最終章 女王の役目

第22話

「じゃ、目を瞑って」


 そう言われて、一瞬冷たい風が吹いたかと思うと、すぐに暖かい風に包みこまれるような感覚があった。


「もう開けても大丈夫だけど、身を乗り出したら落ちるからね」


 どこからか声がして、目を開ける。


「――え? ぅうわぁっ!」


 俺と祥太朗さんは上空に浮かんでいた。飛行機の窓から見たような景色が足の下に広がっている。

 

 祥太朗さんはさすがに慣れているらしく、平気な顔をしているが、俺には衝撃的だった。壁のような感触はあるが、上下左右、どこもかしこも透けているのだ。再び足の下をちらりと見る。


 身を乗り出すも何も、無理だよ……。


「レイジ君。まっすぐ前を見てごらん。白い渦が見えるだろう? あの中心に女王はいる。近づくから、出せるだけの声で、女王の名前を呼んで」


 顔を上げると、前方に巨大な竜巻のようなものが見える。あの中心にユキがいるのか。


「わかりました」

「やはり……。もう充分足りている……」


 魔法使いは一体どこにいるのか、声は上下前後左右どこからも聞こえて来た。恐らく、上下前後左右の壁すべてが彼なのだ。横目でちらりと祥太朗さんを見る。彼はマッチ箱を両手で包み込み何度も深呼吸している。彼も緊張しているのだろう。


 徐々に渦に近づく。少しだけ、温度が下がった気がした。


「ユキ! ユキ! 聞こえるか? 俺だよ!」

「もっと! 大きな声で!」

「ユぅ――――ぅぅぅっ、……キ――――ぃぃぃっ! ユキ――――ぃぃっ!! 俺だぁぁぁっ! レイジだぁぁ――――ぁぁっ!」


 渦が少し弱まった気がする。夏の空に浮かぶでっかい入道雲のような白の塊が、ほんの少しだけ空の青さと混ざったように見えたのだ。


「渦の中に入るよ。祥太朗も準備して」

「お、おう……」


 祥太朗さんは大きく深呼吸して、マッチを擦った。その小さな炎に右手を近付ける。


 一瞬、視界が真っ白になる。飛行機で雲の中に入った時のようだった。


 渦の中は空洞になっており、その中心にユキはいた。


「ユキ! 迎えに来たぞ! 俺と一緒に帰ろう!」

「レイジ……? 何でココにいる?」

「聞こえたか、良かった……。ユキ、帰ろう。姉ちゃんも、母さんも、父さんも、基樹もみーんな待ってる。お前が帰ってくるの待ってるんだ」

「皆……。でも、私は雪を……」

「もう充分足りてるって! お前は充分女王の役目を果たしたんだよ! 皆待ってるぞ!」

「でも……」

「俺だって! お前に! いてほしいんだよ!」

「レイジ……。お前……」


 ユキは安堵したように笑った。


 その瞬間、ふ、と渦が消えた。


 ユキの身体が垂直に落下する。


「祥太朗! 僕は女王を助けに行く! 後は任せた!」


 魔法使いの声が聞こえ、しゅるしゅる、と俺達を包んでいた風の壁がはがれていく。徐々に冷たい風が入り込んでくる。


「任せろ! 目ぇ瞑って歯ぁ食いしばれよ! 弟ぉ!」

「は、はいぃっ!」

「ぅぅぅおおぉぉぉぉぉっ!」


 しかし、彼の力では、風の壁を作るのに時間がかかるのだろう。数秒落下したようだ。


 それだけで、露出している顔面が凍る。目を瞑れと言ったのはこのためだろう。


「悪ぃな。俺はまだ半人前なんだ。これでも自己新なんだからな」


 祥太郎さんは肩で息をしながらそう言って、右手を俺の顔に近付けた。軽く振ると熱風が吹いて来て、顔の氷が溶けていく。


「結構寒いよな? これでも……ギリギリ成功してる方なんだ。お前はとにかく丸まってろ。俺ももう黙るから、お前もしゃべるんじゃねぇぞ……」


 わかりました、と頷いてから膝を抱え、顔をうずめる前にちらりと彼を見た。


 祥太朗さんは左手で右手首を抑え、小刻みに震えていた。ものすごく辛そうだ。こんなに寒いのに、額には汗をかいている。


 それでも、休んでくださいとは口が裂けても言えない。


 だって自分の命はこの人が握っているのだ。もちろんそれは祥太朗さんにしてもそうなのだが。


 ***


 くそっ、ぜんっぜんスピード出せねぇ。これ以上出せば、凍っちまう……。


 自分の身体と同じで考えてんじゃねぇぞ、クソ親父! あっちに戻るまでにどれくらいかかると思ってんだよ!


 右手は燃えるように熱いのに、身体は凍りそうなほどに冷たい。

 右手からの熱風は、風の壁の中に送り込む。礼二の方には特に熱の層を厚くするように意識した。


 まさか人様の息子をこんなとこで凍死させるわけにはいかねぇ。


 しかし、いくら手の熱があるといっても、祥太朗の身体は限界だった。


 どこまで……来た……? 少しでも……高度……下げないと……マジで……。


 寒さと疲労で意識が飛びそうになる。右手を押さえている左手はもう感覚がない。


 ……やべぇな……、洒落になんねぇ……。


 がくっと高度が落ちる。

 風の音も聞こえなくなり、目の前が霞む。


 祥太朗の意識はそこで途絶えた。


 ***


 言われた通り、丸まってじっと耐えていた俺は、だんだんと気温が下がるのを感じていた。

 もしかしたら、祥太朗さんは限界なのかもしれない。そしたら、俺はどうなるんだ?

 どう考えてもこの高さから落ちて助かるわけがない。


 寒さと死の恐怖に震えていると、一瞬高度が落ち、より強い恐怖が身を包む。


 もう駄目か……。俺、ココで死んじまうのかよ……。


 身を切るような寒さと、恐怖が全身を覆い尽くした時、それらをすべて吹き飛ばすような熱風と共に、魔法使いの声が響いた。

  

「頑張ったね、祥太朗。ここから先は僕が運ぶから」

 

 助かったのか……?

 緊張の糸がぷつりと切れ、俺は気を失った。




 気付くと俺は基樹の車の後部座席で横になっていた。


「あれ……何でだ? さっきまで、俺……祥太朗さんと……」


 ゆっくりと身体を起こす。窓をコンコンと叩く音がする。


「あ……」


 窓を叩いていたのは魔法使いだった。車内を指差している。中に入っても良いか、というジャスチャーだろう。俺は首を縦に振った。


 するり、と窓のわずかな隙間から侵入してくる。普通にドア開ければいいのに……。あぁ、カギ開けてなかったのか、俺。


「お疲れさま。ごめんね、大変な思いをさせてしまった」

「いえ……、俺よりも祥太朗さんの方が……。あの……大丈夫なんですか? 祥太朗さん」

「もちろん。僕がついているからね。実はね、それについても、僕は君に謝らなければならないんだ」


 謝る……? それは、まだ半人前だという祥太朗さんに託してしまったことだろうか。


「実はね……。別に祥太朗の力を借りる必要はなかったんだ。君を凍えないようにしながら女王を運ぶくらい、僕に出来ないことではないんだ」

「――え? じゃあ、どうして……?」

「祥太朗を成長させたかったんだ」

「成長?」

「祥太朗は自分のことを半人前だなんて言うけど、それは身体だけの問題だ。もうだいぶ力をつけているのに、その思い込みのせいで、力を出し切れていない」


 彼はそこまで言うと、視線を落とした。


「だから、この機会を利用してしまった。本当に、君には申し訳ないことをした」


 そして、深々と頭を下げる。


「いいんです、俺は……。ちょっと怖かったけど……。結果オーライっていうか、ユキが無事なら――って、そうだ、ユキ! ユキは?」


 魔法使いは頭をあげると、にこりと笑い、足元に置かれていた小さなクーラーボックスを指差す。


「この中にいるよ。氷も補充してある。虫の姿に戻って、眠っているところだよ」

「虫の姿に……」


 俺はごくりと唾を飲んだ。


「きっと、少し休めば人の姿になれると思うけどね。君の家に何か木は植えられていないかな。欲を言えば、大きめの、若いのが良いんだけど」


 唐突な質問に虚を衝かれる。


「木……ですか……? 庭にたしか植えてます。結構デカいやつですけど、若いかどうかは……。何か白い花が咲くやつですけど。それが何か……?」

「良かった。君には2つの選択肢がある。1つは、彼女とこのまま過ごすこと。ただ、それでもやっぱり、寿命は1週間くらいだと思う」

「1週間……」

「もう1つは、その木の根元に埋めること」

「――え? 生きてるんですよね? 生き埋めにしろってことですか?」


 俺が問い詰めると、魔法使いは優しく微笑んで言う。


「生き埋め、と言うと残酷だけれど、間違ってはいない。ただ、生きている状態でないと、意味がないんだ」

「どういうことですか?」

「彼女の命を、その木に移すんだよ。虫のままでは永く生きられない。でも、何か他のうつわを借りれば、それと共に生きられる。彼女は眠る前に君に選んで欲しいと言っていたんだ」

「俺が……選ぶ……」

「君がどちらを選んでも、彼女は受け入れると。帰りの道中でゆっくり考えると良いよ」


 そう言うと、また窓の隙間からするりと車外へ出る。丁寧にお辞儀をして、背を向け、歩き出す。俺は慌ててドアを開けた。


「――あ、あのっ、本当にありがとうございました!」


 俺の声で彼は振り向き、笑った。


「僕の方こそ、本当にありがとう」


 そして再度丁寧にお辞儀をし、歩き出した。

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