第24話

 俺は、庭に植えられた木の前にいた。


 何度か、何ていう名前の木なのか聞いたはずなのに、一向に思い出せない。


 ただ、この木は春になったら、良い香りのする、白い花をたくさんつけるのだ。それだけは覚えている。


 上向きに、半開状態で咲くその白い花は、ユキに似ていると思った。

 だから、というわけではないものの、ユキは白が好きだと言っていたから、この木になれば、毎年、きれいな白い花に包まれることが出来ると思ったのだ。


 俺は、脇に刺してあった母のガーデニング用のスコップを引き抜くと、根元にしゃがみ、小さな穴を掘った。


 クーラーボックスを開けると、氷の上に、真っ白い布が置いてある。ユキは、この布に包まれて眠っている。


 布をはらりとめくってみる。

 あの時見た、親指の爪くらいの雪虫が横たわっている。衣服のような真っ白い毛が、風にそよいでいる。


 あんなに嫌っていた虫なのに、どうやらユキなら平気らしい。


 飛ばされたら、大変だ。そう思い、また布をかける。


 そぅっと持ち上げ、穴の中に置く。土をさらさらとかけ、布が完全に見えなくなると、手で優しく押し固めた。


「これで、良いのかな」


 スコップを元のところに刺し、立ち上がる。


「花が咲いたら、また会いに来てくれるかな……」


 そうつぶやき、木に背を向け、玄関に向かって歩き出た時だった。


 ――レイジ!


 そう聞こえた気がした。


 早速、幻聴かよ。

 そんなに早く会いたいのかよ、俺は。


 なんて女々しいやつだと苦笑する。


「レイジ! どうして置いて行く」


 今度ははっきり聞こえた。

 ゆっくりと、その声のする方へと振り向く。


 そこには、上から下まで真っ白い少女がいた。

 ふわりと花の香がする。


「ほら、手くらい引かんか」


 そう言って少女は手を差し伸べてくる。


 思わず手を伸ばしたが、一瞬ためらった。

 だって、触れてはいけなかったのだ。


 しかし少女は怒ったように頬を膨らませ、尚も俺に手を伸ばしてくる。


「触れて……良いのか……?」

「いつまでも虫でいると思うな。もう触れても良い」


 少女は片目を瞑り、口元に笑みを浮かべた。


「ユキ……だよな……?」


 俺は目の前にいる少女に問いかける。


 少女は、ユキのようにも見えたが、毛皮のようなあの衣服ではなかった。

 袖も長く、丈の長いワンピースを着ている。

 真っすぐだった長い髪はゆるくうねっていた。


「そうは見えないか?」

「いや……、何か雰囲気変わったから……」

「当然だ。もう雪虫ではないのだからな。いまの私は『白木蓮』だ」


 そうだ、あの木は白木蓮だ。何度も聞いて、何度も「覚えた」と言っては忘れ続けたあの木の名前は。


「何せ、木だからな、この寒さはちと辛い。何か温かいものを食わせろ」

「何だよ、ちょっと前までは湯気でやけどしてたくせに」

「良いではないか」


 ユキは笑い、差し出した手を催促するように振った。

 俺はユキの手を取る。冷えてはいたが、今度は、この手を暖めても良いのだ。


 皆にはなんて説明したら良いんだろう……。そんな考えが頭をよぎる。


「また姉ちゃんと作戦会議だな」


 ぽつりとつぶやく。


「なんか言ったか? レイジ」


 ユキが顔を覗き込んでくる。


「お帰りって言ったんだよ」

「そうか。ただいま、だな」


「良いか、玄関開けたら、でっかい声でもう一回『ただいま』って言えよ」

「任せろ!」


 長いスカートが風になびくと、ふわりと花の香がした。



 ――終

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地上最弱の女王様 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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