第6話 守護者の聖骨
部屋の外に出ると、すでに通路を黒々とした巨体が塞いでいた。
防犯鬼神、エグバート。
身を丸めて、こちらを見下ろす姿勢。窮屈そうだ。
彼の背後には、ただ一人、小柄な人影があった。
着古した黒いガウンを身にまとった男だ。その面相は、一階で遭遇したオークたちと同じく、耳は豚のそれによく似ていた。
右手には青木さんの杖とよく似た、装飾の少ないカーボン製のステッキがある。
恐らくは、彼こそが妖術王・ビルメレム氏――なのだろう。
「ううん?」
と、ビルメレム氏は俺の顔を見るなり目を細めた。
「変わった男がいるな――貴様、その身なり、外から来たのか?」
「そうだね」
答えて、俺はさっきの格闘で乱れたネクタイの結び目と、袖口を整える。少しでもまともな社会人に見えるように。
「今日からここの管理人を委託された者だ。管理会社の方に確認してもらえば、わかると思うよ」
「なるほと、委託業者の輩か。愚かな」
ビルメレム氏は咳でもするように笑った。
「それにどれほどの意味があるものか!」
「契約書もあるんだ。ほら――」
「外の言葉など読めぬわ。このアパートの者となった以上、そのようなものは捨てろ。我らが言葉で話し、我らが言葉を記せ。なぜならば、ここは真の管理人たる我が王国!」
ひときわ声を張り上げ、ビルメレム氏は両手を広げた。
「妖術コーポつばき荘なのだ。ひれ伏すがいい!」
この発言に激しく反発したのは、セリアさんだった。
「ふざけたことを言うな、妖術王!」
彼女はすでに弓に矢をつがえ、いつでも放てるように引き絞っている。
「お前を管理人と認める者はいない。力と恐怖による支配に、我々エルフの民は断固として抵抗するぞ!」
「言いおる。臆病者のエルフにしてはな」
ビルメレム氏の笑みは変わらない。自分が圧倒的に優位であることを確信しているような、そんな笑い方だ。
こういう笑い方をする者に、俺は心当たりがある。
色々な場所の独裁者たちだ。小さな権力を握った者ほど、何を恐れるべきか見失いやすい。
「では聞くが、エルフの娘よ。エルフの民の軍はどこにいる? 大方、貴様のような愚か者を斥候として、日和見を決め込むつもりであろう。自分たちの部屋の床に火がつくまでな」
「なんだとっ」
セリアさんが奥歯を噛みしめるのがわかった。ぎりぎりと、こちらまで音が聞こえそうだ。
「なんたる不遜な物言いだ」
言いながらも、じわりと距離を離している。エグバートの巨体の有効射程ぎりぎりまで。
「ここでお前を討ち、舌を引き抜き、我が部屋への侮辱を止めてやる! 私はエルフの狩人だ、容赦はしないぞ。本当にやるぞ」
「ずいぶんと気が大きくなっているようだな。そこに賢者が控えておるからか」
ビルメレム氏の杖の先が、セリアさんの背後を示した。青木さんはなんとなく居心地が悪そうに肩をすくめる。
その仕草にも、ビルメレム氏はまったく余裕の態度を崩さない。
「ちょうどよい。賢者を名乗る輩とは、いずれ雌雄を決するべきだと思っておったわ。しもべとして、我が玉座にひれ伏してもらおう」
「や――私は別に、賢者なんて名乗ったことはないけど」
青木さんは自分の杖を掲げ、さらに一歩、後退する。
「アンタが管理人って流れには反対だな。アンタ、絶対に家賃とか値上げしそうだし。考え直しなよ、管理人なんて苦労するだけだ」
「歯向かうか。それもよい。ならば――冒険者ども!」
ビルメレム氏は杖を口元に持って行った。
杖がマイクの役目を果たしているのか、その声はまた拡声器を通しているように大きく、ややノイズ交じりに聞こえた。そういう機能があるのだろう。
「貴様らは、どちらにつく? 利口な判断をするがいい。我が軍門に降るなら、この管理人僭称者どもを捕らえよ!」
部屋の中から答えはない。
俺は冒険者ギルド『黒川飯店』の室内を横目で見た。それぞれテーブルの下に潜り込むなり、相変わらず酒を呷るなりして、こちらを見物する構えだった。《泥髭》マッグに至っては、ただ俺を睨んでいるだけだ。
彼らはそこから出たくないようだった。
もっとも、この反応はビルメレム氏も予想していたらしい。
「強い方につく、か。冒険者どもらしい。ならば、そこで見ておるがいい。我が偉大なる力! 我が守護者の聖骨の業を! では――」
ビルメレム氏は杖で床を突いた。
ただ一度。
「気が変わった者から申し出るがいい」
それをきっかけに、防犯鬼神・エグバートが動き出した。
腕を振り上げ、まっすぐ刺すように突き込んでくる。
俺はすぐに後方へ跳んだ――スキルバッチを実行。アクティブ起動、即時。《跳躍》。レベル七。
十分に距離をとっていた青木さんとセリアさんは、もう少し楽に対応できている。
「空調」
青木さんは何かを呟き、杖を地面についた。
びゅう、と、風の音が響く。舞い上がる埃と木屑は、彼女を避けるように流れた。彼女の周囲に、気流が生まれている。
これも何らかのアパート生活用システムの一部なのかもしれない。
一方のセリアさんは、飛び離れながら矢を放っていた。
それはエグバートの赤い一つ目を狙っており、実に見事な軌道でそれを射抜きかけた。
いい腕だ――突き刺さる。そう思った瞬間には、炎に焼かれて消し炭と化している。膨大な熱と炎がエグバートの眼前で渦巻き、陽炎を残してすぐに消えた。
「うぐ」
セリアさんは顔をこわばらせ、次の矢をつがえようとする。
「き、貴重なチザメの牙の矢が。内緒で持ってきたのに……! 怒られてしまう!」
「いや十分、セリア、狙いは悪くねえよ」
やや興奮気味に、青木さんは俺の肩を掴んできた。
「あいつら――防犯鬼神には、頭の真ん中に制御プロセッサがある。って、マニュアルに書いてあった。非常時にはそれを壊せってさ」
「そうだね」
妥当な判断だ、と思う。さすが賢者。
俺がいままで相手にしてきた自立多脚戦車も、大抵は制御プロセッサを壊せば止まったものだ。つまりそれが破壊のコツだ。
「それをやってみようか」
「ってか、それしかない。アンタ、いま見たけど、だいぶ動けるんだろ。一瞬でいいから気を逸らしてみてくれ。セリアも頼む。あれだ、あの、音が出るやつ」
青木さんは杖を握り直し、近づいてくるエグバートを見上げる。今度の彼は、両手を振り上げていた。
あれを叩きつけるつもりなら、少々危ない。
「私が頭を壊す。方法はある、美容師だからな」
わかった、とは言わない。
エグバートが両手を振り下ろしたので、俺は走り出す。衝撃で地面が揺れた。セリアさんも飛びのき、体勢を崩されながら矢を放っている。
「でやっ」
やや気の抜ける、セリアさんの雄叫び。
ぴぃっ、と、甲高い音が天井すれすれを走った。
見当はずれの射撃に見えたが、それでよかった。
鏑矢、というやつだ。鏃の根元に穴をあけた円筒を取り付け、これを飛ばすと笛のような音がする。やや原始的な道具だが、アナログな戦場では使い道もある。
例えば、いまのようなケース。
エグバートは音に反応して、鏑矢を見上げようとする。
俺はその足元を俊敏にすり抜けた。ついでに、その足首の部分に触れる――スキルバッチを実行――アクティブ起動。即時。《破砕振動》。レベルEX。
右腕の
一秒にも満たない接触ではあるが、俺が徹底的に調整した
ごぼっ、と泡立つような音とともに、エグバートの右足首がえぐれて、飛び散る。
「なに?」
ビルメレム氏が、片眉を吊り上げた。少しは驚いたらしい。
「
彼は杖を地面に突き、何かを呟く。俺が破壊したエグバートの右足首が、みるみるうちに復元していく。これには俺も驚いた。こんなに高度な、構造体再生技術があるとは。
だが、それがエグバートにとって、致命的な隙になった。
賢者の青木さんが、具体的に何をやったのかは知らない。
ただ、エグバートの頭が一瞬で吹き飛ぶのを見た。天井から強烈な水流が吹き出し、エグバートの頭部を飲み込んだからだ。
このときの現象について、推測はできる。
水だ。
水圧による放水砲のようなものだろう。
天井付近にスプリンクラーがある――そこから、砲身のようなノズルが突き出していた。そいつが水を激しく噴出し、エグバートの頭部を吹き飛ばしたのだろう。
「そんなに頑丈じゃないんだよな、こいつら」
青木さんは杖を再び床に突き、大きく息を吐いていた。頭を失ったエグバートの体が、結合をうしなって崩れていく。
四角いコンテナのような物体が、床に落ちて砕けた。
もしかすると、それが制御プロセッサだったのかもしれない。
「元は泥だから。さっぱり原理とかわかんねーけど――で? どうだ、ビルメレム」
青木さんの顔には余裕があった。このときは、まだ。
「私は壊し方を知ってる。エグバートみたいなやつでも、頭の制御プロセッサをやられたら再生できないんだろ。このままじゃあ千日やっても終わらないぞ。だからここは――」
「愚かな」
ビルメレム氏は、喉の奥で咳き込むように笑った。
それから、杖で床を突いた。
「我が力を甘く見たな。これこそが、我が守護者の聖骨。余には無限の癒しの力がある。何をしても無駄だ」
「うっそ」
よほど驚いたのだろう。青木さんは口を開けた。
「制御プロセッサを壊したんだぞ――そんなのありかよ。なんなんだ、アンタの、その――」
青木さんの混乱を無視して、飛び散ったエグバートの体が再生していく。その巨体が再び組みあがる。
砕けたはずの、制御プロセッサまでもが修復されていく――
その最中、俺は見た。
視界の端に表示される、
バッチスキル《再生復元》。レベルEX。
「我が力を見よ」
ビルメレム氏は杖を掲げた。
その先端から、白い雷がほとばしる。俺は間に合わなかった。
だが、即座に動いた。
賢者の青木さんが悲鳴をあげたかもしれない。
彼女の胸を、ビルメレム氏の雷が貫いたからだ。
急ぐ必要があった――俺はセリアさんと、青木さんの両方を抱えた。そして跳ぶ。アクティブ起動、即時。《跳躍》。レベル七――アドバンスド・スキルバッチ追加起動。《増強》。レベル四――
「な、なにをっ」
セリアさんが抗議するような声をあげた。俺は無視した。
これは、住人の命にかかわる問題だ。
社会人なら、やるべきことはわかっている。
冒険者ギルド『黒川飯店』に転がり込む俺たちの背後で、すっかり再生したエグバートが咆哮をあげるのが聞こえた。
その瞳から、激しい炎が放たれるのも――その熱気も感じた。
耐熱スキルでも買っておけばよかった、と、俺は思う。
すべては手遅れのことだ。
戦場ではいつもそうだった。
こんなの、もう御免だ。
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