第6話
思いもよらない再会から1週間が経った。
田を渡って吹きつける木枯らしが、すっかり色の褪せた草紅葉の枯れた葉をかさかさと揺らしていく。
乾いた冷たい風に髪を揺らされながら、小さなボストンバックを手に駅への道をゆっくりと歩く詠史の心は、初めてこの地に降り立ったときとは裏腹に、温かいもので埋め尽くされていた。
アパートの引き渡しを終えて、手に馴染んだ古びたドアノブを回して部屋を出る。詠史の目の前には、ドアを囲むようにお世話になった瑛子をはじめ年配の男女の姿が10人ほど、詠史が姿を現すのを待ち構えていた。
「詠史くん、本当に行っちゃうのねえ」
割烹着のポケットから取り出したハンカチで目元を拭う瑛子の言葉を筆頭に「淋しくなる」「本当の孫のように思っていたんだよ」と口々に別れを惜しむ声が詠史を取り囲む。
「いつでも遊びにいらっしゃいね」
ふっくらとした瑛子の手が詠史の手を包み込んだ。その温かさに胸がいっぱいになって、視界が水の中で目を開けたときのように揺らぐ。
「もう、永遠の別れじゃないんだから、また顔を出しに来るよ。そのときに『なんだ、本気にして来たのか』なんて意地悪は言わないでよね」
しんみりとした空気を振り払うような詠史の明るい声に、涙ぐんでいた周囲からも笑いが零れ落ちた。
「じゃあ、そろそろ行くね。みなさん、本当にお世話になりました。絶対にまた会いに来るからね。風邪なんかひかないで元気でいてよ」
笑顔でひらりと手を振ると背を向けて歩き出した詠史の背中には、姿が見えなくなるまで見送ってくれている視線が、いつまでも優しく絡みついていた。
住宅街を抜けた先に見えてきた小さな駅舎の前には、微笑みを浮かべた尊人の姿がある。
暖かそうなロングコートを纏った姿を見とめた瞬間、10年を振り返るようにゆっくりとしていた詠史の歩みが速度を上げた。小走りに駆け寄る。
「ごめん。待たせちゃったよね」
微かに息を乱す詠史の手から、さり気なくボストンバックを奪った手が背中を引き寄せた。
「待っているのも楽しかったぞ。必ず来るのがわかってるからな」
軽く抱き締めて離れていく手を惜しいと思いつつ、
切符を買って、肩を並べてホームへと向かう。
ここに来たときは哀しみが心を押しつぶしそうなくらいに重くのしかかっていた。
ここを去ろうとする今、詠史の心には
ホームを吹き抜ける風の寒さすら感じられないほど、心は満たされていた。
掌から零れ落ちた愛は想う相手に掬い上げられて、今詠史の掌で再び温かな光を宿している。
幸せを噛み締めて、もう二度と掌から零れ落ちることがないようにと、詠史はぎゅっと掌を握りしめた。
掌から零れ落ちたものは…… 篁 藍嘉 @utakatanoyume
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