魔王の体重測定

「うーん……これは一体どういうことなんでしょうね」


 ミツバが困り顔でロクサナの足元をみつめている。

 魔王の足元にあるのは、ヤポンから持ち込まれた車椅子用の体重計だ。

 体重計の盤面の数字は、激しく上下しつついつまでたっても一つの数字を指すことがない。


「ロクサナ、魔族の体重というのは一定しないものなのか?」

「いや、そのようなことはない。私にだって決まった身長や体重というものはあるぞ」


 けげんそうな目で体重計を見つめているロランドゥスに、ロクサナは答えた。

 ここのところロクサナの食欲が回復しているため、ミツバの提案で一度体重を測っておくことになった。しかし、この体重計はまるでロクサナの体重をこちらに知らせることを拒否しているかのようだ。


「では、なぜこの体重計はお前の体重を教えてくれないんだ」

「うむ……どういうことなのじゃろうな」


 顎に手を当てて考え込むと、しばらくしてから何かを思い出したようにロクサナはぽんと手を打ち合わせた。


「なにか思い当たることがあったのか」

「今から五百年前ほど前に私と戦った勇者にカースロンというものがおったのじゃが、あやつは相対する者の数値を盗み見ることに長けておったのじゃ。そこで私も対抗策として、己の能力値を隠蔽する呪文を開発したのじゃ」

「ははあ、なるほど。カースロンは能力窃視の加護を受けていたというわけか」


 アルトリス神殿が勇者にの与える加護にはさまざまなものがあるが、カースロンは能力窃視の加護を与えられていたため、とりわけ敵の能力の分析に優れていたという。

 しかしロクサナのように能力値を隠蔽する呪文を用いるものが出てきたため、今ではこの加護はあまり使えない能力となっている。


「その呪文を解除するわけにはいかないのか?」

「残念ながら、これは常駐呪文となっておってな。記憶領域から削除するとなると、かなり複雑な術式を使わなくてはいけないのじゃ」

「どうする、ミツバ殿?その術式を使うまで体重測定は延期してもらったほうがいいだろうか」

「そうですね……でもこの体重計を使わなくても、なんとかして体重を測る方法はあると思うんですが」


 しばらく真剣な表情で考え込むと、ミツバははっと目を見開いた。


「あ、大丈夫です!あの方法を使えばいいんです」

「ほう、なにか良い手があるのかな」

  

 目を輝かせるミツバに、ロランドゥスは興味深そうに問いかける。


「お風呂にいっぱいにお湯を張って、そこにロクサナ様を入れます。そしてそこからあふれ出たお湯の重さを測れば、それがロクサナ様の体重になりますよね」

「むむ……ミツバ殿は知恵者だな。ヤポン人の文明はこの地よりだいぶ進んでいるようだが、かの地にはミツバ殿のような人物がたくさんいるのだろう」


 ロランドゥスは感心した様子で何度もうなづいた。


「いえ、これは私が考えたことじゃないんです。子供の頃に読んだ科学者の伝記の本に書いてあったことで」

「そういう書物を読んでいるというだけでも素晴らしい。ではさっそく、ロクサナに風呂に入ってもらうことにするか」

「いやじゃ」


 車椅子の上から、ロクサナが鞭で打つような声を飛ばした。


「嫌って、風呂に入るだけのことだろう」

「服を脱ぐのも面倒なら、浴場まで行くのも面倒じゃ。私はここを一歩も動きたくない」

「お前は車椅子に乗ったままでいいんだ。それでも嫌か?」

「いやじゃ」


 ロクサナはかたくなに首を縦に振ろうとしない。

 ここ最近ロランドゥスに気を許しているためか、次第に彼女はわがままになってきている。


「まったく、どうしたものか」


 ミツバの方を向くと、彼女は困ったものだ、といった風に肩をすくめた。


「あの、このお部屋にお湯をお持ちするならどうですか?」

「まあ、それならよいが」

「しかしこの部屋まで水を持ってくるのはなかなか骨が折れるぞ、ミツバ殿。それにこの部屋で湯をあふれさせては後の始末が大変だ」

「それなら問題ありません。今、このお城には精霊使いの方がいらしてますから」

「精霊使い……ああなるほど、そういうことか」

 

 得心した様子で、ロランドゥスは顔をほころばせた。


「では、これからお呼びしますので、しばらくお待ち下さいね」


 ミツバはいそいそと部屋の外に出ていった。





 ◇





「は、はじめまして、精霊使いのリンダと申します!まままさか本物の勇者様にお会い出来るなんて……」


 灰色のローブをまとった身体を小刻みに震わせつつ、目の前の娘はロランドゥスに深々と頭をさげた。それにつれて二本の三つ編みも前に垂れる。

 ふたたび頭をあげると、野暮ったい黒縁眼鏡の奥の瞳が、遠慮がちにこちらを見上げていた。


「そんなに緊張せずともよい。今はただの年寄りだ」

「そ、そんな、滅相もない!歴代勇者の中でも最も勇敢にして多くの加護を受けた大勇者ロランドゥスと超戦士ランドルフ、刀鬼ムゲン、聖女イリーナ、大賢者メルクリウスの五人はアルバの生ける伝説なんです!私が生まれる前から大活躍されている皆さんの名前を聞くだけでも誇らしいのに、今こうしてお会いできるなんて、これこそがまさに奇跡、神のお導きというものです!」


 目を輝かせつつリンダが右手を差し出すので、ロランドゥスはためらいつつもその手を握った。どうもこの娘は言うことがいちいち大げさだ。


「ああ、これが勇者様のお手なのですね!心なしか、握っていただいているだけでも力が湧いてくるみたいです!ロランドゥス様には、自分の力を分け与える加護の力をお持ちなのでしょうか?」

「いや、そのような力は授かっていないが」

「いえ、きっとそれはご自分でお気づきになっていないだけです!現に私はこんなにも……ああっ」


 リンダは両手でロランドゥスの右手を包んで激しく振ると、感激のあまりふらりと後ろに倒れ込んだ。


「あ、危ないですよ、リンダさん」


 よろめいたリンダを、ミツバが素早く抱きとめる。


「大丈夫ですか?これから精霊を呼び出していただくことになるんですけど」

「え、ええ、すみません。私、興奮するとつい早口になってしまって」


 ロランドゥスは軽く溜息をついた。

 アンダルス大戦後に生まれた世代の中にはロランドゥスを侮るものもいるが、リンダのように想像を大きくふくらませて過剰なまでに勇者を賛美するものもいる。


「それでは、さっそく精霊を呼び出していただこうか」

「はい、勇者様、リンダはどのような命令にも従います」


 もうロランドゥスの部下にでもなったつもりなのか、リンダは意気揚々とロクサナのベッドの脇に用意された浴槽のそばに歩み寄った。


「では勇者様、見ていてくださいね。──清き水辺に住まう水妖ウィンディーネ、盟約に従い我の召喚に応じよ」


 リンダは目を閉じ、目の前で両手を組んで祈りを捧げるような格好になった。

 程なくしてロランドゥスの目の前に水流が湧いて出て、それはやがて半透明な人魚のような形を取った。


「どうですか、勇者様?」

「あ、ああ、見事なものだ」


 褒められたくて仕方がないと言った様子を見てとり、ロランドゥスはリンダにそう声をかけた。

 精霊使いなら契約した精霊を呼び出せるのは普通のことだが、ここは褒めておくに越したことはない。


「では、これからウィンディーネにこの浴槽を満たしてもらいます。ウィンディーネは本来不定形なので、魔王様がこの中にお入りになったらあふれた分だけを分離させ、体重計に載ってもらいますから」

「ほう、そんなことができるのか。便利なものだ」

「お褒めにあずかり光栄です!」


 無表情のウィンディーネの脇で、リンダは満面の笑みをみせる。


「さて、それではさっそく入ってもらうとしましょう。ウィンディーネ、この浴槽で魔王様をお迎えしなさい」


 リンダが命ずると、ウィンディーネは液体となって浴槽をいっぱいに満たした。

 ロランドゥスが宙に浮かんだロクサナの夜着を手早く脱がせると、その裸体の輪郭は幻影魔術でかすんでいた。両手でロクサナの身体を抱きとめると、ロランドゥスは魔王の身体をゆっくりと浴槽の中に沈めていく。

 しかし、異変はその時起こった。

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年古りし勇者よ、魔王の車椅子を押せ 左安倍虎 @saavedra

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