最終話 小さなレストラン
元の世界に戻ると、召喚された直後、外出しようと家の玄関で靴を履く自分だった――。
そんな淡い期待は、あっさりと裏切られる。
返却後の蒼一は、まず自分の居場所に頭を抱えた。
人里離れた夜の山。
カナン山に飛ばされたかとウンザリしつつも、見知ったシイやクヌギの雑木林に、地球に戻った期待が高まる。
深夜の山中を
ここは地球、それも現代だ。
次の問題は、正確な場所と日付。
山を下りる方向へ、道路をトボトボと歩く。やがて現れたヘッドライトに、彼は夢中で手を振った。
「おーい! 止まってくれ」
馴染みのあるセダンの車形に表情を緩め、近付いたナンバープレートが日本語であると知り、跳ねるように存在をアピールした。
「あっ、ちょっと! なんで止まらないんだよ!」
山道は期待以上に車が通り、その度に蒼一は跳ねた。
ヒッチハイカーの真似をして、親指を立ててもみるが無駄。
「何がいけないんだ……全部か」
答えは一瞬で出た。
異世界に放り出された時以上の心細さで、彼は深夜の下山を続ける。
明け方、空が白む頃、一台の工事用トラックがブレーキを踏んだ。
「兄ちゃん、こんな所で迷子か?」
「助かった! 恩に着るよ。さすが十八台目」
「ん? まあ、乗りな。街まで連れてってやる」
よく日に焼けた親切なオッチャンは、結局、街どころか、彼の家まで届けてくれた。
安普請のマンションまで三十分、以外に近い転移場所に、ホッと胸を撫で下ろす。
ただ、安堵したのは場所だけだ。
オッチャンが怪訝な面持ちで教えてくれた日付は、召喚から優に一ヶ月以上は経過していた。
「会社、クビだろうな……」
この日から一週間、蒼一は長期失踪の言い訳と後始末に、忙殺されたのだった。
◇
本当は雪やメイリにすぐ連絡を取りたかったが、世のしがらみがそれを許してくれない。
身辺整理を済ませ、ようやく自由な時間が、子供の夏休みレベルに自由な時間が生まれた。
大きなリュックを肩に掛け、蒼一は隣県の海辺を目指す。先に電話を入れようとも考えたものの、直接出向くことにした。
電車を乗り継ぎ、昼過ぎに目的の駅に到着する。
そこから歩いて十分、若いオーナーシェフが経営するレストランがあった。両親を若くして亡くし、店を受け継いだ彼女は、オリジナルの鳥料理が得意らしい。
召喚された者が、どういった基準で選ばれたのかは分からない。ただ一つ、蒼一も天涯孤独な身であることから、共通点は浮かんでくる。
洒落た雑貨店やアクセサリーショップが並ぶ海岸通りを、無骨なバックパッカー風の青年が行く。
どこで配っているのか、銀のハート型の風船を持った少女を追い越し、肩を寄せ合うカップルを掻き分けた先にその店は在った。
煉瓦造りの、こじんまりした欧風レストラン“ネージュ”。
「あちゃあ、閉店中か」
休業日ということではなく、営業は夜のみと、扉に掛かった札が教えてくれる。
どうしたものか思案する蒼一の背後で、小さな悲鳴が上がった。
「きゃっ、風船さん!」
見れば、銀のハートがフワフワと舞い上がり、街路樹に引っ掛かって止まっている。その下で、手を伸ばして何度もジャンプする少女。
「任せとけ。跳ねるっ!」
助走をつけても、リュックが邪魔で一メートルも跳べてはいない。
それでも、風船の先に垂れた紐を掴むには充分だった。
「よっしゃ……っとと!」
彼はバランスを崩し、歩道の真ん中で仰向けに倒れる。
潰された背中の大きなリュックから、不思議な声が上がった。
「アワワ! 敵デスカ!?」
「転んだだけだよ」
駆け寄った女の子が、風船を受け取って礼を言った後、首を傾げて彼の背中を見る。
「このカバン……お話しするの?」
「おう、練習すれば、その風船だって――」
「蒼一さん、子供にいい加減なこと教えないでください」
ありがとーと手を振って、少女は走り去る。
残されたのは、蒼一とレストランのオーナー、それに食材を満載したカゴを抱えて立つもう一人。
「やっぱり、お前もいるのか」
「遅いよ、ソウイチ」
メイリがいることは、指に感じる違和感で彼も予想していた。
雪の店を見つけたのは、彼女の方が遥かに早い。今は住み込みで、店の仕事を手伝っていると言う。
「メイリが日本人ってのが、驚きだな」
孤児の彼女は、日本語だけの環境で育てられた。念話の魔法が無くても、三人が意思疎通に困ることはなかったであろう。
幼くして母を亡くし、父は最初から不明、そんなメイリの生い立ちもタブラには書いてあったものの、詳しく読み込んだりしていない。
やはり彼女も境遇は似ている、それが分かれば十分だ。
「絆の指輪がまだ効いてたからね。ここに着くまで、クピクピ教えてくれたよ」
「なんだよ、住所覚えてなかったのか?」
「忘れたんだ。会いたくなるから」
「ん、どういう意味だ?」
彼女の声を聞き間違えたりはしないが、幼さは消えている。
メイリが帰還してから、もう五年の歳月が過ぎていた。
まだ住所を覚えていた五年前、蒼一や雪へ会いにいくことも可能だった。
しかし、そんなことをすれば、彼女は見知らぬ不審者として追い返されることも考えられた。
自分を知る二人が帰ってくることを、メイリは心待ちにして過ごしたのだ。
指輪が反応したのを感じた彼女は、二県分を二日で踏破してレストランへ辿り着いたと言う。
電車に乗ったのでは方角が感じにくかったらしく、徒歩を選んだその健脚ぶりに、蒼一も舌を巻いた。
――どんだけ向こうで鍛えられたんだ、こいつ。何者だよ。
蒼一たちを待つ間、“王国”にいたときよりも彼女は鍛えられたかもしれない。
バイトで金を貯め、自主独立することを覚え、一端の成人女性となって再開を果たした。
「料理を用意して待ってたのに、全然来ないんですから。鶏肉、全部食べちゃいますよ」
「自分の店の商品だろ、食い潰す気か」
雪は店の扉の前に立ち、札を取り替えて、鍵を差し込む。久しぶりの再会に、三人の顔には笑みが自然と浮かんだ。
キョロキョロ見回す蒼一は、店の椅子に座って待つように言われる。
「私たちは、料理を準備します。蒼一さん、どうせ食べてないんでしょ?」
「ああ。鶏料理か?」
「ナッツソースです。本式のは、美味しいですよー」
「メイリも行ってくるね!」
厨房から聞こえる騒がしい音を背景に、蒼一は窓から見える海に顔を向けた。外を眺めたまま、彼は足下へと話し掛ける。
「お前はこっちに来て、よかったのか?」
「楽しいデスヨ。カバンから出してもらえれば、モット」
リュックから取り出された魔装の友人は、蒼一の隣の椅子にチョコンと腰掛けた。
「戻りたいって言われても、帰してやれないけどな」
「世界が違いますカラネ。ドコカで繋がっていれば、辿る方法もあるカモ」
「……ま、諦めろ。こっちも悪くないぞ」
押しては返す波と遊ぶ、若者や子供たち。
飽きずに外の風景を楽しむ二人への元へ、料理を持った雪たちがやって来る。
「出来ました! 当店名物です」
「これ、ホントに美味しいよ。ソウイチもこっちで一緒に店を手伝わない?」
「考えとく」
――そうだな、それもいいだろう。嫌になったら、また考えよう。
薬指に嵌めたリングを指で回しながら、蒼一は目の前の皿に意識を切り替えた。
「さーて、どれから食べるかなあ……」
「そういや、蒼一さんの仕事って何なんです?」
「メイリも聞きたい!」
「ワタシもデス」
――辞めた上に、ロウはもう知ってるだろうが。
だが、久々に語らうネタにはちょうどよい。
「聞いて驚くなよ。俺はな――」
臨時休業の札の下がった小さなレストランでは、その日、夜遅くまで明かりと笑いが絶えなかったのだった。
(了)
十八番煎じの勇者放浪譚 <死にスキル野郎の生き様を見よ> 高羽慧 @takabakei
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