第29話

「え?」


 振り返った早川の目に映ったのは、朝日野女子高校の制服。

 ぞわり、と彼の背筋が縮み上がった

 そこにいたのは紛れもなく、同校の生徒に違いなかったからだ。


「あ、ええと、君、は……?」


 焦って普通に喋れなくなってしまう早川。まずいかもしれない。ファミレスで大声を出して生徒と盛り上がるなど、教師としては不適切な行為だ。今の光景や話していた内容を学校側に報告されると、ことによっては何か処分を受けなければならないのでは。

 しかし、早川の予想に反して彼女の口から出たのは非常に丁寧な挨拶だった。


「わたくし、広報部二年の林道寧々(りんどう ねね)と申します。この度第七格闘部の密着取材をさせていただきたいと思っておりまして、練習試合から試合後の反省会までこっそり拝見させていただいた次第なのでございます」

「れ、練習試合から? ずっと俺らの様子を観察してたって言うのか? ていうか、俺達が反省会の最中だってどうして知って……」

「まあ練習試合後に部員総出で話し合いとなればせいぜい反省会か打ち上げ程度のものでしょう。会話の内容も聞こえましたのでね」


 そう言って無邪気に微笑む林道。彼女の口振りに再び嫌な予感がこみ上げてくる。


「広報部って新聞とか作ってたよな……。ひょっとして、俺らのこと記事にするのか? 俺達は反省会をしてただけであって、何も記事になるようなことは……」


 生徒とファミレスで騒ぐ教師の図を、写真つきで新聞にすっぱ抜かれたりしたらたまらない。部活どころか教師としての今後も危うくなってくる。

しかし林道は笑って早川の悪い予想を一蹴する。


「いえいえ心配しなくても、想像してるような内容の記事にはしませんよ。私は真実の奴隷なのでね。情報の取捨選択は出来ても、事実を捻じ曲げる事はできませんので」


 その言い草が独特で早川は思わず、部員たちを見回してしまった。

 彼女らは皆慌てたような怪訝そうな顔をして、口を半開きのまま固まっていた。


「実は……あなた方と第三格闘部との練習試合について、ある人に記事にするように頼まれましてね。他にネタもなく断る道理もないので引き受けたのですが、少々複雑な問題があるのです。皆さん、こちらの画像は合成でなく本物であると断言できますね?」


 そう言って林道が見せたのは、銀色に光るデジタルカメラの画面だった。

 そこに映っている画像を見て、早川含め第七格闘部の面々は息をのむ。


「これ、私と千佳の……」


 漏らしたのは麻衣。そこにはなんと、

 麻衣と千佳が泣きながら抱き合っている様子が、映し出されていたのだ。


「不自然ですよね。天見千佳と樋口麻衣の試合。点数的には樋口さんが圧倒的に不利な状況だったはずの、この試合がなぜか途中で中断された。中断時の様子がこの画像です」

「っ! これは……」


 早川が弁明しようとするが、林道はそんな暇を与えず淡々と語り続ける。


「中断前にいくらか言葉のやり取りがあり、天見千佳はひどく動転していた。そして最後には泣きながら取っ組み合う二人……。普通の試合ではこんな光景見られませんし、不自然です。不自然でないように考えるとすれば……あなた達が天見千佳に何か精神的な攻撃を加え、その結果として取っ組み合いの喧嘩に発展、試合が中断された……という可能性が浮かび上がってくるわけです」


 穿った解釈を説明され、つい逆上する麻衣。


「違う! それには事情があって」

「ええ、ええ。事情を察しはしますが、それって今すぐ証明できないでしょう? 私は真実の奴隷、と言いましたが、私が自分で経験し真実と断定できない事には従えないのです。そして従えない以上、どんなに確からしい説明も、刺激的な虚構には敵わないのです」


 だんだんと、彼女の言いたいことが飲み込めてくる早川。

 これはひょっとすると、ファミレスで騒ぐ様子をすっぱ抜かれるよりもやばい。


「明日の朝には、私はこの写真を記事にします。見出しは、『七格、三格との練習試合は疑惑の無効試合』ってところでしょうか。新設の部活として早くのし上がりたい七格が、伝統ある三格に勝負を挑み、二試合目までで一勝一敗の大健闘。しかし第三戦で三格のエース『天見千佳』に苦戦、どうしても勝ちたいがために精神面を弱らせるダーティプレイに走り、結果的に試合は中断、無効試合となった……。これをこのまま書くと嘘つきになるので、あくまで可能性を匂わせる程度にしますがね」


 悪びれる様子もなく告げる林道。

 早川はその場で彼女が持っているカメラを奪い取って壊してしまいたい衝動に駆られるが、そんな事をしては一層悪い記事を作られるだけである。

 とにかくこの少女は自分たちの事を貶めようとしている。それだけは確かに理解できた。

 しかし、どうにも飲み込めない。

 彼女が自分たちを貶めようとする理由だ。何か恨みを買った覚えはない。覚えがないだけで買っているのかもしれないが、そんな可能性すら考えづらい。

 悩む早川にヒントを与えるがごとく、林道は無邪気な笑みのまま語る。


「私としても、あまり事実に反しそうな内容を記事にするのは嫌なんですがね。すみませんね、記事の依頼を受けた相手が相手なもので……。今回は私の安全のために、犠牲になってくださいな」


 そう告げて彼女はくるりと身を翻して立ち去ろうとする。


「あ、待て!」


 早川が呼び止めるが、彼女は聞く耳も持たずさっさと歩いていってしまう。

 席に残された第七格闘部のメンバー。彼女らはまだ、何が起こっているのかはっきり理解できず、ただうわ言のように尋ねるばかりだった。


「先生……、あの人一体……」


 これは麻衣の言葉だった。


「……わからん。くそ、どういうつもりだ? 一体誰に頼まれたってんだ」


 舌打ちし顔を歪める早川。全く信じられない状況になってきた。なぜ、自分達がこんな目に会わなければならないのか。説明が出来なかった。

 しかし由紀一人だけは、その理由に思い当たる節があった。


「茜ちゃん、麻衣ちゃん、ひょっとしたら、あの時の……」


 それは、彼女達が部活を結成する事が決まった日の出来事だった。体のいい後輩いじめの被害に合っていた由紀と麻衣を、茜が助けてくれた時。自分達が恨みを買っている相手といえば、あの時茜に倒された、不良の先輩ぐらいしかいない。由紀の言いたいことに、麻衣はすぐ感づいたのだった。


「何かあったのか?」


 早川の問い掛けに、麻衣は言いづらそうに唇を歪めながら


「うん。ここに入部した日に、第六格闘部の先輩と少し揉めちゃって……。ひょっとしたらそのせいかも……」


 首をちぢこませて怪訝そうに声を漏らす早川。


「第六格闘部か。あそこは顧問がいるけど、いないようなもんだからな……。とりあえず、明日にでも顧問に話をつけてみる。この件は俺に任せて、お前らはあまり勝手に動かないでくれ。またトラブったりするといけないから」


 落ちついた様子を演じながら、早川がそう言って部員たちを安心させようとする。

 部員の三人は不安げな顔で小さく頷いた。この時彼女らは、自分達が置かれている状況について、まだ正確には認識していなかった。

とても恐ろしい事態に巻き込まれている事に、まだ気付いていなかったのだ。

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格闘少女物語ブレイク!~新米教師と天才少女と初心者2人が全国大会を目指す話~萌えて笑えて時々泣ける青春格闘部活小説。部活ものが好きな方はぜひ!※男は顧問だけ。たまに顧問×生徒、ガールズラブ展開も @tatekawa-kei

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