼らを、街中の人間が拍手と共に送りだす。
私が初めて飛ばされた世界は、「戦争」の文明だった。
街に漂う空気は淀んでいて、私はただただ恐怖を感じた。床の隅に腰を下ろし、震えながらこの悪い夢が覚めるのを待った。けれど、頬を抓っても足の指を打ちつけても夢は覚めない――。
どれほど経っただろうか……。厚い雲に隠された太陽がひっそりと沈んだ頃、私は元の世界の宮殿の柔らかなベッドの上に戻されていた。そしてすぐ、近くに立っていた侍女に泣きつき、初めて人前で泣き喚いた私に驚いた侍女によってお母様の元に渡された。
でも、お母様は理解してくれなかった。大好きなお父様にも、気が狂ったのだと思われてしまった。
再び訪れた夜、目を覚ましたのはまたもやあの戦火の元にある街だった。
「おばさん……。この戦争はいつから続いているの?」
灰色の鈍重な雲に覆われたある日、私は街の広場で唯一見かけた女の人に声を掛けた。
「もうずっと。十年くらいにはなるね」
「どうして、終わらないの? みんな辛いし、苦しいはずなのに……」
思わず心の中で考えていたことを口にしてしまった私は、その人にギッと睨まれた。
「馬鹿言うんじゃないよ! あいつらは悪魔なんだよ。大陸から入ってきた偽物の神様を拝む悪魔さ! 私なんてもう夫も息子も戦地に出してるのに若いのが泣き言言ってどうするんだい!!」
私は涙を溜めて小屋に戻り、ドアのカギをしっかり掛けてまた座り込み俯き続けた。私には、それしかできなかった。
時間が経てば、あの宮殿に戻れるんだ。お父様もお母様も私が変なことを言わなければ優しい。私は、間違いなく恵まれているんだ……。
そんな日々が二週間ほど続いた。日が経つごとに、街から連れ出される男の顔立ちは幼くなっていって、小屋の中に隠れていても争いの匂いが微かにするようになってきた。遥か遠くで、金属音がする。地響きもする。でも、自分には何もできなかった。ただ、時間が経つのを待つだけの苦しい毎日。
嵐のように突然、「その日」はやってきた。馬の大群が迫る大きな地響き――敵軍の鉄騎隊だ。壁と同化するほど張り付いて縮こまっていたけれど、私のいる粗末な小屋のドアを乱暴に誰かが叩いた。私は、動かない体を必死に動かして窓から外へ出た。何も見ないようにして、ひたすらに走った。悪魔なんて呼ばれていた人たちが街に入ってきてるんだ。逃げなきゃ――。それが、初めてその文明に飛ばされるようになってから三週間たった日の出来事だった。
私は森の方に走った。何人かの大男に見られた気がした。それでも、がむしゃらに走って。逃げて……。どれほど走ったかわからないけれど、もうあの戦火の街も見えないほどのところまで来ると、疲労で倒れた。
そして、目を覚ますと、泥にまみれた私の身体が宮殿のベッドで横になっていた。侍女に不審な目で見られ、布団を汚したことを少し怒られた。
その日、私は高熱で苦しんだ。体は結構丈夫で、今まで熱なんてほとんど出したことがないのに。でも、怖くて眠りにつけなかった。眠れば、またあの世界に連れていかれてしまう……。私の眠りの先にあるのは、地獄なのだ。
目がぐるぐると廻り、耳元が焼けるように熱かったけれど、私は目を開き続けた。2日間の間ずっと。
なのに、3日目の夜……私はついに瞼を閉じてしまった。
私が転移したのは、あの小さな小屋ではなかった。
私が目を覚ましたのは見知らぬ宮殿の中だった。
次の世界は、「絢爛」の文明――何もかもが豪華で、美しく、だれもが笑顔な世界だった。
その世界でも随一の大貴族の家に招かれた女史、それがその世界での「私」。欲しいと言えば何でも手に入り、好きなものが食べられる。絢爛の世界では家も、一つ一つの部屋も、食事も、何もかもが元の世界の王族のそれを凌駕するもので、私の貪欲な願いが次々と満たされていった。元の世界のお母様みたいな美しい宝石の指輪やネックレスが欲しい。侍女も誰もいない大浴場で、自分の気ままに過ごしたい――。それらは皆、莫大な財力で叶えてもらえた。
ある日、何気なくその世界のカレンダーを目にした。
神聖暦1500年――その暦は、元の世界のものと全く同じだった。私の王国は、神聖暦1300年、私はわずかに200年未来の世界のどこかに飛ばされていたということだったのだ。
まだ幼かった私は、膨大な装飾品で飾られた華美で大きな図書館に行き、本のページをめくった。
そう、自分の王国のことが知りたかったのだ。もしかしたら、お父様の偉業も載ってるかもしれないなんて――。
そんな期待を寄せて。私は目にしてしまった、自分の王国の滅亡の時を。
それは、元の世界の年から数えて、わずかに三年後のことだった。
信じられない。頭の中にいろんなものが入っては抜けていった。体中が何かに包まれ、強いめまいがした。
お父様の治める王国に、何か危機が迫っているとは思えなかった。周りの国とは仲が良いはずだし、天災だって国が亡ぶほどのことが起こるだろうか……。
でも、現に私の目の前に事実として「滅亡」の二文字があった。
私は寝ても覚めてもその事しか考えられなかった。お父様にもお母様にも必死の想いでその話をした。けれど、二人とも信じてくれない。当たり前のことだ。
布団に潜り、向こうの世界――200年後の世界に転移してもなお、王国滅亡の原因を探り続けた。学者と呼ばれる人間、煌びやかな神殿の人たちにも……話を聞いた。だけど、誰も私が求めることを知っている人はいなかった。
その国には、財宝も金品も山ほどあるのに。私の求める情報は欠片も落ちていなかった。
民は、国内から湧き出る宝物で暮らし幸福を享受している。その幸福な暮らしに、知識は必要ない。誰もが、学ぶことを苦痛なことだと認識している……。
その世界には、英知が欠落していたのだ。
一か月後……、祈るような思いで眠りについた私は、再び全く違う世界へと転移した。その世界は暦が私の王国とは異なった、丸っ切り別の「異」世界。滅亡の理由を知るためのほんの一かけらの情報さえも掴めなかった。
「祭祀」の文明、「奴隷」の文明、「草原」の文明、「貿易」の文明、「平和」の文明、「資源」の文明……。
私は、いつしか祈りながら眠りにつくようになった。自分の国を救うためには、どうしてこの愛する王国が急速に衰え滅亡したのかの理由を知らなけれればならない。
孤独――。滅亡の運命を知っているのはこの私、ただ一人。昼間、元の世界でも護衛や付き人を振り切っては街中の識者や学者に話を聞いて回った。
もうどれほどの世界を渡り歩いたか、自分でも数えられなくなって、その分だけ死線をくぐり抜け、男に産まれたかったと思うようなことも何度もあって……。
自分にとってはどこまでも暗闇で、いっそ滅亡なんてただの嘘だと思い込んで、全てをやめてしまいたいとさえ思った。
「……そして、私が数週間前から転移するようになった世界が『束縛』の文明、君がいた世界だったのよ」
カタリナは、深く何かを考えるように天井を見上げた。
俺は、彼女の言った言葉の意味を必死に噛みしめようとする。
「束縛の、文明……?」
「高度に進んだ文明を持つトウキョウという世界は、誰にでも自由が与えられている代わりに束縛という概念に支配されている……」
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