5話 光の残したカタチ

 空には暗雲が立ち込め、雨が激しく激しく降り注いでいた。

 周囲は背の高い針葉樹に囲われているのだが、なぜか花火の周囲の地面はアイスをスプーンですくったように深く抉れている。

 近くで雷が落ち轟音が響いた。


 花火の目の前にはクロフィーが光を抱きかかえて座っている。

 こんな状態で生きているのが奇跡だ。光はもう間もなく……死ぬ。


「いけすかねぇ……女のひざまくらで……まったかいがあったさね……」


 光が言葉を紡ぐ。

 花火の視界がみるみる涙で埋まる。

 その光の言葉で理解した。


 ――花火を呼んだ未練は光なのだ、と。


「ごめんね、花火ちゃん」

「……クロフィー、さん」


 光を抱きかかえ、クロフィーが唇を噛み締めながら花火へ謝罪を口にする。


「……私たちは荒魂あらたま、それも禍津日神まがつひのかみ弔いの儀式に当たっていたの」

禍津日神まがつひのかみ……」


 死に逝く者の未練は綺麗な感情ばかりではない。憎しみや、殺意、悪意ある未練もある。それを荒魂と呼ぶ。

 その中でも世の不合理を全てを憎み、生ある時から憎悪を蓄え、穢れた魂を払う司書を呪い殺してしまう死を拒絶する危険な未練がある。

 それが、禍津日神まがつひのかみだ。


「シンダンデス様のお力添えもあって、どうにか『遺品カタチ』へ変える事ができたのですが、同行した他の特級司書は残念ながら……全員、呪いに食い殺されてしまいました」


 自我を失った未練である禍津日神まがつひのかみは獣を象どり、死を拒み、死に抗い、生ある者を食らうのだと、光から聞いた事がある。


「今回の依頼対象は元勇者の後始末。彼は彼が救った者に、行き場を失った力が自分たちに向くことを恐れられ、共に旅をしてきた仲間に殺されたのです」

「……救った者に殺された……」


 酷すぎる話だった。

 現実も異世界も変わらない。いつだって醜い心が不幸な未練を産みだすのだと、光が以前話をしてくれた。


「本当に……醜いです」


 そんな輩のために光は死ぬ。

 考えれば、この禍津日神まがつひのかみだって被害者ではないか。


「きっと、危険な仕事以前に花火ちゃんにこんな汚れ仕事をさせたくなかったのでしょうね」

「……光ばーちゃん」

「白菊が花散らす前に禍津日神まがついのかみが暴走して、私をかばったヒカリんは下半身を食い千切られたのです」


 クロフィーが唇を噛み、肩を震わせる。

 いつも柔和な彼女が涙をこぼすところを花火は初めて見た。


 その手には、錠前のついた黒表紙の本が握られている。おそらく、それが禍津日神まがつひのかみとなった勇者の『遺品カタチ』なのだろう。


「は……な……び」


 光が花火を呼ぶ。


「光ばーちゃん、死なないで……ください。まだ、私は、ひとりじゃ……ダメなんです」

「ばか……はな、び……」


 今にも光の瞳は閉じそうだった。

 死にかけているというのに、出来の悪い弟子を叱咤して、言葉の続きを眼差しが語り継ぐ。


「無理です……私には」

「で……きる……さね」


 あたしの死を弔っておくれ。

 花火ならできる。なにせ、あたしのバカ弟子で自慢の孫なんだから。

 そう、瞳が語りかけていた。


「こんなときに、誉めるの……ズルいです」


 光は何も言っていない。


 ただ、花火の言葉に目尻を僅かに緩めただけだ。それでも、花火は涙を袖で拭い光に向き直る。


「花火ちゃん、もう!」

「……私、やります」


 今、花火が何をしなければいけないのか、光が花火に何を望んでいるのか、最初から分かっていたのだ。


 まだその時はこないと思っていた。

 花火はそう遠くない未来に棺桶図書館の司書になり、そのうち光に認められ、そして、これからも一緒に仕事をして……いつか恩返しをするのだと、そう思っていた。

 勝手に思い込んでいたのだ。


 いつか訪れる未来がいつかなど誰にも分からないではないか。

 それは確かに数年先だったかもしれないし、明日かもしれなかったのだ。


「クロフィーさん、手を貸してください。光ばーちゃんを、弔うために」

「……花火ちゃん……」


 今、目の前に花火に救いを求める未練がある。棺桶図書館の司書として、憧れに報いる機会は、いつかではなくなのだ


 それでいい。

 光の目が花火に語りかける。


「……死神よ、間際の命に間際の時間を与えたもう」


 クロフィーが『間際』の錬金術を行使する。

 花火はまだ未熟。足りない力は誰かに借りてでも、花火は花火に向けられる未練に答えねばならない。

 光に求められているのは、他でもない花火なのだから。


「汝、最後に記すべき言葉を」


 涙は留まることなく流れ落ちる。

 それでも、花火は光に顔を寄せて凛とした声で訪ねる。


「り……なししょ――」


 泣き崩れそうになるのを歯を食い縛り、耐え涙声で花火は答える。


「……賜りました」


 光は微笑んだ。


 花火の胸中に、色々な記憶や感情が渦巻いている。とても集中している状態とはほど遠い精神状態だ。

 しかし、まるで背中越しに光が手を添えてリードしてくれているかのように体が動く。


 涙は止まらない。それでも瞳を閉じずに花火は光の顔を見て、光もそれを受け止める。


 口上を口にする。


 鞄から取り出した白菊の蕾に指をかざすと、光の心臓に根が伸びていく。あんなに失敗したのが嘘かのように、根を張った白菊の蕾がさわさわと揺れ始めた。


「――――かしこみ、かしこみ申す」


 光の表情が穏やかな物へ変わっていく。韻と印、花火の数え歌に呼応して蕾の花弁が徐々にほどけていく。


『――『ブックエンド』』


 純白の菊一文字の大輪が咲き誇り――花吹雪が舞った。


 ☆ ☆ ☆


 ――あれから1年。

 花火は棺桶図書館の司書として、異世界を訪れていた。赤い・・菊が内に刺繍されたキャスケット帽をかぶって。


 このキャスケット帽は、光が花火に残した『遺品カタチ』だ。


「汝、最後に記すべき言葉を」


 異世界の晴れた空を瞳に映し、赤子を抱いたまま死に逝く女が言葉を紡ぐ。


「……確かに、賜りました」


 女の瞳が赤ん坊を追う。

 伝った涙を赤子が拭い、不思議そうな顔で手についた液体を見たが、すぐに笑いまた母の頬を小さな手で触れる。

 その様子を見た母の目から、とめどなく涙が頬を伝っていく。


 花火が白菊をかざす。口上を語り、数えの韻を歌いう。病に犯され続け、苦しんだ彼女は最後に安らかな表情を赤子に向けると、部屋に白菊の花びらが爆ぜた。


「あらあら、随分と上達したわね、花火ちゃん」

「ありがとうございます、師匠」


 現在花火の師匠を務めるクロフィーが儀式の手際を誉める。


「もう、また師匠って呼ぶんだから。昔みたいにクロフィーって呼んで欲しいんですよ、私は?」

「公私混同は避けないと、甘えが出てしまいそうだと思って。すいません」

「もぅ」


 まだまだ師匠つきの身分の花火。だが、最近はやっと一連の作業が板についてきた。


「ヒカリんは散々名前で呼んでいたのに?」

「はい。あれはワザと・・・でしたので」

「あらあら、あらあらあら。じゃあ、仕方ないわね。私にはあんなに……優しく鬼教官なんてできないもの」


 花火は光の孫である事を何よりも誇りに思っている。その関係を何よりも大切にしていると光に伝える意図で「光ばーちゃん」と呼び続けた。まぁ、大分苦労はしたが。


「そう言えば、この方は最後なんて?」

「いい男に会いたいって言ってました」


 にっこりと花火が答え、それを聞いたクロフィーがキョトンとする。


「いい男? 坊やを抱いて、末期の言葉がそれですか?」


 それで地獄の訓練を命じられようと。

 それで高校での青春を捨てようとも。

 花火は光を師匠ではなく「光ばーちゃん」と呼びたかったのだ。


「えぇ、その坊やが成人していい男になったとき、棺桶図書館で会えたならと、そう言ってました」

「まぁ、それは」

「えぇ、素敵な未練ですよね。でも、師匠もまだまだですね。そんな事じゃすぐに追い越しちゃいますよ?」

「あらあら、あらあらあら、花火ちゃんに喧嘩を売られてしまったわ。どうしましょ。ふふっ、とても素敵だわ。確かに、私もまだまだね」


 異世界の柔らかな風がふたりの髪を揺らす。空を見上げると、澄み渡る青空がどこまでも広がっていた。

 花火は泣きそうになったが、笑う。


 光が花火に伝えた末期の未練。

「立派な司書になるんだよ」と花火の事で、どこまでも師匠で、光らしいものだった。

 だから、花火は司書を目指す。


 ――光のような特級司書を。


 その代わり残した『遺品カタチ』。

 キャスケット帽の内側に刺繍された赤い菊の花言葉は『あんたを愛している』だ。


 常に花火とともにいるという意味を込めてか、制服のひとつであるキャスケット帽子に『遺品カタチ』を残した。


 特級司書への道はまだまだ長い。

 ならば、焦らず歩いていこう。


 花火は黒いキャスケット帽を目深にかぶりなおした。


「さぁ、棺桶図書館に納めに行きましょう、師匠」


 光の残した『遺品カタチ』とともに。

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棺桶図書館の司書……と、その弟子 べる・まーく @shigerocks

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