4話 虫の知らせ

 教団本部に顔を出してからひと月。

 花火はあれから一度も異世界へ行っていない。光が今回の仕事に花火の同行を許可しなかったのだ。

 理由は「実力不足」の一言。シンプル故にそう言われては食い下がる訳にもいかず、花火はここ最近で最も平穏で、物足りない土日を家で過ごしている。


 居間で集中できぬ頭のまま参考書を眺めていると、扉が開いた。


「ふぅ、やっぱり我が家は落ち着くさね」


 そこには汚れた黒づくめの制服を着た光が、顔を泥だらけにして立っていた。


「光ばーちゃん!」

「おぅ、ただいま。花火」


 光が家に帰ってきたのは3日ぶり。

 花火が同行して異世界に仕事に出掛けたときでも、これほど長期に家を開けたことはない。


「おかえりなさいです! 今お風呂沸かすから待ってて下さい。あ、それよりも食事。いやいやまずは熱いお茶を。それともそれとも」


 オロオロとする花火。

 そんな花火を見て、光は目を細め笑う。


「そんな慌てなくても大丈夫さね。それよりも、花火。あんたの話を聞かせておくれ」

「私の話 ですか?」

「あぁ、学校の事とか修行の事とかさ。駄目かい?」

「はい、大丈夫です! なら、お茶とせんべいすぐに用意してきます」


 ひまわりのような明るい笑顔を咲かせると、花火は台所へ駆けていく。


 光は居間の座卓にどかっと腰を下ろすと、微笑みながら花火を目で追い、そのまま眠ってしまった。

 台所から帰ってきた花火は、眠る光を見つけると「……ぁ」と声を漏らして少し残念そうな顔をしたが、毛布をそっとかける。

 こんなに疲れていたのに、花火の話を聞こうとしてくれた光の優しさに感謝しながら、祖母の寝顔を眺めて自主学習に精をだすのであった。


「悪かったね。今の仕事が落ち着いたらまた話を聞くさ。あと、修行の方も死ぬほどしごいてやるさね」

「はい。楽しみに待ってます」


 声はいつもどおり。だが、子犬のようにしょぼくれた様子の花火に皺だらけの手が伸ばされる。光は花火の頭を撫でてくれた。


「……光ばーちゃん。私、もう子供じゃないんですよ?」

「かっかっか。孫はいくら大きくなろうと可愛い孫さね。じゃ、行ってくるな花火」

「はい、光 ばーちゃん。いってらっしゃい」


 修行絡みや勝負事が絡まなければ光は優しいお婆ちゃんだ。花火にとって憧れの師匠でもあり、大切な家族でもある。


「光ばーちゃん、体は大丈夫?」

「ん、心配ないさ。それで元気がなかったのかい。へいちゃらさ。最近は咳もでてないだろう?」

「……うん。そうだね」


 かんらかんらと笑ってはいるが、体調を崩し、病み上がりの光が花火は心配だ。

 夜明け前に光は家を後にした。


 シンダンデスが光とクロフィーに言った特級司書でなくてはこなせない大きな仕事。

 内容すら話さないという事は、きっと花火の面倒を見きれないほどの危険が伴う現場なのだろう。

 ついて行きたくとも、ひよっこですらない花火は足手まといにしかならない。


 ならば、花火は今できる事をするだけ。

 せっかく見送りで朝早く目覚めたのだ。時間を有効活用するとしよう。


「よし、光ばーちゃんが頑張ってるんです。私も少しでも頑張らなくちゃなのです!」


 口上と儀式の訓練を重ねる花火。少しずつだが成果は上がっている。

 言葉と印、口上と韻、そして集中したときに胸の辺りにもやもやとした熱を感じるようになった。

 それと、仄かに白菊の蕾が明かりを灯すようになってきたので、あともう一歩で蕾を花開かせる事ができそうなのだ。


「でも、花開かないんですよね」


 さわさわと蕾の先が動く。

 動きはするのだが、いくら力んでも、集中しようとも、そこから先花開くステージに進めないのだ。

 あと一歩。あと一歩なのだがその一歩がとてつもなく遠く感じる。


「よし、もう一回」


 学校が休みの土曜日。この日は花火は一日中ひとりで儀式の訓練に没頭した。

 それでも、白菊が花を咲かせる事は無かったが。


 ☆ ☆ ☆


 気を失うように床で寝てしまった花火は、夜中に目を覚ました。

 時間を確認すれば午前2時過ぎ。少し根を詰めすぎたようだ。


 雨戸がガシャガシャと騒がしい。

 女性の悲鳴のような風切り音が外から聞こえてくる。雨が吹き付ける音もした。


「そういえば台風がくるってニュースでいってました」


 雨戸も締めずに寝てしまったのか。

 窓から夜の闇の中で、レジ袋や葉や木が吹き飛んでいく様子が目に入る。


「……!」


 ふいに胸がざわつく。

 理由が分からないが、胸の動機が激しくなりひどく落ち着かない。

 これは、虫の知らせだ。


 以前、光が話してくれた。

 虫の知らせは、誰かが未練を叫ぶ心の声なのだと。


 棺桶図書館の司書は未練の声を聞く才を持つ者。誰に声が届くのかはエニシのみが知るところ。そして、今は誰かの虫の知らせが花火を呼んでいるのだ。


 初めての経験だが間違いない。

 胸のざわめきが花火に訴えている。

 未練を聞き届けて欲しい、と。


「……呼ばれてる」


 花火は立ち上がる。

 今まで一度も自分の手で異世界の扉を繋いだ事はない。いつも光の後に続いてついていっていただけだ。


 だが、今光はいない。

 そして、なぜだか分からないが花火が呼ばれているのだとはっきりと分かった。


「私を呼んでます。間違いありません。行かなきゃ」


 クローゼットの中から制服を取りだし着用する。ネクタイを結び、革の半長靴の紐をきつく結び、仕事用の肩かけ鞄をかける。

 棺桶図書館の司書たる者慌てるべからず、それはさんざん光に叩き込まれてきた事だ。


 現場で自分が死んだのでは弔う命を『遺品』に残す事など叶わない。

 仕事に失敗のいいわけなど作らないために常時準備は怠らない。死が絡む現場で、ああしてれば、こうしてれば、と後で呟いた所で手遅れなのだから。


 いつでも光と異世界に行けるように鞄の中に必要な道具は揃っている。

 キャスケット帽を目深に被るとドアに向き直った。


「今行きますからまだ頑張ってください」


 まだ顔も見ぬ相手の無事を祈る。

 自室の扉のドアノブに手をかけた。

 花火を求める声の元へ、そうイメージをたどり着くように念じて扉を開く。


「……できた」


 室内に生暖かい風が吹き込んできた。

 現実とは違う精霊たちの気配も感じる。繋がった、そう確信して扉を開放する。


『がうぅ』

「……え、くろちん?」


 扉を開けると、目の前に見覚えのあるパッチワークだらけのぬいぐるみがいた。黒いボタンの瞳が花火をじっと見詰めてくる。光のバディペットであるぬいぐるみ黒龍くろちんだ。


 花火はすぐに異変に気づいた。

 ボタンの瞳は片方失われ、右腕は肩から千切れており、腹から綿がでている。

 おまけに、体は黒く焼け焦げた後が残っており、ぬいぐるみに大怪我と呼んでいいものか迷うが、とても無事な姿とは言えない。


「くろちん、大怪我しているじゃないですか! 大変です、すぐに修復してもらわないと!?」


 くろちんは、昔光の友人だった者が光に残した『遺品カタチ』だ。シンダンデスの許可を得て、光に従事する意思ある玩具の龍だった。

遺品カタチ』の修復管理は専門の司書が必要で、門外漢である花火ではどうすることもできない。


 後ろの黒樫の扉をくぐって教団本部に行けばきっと誰か司書がいるはず。ここに来れたのだ、きっと大丈夫。

 そう思って踵を返した。


「すぐに司書を呼んできます。はぐぅ!?」


 花火はくろちんにピーコートの襟首をくわえられ、乱暴に背中の方へと放り投げられる。


「は、ほぇええ!?」


 背中から落ちたが、幸いにして落下先はぬいぐるみのクッションで怪我はない。


「花火ちゃん! どうしてここに……」


 目を見開いてクロフィーが声を上げる。

 花火もまた目を見開き声を失った。


「光、ばーちゃん……?」

「ばか……花火。……仕事中は……きょう……かん、だ」


 半身を失い、なんで生きているか分からないほどの重体の光が花火を待ち受けていた。




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