私と夕焼け空(下) そして私の描いた夕焼け空
私と夕焼け空 (下) そして私の描いた夕焼け空
後日、私は河川敷に置き去りにした画材を回収しに行った。
河童犬は私に、数日はここに来るなと告げた。犬の背後で、ツナギを着た男がこっちをジッと見ていた。その隣には河川敷で見た背の高い女がおり、見られていることに気づくとこちらに背を向けた。
私はその数日のうちに、部屋で過去に描いた絵を棚から引っ張り出した。
最初に出てきた絵は、街を行き交う人の姿を真っ黒にしていた。
次に出てきたのは、想像で描いた山脈と、山からこちらを覗く女の巨人。日を背負った彼女の顔は、暗くて伺い知れない。
最近描いた未完の作品はどれもこんな、暗い色調のものが多い。しかしどれもあの、日暮れの川の薄暗さとは違うように思えた。
あの川に足を踏み入れた、今だから分かる。私が書いてきた今まで黒は、覆いだ。下のものを見えなくさせる為に、塗り潰しただけ。その下に隠すものと、隠そうという意思がある。
あの川の暗さには、匂いがある。気配がある。隠そうという、意思がないのだ。そしてその下に息づくものを感じるからこそ、それに対する感情が芽生える。
夕焼けが生み出した暗さには、隠そうという弱さはない。だから、水面で光を反射させる水の、その下にあるものを思わなければならない。あの川の暗闇の先にいた、何かを。
私はそう確信すると、筆を手に取った。
ようやく気づいたのだ。最近の私の絵の暗さはモデルの問題でなく、塗り潰そうという心のせいだったのだと。
絵は、それからほどなくして描き上がった。結果的に、もう河川敷に戻ることなく、絵を完成させてしまった。
土曜日の夕暮れ前に、私は絵を河川敷に持っていった。河童犬にいち早く久々に完成した絵を見せたかったし、それに実物の夕暮れとこの絵を比べてみたかった。
河童犬とは程なくして出会えた。河童犬は絵の完成を私以上に喜んでくれたが、こいつの語彙力のなさが露呈した。しかし、それでも必死にその絵の良さを口で説明してくれた。
それだけで、充分だった。
それから私は画材もないのでボンヤリとケータイをイジっていた。すると黄色いジャージを着た人が、私に声を掛けてくれた。
「遂に完成したんだ。その絵」
「はい。皆に報告……見てもらいたくて」
ああ、なるほど。と、彼女は納得したように笑みを浮かべて頷いた。
「やっぱり、頑張った成果は誰かに見てもらいたいもんね」
分かるぜ。彼女はそう言って、また見せてね、と私に手を振りながら走り去っていった。
次に、話し好きのお爺さんに会った。お爺さんは何度も私の絵を褒めてくれた。私も何度も、お爺さんに頭を下げていた。
「また、絵を描いて、見せて欲しいよ」
お爺さんの言葉に私の動きを止めてしまい、それから振り返って自分の絵を見る。そして……。
「……はい。絵が好きですから、また描くと思います」
そう言って私は、お爺さんに笑顔を見せた。
日が沈んでいく。
川を流れる水が、差し込まれた陽の光を反射させ夕焼け色に輝いている。やがてその光も消え、辺りは真っ暗になるだろう。私は河川敷に座り、そんな景色と絵を見比べながら、今日の自分を思い返していた。
いつ以来だろう。まともに絵が好きなんて言えたのは。
否定されて、捻くれて、一人で絵を描いて……それしか出来ないと思っていた。
そうしているうちに大人になって、筆を折って、才能ある奴には勝てないだとか、決まりの台詞を言って……あのままだったら、きっとそうなっていたはずだ。
私は太ももに絵を乗せ、景色とその絵を重ねた。
この絵が、絵を描くことが好きだ。そう、ちょっと前の私は否定されてきた言葉に負けて、絵を描くことが辛くなっていたんだ。
「皆……褒めてくれたな」
私の隣で立つ河童犬が、そう呟いた。私はそんな河童犬の頭を撫でながら。
「うん」
と、頷いた。そして絵の縁に手を置き、軽く揺すってみせた。
「この絵さ……いる?」
「前にも言ったが、川に絵は駄目だ」
「あっ……そう」
そう言ってから私達は、再び黙って前を見ていた。
視界いっぱいに飛び込む夕日を見つめながら、気になっていたことを口に出した。
「ねえ、貴方は結局……何なの?」
「お前……未だに俺のことを犬だと」
「ここで絵を描いて結構経つけど、誰も貴方のことを話した人はいなかった」
「………」
「見えてなかったんじゃあ、ないのかな?」
それが不思議でしかたがなかったが、それを口にしてしまえば、全てが終わってしまうような気がして……ずっと言えなかった。
犬の姿をし、河童と名乗る彼はしばらくの間、私の問いに答えなかったが。
「川には、色々なものが運ばれ、流れ……時には、吹き溜まる」
と、言葉を選ぶように、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「夕暮れ時の川には、そりゃあ奇妙なもんが出てくるもんさ。河童もそれだ。水面がキラキラ光っているのは綺麗だし、日が届かない所には怖いもんもある」
「………」
「そういうもんだ」
「抽象的な言葉で逃げようとしてない? 騙されんぞ、お前」
「だーまーさーれーろーよぅー」
可愛く言っても通らんぞ。私はそう言って、河童犬の頭を掴んで揺すった。
河童犬はフガフガと唸る。そんな姿を私は笑ったが、彼の毛が鼻腔に入ったのか、くしゃみが出た。
ようかい雑記 四津谷案山子 @yotutani_kakashi
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