再会

 ゼペットは目の前にひざまずいた彫像のような大男の話を聞き終わると、しばらくうつむいて自らの体験と考え合わせていたが、やがて相手の顔を見ながら信じ難い推論を一つ一つ確認し始めた。

「では十年前、ジアッキーノ殿の元を訪れた『さる高貴なお方』とはナポリ国王妃だった、ということかね?」

「まさしく」

「ジアッキーノ殿は『一人の子の体がもう一人の体となっている』と言っていた。それがつまり双子の王子だった」

「いかにも」

「私は彼に人形を差し上げた。それが第一王子の身体となった」

「さようで」

「王妃は王子に――その時はどっちも知らんかったが――私の名を付けたいと言われた。自分の名などおこがましいと思ったんで家の名、つまりピッノキオにした」

「それは存じ上げませんでした」

「ピッノキオ王子はお披露目をしておらんから誰も知らん。だが私はよぉく知っておる。あの『木の子供』がそうだね?」

 オルランドは黙ってうなずいた。

「警護役のあんたは声をかけた私を捕らえた」

「ゼペット殿のお姿を知る者はほとんどおらず……面目次第もございません」

「それは構わんよ。だが一国の王子ともあろう御方にあんな危ない芸を許しておくのはなんでだね?」

「王が事を急いでいらっしゃる理由の一つがつまりそれでして……」

「それ、とは?」

「ピッノキオ王子は痛みをお感じにならぬようなのです」

「なんだって?」

 オルランドは大声を出したゼペットを手で制すと小声で続けた。

「危ないと申し上げても、危ないの意味すらお分かりにならぬ様子で……」

 そうか。確かにこの義足あしに痛みを感じることはない。幼い頃から怪我もなく痛みもなければ……ゼペットは手のひらで額をビタビタと叩いた。

「なんとびんなことだ」

「このままではたみの気持ちが分からぬようになってしまう。王はそれを何よりも憂慮ゆうりよしておられます」

「しかし表立っては動けんという訳か」

がゆいことこの上もありませぬ」

「それで何か分かったのかね?」

「ローマでは何も。そう言えばゼペット殿はお若い頃、船乗りだったとか」

「単なるあきないだがね。あちこち回るには回ったな」

「オオカミをあがめる人々の話をお聞きになったことはありませんか?」

「恐れられてはおったが崇めるというのは……石板には何と書かれとったんだね?」

 オルランドがゼペットの問いに答えようと口を開いたのと同時に、テントの入口から少年の声がした。


 なんじら ねがいを かなえたくば

 おおかみの やしろに つどいて

 いのりを ささげよ

 めがみは おおかみと なりて

 なんじらを しゅくふく せん

 ねがいはうつつならん


「王子!」オルランドは飛び上がると入り口に立つ少年に走り寄った。

「お一人で出歩くのはお控えください!」

「だってオルランド来ないんだもん」

「必ず団長にお声がけくださいと申し上げてい……」

「おじさんは誰?」

 少年は屈強そうな護衛の脇から顔を出してゼペットに話しかけた。オルランドは諦めたように首を振るとゼペットの方に向き直った。

「王子。こちらがあの〈ナポリの魔術師〉ゼペット殿です。ゼペット殿、こちらにおわしますはピッノキオ・デ・トラスマタラ王子にあらせられます」

 少年は小走りにゼペットに近づいた。

「こんばんは。はじめましてゼペットさん。お会いできて光栄です」

「おお……」

 少々乱暴な芸を終えて身支度を整えた少年は目を見張るほど美しかった。自分が丹精込めて作った人形が、自らの意思で動き、語りかけてくる。それはゼペットが夢にまで見た――魂を売ろうとさえ考えた――光景だった。

「私のことを……知っとるかね?」

「母が話してくれました。命を救ってくださって名前もいただいたって。もう一人のお父様だって。僕、ずっとゼペットさんに会いたかったんです」

「私もずっとずっと会いたかったよ。もっと近くでその顔を見せておくれ」

 ピッノキオの頬に手を添えてその顔を見るゼペットの目がうるんだ。

「どうしたんですか?」

「いや、なんでもないよ。なんでもない」

 ゼペットは袖口で顔を拭うと相手の肩をポンポンと叩いた。

「さあ、あっちを向いてここにお座り」

 ピッノキオを毛布の上に座らせると、ゼペットは立ち上がって掛け金からランプを取り外し、木の少年の首と肩を調べ始めた。オルランドが心配そうに問いかけた。

「やはり傷んでおりますか?」

「今はまだどうということはないがあんな真似をしておったらなぁ……巡業はいつまで続くのかね?」

「今はまだなんとも」

「ふむ……」

 ゼペットはしばらく考え込んでいたが、ランプを元のように掛け金に吊るすとオルランドの顔を見て言った。

「私も同行しよう」

「何をおつしやるのです?」

 ゼペットはピッノキオの肩に手を置いた。

「長旅には修理人が必要だろう? この子だけじゃない。木でできたものなら大抵直せるぞ」

「木のお医者さんだね」

 ピッノキオの嬉しそうな様子に一瞬ためらったオルランドはしかし、首を振って眉をしかめるとゼペットの提案を退けた。

「なりません。国を乗っ取ろうというジョバンニにとって我らは邪魔者。一緒にいれば間違いなく危険な目に遭われるでしょう」

「危険な目?」

 ゼペットは相手の言葉を繰り返してから微笑んだ。

「私は昔クジラに呑まれた。どんな悪人だろうと人を呑み込んだりはできまい。それに信じ難い事だがこの子は今や王家の子。本当ならお目通りも叶うまい。それがこうして一緒にいられるんだ」

 ゼペットはピッノキオの顔を覗き込み、それからオルランドに笑って見せた。

「命を賭ける価値があると思わんかね?」



 翌朝早く、ゼペットは再びナポリ市内の病院を訪れると担当の納品係を呼び出してもらった。

「今朝はどうしたんだね? 納め忘れでもあったかい?」

「いや実は用事ができてしまってしばらく休みが欲しいんだ。注文が受けられんようになるが大丈夫かと思ってね」

「ほぅ! とうとう休む気になったか!」

 納品係は眉をうんと上げ、両手をゼペットに向けて小さく万歳した。

「気にしなさんな。なにしろ十年分だ。ちょっとばかり休んだって誰も責めやしないさ。ゆっくりするといい」

「済まないね。ありがとう」

 ゼペットは担当者に礼を言うと病院を後にした。その日の晩、ゼペットの工房にサーカス団の若者が迎えに来た。ゼペットは工具を詰めたトランクと共に馬車に乗り込んだ。オルランドに付き添われて団長に挨拶を済ませたゼペットは、晴れて団専属の修理人として雇い入れられた。


 ――自分が作った人形を人間にする。


〈ナポリの魔術師〉の名に相応しい、世にも不思議な旅が始まったのである。

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続ピノキオ異聞 玖万辺サキ @KumabeSaki

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