浦島博士のタイムトラベル理論

片瀬智子

浦島博士のタイムトラベル理論

 どちらかと言えば浦島博士は、老人というよりまだ中年の域を脱していないのに細胞から枯れ果てているという感じを受けた。

 この生中継のためか、限りある髪を染め、鼻下のひげを整え、水色の真新しいシャツに袖を通している。外見上において精一杯の努力をして来たのがありありとわかる。


 私たちは外側が鏡張りで、内側が透明ガラスの箱型をしたスタジオに入れられた。マジックミラーの仕掛けで向こうからこちらは見えていない。

 室内からは厳選された記者やカメラマンたちが、今はまだそれぞれに私語を交わす様子が見て取れる。親友のみわ子も記者の一人として、ちょこんと前方に座っていた。もうそろそろマジックミラーの効果が解け、博士と私が皆さんの前に姿を見せる時が来る。


 近年、浦島博士が独自研究しているタイムトラベル理論は、皆様もご承知のことと思う。

 その研究成果をテレビ&インターネットの生中継で発表するという、前代未聞の規格外企画が現実となることが決まった。

 そして、そのインタビュアーになんとこの私が選ばれたのだ。まさに、千載一遇。チャンスの女神の前髪を引き抜いた瞬間である。


 えっと、申し遅れましたが、私は亀宮かめみやほのか。二十七歳。

 フリーのライターになり、まだ二ヶ月。駆け出しの新米ライター。いや、まだ駆け出す前の靴を履く段階。田植えライターと言った方が正しい。謙遜ではなく。

 それなのになぜ、このような大抜擢に至ったかということについて、まずはご説明したい。


 この春、恥ずかしながら私は五年間付き合った彼氏にあっけなく振られ、ひどい自暴自棄に陥っていた。眠ることも食事も喉を通らず、ただただ泣いてばかりの毎日。彼と結婚するつもりで就職もせず、バイトで生活していた私に突きつけられた未来は正直悲惨なものになった。その時に支えてくれたのが幼なじみの無二の親友、みわ子である。


 みわ子は大学を卒業してからずっと、地元の一際ひときわ小さな出版社で働いていた。小さな冊子に小さな記事を載せるのだ。

 野心というものは彼女の辞書には一切なく、常に堅実をモットーとしているはずなのに、こんな私のためにある情報を持ってきてくれた。


 『浦島博士のタイムトラベル理論』を一緒に証明してみませんか。

 やる気があれば、経験・経歴などは問いません。女性に限ります。インタビュアーとして、世界中にテレビ中継予定。


 ……このような内容だったと思う。

 突然、マスコミ各社に『浦島時空研究所』よりメールが配信されてきたらしい。あのタイムトラベルの研究で有名な浦島博士が一般応募を受け付けるというのだ。

 しかも、それに選ばれれば、特異的ながらインタビュアーとしての将来が約束されるとみわ子は言った。もちろん、それ相当のギャラも出る。だが、みわ子の心情では不本意に違いない。苦い表情を見ればわかる。こんな甘い話を一番嫌う性格だから。


 しかし、私は今、上品なことを言っていられる身分ではなかった。現状をどうにかして脱しなくてはならない。みわ子もそれを重く受け止めての行動だった。私は乗った。

 写真付き履歴書、タイムトラベルについての小論文、それらにより応募者はふるいにかけられる。そして通過すれば、浦島博士やいわゆる関係者による面接となる。

 生まれてこの方、何かに選ばれるという経験は残念ながらない。

 バイトも先輩の紹介だったし、ライターといってもみわ子のお下がりの仕事を頂戴しているだけだ。しいて言えば、生まれるときに両親が私を選んでくれたくらいか。


 期待と不安と自虐の狭間を揺れながら、私は一ヶ月を過ごした。

 面接が決まった日はみわ子の方が興奮し、早くもケーキでお祝いしてくれた。まさか、私にこんな夢のような日が来るとは思わなかった。実は小論文の内容を最後の最後まで悔やんでいたからだ。


 たぶん、他の応募者はタイムトラベルに夢や希望を乗せた文章を提出したに違いない。普通ならそうする。だが私は、これでもかという程ネガティブな内容を徒然つれづれにやや物騒に書いてしまったのだ。

 もちろん、当時の精神状態によるものだ。もしも過去に戻れるなら、当時の彼氏をぶっ殺して逮捕される前に現代へ帰って来たい……といったような。どんな正直さが功を奏したのか、私はなんと最終面接まで残ってしまった。


 面接では驚くほどリラックスした私がいた。

 不思議なことに、面接とは名ばかりの顔合わせ、打ち合わせだった。多数いたという応募者は、厳正なる審査の結果落選し、面接日にはすでに私で決定していた。

「あなたしかいません」と生まれて初めて言われた、人生で最良の日であった。


 そういった訳で今、マジックミラー仕掛けの部屋の長テーブルに浦島博士と私は着席している。博士とはこれまで何度か会い、入念なリハーサルも済ませていた。

 博士は臨機応変という言葉を何度も繰り返した。

 タイムトラベルは人間の思うようにいくものではない。どんなに準備をしたとしても、ボタンの掛け違えのように足下をすくわれる。行った先々で頭脳を活用しなければ、全てが水の泡となってしまう。旅行というよりはマジックショー、舞台に近いのだと。

 さぁ、いよいよ待ちに待った私たちの大舞台が幕を開ける。



 ――オープニングを伝える派手な音楽とともに、私たちは劇的に登場――


 正確にはマジックミラーの仕掛けが一瞬で消え、ガラスケースの中にいる二人がテレビに映し出された。

 客席の記者やカメラマンが会見場のような雰囲気を作り出し、カメラのシャッター音、フラッシュで一時騒然とした。もちろん、想定内だ。


「え、こちらにお集まりの皆様、テレビ・インターネットをご覧の皆様、本日は私ども浦島時空研究所が誇る、タイムトラベル理論の完成発表にお付き合い頂きまして、誠にありがとうございます。こちら浦島博士と、私は助手の亀宮ほのかでございます」

 何とかつっかえずに台本通り(台本では助手となっている)、自己紹介が出来た。 


 私たちの声はこのスタジオの客席と生中継で配信されてはいるが、客席からの声は私たちには一切聞こえないようになっている。質問は受け付けない仕組みだ。

 私は淡々と台本通りに進めればいい。まさに浦島博士のマジックショーを手助けする助手のようだ。

 浦島博士の手がマイクを掴むと、記者たちが身を乗り出すのがわかった。声は聞こえないが、観客の態度やしぐさがおもしろい。


「……皆様、わたくしはようやく『タイムトラベル理論』を完成することが出来ました。長く苦しい失敗の連続ではありましたが、それらの失敗がなければ成功はなかったと今、断言出来ます。……この度、皆様の目の前で、世紀のタイムトラベルをお目に掛ける所存でございます。どうぞご一緒に、この瞬間にお立ち会い下さい!」

 博士はどこにそんなエネルギーがあったのかと思わせるような、力強い声を出した。

 

 台本ではこれから昔話『浦島太郎』をなぞり、博士がテレビ向けにわかりやすく理論の説明をする。その後、私がお手伝いをし、博士をタイムトラベルに出発させるという流れだ。

 その手伝いというのも、ちょっとしたコツは必要だが何度もリハーサルを行い自分なりに精度を高めてきた。難しいことはない。


 博士の話が始まった。

「皆さん、『浦島太郎』の昔話はご存じかと思います。簡単に申しますと、いじめられた亀を助けた青年が、その亀に乗り竜宮城と呼ばれる場所へ向かいます。そこで快楽的な日々を過ごした青年が家へと戻る時、乙姫より玉手箱を贈られる。決して開けてはならないという言葉と一緒に。ですが浜辺へ着いた青年は禁を破り、玉手箱を開けてしまった為、老人になってしまうというお話です」

 博士は一息ついた。一緒になって老け込んだ印象を与えている。


「実はこの浦島太郎、想像上の人物ではありません。私の祖先、浦島家の実在した人物なのであります!」

 客席の記者やカメラマンが一様に当惑の表情をした。


「私はタイムトラベルの研究に、長年魂を注ぎ込んで参りました。宇宙工学の分野、量子力学、ワームホール、パラレルワールド、エトセトラ……。ただ、どれをとっても一長一短なのであります。そこである日、思いつきで私の祖先である浦島太郎氏について調べてみることにしました。代々続く古い家柄、太郎氏は物語の主人公にまでなっている人物。何かしら記録のようなものが残っているかもしれません。……以前より私は昔話の、時空を超えた場所へたどり着くという謎、そして玉手箱の存在を不可解に思っておりました。あの箱の中身は一体何だったのか。ふたを開けたばかりに白髪の老人になってしまうという奇妙な現象とは。もしかすると、過ぎ去った分の時間が入っていたのかもしれません。しかし、それでは非現実的過ぎる。だったら何が? 私の遠い親戚が聞いたという、言い伝えを教えてもらうことが出来ました。実際、その内容には目を見張るものがあり、私自身戸惑いを隠せなかったのです。ですがこれしかないという確信めいたものを感じた私は、それをヒントに研究を続けていき、確信は現実のものとなりました」


 観客は身動きせずに聞き入っている。常軌を逸したように話続ける博士は、やっとペットボトルの水をごくりと一口飲んだ。そして、また話を続けた。

「言い伝えというのは、箱の中身とそれへの解釈でした。実は箱には……ああ、女性の引きちぎられた片腕と着物の袖が入っていたというのです!」

 客席に歓楽以外の反応が次々と湧き起こった。

「そして、その着物の持ち主を特定し、ちぎれた片腕は太郎氏の愛した女性のものだということがわかりました」


 浦島博士は客席を見回し、サディスティックな説の反応を楽しんでるように、不自然に目をぎらつかせた。

「太郎氏は玉手箱を開けた瞬間、恋人の残酷な死を予感し、衝撃で一夜にして白髪になってしまったのです!」

 博士の饒舌さは見事なもので、私の出る幕などなかった。博士は今や邪悪な空気さえ操り、何かが乗り移ったように喋っている。


「ちぎれた片腕。恋人の悲惨な死と、時空を超える旅。なぜそのような事態に陥ったのか、太郎氏は思い悩んだに違いありません。そこで私が導き出した仮説が、タイムトラベルのヒントになったのです! 物語の世界では、太郎は亀に乗り、海底にある竜宮城へ行ったとなっています。……ですが、現実は太郎と恋人の女性が入水自殺を図ろうとしたならどうでしょう。手と手をつなぎ、二人は海へゆっくりと入っていきます。どんどんどんどん、海面は腰を過ぎ、肩、もう少しで口を塞ごうとしています。背の低い女性の方はもう頭まで海面に浸かっているかもしれません。太郎も呼吸が出来なくなり、死を目前に控えています。死の間際、太郎は何を思い浮かべているのでしょうか。生と死が表裏一体だとすると、その境界を今太郎は漂っているのです。よく死に近づくと、花畑のような風景に出くわすと聞きます。そこは光り輝き、天国の入り口のようだと。それが太郎の言った、竜宮城だったとしたら。そして太郎だけ死なずに、自分の意志で時間を超越し戻ってきたとしたら」

 博士は一息ついた。


「皆さん、すべては仮説に過ぎないと思われますか。ですがタイムトラベルの鍵を私は今、手にしているのです。本日、私は間違いなく、時間の旅へと出発致します。先ほどお話した生と死の境界、それが時空の繋ぎ目だったのです。死の直前だけ、時空の歪みに入り込むことが出来る。そこで意識を保つことにより、進行方向をハンドルのように操作することが出来る」

 そして博士はやっと私を見た。そろそろ、助手としての私の出番だ。


「では今から時空の歪みに入り、未来へ旅立つとしよう。ここで、助手の亀宮ほのか君にお手伝い願う」

 博士がイスから立ち上がり、私の隣に来た。ちょうど、ふたりの真上に首つり用の輪が付いたロープが用意されている。そこに頭を入れ引き上げれば、天国まで連れて行ってくれる仕組みだ。

 博士は何度も実験を繰り返し、意識を保ちながら死の直前までいく方法を編み出した。


 私は博士の頭にロープの輪をくぐらせ、引き上げのレバーを入れる役目だった。

 足をばたつかせ抵抗してる間はまだ生きている状態。身体がぐったりと動かなくなった直後、レバーを戻し、博士をロープから下ろす。そうすれば、臨死体験中の博士の魂は意識をコントロールし、時間を旅することが出来るのだ。

 肉体の方は置いてきぼりで、どうやって旅行先の現地に降り立つことが出来るのかが私には未だにわからなかったが、そこは博士が実施中に説明してくれるとのことだった。博士の頬が、興奮で火照っている。


「まずは亀宮君、私の首にロープをかけて。終わったら私の隣に立ち、待機していてくれ」

 私は言うとおりにし、博士の横に立った。カメラマンたちのフラッシュで目が眩む。


「レバーを入れる前に、肉体の移動や条件に関しての疑問に答えておきたい。皆さんも一番気になるところだと思う。そもそもなぜ太郎氏の恋人の片腕と、着物の袖は引きちぎられていたのか。私はそれが最後までわからなかった。……実は、とてもシンプルで明確な理由だったのだが。つまり、太郎氏は恋人の腕だけ、旅先へ持ち込んでしまったのだよ。時空の境目に引き裂かれ、片腕以外の身体は現地に置き去りのまま。……皆さん、人類は遙か昔から神に供物を捧げたり、人身御供を行ったりして、私たちは犠牲を払い願い事を成就させてきた。タイムトラベルは電車賃を払って行けるものではない。とは言え、対価を支払う、いや、何か犠牲を払えば成就することが出来るのでは……と私は考えついた。タイムトラベルとは、人一人分の肉体を移動させなければならない。それならば、太郎氏の哀れな恋人のように、人間一人の犠牲が必要なのではないか。……一人分の生け贄が」


 私は浦島博士の隣で、台本にはない説明に聞き入っていた。

「であるからして、私がこれから旅立つためには、亀宮さんの肉体が必要なのだよ……」

 博士の充血した野蛮な瞳が、私を捉えた。私にはまだ意味がわからなかった。ただその時急に、今まで感じたことのない戦慄の冷たい風が身体を通り抜けた。


 博士は目にもとまらぬ早さで自分の首からロープを抜くと、私の首へ掛け直す。レバーは、いつの間にか博士の手が触れている。

 透明な壁越しに、みわ子がひどく叫んだ。

 いや違う。

 私にみわ子の声が聞こえるはずはない。叫ぶ顔が見えているだけで、耳をつんざくようなこの悲鳴は私の喉から発せられたものだった。


 博士の笑顔が奇妙に歪み、絶頂の興奮状態を表した。

 直後、ふいに足下が浮く。私の首に突然、ロープが激しく食い込んだ。

 ――息が、

 誰か、たすけ、て


 一心不乱の闇の中は、極度の苦痛と後悔が押し寄せると知った。

 だがやがて、その向こうに小さな輝きが芽生え始める。

 しかしそれは無数のフラッシュの残像なのか、天国への入り口なのか。

 私にはもう、わからなかった。

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