えぴろーぐ

 先に目を覚ましたのはラーシュでした。

 ふかふかな感触にまどろみながら、次の瞬間にばっと体を跳ね上げます。


「しまった! あの壺!」


 思い出したところで、自分が今いる場所に思い当たります。


「え、あ……あれ?」


 覚えている最後の瞬間は、一階のリビングにあるテーブルの上で、壺から溢れ出る穢れた空気と浄化の魔法を拮抗させているところでした。

 それなのに、今自分が眠っていたのは、三階にある寝床。

 いったい何が起きたのか、ラーシュは混乱して辺りを見回します。

 と。


「ああ、起きたかいラーシュ君」

「リョースさん!?」


 声をかけてきたのは、押し入れの引き戸のところに寄りかかっているリョースでした。

 心なしか、いつもより機嫌の良いような。


「シキワ君はまだ眠っているのかな。まあ、ひとまずほら、そこのミルクでも飲むといい。やぬし殿が君の為に手ずから淹れてくれたものだよ」

「え。……やぬしさまが? ということは……」


 ラーシュの頭から血の気が引いていきます。

 それはつまり、断りもなく住みついていた自分たちの存在が、やぬしさまに露見したことを表しているからです。

 が、ラーシュはそれよりも大事なことを思い出しました。


「いや、そんなことよりリョースさん! あの壺は? あの、穢れた気配を吐き出し続ける呪われた壺は――」

「ああ、それなら少し前にやぬし殿が持って出かけたよ。やぬし殿には呪いのアイテムを好んで蒐集する趣味の持ち主が知り合いにいるそうでね。その人物に割高で譲るとか言っていたね」

「では、この家が呪われる心配はもうないのですね。良かった……」

「やぬし殿は君たちにお礼を言っていたよ。家が呪いに穢されることがなかったのは、君たちのお陰だとね。それと、これまで知らない振りをしていて済まなかった、だって」

「え」

「やぬし殿は、君たちが鞄に忍び込んだ時から知っていたそうだよ」

「ええぇっ!?」


 愕然としたラーシュの叫び声が家じゅうに響きました。






 リョースはやぬしさまから頼まれたからと、ふたりが倒れた後に何があったかという説明を済ませた上で、ラーシュと、その後ろにいるシキワに向けて問いかけました。


「やぬし殿は、ふたりにこれからもよろしく、と言っておられたよ。君たちはどうするんだい? やぬし殿は気づかないふりを続けることはやめると言うし、ちゃんと声を交わすなら今だと思うけどね」

「しかしですね、リョースさん。家妖精がやぬしさまと親しく話すなんて、聞いたことが」

「ここは君たちの世界じゃないんだよ。新しい世界で、新しい関係を作ったっていいんじゃないかな」

「……それは、そうかもしれませんね」


 小さく溜息をついて、ラーシュはくるりと後ろを振り返りました。


「どうする? 姉さん。目、覚めてるよね?」

「ぎく」


 狸寝入りを決め込んでいたシキワが、突然の言葉に反応してしまいます。

 ラーシュとリョースの冷たい視線が突き刺さる中、シキワは諦めたように体を起こしました。

 やぬしさまのお使いになった霊薬の効果か、顔のハリとツヤはいつも以上に良いのですが、困ったような表情でふたりを見てきます。


「いいのかな、私たち。やぬしさまに無断で住んでいたのに」

「それはさっきも言った通りさ。やぬし殿は君たちの仕事に感謝したことはあっても、嫌がったことは一度もなかったそうだよ」

「……でも。やぬしさまのご機嫌を損ねちゃったら、私……」


 いつもの強気な様子はどこへやら、何とも弱気なシキワ。その言葉に、ラーシュが仕方ないとばかりに口を開きました。


「姉さん。僕たちザシ家のブラウニーの役割は?」

「やぬしさまの家の幸せを守ること」

「姉さん。僕たちザシ家のブラウニーの幸せは?」

「やぬしさまが幸せに過ごされること」


 ここまで言えば、シキワも分かったようでした。

 ラーシュが続けるのを遮って、厳かに宣言します。


「私たちザシ家のブラウニーの誇りとは、やぬしさまに感謝されることではなく、やぬしさまの幸せを支え、やぬしさまと共に喜び、その笑顔を絶やさないこと。そうよね、ラーシュ?」

「そうさ。姉さん、やぬしさまがそれを望まれるのなら――」


 シキワの宣言に、ラーシュが力強く頷きました。







 家に帰ってきたやぬしさまが扉を開けると、足元にみっつの小さな影が待っていました。


「おかえりなさい、やぬしさま! そして、はじめまして!」

「おかえりなさい、やぬしさま! 今まで隠れていて、ごめんなさい!」

「おかえり、やぬし殿。今日まで君の家を陰ながら守っていたふたりが、挨拶をしたいってさ」


 その言葉にやぬしさまは笑みを浮かべ、そっと手を差し伸べました。

 自分はいいよと一歩さがるリョースを置いて、シキワとラーシュはやぬしさまの掌にそっと座ります。立つなんて、とんでもない!


「こちらこそはじめまして。名前を教えてくれるかな?」

「シキワです」

「ラーシュです」

「これまでありがとう。シキワ、ラーシュ。これからもよろしくね。甲斐性のない家主かもしれないけれど……」


 困ったように笑うやぬしさまに、ふたりは揃って首を振りました。


「やぬしさまは僕たちを救ってくれました」

「だから恩返しするって決めたんです。家妖精として、やぬしさまにお仕えしようって」

「……ありがとう、ふたりとも。こんなに可愛らしい同居人がさんにんもいてくれるなら、きっと幸せに暮らせるだろうね」


 やぬしさまはふたりを静かに床に下ろすと、靴を脱ぐために腰を下ろしました。

 笑顔で鞄を叩きます。


「そしたら、ご飯にしようか。君たちのお陰で、ちょっと良い稼ぎになったんだ。今日はごちそうだよ」

「ごちそう?」

「ああ。せっかくだし、みんなで食べよう」


 やぬしさまの優しい声に、ふたりは心の底からほっとしました。威勢の良いことを言ってはいましたが、それはそれとして少し怖かったのです。

 でも、やぬしさまの眼差しが、優しいまま変わらないのです。

 それは、どんなごちそうよりも嬉しくて――







「やぬしさま、起きてください。朝ですよ」


 新しい日常が始まりました。朝、やぬしさまを優しく起こすのはもちろんシキワの仕事です。

 耳元で美少女に起きるよう囁かれるやぬしさまも、満更ではないようです。

 そんなシキワの右手には、いつぞやの腕輪がはまっていました。


「おはよう、シキワ」




「やぬしさま、今日のベーコンは芸術的な焼け具合です!」


 朝食を用意するのはラーシュの仕事です。野菜は、結局いつくことになったリョースが家庭菜園で育てた瑞々しいものばかり。

 これまでゼリー食品で済ませることの多かったやぬしさまには、こちらがとても好評でした。


「ありがとう、ラーシュ。いただきます」




 でも。やぬしさまが一番喜んだことは、別のことでした。


「行ってらっしゃいませ、やぬしさま!」


 出かける時に送り出してくれる誰かがいること。帰ってきたときに迎えてくれる誰かがいること。

 やぬしさまは、今日も他の世界を救うべく出かけて行かれます。

 今までとは違う、満面の笑みを浮かべて。


「行ってくるよ。シキワ、ラーシュ、リョース」





 いえりぶらうにぃ 完

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