新たな誓い

 大蛇の右目の奥は、焼け焦げてボコリと凹み、砕けた黄色の魔石が剥き出しになっていた。その周りには沸いた肉が凝固してへばりついている。


「あれは、魔石ですか? イヨナさまが?」

「ええ、土属性の蛇でしたが、蛇は土ではないので、火属性も効果があると思いました。でも、倒してしまうほど強力だとは思いませんでした」


 魔石は純粋な属性の塊なので、火の攻撃は通さなかったと思う。だが戦場から離れるイヨナさまに戦に関する知識は必要ない。イヨナさまが得意げにしているところに水を指すのもなんなので、魔石は私が口の中から砕いたことは黙っておくことにした。


「姫は、火属性の魔法は怖くなかったのですか?」

「どうしてですか? 私、獣憑きですけれど、人間ですよ」


 イヨナさまの言葉に、一気に肩の力が抜けた気がした。今までさんざん気を使ってきたのは何だったのだろうか。やはり火は恐ろしいですかと、聞かなかった私も私だが、結局、こちらの思い込みだったのだ。


「ジル?」

「いえ」


 私を覗き込むイヨナさまに軽く首を振って私は立ち上がった。


「アルリ、次の道はどうなっている?」

「あ? あ、ええと」


 呆然としていたアルリは慌てて地図を取り出した。


「ええと…………この次の部屋で最期です。この先の一本道をずっと真っすぐ行けば、祈祷場へでられるみたいです」


 もう別れ道はないらしい。あとわずかな道のり。ようやくここまで来たかと思う反面、イスリュードがすでに殺されていたらと不安になる自分もいる。そんな複雑な感情を抱えて、私たち三人は最期の細道を歩いた。そして――――








 ――――光が見えた。

 今度は燃えるような花の光ではない。もっと白い光だ。

 期待と不安が入り交じる鼓動を胸に感じて、暗闇の向こうから放射状に射す光へ向かって歩いた。


「うわぁ……」


 細い洞穴を抜けた先は、吹き抜けから陽の光が差し込む明るい空間だった。丸く切り取られた天井からは澄み切った青空が覗き、天井の端からは砂がさらさらと糸のように垂れ落ちている。

 下を見れば中心には広い泉があって、岸にはわずかに草も生えている。


 と、カツンと爪先で何かを蹴った。足元を見ると、何やら砂に模様が描かれていて、その外周をなぞるように拳くらいの石が綺麗に並べられていた。それを見て、アルリは這いつくばった。


「これは……魔物除けの術です」


 弾かれたように顔を上げたアルリはじっと辺りを凝視して、そして何かを見つけたのかハッと息を呑んだ。


「イスリュードさま……?」


 そう言って駆け出したアルリの先には細い柱があった。よく見ると柱からは布きれがはみ出している。アルリの声に反応したのだろう、はみ出した布切れはやがて面積を広げ、それは人のシルエットになった。


「アルリ?」


 人影がそう零すのとアルリが人影に飛びついたのは同時だった。


「イスリュードさま!」


 青空と同じ色の長い髪、瞳はすべてを見通しているかのような澄んだ硝子のような灰色をしている。二十代の後半だろうか。大巫女などというやんごとなき地位にいる割にはあまりにも若い。そこに彼女の才覚が窺える。


「ジル、あの方が?」


 イヨナさまは微笑ましそうに目を細めている。


「そのようです。行きましょう」


 私とイヨナさまはアルリの後を追った。




 アルリにイスリュードを紹介してもらう。それから事情を話すと、大巫女イスリュードは快く解呪を承諾してくれた。


「それではジルバラートさまは外していただけますか?」


 にこりと笑うイスリュード。どうやら解呪の儀式は服を脱ぐらしい。当然男子禁制だ。イヨナさまは未知の儀式を前に不安げな面持ちで私を見た。


「大丈夫ですよ。外すといっても、泉の対岸の、そうですね――」


 姿を隠すには丁度いい岩場を見つける。


「――あの岩場の向こうにいます」


 私が指した岩場を見て、イヨナさまは「本当ですね?」と尋ねた。獣耳がぺたんと寝てしまっている。私はもう見るのも最期になるだろう獣耳を撫でて笑った。本物の猫のように気持ち良さげに頭を委ねるイヨナさまに私は「ええ」と答えた。





 イスリュードの指示通り、私は岩場に身を隠す。イヨナさまは不安がったが、なるほど、たしかにこれは心配だ。万が一など無いのはわかっているが、この旅でイヨナさまと離れ離れになったことがどれほどあったろうか。野営時の見回りなどで必要だった時を除けば、州長邸で捕らえられた時と、さっき大蛇に飲み込まれた時くらいだ。


 しばらくすると何やら呪文のような、祝詞のようなものが聞こえてきた。アルリの声も聞こえるのは、儀式を手伝っているためだろう。儀式自体に興味はないが、イヨナさまの身に何が起こっているのかはどうしても気になってしまう。断っておくが決して裸を見たいわけではない。

 とにかく、胸のざわつきを抑えながら私は待ち続けた。



 ……随分長く唱えているな。イヨナさまの声も聞こえない。苦しければ呻くだろうから、そういうわけではないのだろうけれど、驚きの声も聞こえないということはまだ身体に変化は見られないのだろうか。


 待っている間、色んな推測を立てたがどれもピンとこない。儀式を知らないのだから当然なのだが、どうしても焦りを抑えることができなくて、ついに私は岩場から顔をだしたのだった。


「何してるんですか!」


 間髪入れずにイスリュードの怒声が飛んでくる。私は慌てて首を引っ込めたが、「そちらこそ、いったいどれだけかかっているのだ」と苦情を投げ返した。


「どれだけ? 付与神術の詠唱の、ほんのまだ数回分ですよ!」


 …………なんだって?


 愕然としたのは、自分がどれだけ焦れていたのかを知ったからだ。


 深い息をひとつ吐く。そして私はあっさりと観念した。これではとてももたない、と。

 そうと決めたら不思議と落ち着いて、気がついたらふたりの巫女の祈祷の声も聞こえなくなっていた。


 かわりにすぐ後ろで砂を噛む音が聞こえ、私は今度こそと思って岩場から顔をだした。


「……ジル!」


 私は言葉を失った。言葉を発するために必要な息を呑み込んでしまったからだ。


「イ、イヨナさま……それは」


 きれいに消えた獣の耳、尻尾もない。けれどなくなったのはそれだけではなかった。イヨナさまの腰まであった長く美しい金髪が肩口のすぐ上で切り揃えられていたのだ。驚く私に、イヨナさまは真剣な眼差しで口を開いた。


「わたくしは……」


 一度言葉を止めて首を振る。


「この旅は、わたしにたくさんのものを与えてくれました。その多くはジル、貴方から頂いたものです。初めてお城を出て、皇都を出て、レギニアさえ離れて、わたしは己の無力さを知りました。けれど同時に、強くなりたいと思うようになりました。鮮やかで美しいけれどとても残酷で、けれどとても優しくて……」


 ほんの少し、苦笑の混ざった笑みを浮かべてイヨナさまは言う。


「わたしはこの世界の魅力に取り憑かれてしまったようです」


 それは呆れるほど愛くるしい笑みだった。そして、


「わたしは、皇族であることを捨てます。これからはイヨナルシアではなく、ただのイヨナです」


 私は瞠目した。このイヨナさまの言葉は、私への我儘でもなければ意地でもない。


 イヨナさまはこれほどまでに逞しくなられていたのか。


 よく見ると、掴んだだけでポキリと折れてしまいそうなくらい華奢だった腕に、靭やかな筋肉がついているのがわかる。真珠のように白く美しかった肌の日焼けした跡が袖口から見え隠れしている。笑顔には、以前のようなおっとりとした雰囲気は消え、凛々しさが表れている。




 私は、彼女を放っていられるのか。たった四半刻さえ目を離せないのに。


「イヨナさま、これからも貴女の騎士でいさせていただけますか」


 気がつけば、私は跪いていた。今度の誓いはふたりだけのもの。皇帝陛下もユドラウさまも関係ない。

 イヨナさまは眼を丸くして驚いたがすぐに笑みを溢し、やがてくしゃくしゃになって、ぼろぼろと涙を溢れさせた。凛々しさはどこかへ消えてしまったようだ。


「嬉しいです。これからも、貴方の、隣にいさせてください」


 私は、彼女の獣耳のない頭を撫でた。

















 帰りは、大巫女イスリュードに協力して洞窟に魔獣よけの結界を張ってからムナランヤへ向かった。

 その道中、


「ねえジル」

「どうかしましたか? イヨナさま」

「その、もう皇女ではなくなったわけですし、さま付けはやめませんか?」

「イヨナ、さん」

「さんも」

「しかし……」

「あの時は言えたじゃないですか」


 いつだったか、都市壁の検問を受けた時のことを言っているのだろう。


「あれは、姫さまをお呼びするために使ったわけでは――」

「ほらまた姫って言った」

「う……、イ――」


 なんという目で見つめるのだろう、我が姫は。


「…………………………イヨナ」

「はい、ジル!」


 まったく、ままならないものである。

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歴戦の騎士は姫君の為に ふじさわ嶺 @fujisawa-rei

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