第8話 最後の委託業者
エグバートの赤い単眼が覗いた。
その巨体を狭いドアに押し込み、粘土のように体を侵入させてくる。
室内は、彼にとっては狭すぎるようだ。頭二つ分くらいはエグバートの方が大きい。背中を丸め、ふらふらと歩みを進める。
「この場のすべて、焼き払ってもよいが――」
エグバートの背後から、ビルメレム氏の声が聞こえた。その姿は見えない。エグバートの巨体の影に隠れている。
「いま少しばかり猶予をやろう。管理人を僭称する者が、どのような末路を迎えるか。衆目に晒してやるがいい」
エグバートは、その言葉に応ずるように天井を仰いだ。
ほおおおおう、と、奇妙な鳴き声が響く。
「合図をするので」
俺はセリアさんの肩を掴んだ。すっかり緊張しているのがわかる。
「そしたら、狙って射抜く。それだけでいいんだ。簡単だろう?」
「それは簡単だ――実に簡単。本当だぞ。それで、何を?」
セリアさんの声は震えている。エグバートが踏み出してくる。正面からだ。彼の歩幅なら、数歩も必要ない。
「何を射抜けばいい?」
「エグバートの顔面を」
エグバートが腕を引いた。
こちらを狙って振り出してくるだろう。俺はかわせると思うが、セリアさんと、いま倒れている青木さんには無理だ。
「ど真ん中を射抜いてほしい」
「しかし、私の矢では――」
「いいんだ」
俺はセリアさんの手を掴む。
「この一度だけでいいから、俺を信じてほしい。俺は管理人で、社会人だ」
「うっ」
セリアさんは喉を詰まらせたような声をあげた。
確かに彼女は逡巡した。技量への不信ではなく、その行為が意味のあることなのかどうか。だが、エグバートが攻撃態勢に移ろうとしているいま、セリアさんにできることは多くない。
ビルメレム氏への降伏を示すために俺を射抜くか、エグバートに矢を放つか。
この二択には俺が勝った。
「わああああああっ」
セリアさんの、場の空気にそぐわないほど間延びした雄叫びが聞こえた。
震える手から矢が放たれる。
それはエグバートの頭部を正確に貫いた。
攻撃がうまくいくことはわかっていた。
この屋内でエグバートの炎を使えば、ビルメレム氏自身も無事では済まない。それにセリアさんは優秀な射手だ。
よって矢はエグバートの赤い瞳のど真ん中に突き刺さり、そして、粉々に彼の頭部を破壊した。
「うわあっ?」
セリアさんが動揺のあまり、裏返った声をあげた。
「私の矢が! 何をした、管理人?」
正確には、俺の
スキルバッチ《破砕振動》――振動はすべてを破壊する。
セリアさんの手を通して、鏃に振動を伝えた。
異常振動する鏃が、エグバートの頭を砕いたわけだ。
彼の巨体が、緩慢にぼろぼろと崩れだす。半ば以上を砕かれた制御プロセッサが地面に落ち、うつろな金属音を響かせた。
俺が違法に改造したスキルバッチである《破砕振動》は、振動現象をほぼ自在に制御する。
遠くの物体により強い振動を届ける――時間差で強くなる振動を与える。瞬時に振動を浸透させる。そのような、一見すると物理法則に反するような現象ですら。
これを物理延伸、という。
いまのところ、あらゆる物理延伸を発生させる技術は、言い訳のしようもない違法行為だ。
「無駄だ」
ビルメレム氏は、あざ笑うように言った。ついでに、例のステッキまで構えている。
「エグバートはいくらでも再生する。知らんのか」
ステッキの先で床をつくと、スキルバッチが実行されるのがわかる。
「わかってるよ」
俺は《破砕振動》起動後の、ちょっとした目まいを振り切って動く。
スキルバッチを実行。アクティブ起動、即時。《跳躍》。レベル七。
電子脳幹の開発者いわく、スキルレベルが四あれば、オリンピックで優勝が狙えるといわれている。レベル五は明白に人間を超えており、レベルが七あれば、どんな野生動物をも凌駕する。
要するに、俺はただ一度の跳躍でエグバートの制御プロセッサに飛びついた。すでに再生が始まっている。
「だったら、俺も」
全力でやるしかない。
「いくらでも壊す」
制御プロセッサに触れた。スキルバッチを実行――アクティブ起動、即時。《破砕振動》。
すぐに破壊が始まる。掌で触れた制御プロセッサが、再生する端から破壊される。
「ち」
ビルメレム氏が舌打ちをした。ステッキを構え、地面をつく。
「それで対抗したつもりか。無駄だ」
ビルメレム氏のステッキが、再び地面を突いたのが合図だった。
空間から滲み出すように黒い巨体が現れる。それも、同時に二体。エグバートとまったく同じ姿で、赤い瞳を持っていた。
彼らは天井を仰ぎ、咆哮する。
「やはり――噂通りではないか」
セリアさんは油断なく次の矢をつがえている。さすがだ。こちらに駆け寄ろうとしている。
「ど、どうするっ! エグバートがこんなに!」
「どうもしなくていい。そこを動かないで」
俺はただ、手中の制御プロセッサの破壊を維持することに集中する。
新たに出現した二体の巨人のことは、意識から追い出す。彼らが腕を振り上げ、こちらを打ち付けようとしても同じことだ。
「ああ!」
セリアさんがこちらに矢を放とうとする。
それではどうしようもない。彼女にもわかっていたはずだが、やろうとした。その気持ちはありがたい。
一瞬だ。
二体の巨人の腕が俺を殴りつけた――衝撃も、音もない。
当然だ。
彼らの腕は、俺をすり抜けた。思った通りだった。
ビルメレム氏が強く顔をしかめるのが見える。
「立体のホログラムだよ」
俺は二体の巨人に目を凝らす。その体が、微妙に透けているのがわかる。
「ただ、目に見えるだけ。それだけだ」
少し考えてみた結果だ。
ビルメレム氏がいくらでも防犯鬼神を召喚できるなら、エグバートを無限に再生させる必要はない。壊れたら、新しいものを呼び出せばいい。
そうしないということは、限界があるのか、条件があるのか、そもそも虚偽の情報なのか――いずれかだと思っていた。
検証は簡単に済む。
俺の眼は、物体の温度や物理構造を見ることができる。この巨人にはどういう温度も、物理構造も存在しない。
「ぐ」
ビルメレム氏が喉を鳴らし、ステッキを掲げた。その先端で火花が散る。
やはり、あれもそうだ。
雷を打ち出すには、相応の時間が必要になる。あるいは、青木さんの話を参考にするなら、よほどの金がかかる。
連発できるなら、最初からそうすればいい。
それをしなかったということは、事情があるのだ。
ビルメレム氏は雷を使うことを決意した――いささか遅い。
俺と、それからセリアさんの攻撃は終わっていた。
地面が揺れた。
俺のつま先から伝わる振動のせいだ。
床を這う振動は、極めて局地的な地震を引き起こした。ビルメレム氏はバランスを崩す。転倒する。それでも彼はステッキを振り上げ、稲妻を放とうとした。
その手の甲を、飛来する矢が突き刺した。
「妖術王、ビルメレムよ」
セリアさんは、すでに次の矢をつがえている。
「お前の負けだ。敗北を認めるがいい」
ステッキが転がり落ちる瞬間、ビルメレム氏は奇怪な絶叫をあげた。
それはおよそ、俺が耳にしたこともない叫びだった。悲鳴に似ている。ステッキが手からこぼれおち、もはや彼には何の力もない。
それはわかっていた。
彼は日本語を理解できていない――俺の突き出した契約書を「読めない」と言った。では、日本語で書かれた管理マニュアルは? 当然、そちらも読めない。
つまり彼が依存していた力とは、ステッキと、それを制御するための技術にすぎない。
明らかに、他の何者かから与えられた力だ。
「終わったね」
俺は立ち上がった。
周りは静かなものだった。《泥髭》マッグさんも、俺を睨みつけたまま、口を閉ざしていた。
「ビルメレムさん。これ以上は意味がないし、あなたの健康に大きな危険が及ぶ。もう他人を支配しようなんて考えは改めた方がいい。俺が仲裁します。俺は――」
俺は息を吸った。
「今日からこのアパートの管理人です」
その場の誰も、何も言わなかった。
俺はそれを肯定の意味として受け取った。
――――
ビルメレム氏の身柄を拘束した俺たちは、そろって「青木美容室」に引き上げることにした。
青木さんの自室だ。
彼女は見るからに弱っており、冒険者だらけの部屋では落ち着いて休むこともできない。俺とセリアさんはそう判断した。彼女に肩を貸し、ずいぶん長く感じる距離を歩いたと思う。
「やばいことになったな、アンタ」
と、回復した青木さんは開口一番に言った。
「ビルメレムの、背後にいたやつを敵に回した。たぶん、カールギスの《ウィッチ》だ。管理人を自称してるやつらの一人な」
気付け薬と称して、彼女はビールを呷っている。もう三杯目だ。そのせいか、やや口調が怪しい。
「あの女はどうせ、ビルメレムを唆して、下層に勢力を広げようって魂胆だったんだろ」
待合スペースのソファでふんぞり返りながら、ビール瓶を手にする彼女の姿は、どういうわけかひどく様になっていた。
「そいつを台無しにしたんだから、命を狙われてもおかしくねーぞ」
「そうなんだ?」
俺は青木さんの知識に感心した。このアパートのことを知るためには、やはり彼女の協力が欠かせないだろう。だからこうして、ビールを奢る意味がある。
そもそも、負傷させたのも俺が巻き込んだせいだ。
「他に、管理人を名乗っている人たちについても教えてほしい」
俺は真摯な交渉を試みることにした。社会人たるもの、誠意をもって相手に接するべきだと、俺は知っている。
「その人たちを説得して、俺を管理人だと認めてもらおう」
「アホか。無理だね」
「俺は委託業者なんだ。管理会社から業務を委託されてる。契約は果たさないと」
「他の連中だって、同じさ」
青木さんは鼻を鳴らした。
「委託業者だ。それぞれアンタと違う会社から派遣されてる――少なくとも、本人たちはそう名乗ってる」
「なるほど」
俺は理解した。
社会人への道のりは、生半可な努力では達成できないということだ。
ビルメレム氏が《再生復元》の
あるいは、その手の
「少しずつやってみるよ。冒険者の皆は、俺を管理人だと認めてくれたわけだし」
「あれを認めたって言うのか! 《泥髭》のやつなんて、まだアンタをぶち殺したそうな目をしてただろ」
「否定はしなかった」
俺はセリアさんを振り返る。彼女は弓を手に、俺の背後に立っていた。
「セリアさんも、エルフの人たちを紹介してくれると言っている」
「エル・ヌールの名において」
セリアさんは大きく敬礼するような仕草をした。
「お前に我が二〇五号室の民を引き合わせよう。管理人よ。私はお前が管理人たる資質を持つと思う――少なくとも」
彼女は何か嫌な思い出を刺激されたように、数瞬だけ目を閉じた。
「他の委託業者よりもな」
「ありがとう」
「礼には及ばない。お前は私を尊重してくれた」
セリアさんはいつものように、堂々たる態度で弓を掲げた。
「お前が最後の委託業者として、管理人の座に就くことを祈ることにする」
「あんまり調子に乗せんなよ。死ぬぞ、アンタ。今回はビルメレムみたいなやつが相手だったからいいものの」
青木さんの声は、なぜか少し苛立っている。俺にはその理由がわかっている。
「心配してくれてありがとう、青木さん」
「違う! 別に心配してるって意味じゃない。あまりにも身の程知らずだから、イラついてるんだよ」
青木さんが俺を睨みつける。
だが、手を引くわけにはいかない。
俺は生まれ変わると決めた。
このアパートの管理人として、社会に貢献する生き方をするのだ。
争いだらけのこのアパートを平和に導くことこそ、管理を委託された業者としての務めだろう。
「大丈夫」
俺は胸を張り、ネクタイの位置を直した。
「頑張ってみるよ。俺は、社会に貢献したいんだ」
「どうかしてる」
青木さんは煙草をポケットから取り出した。そいつに火をつける。
「落ち着いて考え直しなよ」
その言葉に、俺は思い出す――前の仕事を辞めるとき、同僚に同じようなことを言われた。
あのときもいまも、返答は変わらない。
「俺は、どうかしてるんだ」
その飛躍がなければ、俺の人生はもう変えようがなかった。一度死んで、生き返ったと考えることにした。
あとは、『死んだ気でやる』。
そうでなければ、あの恐るべき前の「職場」を敵に回し、壊滅させ、ここまでたどり着けなかっただろう。
「なんだってやるよ」
俺はたぶん、満面の笑みを浮かべたと思う。
少なくともそのつもりだった。
「いま、すごく幸せなんだ」
――こうして六人目の委託業者は、「管理人」の名乗りをあげた。
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