魔力が呼び寄せしもの
「アルリィ! 付与神術を!」
必要以上に声を張り上げて叫ぶ。ふたりの気付けと、魔獣の気を引くためだ。
「は、はい!」
すぐに詠唱にとりかかるアルリ。イヨナさまはアルリの肩を支えるように抱いている。
「イヨナさま! 一体突破します!」
「壁に走ります!」
すぐに欲しい答えが返ってくる。本当によく成長された。
今、一番脱したいのは、背後を取られていることだ。四体という魔獣の数も、見えているぶんだけで本当はもっと多いのかもしれない。前衛が私ひとりしかいない以上、たとえ自ら退路を断つことになったとしても、《正面》をひとつに限定することの利が勝る。
剣がズシリと重くなったのを感じると、私は正面の一体に突撃した。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
魔獣と戦う際、前衛はとにかく音を荒立て、派手に立ち回るのがセオリーだ。人間相手なら上げないだろう咆哮も上げる。剣筋は大道芸か剣舞のそれだ。こういう時、私にも魔法が使えればわざわざこんなことをしなくても良いのだが……。この旅が終わって隣のイニピア王国に渡ることができたら、私も魔法を覚えてみるか。
ともあれ今は懸命に叫ぶしかなく、私は四体の巨大サソリの中心で怒号を上げながら剣を振るった。節ばった脚は見た目上に硬く、全力で三度振り抜いて、ようやく叩き切ることができた。それが八本もあるのだから、奴らの脚を止めるのは一苦労だ。襲い来る八本の鋏を躱しながら、私は何度も執拗にサソリの脚を打ち据えた。
「硬いな……」
しかし脚を潰し続けた個体の動きは確実に鈍ってきている。
「アルリ! 頭を狙え!」
付与神術が得意のアルリ。しかし一人旅の最中、魔獣を相手にすることもあるだろうと、攻撃系の神術も会得していたと言っていたはずだ。
「はい!」
アルリは一気呵成に祝詞を唱えた。次の瞬間、神術が発動して、動きが鈍った大サソリが業火に包まれた。目の前で巨大な火柱が上がって、危うく巻き込まれそうになった私は反射的にアルリに苦情を訴えた。
「ばっ、洞窟で火を使うやつがあるか!」
「ご、ごめんなさい!」
とはいえ、一体駆除できたことは喜ばしい戦果である。仲間を失ったサソリたちが、カチカチカチカチカチとしきりに口を鳴らして怒りを露わにしている。それを逆撫でするように、私はひらりひらりと踊るように攻撃を躱し、剣を走らせた。一撃の威力は弱まるが、後衛に注意を向けられるわけにはいかない。当たりそうで当たらない鋏に、奴らは歯痒さを感じていることだろう。
私たちは順調に三体目を葬り去った。なんだ、こんなものかと落胆にも似た安堵を覚えた矢先だった。
残り一体となった大サソリが、突如私に背を向けて後衛の方に向かって動き出したのだ。流石に三回も同じ手を繰り返せば、馬鹿でも気づく。もう子供だましの挑発も通用しないだろう。
姫さまとアルリは風の防壁に護られているが、実体のない壁で巨大魔獣の攻撃を耐えるのは辛いはずだ。まして風の影響を受けにくい刺突。条件はすこぶる悪い。しかし一番の問題は術者であるアルリがそれを理解していないことだ。
「アルリ! 風を強く!」
風の勢いを増して攻撃を反らせれば良かったが、もう防壁の強化は間に合わない。
防壁のなかのふたりは、私の言葉の真意に気づく様子もなく、ただひとり焦る私を見て驚いているだけだ。私は必死に大サソリを追いかける。しかし奴にとって、後衛までの距離はほんの数歩。追いつくはずもない。ついに鋏が振り上げられ、怒りに任せた渾身の刺突がアルリとイヨナさまを捕らえた。
鋏は風の防壁をあっさりと通過する。サソリの超重量の前では、微風同然だった。そしてなかにいたふたりは、驚く暇も与えられずに串刺しになってしまう。刹那、そんな景色が脳裏に過ぎった。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!」
私は全力で剣を掲げる。そして全身全霊の力を込めて剣を投擲した。腰から胸へ、胸から肩へ、肩から腕へ、腕から二の腕へ、二の腕から手首へ、手首から指へ、順を追って筋肉がブチブチと千切れるような音がした。
これだけの力を込めても、硬い甲殻に覆われた鋏と止めるのは不可能。狙いを外すことくらいしかできないだろう。私は剣を放つと即座に跳躍する。
ガイィン!
という、鋏が弾かれたのか、剣が弾かれたのか良くわからない音と、イヨナさまとアルリの小さな悲鳴が遠くで聞こえた。
私は巨大サソリの脚の節を蹴り、背中に飛び乗り短剣を抜き放った。魔石の位置はわからない。だから急所狙いだ。私は頭部を覆う甲殻と、胴体へ続く甲殻の隙間に短剣を突き立てた。
燃え盛るような花畑に、金属を引っ掻いたような甲高い断末魔を響かせた大サソリは、ドシンと重い音をたて沈むようにその場に倒れた。
これほど息を切らしたのはいつ以来だろうか。護衛騎士となってから、城では平穏な日常ばかりだったから。
私が顔をあげると、イヨナさまが愕然とした表情で、頭のすぐ隣の壁に突き刺さった大サソリの鋏を凝視していた。イヨナさまに抱きかかえられているアルリも振り返って絶句していた。
「無事で何よりです」
そう声をかけるとイヨナさまは、サソリの背中にいる私を見上げて「し、死んだのですか?」と尋ねた。その問かけに違和感を感じた私は、すでに倒している三体に眼を向けた。
「どういう意味――」
背中でイヨナさまに問い返しながら、私はあることに気づく。先に息絶えた三体のサソリは脚をぎゅっと丸めて足先は胴体の下へ潜らせるように縮こませているのに対し、私の足元のこいつは、胴体だけを沈ませるように地面に付ている。あるいは、足でしっかりと地を掴んだままだと言えるかもしれない。
しかしこいつはピクリとも動かない。生死を判断できない私は、人を超越した感覚にヒントを求めるためにイヨナさまへ振り向こうとした。その瞬間、
「ジル!」
と、姫さまの焦りを帯びた声が私を呼んだ。同時に、私が足蹴にしていた巨大サソリが怒号を上げて動き出した。不安定な足場を何とか蹴り、私は宙に跳ぶ。揺れる視界の中、なんとか護るべき主君の姿を捉えたが、イヨナさまは大サソリを見てはいなかった。
「右からきます!」
そう叫ぶ彼女の視線を追うと、突如、巨大な闇が突っ込んできた。闇はサソリを飲み込むと、猛スピードで壁にぶち当たり、しかし物ともせずガラガラと岩肌を削りながら花畑を荒らしていった。
「イヨナさま!」
着地した私は剣を広い、すぐにふたりのもとへ駆けつける。もしも背後から飛び込んでこられていたら、イヨナさまもアルリも、サソリ同様飲み込まれていたかもしれない。
「だ、大丈夫です。それよりジル、あれは……」
ズルズルと何かが地を這う音がする方向を見ると、花の、燃えるような光が、闇だと思った者の正体を明るみにしていた。
「蛇?」
大サソリよりもよほど大きな、遥かに大きな蛇だった。巨大なサソリを丸呑みできるほどの太さ、全長も異常なほど長く、尻尾は暗闇のなかにあって確認することができない。
さっき呑み込んだサソリが暴れているのか、蛇の腹がぼこぼこと蠢いている。しかしそれもすぐにおとなしくなる。
「あうう」
情けない声を出したのはアルリだ。確かに嘆きたくもなる状況だが、ここまできて諦めるわけにはいかない。
私は両手で剣を握る。右手だけではもう力が入らないのだ。自然と、ゴクリと喉を鳴らした。
しかしこんなやつがいたなんて。花畑を挟んだ対面で蠢動している奴の、おどろおどろしい鱗の模様に、私の直感は警鐘を鳴らし続けている。
瞬時に何通りかの戦闘を想像するが、どれも碌なことにならない。イヨナさまやアルリを背にしているから、ヤツの突進を交わすことはできない。かといって受け止めるのは現実的ではない。では、こちらから打って出るのはどうだ。先の先を取り、攻撃が繰り出されるまえに決着をつける。まだこちらの方がマシだろうか。
足に力を込める。そして地を蹴った瞬間「右目の奥です!」と、イヨナさまが叫んだ。その声を背中に受けて私は吠える。
「うおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああ!!!」
絶体絶命の危機。この突撃も、別段チャンスというわけではない。師匠に云わせれば、無謀だと笑われてしまうかもしれない。しかし主君のもたらした言葉を受けて、私は加速する。
右目の奥。魔力が見えるイヨナさまのことだ。きっと魔石がある場所だろう。
気づいた大蛇が威嚇する。私は奴の眼を引きつけるように声を上げて側面から回り込む。呼応するように予備動作なしに大蛇が大口を開けて飛びかかってきた。私は壁を蹴り、身を翻して奴の頭上に飛び上がる。そして切っ先を奴の右目に向けた。あとは自然落下を利用して、全体重をかけて奴の右目に剣を突き立てるだけだ!
が、大蛇はぐりんと、ありえない挙動で顔をこちらに向けた。凶悪な牙が目の前に迫る。突きに構えた剣を手元に引き寄せる。巨大サソリすら丸呑みにする大きな口だ。空中で身動きのとれない私には為す術もない。かろうじて牙を受け流すことはできたが、私はあっけなく飲み込まれてしまった。
暗闇に包まれてすぐに、壁を隔てた向こうからイヨナさまの悲痛な叫びが聞こえてきた。蛇が、その絶叫に反応したように動いたのがわかった。なんとかしないとふたりの命が危ない。この状況でなんとかしようとしている自分に笑えてくるが、私はまだ生きている。生きている限り、守り続けなければならない人が、誓いがあるのだ。
大蛇の腹は奥へ奥へと押し流すようにうねっている。それに抗い続けるのは不可能だ。決断しなければならない。
剣を上へ向ける。
どこだ……
右目の奥。どこも正解の気がするし、どこを狙っても外れる気がする。何か目印があれば。しかし何も見えない。姫さまのように、私にも魔力の視える目があればと、思わずにはいられなかった。
私は奥へと流される自分の身体を止めるためにも剣を大蛇の上顎に突き立てる。当たれば儲けものだが外れ。魔石に当たった感触は微塵もしない。だが体勢は安定した。片手で身体を支え、空いた方の手で短剣を抜いた。そしてもう一撃!
「くっ、駄目か!」
二度、三度刺突しても断末魔を引き出すことはできない。いい加減身体を支える手も震えてきた。
「くそっ、くそ!」
半ば自棄になって短剣を振り上げる。
「当たれえええええええええええぇぇぇ!」
その時、外から爆発音が聞こえた。一気に頭が冷える。外で何かあったか? まさか――
不安が脳裏を過る。
そんななか、大蛇の上顎の一部が赤くぼんやりと光りだした。外の、燃えるような花の光に似ているが、それはあり得ない。ではこれは……。
傷を負った大蛇がわずかに口を開く。その隙間から「ジルを返して!」と、大蛇の唸り声にまぎれてイヨナさまの声が届いた。
姫さまが魔法石を使った?! だとしたら、
「ここが魔石か!」
私は最期の力を振り絞りありったけを込めて上顎の赤い光に短剣を突き立てた。
「ギシャアアアアアアアアアアアア!」
鉱石を砕く硬い感触が手に伝わる。当たりだ!
痛みに悶える大蛇。大波のように荒れる体内に恐ろしい断末魔が響き渡った。決壊した河のように止めどなく溢れ出る絶叫を逃がすようにバックリと開いた大口からふたりの姿が見下ろせた。
「ジル!」「イヨナさま!」
飛び降りようにも素直に剣が抜けてくれない。まだ何か、近くに潜んでいるかもしれないというのに、早く傍でお護りしなければ。牙に足をかけ、どうにもぎこちなく、何とか剣を抜く。その反動で悶える大蛇の口から転げ落ちてしまって、自分がどれだけ疲弊していたのかを知った。
「ジル!」
花畑に這いつくばり、剣を杖にして上がる。不意によろけて、倒れそうになる。するとそっと細腕が伸びてきて私の身体を支えた。
「姫さま……」
「大丈夫です。今度こそ、静かになりました」
私が振り向くと、白目を剥いて横たわる大蛇の姿があった。
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