084. 物語の終わり

「よし、メイリから行くぞ」

「うん」

「返却!」


 少女の抱える本へ、蒼一が手を掲げ、スキルの名を叫ぶ。

 メイリのタブラがまぶしく輝き、皆が目を細めたその直後、また光は何事もなかったように静かに消えた。


「……帰らねえな」

「タブラもそのままですねえ」


 機巧の女神の意地の悪さを、蒼一はまだ甘く見ていたのだった。


「これで手順はクリアしたはずだ。どこで間違えたんだ……」

「タブラは返却に反応したのにね」


 メイリにも、その本にも、変化は現れていない。発動させるには、まだ何かが足りないと言うのか。

 魔物から人の地を取り戻し、最後の勇者と女神が召喚された。“帰れ”は、そう受け取っていいだろう。

 護法システムは停止され、雪の能力によって人々は呪縛を解かれる。


「城の連中に、もう呪縛の影響はないんだろ?」

「ええ、憑き物が落ちたようです。私もお守り無しで平気ですし」


 これはローゼの回答だ。大図書室に彼女やネルハイムも来れたということが、システム破壊の証明だった。

 では、まだ勇者と女神がすべきこととは何だ。

 蒼一だけでなく、部屋にいる皆が、機巧の女神の残した難問を考え込んだ。

 まず雪が発言する。


「このスキルシステムも止めないとダメとか?」

「止めたら“返却”も使えなくなる」


 次にハナ。


「根本的に帰らせる気がないとか」

「勘弁してくれよ。それじゃ、返却スキルの意味が無くなる」


 手掛かりを求めて、蒼一は再び原本に向かいあった。

 勇者の書の最後のページを再読し、続いて女神の書に移動する。


「“最後の勇者に見守られ、女神が染める。王国に栄えあれ”」

「ラストの一文ですね。気になることでも?」


 背を屈めた蒼一の肩越しに、雪も本を覗き見た。


「……こいつが未達成なのか?」

「あっ、蒼一さん、私を放って食べてましたものねえ」

「そこじゃねえよ」


 彼が引っ掛かったのは、“王国に栄えあれ”の方だ。

 勇者の仕組みを止めるのは、この人造王国の破壊とも考えられる。より隆盛する可能性は有るものの、今の王国とは姿を変えるだろう。

 王族の消えた王国など、名前を失うのも時間の問題――


 名前。


「この国の名前は何だ?」


 この蒼一の簡単な質問に、答えられる者はいなかった。

 他が消えた今なら分かる、まだ一つだけ呪縛が残っているのだ。


「名前の無い王国を、なぜみんな不思議に思わない?」

「どうしてでしょう。なんだかそれで当然と……」

「二代目の時代の記述を読もう。何か分かるかもしれん」


 自分の為した成果を知れ。

 それが機巧の女神の出した、本当に最後の課題だった。





 流し読みを止め、過去の記述を熟読した結果、蒼一と雪は王国の歴史の全貌を把握した。

 二人が読書を終えたのは、夕方近くのことだ。

 彼らは大図書室を出て、先に地上に戻っていたメイリを呼ぶ。


「話を聞きたい奴を集めてくれ。一応、説明しとく」

「前庭に来てもらうね」


 皆は蒼一たちを待ち侘びており、結局、先と同じメンバーが集合した。


「やっぱり、二代目の女神のやったことが問題だった」


 蒼一と雪は、タブラで得た知識を語り始める。

 この国の王族は、古来よりその異能で人々に畏怖されてきた。異能を持つから王族となった、その方が正確かもしれない。


 同族婚を繰り返して生まれたのが、飛び切りの異才、機巧の女神だった。

 大崩壊で旧都を追われた王族は、女神の指導の下、今の王国領土に勇者システムを構築する。

 この時、女神は他の王族に対し、苛酷な要求を突き付けた。

 勇者と女神へ能力を与えるため、王族たちの持つ異能をタブラ化することを求めたのだった。


「中でも能力の高い五十人くらいを選抜して、スキルを抜き出したらしい」

「これが王族滅亡の直接の原因になりました。以後、異能が途絶えてしまうんです」


 十八代の二人による説明を、皆は黙って拝聴する。


 生身の人間から、スキルを抜き出すようなことは、機巧の女神でも不可能だ。

 彼女がやったことは、目的の人物の肉体を奪うということ。要は、能力ごと、その人をタブラに焼き付けたのだった。

 タブラと化した者のほとんどは、その身を自ら捧げた王子や王女である。彼らの持つ能力をまとめたのが、スキルリストだ。


「王族が消えるのは、王も予期していた。自分の王朝は、もう終わりだってね」

「なのに、“王”国?」

「人はいなくなっても、のこされた物があったんだよ」


 能力を奪われた残滓は、一箇所に集めて、再びタブラに焼かれた。

 残滓とは酷い言い草だが、機巧の女神はそう呼んでいる。


「分かりやすく言えば、魂かな。そいつは石像に注入されたってさ。王族の成れの果てが見守るのが、この“王国”だ」

「最後の王が亡くなった時、王国の名前も消えたようです」


 肉体を失っても、彼らは国を見つめて来たのだろうか。

 何百年も、ただじっと。


 皆の頭に浮かんだ質問を、メイリが代表して尋ねる。


「その石像ってどこ?」


 聞かれた二人は、揃って上を指差した。





 蒼一を先頭にして、勇者と女神たちが城の階段を上る。

 もう別れは済んだと、ほとんどは庭に残った。ついて来たのは、蒼一たち三人以外では、ハナとトムスだけだ。


 三人は自分の本を持参しており、上手く行けば直ぐに帰還するつもりでいる。

 目指すのは最上階、慧眼けいがんの間。


 大階段から脇の通常の階段へ。そこから二階分上り、さらに長い螺旋階段の終点に、その目的地はあった。


 暗く小さな円い部屋の奥に、人間大の石柱が二つ。

 石像と言うから、てっきり勇者像のようなものを想像していたが、形は精霊柱に近い。


「こいつを潰したら、今度こそ最後の呪いが解けるのか」

「国名も新しくなりますかね」


 機巧の女神は、永遠に“王国”と呼ばせたいのだと思う。

 しかし、それは傲慢に過ぎる。

 確かに今の王国は、彼らの犠牲の上にあり、礎を造ったのは彼女だ。それでも、人々はいずれ偉業を過去の物とし、自分たちの手で国を作って行く。

 人間とは、そういうもの。


 気後れする素振りもなく、石柱まで近寄った蒼一は、冷たく無機質な石肌に手を触れた。

 研磨、いや違うな……。


「浄化」


 右手から放たれる、三代目勇者より受け継がれた光魔法。

 ぼんやりと発光した石柱から、白い塊が浮き出て来る。

 加えてもう一つ。

 また更に一つ。


 綿毛のような光の球は、気づけば部屋いっぱいに漂い出した。


 “ありがとう”


 無言の仲間をチラリと振り返り、また正面に向き直ると、彼は隣の石柱にも浄化を発動する。

 倍増する白光に、不快な雰囲気は感じない。


 “本当にありがとう”


「……勇者のサービス残業だ。まあ、あんたらもか」


 フワフワと蒼一の周りを舞っていた光は、そのうち壁を抜け、部屋の外へと消えてしまった。

 様子見していたハナが、少し不満そうに口を尖らせる。


「あれが王族? 何か言ってくれればいいのに」

「え? さっき――」


 言葉を途中で止め、彼はかぶりを振った。


「まったくな。さあ、帰るぞ」

「うん!」


 メイリが両手で本を持ち、蒼一に向かって前に突き出す。


「お願い、ソウイチ」

「オッケー。返却っ」


 彼女のタブラが部屋を真昼の屋外並に照らし、メイリ自身も輝き始める。激しい光は一瞬で収まり、彼女は虚空に消えた。


「成功ですね!」

「やっとだよ。よし、次は雪だ」


 彼女の取り出したタブラへ、先と同様に返却を唱える。


「またね、ハナさん!」


 彼女が消えた空間に、蒼一が呆れて文句を付けた。


「なんてこと言いやがるんだ、あいつ。縁起でもねえ」

「いいじゃない。また会えたらイヤ?」


 トムスと一緒に、ハナが笑う。


「会いたかったら、お前らが来い。坦々麺くらいは食わせてやる」


 ――インスタントだけどな。


 軽く二人に手を挙げ、蒼一も自分のタブラへ意識を向けた。


「返却っ!」


 瞬間の閃光と、その後の静寂。


「さて、下に戻ろうか」

「そうね。やることは山積みだわ」


 トムスはハナの肩に手を回し、ゆっくりと部屋を後にした。

 階段を下り、庭に戻った二人は、蒼一たちの首尾を皆に尋ねられる。


「三人とも、無事に消えたわ。次の希望者は、自分の本を探して来て」

「あの……」


 口ごもりつつハナの前に立ったのは、レイサだった。


「あなたは帰らないの?」

「……ここで出来ることをします。勇者さん、帰ってきますよね?」

「どうかしら。いや……いつか帰ってきそうね、あの人は」


 クスリと微笑むハナにつられて、少女の表情も少し明るくなる。

 レイサは皆を手伝うと、地下へ駆けて行った。

 選択は人それぞれ。正解も不正解も、ありはしない。


 帰還を望む他の者たちは、ハナから自己探索のタブラを借り、地下へ向かった。

 その後ろ姿を見送ると、彼女は夕陽に照らされる城の庭を見渡す。

 呪縛が解けたからといって変わりはないはずだが、葉や水の反射は光を増したようにも感じた。


「あら、珍しい」


 庭の隅に精霊がいるのを見つけ、ハナはその跳ねる姿を目で追う。

 楽し気な彼女に、トムスも顔をほころばせた。


「呪縛が無くなったから、外に出て来たんだろう。これからは見る機会も増えるさ」


 新しい国の未来を思い描きつつ、二人は地球の両生類に似た小さな精霊を眺め続けたのだった。

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