呪いのあいてむ

 やぬしさまがリョースを連れて――探していたデックの痕跡が見つかったとかで――出かけられた世界からお帰りになった日の晩。

 持ち帰ってきたお土産の中に呪われた品があることに先に気付いたのは、ラーシュでした。

 一階でいつもの結界を張りなおす仕事を終わらせた後で、清浄な空気を侵食する穢れた気配に気付いたのです。

 まるで腐った血液が気体になったような、ひどい臭気を感じさせる気配。

 ラーシュには覚えのある気配でした。かつて、シキワとラーシュが住んでいた世界を覆っていた、呪われた夜の気配に近いものです。シキワとラーシュの世界ではやぬしさまが打ち払ったものですが、このまま一晩置いておいたら、どれほどの穢れが家の中を侵すことでしょうか。

 背筋を走る恐怖に耐えながら、上で作業を続けているであろうシキワの元に向かいます。

 シキワはまだ仕事の最中でしたが、ラーシュの顔色を見て驚いたようでした。


「どうしたの、ラーシュ?」

「姉さん。やぬしさまの持ち帰った品に、まずいものがある」

「すぐに行くわ」


 ごめんなさいねやぬしさま、と呟いて。シキワはやぬしさまの服をたたむと、ラーシュに続いて階段を下りるのでした。






 穢れた気配を垂れ流しているのは、見るからに胡散臭いデザインの壺でした。

 さすがのシキワも表情を厳しいものにしています。


「やぬしさまの家に、一瞬だって置いておきたくないわね」

「うん。どうしようか」

「どうもこうもないわよ。やぬしさまの持ち帰られたものだもの。私たちの一存で捨てたりするのは許されないわ。私たちのするべきことは、ひとつだけ」

「そっか。そうだね、姉さん」

「やぬしさまの家にふさわしいものにするわよ!」


 ふたりは壺から同じくらいの距離を取ると、覚悟を決めた表情で両手をかざしました。


「……本当はリョースにも手伝ってほしいところだったけどね」

「仕方ないよ。疲れていたもの」


 リョースは双子のデックと、『しっかり決着をつけてきた』のだそうです。

 その決着がどういうものかは分かりませんでしたが、見るからにふらふらになっておりまして、やぬしさまの家の二階にある客間で泥のように眠っています。

 リョースの助けは期待できません。


「あんたも疲れたら言いなさいよ。休憩する時間くらいは用意してあげるわ」

「姉さんこそ。浄化の魔術は僕の方が得意なんだぜ」

「弟のくせに生意気なんだから。……やるわよ、ラーシュ!」

「うん、姉さん!」


 シキワとラーシュは魔力の限りを尽くして、壺へと浄化の魔術を行使しました。


「立ち去りなさい、あしきものよ!」

「消え去りなさい、害なすものよ!」


 湧き上がる穢れた気配と、ふたりの魔術がぶつかり合います。

 ふたりの心にあったものは、ただひとつでした。


「やぬしさまの、ために……!」


 二人の戦いは、まだ始まったばかりです。






 翌朝。

 柔らかいベッドで健やかな目覚めを果たしたリョースは、一階へ降りるとすぐに取って返しました。そのまま二階を通り過ぎ、三階で休むやぬしさまの部屋に向かいます。


「やぬし殿。やぬし殿……起きてくれ」

「ん」


 疲れていたのでしょうが、それどころではないのです。何度か肩を揺すると、やぬしさまは目を覚ましてくれました。


「おお、リョース。どうしたんだ、おはよう」

「すぐに降りてきてくれ。頼むよ」

「ん、何かあったのかい?」


 リョースの様子に、やぬしさまは感じるところがあったようで、すぐに頷いてくれました。

 連れ立って――と言うよりその掌に乗せてもらって――ともに一階に降ります。


「これは……!」


 そこには、持ち帰ってきた呪いの壺を前に、疲れ切って眠っているふたりの妖精の姿がありました。


「ずいぶんと、呪いが弱まっているよ。無理をしたんだろうね……」

「……無事なのか?」

「呪いに蝕まれている様子はないから、大丈夫だと思うよ。魔力の使い過ぎで疲れて眠っているだけさ」

「そうか」


 やぬしさまはリョースを下ろすと、入口近くに置いてあった鞄を取りに行きました。

 中から虹色をした小瓶を取り出します。


「やぬし殿、それは?」

「魔力を回復させる薬だよ。開けちゃうと端から気化するのがもったいないんだけどね」

「霊薬じゃないか! おいおい、いくらなんでもそれほどのものを」

「知らないふりを続けていたお詫びもかねて、だよ。また元気に、この家を守ってくれると嬉しいんだ」


 やぬしさまは躊躇なく、小瓶の蓋を開けました。やぬしさまの言う通り、開けたところから虹色の気体が溢れ出しています。

 ラーシュとシキワの口元に、ひとしずくずつ流し込みます。ふたりの体が柔らかく輝き、ふたりの寝息が安らいだものに変わります。


「これで大丈夫かな」

「もったいない……というのは失礼なのだろうね。大丈夫、ふたりはすぐに元気になるよ」


 と、やぬしさまが二人の体をそっと持ち上げました。二人が起きないように気をつけつつ、リョースに聞くのです。


「二人にお礼をしたいのだけど、何かルールはあるかな」

「着るようなものはあげないのがマナーだね。『これでもやるからとっとと出ていけ』って意味になるから。小皿にミルクを注いだものや、仕事の役に立つものなんかをプレゼントすると喜ぶね」

「ミルクはあるね。暖かいほうがいいのかな?」

「ぬるくても大丈夫だからそのままで。仕事と言えば、ラーシュは剣を置いてきたと言っていたから材料が、シキワはやぬし殿の持ち物を磨くのが好きだと言っていたから良い磨き布が良いのではないかな」

「……シキワとラーシュと言うのか。僕はふたりの名前も知らなかったんだなあ」


 静かに静かに階段を登りながら、やぬしさまはふたりに何をプレゼントするのか考えるのでした。






 押し入れの奥の寝床にふたりを寝かせて、それぞれの枕元にお礼の品と、ミルクを入れた小皿を置いて。

 やぬしさまは優しい笑みを浮かべながら、そっと語りかけたのでした。


「今までありがとう。これからもよろしくね、シキワ、ラーシュ」

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