キュル・テギン碑文

キュル・テギン碑文 南面【意訳】

※原文の「13~14段落」を崩し、新たに段落分けしました。八世紀、日本なら奈良時代頃の突厥の賢き可汗が、「アノ国の甘い言葉と柔らかい絹に篭絡されて引き寄せられれば、騙されて潰されるぞ!だから皆が忘れない様に石碑に警告を刻んだ」という内容です。


 我は天の如く天より成りしテュルクのビルゲ・カガン、今正に位に就いた。

 皆の者!我が話を全て聴け。先ず我が弟たち、我が息子たち、共に我が同族たる民たち、右に総督シャドたち諸将ベグたち、左に功臣タルカンたち、執政ブイルクたち、諸将ベグたち、オットズ・タタール、トクズ・オグズの諸将ベグたち民らよ!

 この我の話をよくよく聴け!努めて忘れるな!

 東は日の出るところ、南は日の座るところ、西は日の沈むところ、北は夜が座るところ、この中の民たちは皆、我に従った。 このような民を我は束ねた。それで今や悪しきこと無く、テュルクのカガンがウテュケンのイシュに居れば、国に憂うる事は無い。東は山東シャントゥンの地まで私は進んだ。渤海タライまで迫った。南は九城焉耆トクズ・エルセンまで私は進んだ。吐蕃トゥピュトまで迫った。西はイェンチュ河を渡り、鉄門テミル・カピグまで進んだ。北はイェル・バイルクの地まで進んだ。この様な地まで私は平らげた。

 ウテュケンのイシュほど善き所は無い。唐国タブガチュの民と私は誼を交わした。黄金こがね白銀しろがね、酒や絹を数え切れぬほど程に貢いだ。

 しかし、タブガチュの民の言葉は甘く、絹は柔らかい。甘い言葉と柔らかい絹で騙して遠くに居る民たちをこの様に引き寄せるのだ。近くに住まわせた後で悪巧みをするのである。(甘い言葉と柔らかい絹で誘い、)賢い者や勇ましい者が出ない様にするのだ。

(引き寄せられてから)一人が誤れば、氏族、民、下僕に至るまで見逃さないのである。甘い言葉と柔らかい絹を受け取れば、多くのテュルクの民は死に、テュルクの民で生き残った者は南の陰山麓チュガイ・イシュに移され、平原に住まわされる。

 テュルクの民で生き残った者、そこで悪しき者にこう唆されるのである。「遠くに居る者には悪い物を与え、近くに居る者には善い物を与えよう」と言って唆すのである。物知らずな人は言葉を真に受けて、引き寄せられて多くが死ぬのである。その様に近寄れば、テュルクの民よ、お前たちは死ぬのである。

 ウテュケン・イシュに居て、隊商行商を送れば何の憂いも無い。ウテュケンのイシュに居れば、お前たちは永久に国を保っていられるのだ。テュルクの民よ、お前たちは満たされれば、お前たちは飢えを憂えず、一たび満たされば、お前たちは飢えない。

 だから、先に使えてきたお前たちのカガンの話などは聴くな。散り散りになって滅び、ここに残った者も皆飢え死にしそうになったではないか。

 天神テンゲリ御言宣みことのりにより、自ら幸により、我はカガンになった。カガンになってから、持たざる貧しい民たちを皆集め、貧しい者を豊かにし、少ない民を多く増やした。我が話は間違っておるか?

 テュルクの諸将ベグたちよ民たちよ此処に聴け!テュルクの民たちを集めて国を建てたことを此の石に刻んだ。誤れば死すことをまた此の石に刻んだ。我が話したこと何もかもを永久に石に刻みこんだ。

 よくよく見て知りたまえ!テュルクの民たち諸将ベグたちよ!今ここに石のふみを見た諸将ベグたちは誤りを犯すことは有るまい。(その為に)我は永久に石に刻んだのである。

 唐国皇帝タブガチュ・カガンの絵描きを我は求めた。拒まれなかった。唐国皇帝タブガチュ・カガンの内宮の絵描きが遣わされた。彼らに珍しい建物を建てさせた。中の石に珍しい絵を描かせた。石を打たせた。我が心のままの話を石に刻ませた。

 十矢オン・オクの息子たちよ、外様の者たちよ、見て知りたまえ!永久に石に刻ませた。この人の住む地、今人の住んでる地、この様に人の目に触れる地で永久に石に刻ませた。我は書かせた。よく見て斯く様に知りたまえ!

 石に我は刻ませた。文を書きしは甥のヨルルグ・テギン。

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突厥碑文抄訳(稿) 犬單于 𐰃𐱃 𐰖𐰉𐰍𐰆 @it_yabghu

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