第5話 冒険者ギルド「黒川飯店」
冒険者ギルドまでは、さらに長い距離を歩かなければならなかった。
青木さんの話によると、ギルドは北棟への渡り廊下の手前にあるのだという。
北棟に向かうほど白い樹木の根は密になってきて、それによって窓はほとんど塞がれていた。俺は暗所でも目が効くので問題ないが、セリアさんは「暗い」と呟いて、ランタンのような道具に火を灯した。
柔らかな黄色い光は、まるで深海の発光生物のようだった。
セリアさんいわく、これはエルフの知恵の一つで、アンドウカズラという植物の油を利用した照明器具らしい。
「冒険者ってのは、つまり、空き巣どものことだ」
青木さんは寒そうに背を丸めて歩きつつ、彼らについて語った。
「ギルドはその寄り合いってか、互助会ってか、そんな感じ」
彼女は部屋着らしきパーカーの上に赤いドテラを羽織っており、右手には装飾のないステッキのような棒を握っている。ステッキの用途は不明だが、たぶん材質はカーボン製だろう。
そうした姿は、シルエットだけ見れば、まるで童話に出てくるローブと杖を持った魔法使いのようだった。
「このアパート、空き部屋が数え切れねーくらい多いからな。そこに押し入って、元・住民だか何だかの所持品を押収する。やつらはそれを冒険って呼んでる」
「それ、犯罪的な行為に聞こえるね」
「実際、そうなんだろうよ」
俺の意見を、青木さんは容易く肯定した。
「ただ、住人が死んだにせよ失踪したにせよ、空き部屋がそのままってのは困る。ナマモノは腐るだろうし、空き巣よりタチの悪いやつらが住み着いたりもする。そうなってもこのアパート、警察なんて来ないしな」
「来ないの? 物騒だな」
俺が社会人らしい感想を口にしてみた。効果はあった。青木さんが少し笑ったからだ。
「仮に入っても、このアパートの中で迷っちゃうだろ。ついでに言うとセールスマンも来ないし、通販も届かない。とにかく――」
青木さんは煙草の煙を吐くように、白い息を吐いた。
「やつらはそういう、空き部屋のリスクを減らす役には立つらしい。私はまあ、賛成も反対もしない。こっちに迷惑さえかけなきゃ、好きにやれって感じだ」
「そうかもしれないね」
「ただ、わざわざ空き巣って道を選ぶだけあって、大抵のやつはロクデナシだね。アンタも管理人を自称するなら、余計なトラブル起こすなよ。ドワーフやハーフリングたちはともかく、獣人のやつらには注意だ」
「いいや! ドワーフも信用できないぞ!」
不意にセリアさんが振り返り、口を開いた。細長い耳がピンと立っている。
「やつらは何かにつけてエルフに文句を言う。排他的で独善的、臆病なくせに、他人を非難してばかりだ。自称・管理人よ、気を付けるがいい」
「ありがとう。気を付けるよ」
「ああ。礼には及ばないが、殊勝な言葉だな。エルフの心遣いが伝わったか」
満足げにうなずくセリアさんの細長い耳が、小さく動いた。
「……エルフとドワーフは仲が良くないんだよな」
一方で、青木さんは苦笑いを浮かべた。
「まるであれみたいだよな。ゲームみたいっていうかさ、アンタ知ってる?」
「ごめん。俺はあまりゲームとかをやったことがないんだ。いままで仕事人間だったから」
「あ、そ」
青木さんはつまらなさそうに肩をすくめた。
――――
その部屋は、「渡り廊下」らしき通路の手前にあった。
部屋番号のプレートはなく、
「黒川飯店」
という木製の看板が掛けられていた。その下には、ロシアのキリル文字に似た記号が並んでいる。俺にも読めない。
「ここだ。もともとは食堂というか酒場というか、そういう店だったんだけどな」
青木さんは一歩下がって、俺に道を譲った。先に開けて入れ、というようなジェスチャーをしてみせる。
「店長がいつしか失踪して、それで、冒険者どもが勝手に根城として使い始めた」
「家賃も払わずに?」
良くないな、と俺は思った。管理人として、彼らとも一度ちゃんと話をする必要があるだろう。
こういうのは、まず管理会社に言うべきなのだろうか。
「さあ、ゆくぞ!」
俺が考えている間に、セリアさんは勢いよくドアを開けていた。
軋んだ音を立ててドアが開く。
――途端に、たくさんの視線が俺たちを出迎えた。
やはり室内はやたらと広い。
街の食堂くらいの広さはあるだろう。それも、中華料理屋だ。テーブルが並び、奥にはカウンターと厨房。壁を埋め尽くさんばかりの、手書きのメニュー。その大半は、俺には読めないキリル文字風の言語で書かれていた。
厨房に店員らしき人の姿はないが、テーブルにもカウンターにも、客の姿がある――ほとんど満席。盛況のようだ。
座っているのは、実に雑多な面子だ。少年と少女。立派な髭をたくわえた、固太りの男たち。軽く二メートルは越えているだろう禿頭の巨漢。
それに、狼のような頭と、毛むくじゃらの四肢を持つ人――俺は前の職場で、こういう存在を見たことがある。あれはパタゴニアの現場でのことだ。生物学的な実験の一つで、動物と人間を掛け合わせた兵士――あのときは同僚だった。
通称、ル・ガルー・プロジェクト。
喋ってみると大抵のやつは温厚で、勇敢だった。雑談したこともある。彼らの悩みの種は、気軽にフットボールの試合を見に行けないことだと言っていた。
これには事情がある。彼らのような存在を生み出す技術はまだ実験段階で、一般には提供されていない。現代社会に大きな混乱を起こしかねない技術だ、と、俺のかつてのクソみたいな上司が言っていた。
とにかく、雑多な人種の彼らは黙って俺たちを見つめている。
観察されている、という感覚。
居心地は良くない。
「……運が悪いな」
青木さんが小さく舌打ちをする。
「話のわかるやつ――カイル・ミーゼン辺りがいればベストだったんだが――」
「よりにもよって、《泥髭》のマッグとはな」
セリアさんが後を引き継いだ。その言葉には、ちょっとした敵意があった。彼女はカウンターの真ん中に陣取る、ひときわ立派な髭の男を指差した。
小柄だが、筋肉質なせいで小さくは見えない。彼は『安全第一』と書かれたヘルメットを被り、ぎょろついた目でこちらを見ていた。
「冒険者の中でもかなり性質が悪い方だ。他の冒険者の稼ぎを横取りしたり、新人を潰したり、探索ルートに罠をしかけたりと、とにかく悪い噂を聞く。私の耳は鋭いのだ」
「聞こえてるぞ、エルフの小娘」
ヘルメットの男性――セリアさんの紹介によれば、《泥髭》のマッグさんは、不機嫌そうに声をあげた。
彼はコップから何らかの液体を呷って立ち上がる。たぶん酒だろう。
「何をしに来た。臆病なエルフらしく、そいつらは用心棒か? 賢者と――そっちの男も」
「なんだと、ドワーフめ。私のどこが臆病――」
「落ち着けよ、セリア」
反論しかけたセリアさんの背中を、青木さんが軽くたたいた。
「いきなり喧嘩腰になるなって。いまはやることがあるんだろ」
「……そうだな」
セリアさんは大きく深呼吸をして、一歩、店の中に踏み出す。
「急を要する事態だ。妖術王ビルメレムが新たに管理人を自称して、一階を封鎖した」
「で?」
マッグさんは歯を見せて笑った。健康で、頑丈そうな歯だった。
「それがどうした?」
「他人事ではあるまい。このアパートに住む者ならば」
セリアさんの声は徐々に刺々しくなっていくが、それでもよく耐えていたと思う。彼女は声を張り上げ、強い視線で室内を見回した。
「私は二〇五号室を代表してやってきた。エル・ヌールの名において。我らとともに、妖術王ビルメレムと戦う勇者はいるか!」
「へっ」
室内からの反応はない。代わりに、マッグさんが鼻を鳴らした。
「くだらねえ。金にもならん仕事だな!」
「ドワーフらしい物言いだ。やはりお前も臆病者か、《泥髭》」
「うるせえんだよ。エルフども、お前らはこのアパートの管理人気取りか?」
ゆっくりと近づいてくるマッグさんの喋り方には、軽い侮蔑が含まれていた。
「いますぐ消えろ、思いあがるんじゃねえ。お前らエルフどもにはうんざりだ」
「なんだと! 今の発言は、私のみならずエルフの皆に対する侮辱だな!」
「おお。怒ったか? だったらどうする? その弓で俺と戦うか?」
「貴様――」
マッグさんは挑発的に手を広げてみせた。セリアさんの手が、背負った弓に伸びかける。
「そこまでにしようか」
そろそろ険悪な雰囲気になってきたので、俺は管理人として仲裁することにした。青木さんが「やめとけ」と小声で言ったが、俺は気にしない。
社会人として、やるべきことをやらなければ、と思ったからだ。
「二人とも、落ち着いて。一度、論点を考え直そうよ」
「いや待て、自称・管理人」
セリアさんは俺のスーツの裾を掴んだ。
「私を守るつもりなら、不必要だと言っておこう。私はこう見えてもエルフの狩人だ。気持ちは嬉しくないこともないかもしれないが、その、怪我をするぞ」
「大丈夫。俺は管理人だから、住人の安全を守らないと」
俺の説明は、セリアさんを不安にさせただけかもしれない。彼女はひどく困惑した様子を見せた。
「……誰だァ、お前」
マッグさんは俺を睨んだ。自己紹介を求められている、と俺は判断する。
「今日からここの管理人になった者です。だから、住人同士のトラブルを解決したい。ビルメレムさんの件もそうだし、マッグさん、あなたとセリアさんの口論もね」
ネクタイの結び目を治し、セリアさんとマッグさんの間に割って入る。心掛けるのは、できるだけ穏やかな笑顔。
「暴力行為はやめて、話し合おう」
「は! 管理人とはな」
マッグさんは声をあげて笑う。
「だったら、お前――」
その言葉の途中で、俺は気づく。
マッグさんがこちらに素早く踏み込み、腰を捻りこんだ。右手が拳を形作っている。俺を殴るつもりだ。狙いは腹部。到達までコンマ一秒もないだろう。
この瞬間に、俺の電子脳幹は速やかに機能していた。
スキルバッチが自動実行される――パッシブ起動。コンビネーションA7。《パリィ》、レベル七。《螺旋発剄》、レベル八。
腰を落とし、マッグさんの拳を捌いて、胸のあたりに掌を触れさせる――そこまで一動作。自分でも止めようがなかった。
こいつは調整が必要だ――と、マッグさんを吹き飛ばしてしまった後で、俺は後悔した。
束の間、マッグさんの体が宙を舞い、落下する。いくつかの椅子が転んで、テーブルは押しのけられた。
室内がざわつく。青木さんは手で顔を覆い、天井を仰いでいる。セリアさんは青い瞳を丸くして、俺を見上げていた。
「――この野郎っ」
マッグさんが怒鳴り、起き上がろうとしているのを見ながら、俺はいまのマッグさんの一撃を思い出していた。多少の驚きとともに。
――マッグさんの、あの打撃はスキルバッチによるものだ。
間違いない。スキルバッチ《ショートフック》。レベルは三。俺の左目はスキルバッチの起動を感知できる。相手のモーションと、電子脳幹が発するパルスを読み取り、使用されたスキルバッチを視界内に表示してくれる。
だが、だとすると、このアパートには電子脳幹手術をできる医師がいるということになる。
電子脳幹という技術は、まだ一般には知れ渡っていないものだ。ル・ガルー・プロジェクトと同じく、一部の軍人や専門家が試験的に使用しているにすぎない。
だったら、これは――
さらなる考察に沈みかけた俺を引き戻したのは、その瞬間に発生した大きな振動だった。さっきから考え事を邪魔されてばかりいる気がする。
がぁん、と、強烈な音が響いてきた――背後。出入口のドアの方からだった。
「な、なんだ?」
セリアさんが弓に矢をつがえ、そちらに向ける。
そして、声が聞こえてきた。
「薄汚い冒険者ども、感謝するがいい!」
それはスピーカーで拡大したような、ノイズ交じりの大音量だった。
「妖術王ビルメレムが、直々に来てやったぞ。今日は貴様らに機会を与えようではないか――この余の配下となる、大いなる機会をな!」
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