第7話 妖術王ビルメレム

 青木さんを冒険者ギルドに引っ張り込んで、ドアを閉じた。

 鉄製のドアだ――鍵も頑丈。チェーンではなく、閂がついている。

 これなら、そう簡単には突破されない。運が良ければ、数十秒ほどは。


 その間にできることは、全てやっておかなければならない。

 俺たちが飛び込んだことによって、「黒川飯店」の店内は騒然となっていた。ビールジョッキや料理の皿を手にして、机の下に潜り込む者が半分。壁際に張り付いて武器を構える者がもう半分。どちらも放っておく。

 おかげで中央に、ちょうどいいスペースができていた。

 俺は青木さんをゆっくりと下ろし、床に寝かせる。その右手首を掴む。


「生きている」

 青木さんのバイタルサインを読んで、まず俺はそう結論づけた。

 このくらいは、スキルバッチに頼らなくてもわかる。呼吸、脈拍、チャクラ循環。すべて正常に動作している。

「軽度の感電。あの稲妻、見た目ほど殺傷力は高くないんだね。大丈夫。呼吸もしているし、心臓マッサージの必要は――」


「い、いらねえ――よ! 馬鹿か!」

 俺の診察を肯定するように、青木さんは咳き込みつつ怒鳴った。

「くそっ! どうなってんだ、あれ」

 悪態をつく。そのせいでまた咳き込む。

「単なるセキュリティ装置の枠を超えてる。防犯鬼神シリーズにあんなスペックのやつがいたか? 少なくともエグバートには、あそこまでの自己修復機能なんてないはずだろ!」


「しかし、実際にあのとおり、エグバートの頭部は再生したぞ。私も見た。この目で!」

 セリアさんは自分の青い瞳を指差し、見開いた。いくらか興奮している。

「どうすればいい、賢者よ! 何か都合のいい魔法は!」

「ねえよ、そんなもん!」

 怒ったように吐き捨てて、青木さんは上半身を起こそうとした。が、顔をしかめて胸を押さえ、また倒れこむ――危なそうだったので、俺はその頭を支えた。


「青木さん、気を付けて。感電に慣れていないなら、無理に動こうとしない方がいいと思うよ」

「やめろ、触んな」

 青木さんは邪険に手を振り、俺を退けようとする。その表情から判断するに、他人に頭を支えてもらっているその姿勢が、ひどく恥ずかしいらしい。

 結局、俺は両手をあげて身を引くしかない。


「エグバートを壊すことはできる。それだけなら、私も手伝えるだろうよ」

 青木さんは天井を見つめながら、いかにも不機嫌な唸り声をあげる。

「そんでエグバートが再生するか、新しい防犯鬼神を召喚される前に、ビルメレムのやつを取り押さえる――これがベストなんだけど」

「難しいね」

 戦術的な話をしている、と思ったので、俺は口を挟んだ。

「電撃を回避しながら近づくのは、たぶん無理だ」


 たとえスキルバッチで身体を強化した俺でも、それはできない。

 一度見たから、それがわかる。

 電撃射出の兆候を読んで起動する専用のパッシブ条件を組むか、違法チートスキルを用意するか――どちらも、この短時間では無理だ。


 戦術上の問題は、二つ。

 一方は巨大な自動歩兵――高い攻撃力と、底の見えない再生力。

 もう一方はビルメレム本人。稲妻を自在に射出し、自動歩兵をいくらでも追加で召喚できるという。


 俺の前の職場では、こういうケースを『不可能性の高いミッション』と呼んでいた。

 しかるべき情報を得たら、すぐに撤退することが推奨されていた。まったく合理的な方針だと思う。

 ――だが、それは以前の俺の話だ。


 ドアの外からは、強烈な打撃音が響き始めている。

 あとどのくらい時間を稼げるか。


「勝ち目がねえな」

 青木さんの声は、悲鳴に似ていた。

「ビルメレムのやつ、本当に管理人候補に名乗りを上げるだけの力を身に着けてたわけか? でも畜生、ああ、そうだ。逃げた方がいい。どうにかして――」


「ならば、私の出番……か!」

 緊張して、上ずった声。

 セリアさんが弓と矢を握りしめていた。

「エグバートを破壊した瞬間、私の矢でビルメレムのやつを射抜く……! これしかないだろう!」


「それも、やめてほしい」

 俺はセリアさんの前に立った。手を添えて、矢をつがえようとする彼女を押しとどめる。

「ビルメレム氏は、このアパートの住人なんだろう。これはトラブルの解決であって、命の取り合いじゃない。そういうのは社会人らしくない」

 どこか息苦しさを感じて、俺は大きく深呼吸をした。


 生まれ変わるために、ここまで来た。

 もう二度と、前の自分に戻りたくない。


 それにもう一つ、大きな理由がある。

 セリアさんに殺人を犯させるわけにはいかない。

 彼女は人を殺したことがない――俺の喉元に矢を突き付けてきた、最初の出会いでそれがわかっていた。腕の緊張、瞳孔の状態、呼吸の仕方。そうしたものから読み取ることができる。


 セリアさんは、あのとき、本気で俺を射抜こうとしていなかった。

 俺の反撃用バッチスキルが起動しなかったのが、その証拠だ。

 先ほど《泥髭》マッグさんにやったように、殺意のある挙動を条件にして、俺の反撃スキルのいくつかは自動起動するようになっている。だから確信できる。

 彼女は腕のいい弓の使い手だ――が、人間か、それに類する存在を射抜いたことはない。


「お願いだ、セリアさん」

「しかし」

 セリアさんは緊張したまま、言葉を切った。やはり弓を握る手に迷いがある。ドアを叩きつける重たい音に、一瞬、視線が揺れた。

 ドアはまだ耐えている。思ったよりもずっと頑丈だ。あと数十秒は持つだろうか。


「他にどんな方法がある?」

 そう言ったセリアさんは、ようやく弓を下ろした。

「やつの軍門に降るわけにはいかないぞ! そんなことがあったら、ええと、そう、お前を見損なうぞ!」

「俺も管理人をやるためには、ビルメレム氏の言い分を認められない。セリアさんには、他に狙ってほしいものがある」

「なに?」

 セリアさんは明らかに動揺している。

「やはり、私の出番か。それは、まあ、確かに……私はエルフの誇り高き狩人……お前に頼られるだけのことはある。あるぞ。ま、間違いない。協力はできる!」

「いや。協力じゃない。きみが主役だよ。そして――」


 俺は店内を見回す。

 武器を構えている人々は、明らかにこっちを睨んでいる。

 特に、《泥髭》マッグさんは凄い目つきだ。明らかに殺意のある視線。片手には槍まで握っている。こちらに隙あらば投げつけんばかりの構えだ。

 そうはいかない。


「冒険者のみんな」

 俺は自分の発言ができるだけ友好的、かつ社会的に響くように努力した。

「できれば手伝ってほしい。もうすぐビルメレム氏が押し入ってくると思う。これは明らかな迷惑行為なので、住人のみんなも協力してくれると嬉しい」


「バカか、てめえは」

《泥髭》のマッグさんは、まず俺を罵倒した。血走った眼をしていた。

 いまにも槍をこちらに投げつけてきそうな迫力だった。

「勝手にこんなことに巻き込みやがって。まずてめえを殺して、ビルメレムの野郎の側についてもいいんだぜ。いいか、俺たちはなあ――」


「それはやめた方がいいよ」

 俺は両手を開閉し、アドバイスした。

 もともと、こういうのは得意だった。あまり思い出したくはないが、いま、その経験を活かすべきだった。

 かつてのテロ屋とは違う――これは、社会のためになる行為だ。


「俺はここに来る前、セキュリティ・コンサルタントっていう職業についてたんだ」

 この単語の響きは、実際の職務内容を一万倍くらい美化している。とはいえ、まったくの嘘ではない。

「だからリスクのある選択肢についてはアドバイスできる。やめた方がいい」


「何言ってんだ、てめえ」

《泥髭》マッグは一歩、こちらに踏み出し、他の冒険者連中は顔を見合わせた。わけがわからない、という顔をしていた。


「単純な話だよ。ビルメレム氏よりこっちの方が強いんだ」

 自らの言葉に、真摯な気持ちをこめようとした。

 うまくいったかどうかはわからない。

「彼の迷惑行為をやめさせる。だからきみたちは、俺の味方につくべきだ」

 ドアからひときわ強烈な打撃音が響いた。それは破壊の音を伴っている。ドアがひしゃげて隙間ができ、そこに巨大な指がかかっているのが見えた。


 俺は再び冒険者の諸君の顔を見回す。

《泥髭》マッグほどではなくても、みんな呆れているか、困惑した様子でこちらを見ていた。まあ、仕方ない。社会人としての信用は一分や二分で築けるものではない。

 ここは、管理人としての実力を見せるときだった。


「と、いうわけで――セリアさん。きみが頼りだ」

 俺はセリアさんの背中を叩いた。

「俺はそういう作業を手伝うのが得意なんだ。任せてほしい」

「え」

 意表をつかれたようで、セリアさんの背筋がびくりと震えるのがわかった。振り返ったその瞳も、猜疑と不安と、多少の恐怖に満ちていた。

「わ、私か? やっぱり?」


 そしてドアが吹き飛び、防犯鬼神エグバートが顔を覗かせる。

 

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