第23話
***
「まだ怒っているかい、祥太朗」
後部座席に座った信吾が、隣でむくれている祥太朗に声をかけた。
「まぁまぁ、無事だったんだからいいじゃない」
助手席の佳菜子からのフォローが入る。ハンドルを握る千鶴はこういう時、無言だ。
「まさか父さんが俺に嘘つくなんてな」
稚内から戻った後、同じように信吾の車の中で寝かされていた祥太朗が目を覚ますと、いつの間にか車内にいた信吾から、礼二と同様の説明を受けたのだった。
「……ごめん」
信吾は、深々と頭を下げる。
「本当のことを言ったら、君がまた謙遜して引いちゃうと思ったんだ」
「……はぁ。とうとう父さんもじいちゃん譲りのスパルタになっちまったのか」
祥太朗は高校生の時、立派な魔法使いにするためにと、祖父に夢の中に監禁されかけたことがある。
「……ごめん」
「良いよ、頭あげろよ。ったく、いろいろ限界かと思ったぜ」
そう言って、左手で右手をさする。どうやら、火傷はしていないらしい。
ハーフつっても、さすが魔法使いの息子。意外とタフに出来てんだなぁ。
――ん?
「――とっ、父さん、もしかして、手……!?」
祥太郎は慌てて、信吾の手を見る。触れて確かめようかと思ったが、それは怖くて出来なかった。
「え? 手がどうしたの? もしかして、やっぱり駄目になってしまったかい?」
顔を上げた信吾が青い顔で祥太朗を見つめる。
「いやいやいやいや、そうじゃなくて。――あ? じゃあ父さんのじゃないのか? コレ」
「ちょっと待って、祥太朗。落ち着いて、僕にもわかるように話してくれないかな」
「落ち着くのは父さんもだけどな。触ってみろよ、俺の右手。ほら……」
信吾に右手を差し出す。彼は首を傾げながら、その手を取った。じっくり見ようと、軽く握り、持ち上げる。
「祥太朗……。これは……」
視線を右手から祥太朗の顔へ移動させる。
「全部魔法使いの手になったな。まぁ、右手だけだけど」
さっきまでのふくれっ面はどこへやら、祥太朗は口角をあげて、ニィっと笑った。
「……良かった。笑ってくれた」
「すっごいじゃん、祥太朗! 一皮むけたってやつぅ?」
バックミラー越しに千鶴がウィンクする。
「……だーいぶ血は出たけどな……」
祥太朗は左手で何度も自分の右手を握った。
やっぱり、飛行機代はいらなかったな。それ以上のもん、もらっちまったよ。
***
「礼二、寝てません?」
「何か……寝息聞こえるよね」
一華が後部座席を見ると、礼二はクーラーボックスにもたれて眠っていた。
「まぁ、いろいろあって疲れたんでしょ。寝かせてあげよ」
「そぅっすね」
座り直し、大きく深呼吸をする。
「ねぇ……。唐橋君家さ、お花屋さんだったよね」
「はい、『花のからはし』、地域の皆様に愛されて、まだまだ頑張ってますよ!」
「……そこってさ、新卒取ってる?」
「――いえ? ウチは特に新卒とかは。ただ、春になったら1人パートさんが辞めるんで、その時また募集かける感じですね」
「辞めちゃう人いるんだ」
「若い奥さんなんですけど、旦那さんの転勤で」
「ありゃあ、それは仕方ないね」
「結構、痛いんですよ、それが。最近の若い女性にしては珍しく虫が平気な人だったんで。結構男でも駄目なの多いんですよね。まぁ、礼二ほどではないんですけど」
「……やっぱり、虫がOKな女性って貴重?」
一華のその問いに対し、基樹は大きく息を吐く。そして、すぅ、と大きく息を吸った。
「……っ超! 貴重! です! やっぱり花屋ですから、女の人が働いてる方がお客さんの入りも良いんですよ。これ大っぴらに言ったら問題になりますけど、やっぱり華やかっていうか。――で、募集かけると、お花の可愛らし~いイメージで、やっぱり女性からの問い合わせの方が多いわけです。有難いことに。でも、虫の話をしただけで『やっぱ良いです~』ですからね……」
出だしは勢いがあったものの、話すうちにどんどんとその勢いが失われていく。どうやら、さすがの基樹でも相当悩むところらしい。
「ねぇ、4月からさ、虫とか超平気な女子、いるんだけど、正社員で雇わない?」
「正社員っすかー、うーん、どうっすかねー。でも、虫が平気ってのはポイント高いですねー」
「でしょ? まぁ、それ、あたしなんだけど」
「――へぇっ?」
あまりの衝撃に、一瞬ハンドルがぐらついた。車内が大きく揺れる。
「ぅわぁっ! んもうっ、危ないなぁ」
「一華さん? 一華さんがウチの店に……? で、でもたしか就職決まったんじゃ……」
今度はへましないように、ハンドルをしっかりと握る。
「……辞退しようかと思って。製薬会社なんだけどね。研究員枠で受かったの」
保温バッグから魔法瓶を取り出し、まだほんのり温かいコーヒーを注ぐ。
「あたしね、別に礼二のためにってわけじゃないけど、殺虫剤とか避虫剤の研究がしたくて、その企業受けたの。面接でも熱く語ったりしてさ」
コーヒーを一口飲み、ほぅ、と息を吐く。
「ユキちゃん見てたらさ、何かぐらついちゃって。人間にとって害かどうか、見た目がどうかで、生かしたり、殺したり。もちろん、いまでもそれは必要なものだと思ってるし、あたしがやらなくたって、誰かが同じ研究をするんだけど、あたしにはもう出来そうになくて……」
最後の方は、少し涙声だった。
基樹は前を真っすぐ見て、『一華用』の高級ティッシュ箱を渡す。
「ほんと、気が利くのね。ごめんね。何かズルいよね。それで唐橋君のところなんて」
ティッシュを1枚引き抜き、目頭を押さえる。
「……何言ってるんですか。俺は、
いつもの基樹なら、もっと、茶化すような、大げさなリアクション付きで言う台詞だったが、一華が呆気にとられるほど真面目な顔でさらりとそう言った。
「唐橋君、いまの台詞はちょっとぐっときたわ」
ティッシュを丸めて、コーヒーを一口飲む。
「春からよろしくね、次期店長」
「……っはいっ! え、あ、その、え、永久就職の方は……?」
「――台無し」
耳まで真っ赤になっている基樹を横目でにらみ、一華は大げさにため息をついてみせた。
……さっきはちょっとだけ恰好良かったんだけどな。
***
馬鹿野郎!
いつまでも寝てると思ってんじゃねぇぞ。こちとらさっきの衝撃で起きてんだよ!
目を瞑って寝たふりをしていた俺は、車の揺れより衝撃的な2人のやり取りで完全に目を開けるタイミングを失っていた。
何だよ、姉ちゃんまんざらでもないのかよ。基樹が『お義兄さん』になる日も近い……のか?
いや、そんなことより……。
俺はまだ答えが出せないでいた。
虫として、少しだけ延びた寿命を全うするか、それとも、庭の木に命を移して、その分生き続けるか……。
俺としては、もちろん、後者だ。出来ることなら、永くユキといたい。
でも、ユキはそれで良いのだろうか?
雪虫のまま一生を終えるのが、雪虫にとっての幸せなんじゃないのか?
ユキは、俺に選べと言っていた。
なぁ、ユキ、でもそれは俺のエゴだぜ?
それとも、選択肢を与えてくれたってことは、それを期待してるってとらえても良いのか?
それから1時間ほど車を走らせ、車は夏木家に到着した。
「ありがとな、基樹」
「こっちこそ。素敵な時間を過ごさせてもらったぜ!」
基樹は何だか出発前よりも元気そうだ。
「……まだ『お義兄さん』とは呼ばないからな」
ぽつりとつぶやく。
「――ん? 何か言ったか?」
「何も言ってねぇよ」
「まぁ良いや。息抜きしたかったらまた呼べよ。一華さんいなくても遊んでやっから」
そう言うと、姉にとびきりの笑顔を向け、投げキッスなんて余計なオプションまでつけてから車を発進させた。
姉はため息をつきながら手を振る。
それでも一応車が見えなくなるまで見送ってから、彼女は玄関へ向かった。
郵便受けに宅配業者からの不在伝票が挟まっている。どうやら母も留守にしていたらしい。
「あー、これ、さっきだわ。電話してもう1回来てもらわないと」
そうつぶやき、鞄からスマートフォンを取り出す。
「姉ちゃん、先入ってて。俺、やることあるからさ」
俺はクーラーボックスを軽くたたきながら言った。
「ああ……、そうね。結論は出たの?」
「うん、まぁ、一応」
「お茶、淹れとくから、冷めないうちにおいでよ」
姉は、どちらを選んだのかは聞かなかった。
鍵を開け、こちらを振り返ることなく家に入って行く。
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