第4話 冬

 僕が体調を崩したのは、厳しい寒さが続いたある冬の日の出来事のことだった。

 身体が思う様に動かない。手先に力が入らないのだ。

 僕は入院することになった。

 まだ若いのだ、そう自分に言い聞かせるが、身体は一向に言うことを聞かない。


「大丈夫よ」


 ステラは病室のベッドに横たわる僕に優しく微笑みかける。出会ったときと変わらぬ美しさの彼女。


「あなたはきっと良くなるわ。……きっとね」


 そんな風に言って、いつもと同じ笑顔で僕を見るのだった。

 だけれど、僕には解った。ずっと一緒に居たんだ。他の誰にも解らなくても、僕にだけは解った。彼女のいつもと同じ明るい笑顔の向こうに、小さな陰があった。その悲しげな陰が、彼女が僕に隠し事をしていることを告げていた。

 僕はきっと、もう長くないのだろう。


 命の灯は、日一日と弱弱しくなっていく。

 遂にベッドからも起き上がれなくなった頃、僕は言った。

 家に帰りたい……。

 僕は帰りたかった。思い出の詰まったあの家に、二人で暮らしたあの家に。

 もしも、僕が命を終えるのだとしたら、あの場所以外には考えられなかった。

 彼女は何度も病院で治療を受けるように僕を説得し続けた。しかし、最後には僕の願いを受け入れてくれた。

 僕は彼女に連れられて、懐かしい我が家へと帰った。


 僕は彼女に肩を貸してもらい、なんとか彼女の家のベッドへと辿り着いた。

 移動に体力を使ってしまったためだろうか。視界はかすみ、ぐるぐると回る。この世界からの別れの時は近いようだった。

 僕はステラに言う。

 今までの礼とこれから先の未来について。


 ステラはまだ若々しい。

 僕が居なくなったらきっと誰とだって添い遂げていけるだろう。また、彼女を一人、森の奥に置いていかねばならないことが気がかりだった僕は、僕が死んだら僕のことを忘れるようにと伝えた。


「……忘れられるはずなんてない」


 ステラは、もはや涙を隠さなかった。

 ステラの大きくて美しい双眸から涙はまるで降りやまぬ雨の様に流れ続ける。


「忘れるなんてできるはずがない……。ユキマサ……あなたは私にとって世界のすべてだった……そんなあなたを忘れることなんて、できるはずがない……」


 彼女の言葉に打たれた僕の胸は震える。

 彼女とすごした日々の思い出が、僕の脳裏を駆け抜ける。

 初めて出会った夜、お互い、おっかなびっくり事情を説明しあったこと。

 彼女に案内されて森を探検し、美しい湖のほとりで語り合ったこと。

 都会のビルや車に驚き、悲鳴を上げる彼女を笑ったこと。

 僕が彼女へプロポーズし、愛を誓い合ったこと。

 そして、初めて一つになった夜のこと。


 何十年もの日々の一つ一つが、かけがえのない宝物であった。

 

 ステラ、君と僕は出会ってから五十年の時を一緒に過ごしたね……。種族の違いや寿命の違いに悩んで、十年もプロポーズが出来なかった僕を君は何も言わず、黙って待っていてくれていた。それからまた十年して、母さんが亡くなるとき、僕と母さんの手を優しく握ってくれたあの日の温もりを、僕は今も覚えているよ。今、僕はあのときの母さんと同じ様に別の世界に旅立とうとしている……。だけれど、きっと、この別れは永遠じゃない。僕と君は世界を隔てて出会ったんだ。生と死の境くらいきっと何でもないよ。……いつか、君が最期まで精一杯生きて……その後にまたきっと出会えるから。

 僕たちは永遠の運命で結ばれているよ。


 ああ、僕はいったいどこまで言葉を紡げたのだろう。もはや、全身に感覚がない。きっと心の中で考えた言葉の半分も口には出来ていないだろう。

 だけれど――


「はい……」


 ステラは優しく微笑んで、そう返事をした。

 ああ、そうか……。

 もう、僕たちの間には言葉なんて要らなかったのだ。僕たちの心はとっくに一つのものになっていたのだから。

 僕の目蓋はゆっくりと閉じられていく。

 それだけが本当に悲しい。

 今、目を閉じればきっと、もう二度と彼女の顔を見ることはできないだろうから。

 僕は彼女の優しい微笑みを目に焼き付けて、静かに目を閉じた。


 彼女の優しい微笑みは、いつまでも変わらなかった。

                                   〈了〉





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いつまでも変わらぬ君へ 雪瀬ひうろ @hiuro

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